2020年12月6日日曜日

ポスト黒死病=ラストミドルは革新準備の時代!

ポスト黒死病の時代特性を、ラストミドルのヨーロッパをモデルとして、社会的混乱と革新的動向の、2つの面から眺めています。

前回の社会的混乱に続いて、今回は社会的革新



①イタリア・ルネサンスの加速

ルネサンス Renaissance という言葉は、フランス語のre(再)とnaissance(生きる)の合成語で「再生」を意味しており、具体的にはギリシャ、ローマ時代の精神を復活させることだといわれています。

イタリアでは14世紀初頭から、ダンテ(Dante Alighieri)、ペトラルカ(Francesco Petrarca)、ボッカチォ(Giovanni Boccaccio)らによって、まずは文芸においてルネサンスが始まっていました。人口波動説からいえば、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していた、といえるでしょう。

ところが、14世紀中葉になると、前回述べた社会的混乱、つまりローマ教会大分裂英仏百年戦争が起こりました。そこへ1347~51年の黒死病の蔓延で、中世西欧の社会的矛盾が一気に噴出しましたので、14世紀後半から15世紀にかけて、ルネサンスは美術や建築などにも広がり、さまざまな文化現象に及びました。

15世紀に最盛期を迎えると、その発想は生活分野にも広がって大航海時代を促し、16世紀に至っては宗教改革を引き起こすなど、近代社会への橋渡しを担っています。

先学諸賢の中には「ルネサンスはあくまでも文化、芸術、思想上の運動であって、キリスト教支配や封建社会への反逆をめざすものではない」という意見もありますが、その影響力から見渡せば、宗教的世界観や封建的社会構造を支える中世的時代識知から、一旦は人間性を解き放ち、新たな世界を生み出していく時代識知を育んだ運動であった、といえるでしょう。

②活版印刷術の実用化

ルネサンスが西欧全体に広がった1439年頃、ドイツのグーテンベルク(Johannes Gutenbergは、ヨーロッパで初めて金属活字による印刷を行い、1445年までに活版印刷技術の実用化に成功して、自ら印刷業や書物出版業を始めています。

それまでヨーロッパ社会で行われていた書物作りは、手書筆写木版印刷の二つでした。

だが、黒死病の蔓延で、15世紀中葉までの100年間に、欧州では少なくとも3040%の人口を失われ、労働力の減少が賃金の高騰を招いていました。それまでは1冊の本を数人がかりの筆写で作っていましたが、労働集約型のやり方では利益が出ない。そこで、効率的に本を作りたいというニーズに応えたのが、活字を使う印刷方法だったのです(ジョン・ケリー著『黒死病―ペストの中世史』野中邦子訳)。

こうした社会的ニーズに応えて、グーテンベルクは活字合金法、油性インク、木製印刷機などを組み合わせて、書物の大量生産を可能にし、出版印刷を定着させました。

これにより、ギリシャやローマの古典書が大量に出版され、とりわけギリシャ語、ラテン語の聖書が流布した結果、宗教改革の素地が育まれました。

かくして活版印刷術はヨーロッパ各地へ急速に普及し、羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられるようになりました。これもまた、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していたからだ、といえるでしょう

③石炭利用の拡大

石炭は、古代から「燃える石」として知られていましたが、中世までの燃料の主流は木炭でした。

しかし、中世も後半になると、大規模開墾にともなう森林面積の減少や、手工業の活発化に伴って木炭の需要が増大し、木材や木炭の価格が徐々に上昇していました。

これに黒死病による労働人口の減少が加わって木材供給は減少し、価格もさらに高騰しました。そこで、15世紀後半には代替燃料としての石炭利用が徐々に始まりました。

16世紀中葉になると、燃料危機がもっとも深刻化したイギリスにおいて、家庭燃料や工業燃料として石炭の利用が急速に普及したため、石炭生産は飛躍的に増加しました。

その後、18世紀に製鉄業蒸気機関の二大用途が加わると、石炭生産は産業として確立し、世界各国に普及して、次の工業現波を担う主要エネルギー源となっていきます。

以上のように、ラストミドルのヨーロッパとは、黒死病蔓延を一つの契機として、工業現波を生み出すための揺籃期となり、幾つかの準備をしていた時代といえるでしょう。

黒死病がルネサンスを招いたのではなく、黒死病はすでに限界に達していた中世社会に向けて、変革のための引き金を引いたのです。

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