2020年12月14日月曜日

ラストモダン(LastModern)・・・ポストモダン(PostModern)と何が違うのか?

このブログでは、ポストコロナやラストモダンという言葉を頻繁に使っていますので、ポスト(Post)やラスト(Last)の使用法について、一通り説明しておきます。

改めていうまでもなく英語では、Postは〔時間的に~の後の、の次の〕を、またLastは〔順序が最後の、一番後の〕を意味しています。

それゆえ、ポストコレラは「黒死病の後の時代」、ポストコロナは「コロナ禍の後の時代」ということになります。

一方、ラストミドルは「中世の末期」を、ラストモダンは「近代の末期」をそれぞれ意味しています。

ラストモダンは、ポストモダンと似ているようですが、本質的に違います。

ポストモダン(PostModern)という言葉は、1970年代後半、イギリスの建築評論家C.ジェンクス(Charles Alexander Jencks)が提唱し、80年代に入ると、フランスの哲学者、リオタール(Jean-François Lyotard)、デリダ(Jacques Derrida),ドゥルーズ(Gilles Deleuze)らによるポスト・モダニズム思想として、世界の哲学界を席巻しました。

近代の合理主義的、一元的な原理主義を批判し、消費社会や情報社会に対応した知や実践のあり方を模索する思想的・文化的な運動であり、「近代」を越えようとするものでした。

これに対し、ラストモダン(LastModern)は、人口波動説の視点から、一つの波動の下降期を意味するものです。

この言葉は、筆者が今から30年前、日本経済新聞・夕刊(1990年2月26日)の連載コラム「生活ニューウエーブ」で提唱したもので、この時点で調査した限り、世界で初めての使用でした。

ラストモダン

ラスト・モダン

昨年暮れに厚生省が発表した、89年の出生率(千人当たり)は10.1と史上最低を記録し、1980年以来連続して最低記録を更新している。

主な原因としては、出産年齢人口の減少、結婚形態の変化、既婚者出生率の低下の三つが考えられるが、その背後には、年齢構成の上昇、未婚率や離婚率の上昇、少産志向の拡大などが要因となっている。が、さらにその一つ一つをつきつめていくと、経済成長の鈍化や都市化社会の拡大、文化の爛熟(らんじゅく)化といった近代文明の成熟化に行き着くことになる。

出生率の低下は、やがて総人口の低下をもたらす。このため、1830年ころから緩やかに上昇し始め、明治維新後から急上昇して今や1億2,300万人に達した総人口も、今後は徐々に伸び率を低下させ、2010年ころにピークを超えた後は、一転して減少していくものと予測されている。

一般に、人口の成長は始動、上昇、飽和、停滞の4つの過程をたどるから、この人口曲線もわが国の近代化の過程とほぼ一致している。そこで、江戸後期から明治維新までを近代前期、維新から2000年ころまでを近代中期、その後を近代後期と呼ぶことができよう。

約120年間続いた近代中期は、もっぱら成長一拡大型の社会であった。しかし、あと十年後に迫った近代後期は、かつてジャポニスムを生み出した、江戸中期百年間の停滞型社会と同じように、物質的には停滞するものの、精神的には爛熟化する文化の時代

となるのではないか。

とすれば、科学技術、市場経済、国際主義などが成熟化する中で、急拡大を続けた成長型社会の矛盾――環境破壊、地価高騰、資産格差の拡大などを一つずつ解決し、成熟した生活文化を尊ぶ安定型社会をめざすことが必要だろう。それは、近代の終わりではなく、近代の総仕上げを意味している。

そう考える時、私たちが今、向かっているのは、「ポスト・モダン」ではなく「ラスト・モダン」なのだ。        (古田隆彦) 


その後、幾つかの拙著で、この言葉を提唱してきましたが、その一つを揚げておきます。

ラストモダンとは、決してモダンの終りなどではなく、むしろモダンの完成期、つまり「ファイナル(仕上げ)モダン」なのである。・・・ラストモダンになると、成長・拡大が抑えられることで、・・・より成熟した生活文化を尊ぶ時代をめざせるようになる。

(古田隆彦『人口減少社会のマーケティング』生産性出版、2003、P279~282)

何度か提唱しているうち、この言葉はそれなりに受け入れられたようで、

公文俊平著『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』(NTT出版、2004)

浦達也著『実感の同時代史: 戦争からラストモダンまで』(批評社、2006)

岩本真一氏のウェブサイト:モードの世紀「ラストモダンの1960年代」

などで採用していただきました。

以上のように、ラストモダンは、近代を否定する抽象的な「ポストモダン」とは異なり、近代の最終期を意味する、極めて具象的な言葉として提案したものです。

ポストコロナ・・・ポストコレラ(黒死病)で予測する!

ポストコロナの時代をポストコレラ(黒死病)の時代をモデルにして、大胆にも予測しようとしています。

5月以来ほぼ半年の間、中世社会の構造とその限界状況を眺めてきましたが、それはポストコレラの特性を抽出するためでした。永々とお待たせしましたが、いよいよポストコロナの展望に入ります。

今回から試みるのは、中世末期(ラストミドル)をモデルにして、ポストコロナ、つまり近代末期(ラストモダン)の社会構造を展望することです。

(ポスト、ラストの使い分けについては、次回のブログをご参照ください。)

世界の人口波動で比べると、下図に示すように、農業後波の下降期がラストミドルであり、工業現波の下降期がラストモダンに相当します。



これは超長期の視点から、人類の辿ってきた5大波動のうち、一つ前の農業後波と現代の工業現波の、それぞれの最終段階を比べることを意味しています。

こうしたアナロジーによって、次のような展望が可能になります。

ラストミドルの約80年間は、すでに述べたように、社会的混乱と社会的革新が並行的に進行した時代でした。

その結果、新たに生み出された時代識知によって、工業現波(工業前波)という、新規の人口波動が蠢き始め、やがて近代という社会構造が創り上げられました。

これをモデルとすると、

ラストモダンの約100年間もまた、社会的混乱と社会的革新が並行的に進行する時代になると思われます。

その結果、新たに生み出される時代識知(多分、統合的科学?)によって、工業後波という、次の人口波動が蠢き始め、22世紀型の社会構造が創り上げられていくでしょう。

以上の視点に基づき、ポストコロナがいかなる時代になるのか、多面的に展望していきましょう。

2020年12月6日日曜日

ポスト黒死病=ラストミドルは革新準備の時代!

ポスト黒死病の時代特性を、ラストミドルのヨーロッパをモデルとして、社会的混乱と革新的動向の、2つの面から眺めています。

前回の社会的混乱に続いて、今回は社会的革新。



①イタリア・ルネサンスの加速

ルネサンス Renaissance という言葉は、フランス語のre(再)とnaissance(生きる)の合成語で「再生」を意味しており、具体的にはギリシャ、ローマ時代の精神を復活させることだといわれています。

イタリアでは14世紀初頭から、ダンテ(Dante Alighieri)、ペトラルカ(Francesco Petrarca)、ボッカチォ(Giovanni Boccaccio)らによって、まずは文芸においてルネサンスが始まっていました。人口波動説からいえば、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していた、といえるでしょう。

ところが、14世紀中葉になると、前回述べた社会的混乱、つまりローマ教会大分裂や英仏百年戦争が起こりました。そこへ1347~51年の黒死病の蔓延で、中世西欧の社会的矛盾が一気に噴出しましたので、14世紀後半から15世紀にかけて、ルネサンスは美術や建築などにも広がり、さまざまな文化現象に及びました。

15世紀に最盛期を迎えると、その発想は生活分野にも広がって大航海時代を促し、16世紀に至っては宗教改革を引き起こすなど、近代社会への橋渡しを担っています。

先学諸賢の中には「ルネサンスはあくまでも文化、芸術、思想上の運動であって、キリスト教支配や封建社会への反逆をめざすものではない」という意見もありますが、その影響力から見渡せば、宗教的世界観や封建的社会構造を支える中世的時代識知から、一旦は人間性を解き放ち、新たな世界を生み出していく時代識知を育んだ運動であった、といえるでしょう。

②活版印刷術の実用化

ルネサンスが西欧全体に広がった1439年頃、ドイツのグーテンベルク(Johannes Gutenberg)は、ヨーロッパで初めて金属活字による印刷を行い、1445年までに活版印刷技術の実用化に成功して、自ら印刷業や書物出版業を始めています。

それまでヨーロッパ社会で行われていた書物作りは、手書筆写か木版印刷の二つでした。

だが、黒死病の蔓延で、15世紀中葉までの100年間に、欧州では少なくとも30~40%の人口を失われ、労働力の減少が賃金の高騰を招いていました。それまでは1冊の本を数人がかりの筆写で作っていましたが、労働集約型のやり方では利益が出ない。そこで、効率的に本を作りたいというニーズに応えたのが、活字を使う印刷方法だったのです(ジョン・ケリー著『黒死病―ペストの中世史』野中邦子訳)。

こうした社会的ニーズに応えて、グーテンベルクは活字合金法、油性インク、木製印刷機などを組み合わせて、書物の大量生産を可能にし、出版印刷を定着させました。

これにより、ギリシャやローマの古典書が大量に出版され、とりわけギリシャ語、ラテン語の聖書が流布した結果、宗教改革の素地が育まれました。

かくして活版印刷術はヨーロッパ各地へ急速に普及し、羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられるようになりました。これもまた、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していたからだ、といえるでしょう

③石炭利用の拡大

石炭は、古代から「燃える石」として知られていましたが、中世までの燃料の主流は木炭でした。

しかし、中世も後半になると、大規模開墾にともなう森林面積の減少や、手工業の活発化に伴って木炭の需要が増大し、木材や木炭の価格が徐々に上昇していました。

これに黒死病による労働人口の減少が加わって木材供給は減少し、価格もさらに高騰しました。そこで、15世紀後半には代替燃料としての石炭利用が徐々に始まりました。

16世紀中葉になると、燃料危機がもっとも深刻化したイギリスにおいて、家庭燃料や工業燃料として石炭の利用が急速に普及したため、石炭生産は飛躍的に増加しました。

その後、18世紀に製鉄業と蒸気機関の二大用途が加わると、石炭生産は産業として確立し、世界各国に普及して、次の工業現波を担う主要エネルギー源となっていきます。

以上のように、ラストミドルのヨーロッパとは、黒死病蔓延を一つの契機として、工業現波を生み出すための揺籃期となり、幾つかの準備をしていた時代といえるでしょう。

黒死病がルネサンスを招いたのではなく、黒死病はすでに限界に達していた中世社会に向けて、変革のための引き金を引いたのです。

2020年11月28日土曜日

ポスト黒死病=ラストミドルは社会的混乱の時代!

ポスト黒死病の時代特性を、ラストミドルのヨーロッパをモデルとして、社会的混乱と革新的動向の、2つの面から眺めています。

今回はまず社会的混乱。


①教会大分裂(1378~1417年)

黒死病(1347~51年)が蔓延する前の1309年から、ローマ教皇クレメンス5世はフランスのアヴィニヨンに幽囚されて、神聖ローマ帝国に侵略されたローマには帰れない状態が続いていました。

黒死病の蔓延で幽囚が膠着しましたが、ようやく終息した後の1377年、教皇グレゴリウス11世はローマへ戻りました。

しかし、翌年没したため、1378~1417年の間、ローマ教会にはアヴィニヨンとローマに教皇が並び立つという大分裂となって、その権威は次第に失墜しました。

②英仏百年戦争(1339~1453年)

14世紀初頭から地球の平均気温低下、つまり小氷期が始まり、19世紀半ばまで続きました。寒冷化の影響で、ヨーロッパでは飢饉が頻繁し、1315~17年に150万人もの餓死者が出ています。

飢饉が進む中で、1339年、イギリス王家とフランス王家が領土問題や国王継承権などを巡って抗争を始め、黒死病が収まった後の1360年に一旦は講和が成立しました。

しかし、1369年から再び戦乱が始まり、休戦、再戦を繰り返して、1453年の終結まで、ほぼ百年の間、戦争を続けました。

要因の一つは、①で述べたように、王侯間の調停役を務めていたローマ教皇が、アヴィニヨン幽囚や教会大分裂で、まったく介入できなかったためです。

③英・仏農民反乱(1358年、1381年)

百年戦争による社会的混乱に加え、黒死病の流行によって、農民人口が激減すると、労働力不足に悩んだ領主層は農民の移動の自由を奪って、再び農奴制を強化しようとしました。

そこで、農民層は農奴解放による自由を求めて、フランスでは1358年にジャックリーの乱、イギリスでは1381年にワット=タイラーの乱など、農民反乱を勃発させました。

二つの反乱は間もなく鎮圧されましたが、この動きが農民一揆として長期的に継続するにつれて、農奴から解放され、自由を獲得した自営農民層が次第に増えていきます。

それとともに、貨幣所得の上昇に促されて、農村から都市へと移動する農民層も増加し、中世的な村落共同体は次第に解体されていきます。

以上で見てきたように、黒死病の大流行によって、すでに綻びの目立ち始めていた、農業後波のヨーロッパ社会は、その限界をいみじくも露呈させたといえるでしょう。

2020年11月18日水曜日

ポスト・コロナをラストミドルで展望する!

ポスト黒死病の時代をモデルとして、ポストコロナ時代を予測しています。

14世紀の黒死病ショックで、世界人口がピークを超えて、その後およそ60~80年の間、減少を続けた時代は、農業後波の下降期と位置づけられます。

当時の世界人口で17~20%を占め、農業後波を主導してきたヨーロッパについては、歴史学者が「中世後期(Late Middle Ages)」と名づけていますが、筆者はさらに略して「ラストミドル(Last Middle)」とよんでいます(所以はのちほど述べます)。

ヨーロッパエリアは、次に始まる工業現波もまたリードする主導エリアですので、この点に注目しつつ、下降期の主な変化構造を整理してみると、下図のようになります。


1300~1450年の間に変化が発生した、特に大きな背景は、次の3つに集約できると思います。

①基本的な背景

農業後波の世界人口容量(自然環境×集約農業文明=4億5000万人)が限界に達した要因において、この地域が大きな比重を占めていることです。

【黒死病の背景と影響を考える!】で詳しく述べているように、このエリアでは、11世紀以降の大開拓時代が終わったため、中世の農業革命の成果も一応出尽くし、人口容量が飽和へと向かっていたのです。

②自然環境

1300年ころに始まった寒冷化、いわゆる小氷期の開始により、集約農業の基本である農業牧畜に多大な影響が及び、とりわけヨーロッパ諸国では大飢饉が続いています。

当時のヨーロッパでは、農地が条件の悪い土地にまで広がって、食糧生産力も飽和状態に近づいていましたから、気候条件が少し悪化しただけで、直ちに凶作と飢饉が現れるという状態だったのです。

③国際環境

13世紀から続いてきたモンゴル帝国によるユーラシア大陸支配、いわゆる「パクス・モンゴリカ」が終わり、1350年代以降は大陸各地で紛争の続く「ポスト・モンゴリカ」の時代に向かっていました。

【黒死病・・・人口急減の引き金を引いた!】で述べたように、13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国の支配が弱体化するにつれて、アジア各地では西アジアのオスマン帝国(1299)、中国の明王朝(1368)、中央アジアのティムール朝(1369)など、新しい国家が次々に誕生しました。

こうした変化が、ヨーロッパ諸国にも危機意識を高めさせ、それまでの封建領主制から絶対王政への意識転換を促したといえるでしょう。

60~80年間にわたるこの時代を、人口容量の限界化によって起こった社会的混乱と、その中から新たに生まれてきた革新的動向の、二つの面から眺めていきましょう。

2020年11月9日月曜日

2つのパンデミックを比較する!

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例に、コロナ禍が今や壊そうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測してきました。

【コロナ禍が壊していくのは何か?:2020年7月25日】で予告しましたように、人口波動上の相似点、巨視的変化の相似点、時代識知の相似点を長々と述べてきましたので、3つの次元の比較を改めて確認しておきましょう。

❶人口波動上の相似点

黒死病とコロナ禍という、2つのパンデミックは、飽和期から下降期へと移行する、人類史の大きな転換点を示している点で、共通の構造を孕んでいる。








❷巨視的変化の相似点

2つのパンデミックの共通点として、①気候変動の拡大、②国際紛争の激化、③国際的主導国の消滅、④感染症などの大流行、の4つが指摘できる。

❸時代識知の相似点

黒死病はキリスト教をベースとする時代識知(三位一体エネルギー観、神地二国論、教団組織化など)の破綻を示し、コロナ禍は科学的理性をベースとする時代識知(分散型無機エネルギー観、要素還元主義、数理思考など)の限界化を示している。 



要するに、黒死病(Black Death)はキリスト教識知観、三圃制農業、集団生産制、純粋荘園制、封建制、教会・王権並立制などを破壊し、コロナ禍(COVID-19)は科学的識知観、化石・核燃料制、企業・工場制、市場経済制、民主主義、国家連合制などに衝撃を与えたといえるでしょう。

およそ700年離れた、2つの時代に以上のような相似点があるとすれば、これから始まるポストコロナ時代にも、おそらく似たような現象が現れるのではないでしょうか。

そこで、ポスト黒死病の時代をモデルとしつつ、ポストコロナ時代を大胆に予測していきましょう。

2020年11月3日火曜日

コロナ禍が暴露した近代社会の限界

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例に、コロナ禍が今や壊そうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測してきました。

生産構造、社会構造、識知構造と順番に考えてきましたので、相互の関連を整理しておきましょう。



一番基底にある「科学」という時代識知は、分散型無機エネルギー観、要素還元主義、数理思考の、3つを主要構成要素としつつ、生産構造や社会構造にさまざまな影響を与えています。

❶分散型無機エネルギー観は、宇宙エネルギーを蓄積した鉱物を物理学的、多角的に利用しようとするエネルギー観ですが、「生産構造」の化石・核燃料や工業技術を支えている基本基盤となっています。

❷要素還元主義は、細かく「分析」することで全体が明らかになるという思考方法ですが、分析結果を「統合」するという視点を忘れたまま、「生産構造」の工業技術や資本・労働・消費制を生み出し、さらには「社会構造」の民主主義制や国家連合制などの制度構造にも及んでいます。

❸数理思考は、数学や統計学的な思考方法こそ唯一の科学的態度だという思い込みですが、主に「生産構造」の工業技術や資本・労働・消費制、さらには「社会構造」の市場経済制などでも、基底的な思考法となっています。また資本・労働・消費制を通じて、「社会構造」の資本主義や管理通貨制などにも及び、市場経済制を支えています。

以上のように、工業現波の生み出した近代社会は、「科学」的理性という識知観であれば、環境・世界の全てが認識できるだろう、という集団幻想によって支えられています。

いいかえれば、私たちの世界を動かす基本エネルギーを分散型無機エネルギーに依存しつつ、生産や社会を動かす理性もまた、数理思考や要素還元主義に基づく発想に基づいて、分析・分散型の構造を創り上げていく、というものです。

その結果、理性を追求する学問の構造もまた、自然科学、社会科学、人文科学に大別されたうえ、それぞれの内部をさらに細分化し、さまざまな学群・学類などに分けられてしまいました。

しかし、このような構造では、個別・分断化された知識を一つ一つ深めることはできたとしても、それらを全体的に統合して、実際に具現化するという思考行動については、ほとんど不可能なようです。

現実の世界を見ると、化石燃料系は大気汚染を引き起こし、核燃料系は高濃度放射能を拡散させ、巨大化した資本では寡占化や横暴化が進み、所得格差の慢性的拡大、大量生産-大量消費の害毒化、物質的拡大限界化で情報化の台頭などが始まるとともに、ポピュリズムの拡大による民主制の危機、コニュミズムの倒錯による全体主義の拡大、中央統治機構の弱体化、そして国際機関の空洞化など、工業現波による国際的人口容量の限界化が際立ってきています。

これらの課題に対応していくには、経済学、社会学、法律学、行政学などの専門諸学はもとより、応用数学、システム科学、情報科学などの数理諸学といえども、細かく分離された学問ではもはや不可能でしょう。より統合化され、集中化された、もっと新たな思考行動が求められているのです。

私たちは現代社会の科学的思考法を唯一無二の理性だと思いがちですが、少し視点を広げて、4~5万年単位で振り返れば、せいぜい600年ほどの時代識知にすぎません。環境-世界を眺める識知は、時代とともに大きく変わってきているのです。

このように考える時、今回のコロナ禍によって、いみじくも露呈したのは、科学的理性をベースとして分野別に分離させられた、私たちの思考行動の破綻、そのものだったのではないでしょうか。