2020年8月3日月曜日

コロナ禍が壊す生産構造とは・・・

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例にして、コロナ禍が今や壊そうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。

最初は「生産構造」です。



工業現波の生産構造は、工業生産を中核として、それを支える4つの要素、①化石・核燃料、②工業技術、③企業・工場制、④資本・労働・消費制で構成されている、と思われます。

化石・核燃料

工業現波の生産構造を支えるエネルギーの基盤は、農業・牧畜を支えてきた、太陽エネルギーの直接的享受から、宇宙・太陽エネルギーが蓄積された化石・核燃料の利用へと移行してきました。

1516世紀のイギリスでは、森林資源の枯渇・欠乏が顕在化したため、家庭用や工業用の燃料を木材から石炭へ、徐々に切り換える動きが進みました。

17世紀になると、こうした動きは家庭用の調理・暖房用に加え、工業用でも製塩業、精糖業、醸造業、ガラス工業、煉瓦製造業、造船業、針金製造業、硝石・火薬工業などへ広がり、産業革命の前段階を形成しました。

18世紀に蒸気機関が発明されて、本格的な産業革命(Industrial Revolutionが始まると、石炭は中核的なエネルギー源となりました。

19世紀の中頃に石炭の大量消費が強まると、1859年にアメリカのペンシルバニア州で機械掘りの石油採掘が開始され、石油産業が始まりました。

20世紀に入ると、電気の使用、ガソリンエンジンの利用などで、より使い勝手の良い石油エネルギーの需要が次第に広がりました。

しかし、1973年と1979には二度の石油危機が起こり、石油への過剰依存が明らかになったため、LNG(液化天然ガス)とLPG(液化石油ガス)への移行が急増しました。

一方、1950年代に始まった原子力発電は、その比重を1971年の2.1%から1990年の17.0%にまで増加しましたが、1980年代以降に発生した諸事故の影響で次第に停滞し、2017年には10.3にまで落ちています。

以上のように、工業現波のエネルギー基盤は、石炭・石油・天然ガス等の化石燃料と原子力の核燃料が支える多角化によって支えられてきました

しかし、化石燃料系は大気汚染を引き起こし、また核燃料系は高濃度放射能を拡散させるなど、地球環境や生活環境を破壊する恐れも高まって、これ以上の拡大には懸念が生じています。

また、石油や天然ガスは、21世紀中に枯渇に向かい始め、200300年程度は可能と言われてきた石炭もまた、22世紀には供給量がピークとなるなど、22世紀には化石燃料の資源枯渇が予想され始めています。

こうしてみると、工業現波を支えてきた化石・核燃料によるエネルギー供給にも、その限界が現れ始めています

工業技術

工業現波の人口容量は、【自然環境×科学技術文明(直接的には工業技術)】によって支えられています。

その工業技術は、①のエネルギーの進展と連動して、次のように発展してきました。

14世紀後半から15世紀にかけて、イタリアで興ったルネサンスにより、印刷機、航海術、大型建築術などの、新たな技術が生まれました。

16世紀になると、イギリスでは③で述べるように、労働者が分業で働く工場制手工業が始まり、鉱業・精錬・冶金技術・精密機械技術なども向上しました。

17世紀のイタリアでは、G.ガリレイが望遠鏡を使って天体を観察し、オランダのA.レーウェンフックが顕微鏡で微生物を発見します。イギリスのW.ギルバートは電気と磁気のさまざまな実験を行って近代的な科学の先駆けとなりました。

これらの技術開発を前段階として、いよいよ本格的な産業革命が始まります。

18世紀のイギリスでは、手工業が中心であった木綿工業へ、新たに発明された機械が導入されます。1733年、J.ケイが飛杼(とびひ)を、176467年にJ.ハーグリーブスがジェニー紡績機を、1769年にR.アークライトが水力紡績機を、1779年にS.クロンプトンがミュール紡績機を、1787年にE.カートライトが力織機を、1793年にアメリカでW.ホイットニーが綿繰り機を、それぞれ発明しています。

木綿工業が発達すると、輸送の効率化が求められるようになり、1769年にイギリスでJ.ワットが蒸気機関を、1814年にG.スティーブンソンが蒸気機関車を発明します。また1807年にはアメリカでR.フルトンが蒸気船を発明して、大西洋横断に成功します。

こうして技術革新は、機械工業、鉄工業、石炭業といった重工業へ波及し、さらに鉄道や蒸気船の実用化という交通革命をもたらしました。

産業革命は、1830年代にベルギーやフランスへ、1840年代にドイツへ、1860年代にアメリカへ、1890年代にロシアや日本へ、とそれぞれ波及していきました。

これに伴い、世紀末から20世紀初頭にかけ、産業革命の第2段階として、通信・家電、自動車、航空機の時代が始まります。

通信・家電では、1876年にはアメリカでG.ベルが電話を発明し、1879年にはT.エジソンが白熱電球を実用化させ、1882年に世界初の発電所をニューヨークで操業させます。1897年、イタリアのC.マルコニーが無線電信を、1904年にイギリスのJ.フレミングが二極管を、1906年にアメリカのL.デ・フォレストが三極管をそれぞれ発明し、通信やラジオ・テレビ開発の基礎となりました。

自動車では、1877年、ドイツのN.オットーが石油をエネルギー源とする内燃機関を発明すると、熱効率が高く小型化しやすいため、自動車や航空機の発明が可能となりました。1886年のドイツでは、G.ダイムラーが4ストロークエンジンの木製四輪車を開発し、K.ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させています。

1903年のアメリカでは、H.フォードがフォード・モーターを設立、初年度の1万台から1913年には日産1000が生産されています。

航空機では、1903年、アメリカのライト兄弟が動力を備えた重航空機で、本格的な有人飛行に成功し、1906年にはフランスでもS.デュモンがヨーロッパで初めて動力機の飛行に成功しています。

こうして20世紀は工業生産の絶頂期となりましたが、その成果は基本的に次の3つにまとめられると思います。

生活用品の拡大・・・衣食住から通信・情報まで、私たちの生活規模を拡大しました。
移動・運送量の拡大・・・個人の移動範囲はもとより、生活資源の運送範囲を大幅に広げました。
生活容量の拡大・・・生活民一人当たりの生活規模を押し広げるとともに、全体量の補充を可能にしました。

しかし、物量的な拡大は1970年代までで、1980年代になると、産業革命の第3段階としもいわれる、コンピューター誘導時代が始まりました。

1946にアメリカで生まれた真空管式コンピューターが、196070年代にものづくりの現場にも普及し始め、運搬・溶接・検査といった人間の作業を代替するようになるとともに、1970年代マイコン・ワープロ時代、1980年代MS-DOS時代、1990年代Windows時代と、情報処理ソフトが生産活動を牽引するようになりました。

この延長線上で、2010年代には、産業革命の第4段階として、AIIoTなどを活用し、より高度な知的活動の自動化を実現する時代が到来しました。さらに2020年代以降には、産業革命の第5段階として、コンピューター技術とバイオテクノロジーの融合などにより、新素材、バイオ燃料、遺伝子治療など、地球環境や人間生活上の諸問題を解決することが期待されています。

このように工業技術はなおも発展途上にあると思われますが、人口波動という超長期的な視点から見ると、19802010年代に第3~第4段階に入ったこと自体が、その限界を示していると推測されます。

これらの時代を4次産業革命とか5次産業革命とか名づけて、新たな時代が始まったかのように喧伝する風潮がありますが、それ自体が視野狭窄的な言動ではないでしょうか。

人口波動史を振り返ると、人口容量が満杯に近づくにつれて、それを担ってきた文明や技術の方向は、物量的拡大を諦め、情報的深化へと変化しているからです。

いわゆる「モノからコトへ」の移行ですが、日本の例でいえば、【トイレットペーパーはなぜ記号化するのか?2018629日】を参照ください。

要するに、工業現波の人口容量を拡大し続けてきた工業技術もまた、すでに物量的拡大の頂点を過ぎて、いち早く情報的深化へと移行しているのです。

工業現波の生産構造を眺めてくると、コロナ禍で明らかになるのは、化石・核燃料や先端技術といった、既存の基盤要素の限界という事実でしょう。

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