2019年8月24日土曜日

アニマティズムという時代識知

石器前波を生み出した「時代識知」に最も近い観念とは、人類学などで使われている「アニマティズム(animatism)」ではなかったか、と筆者は推定しています。

イギリスの人類学者、R.R.マレット(Robert Ranulph Marett:1866~1943)が提唱した観念形態で、「プレアニミズム(pre-animism」、「マナイズム(manaism)」、「ディナミズム(dynamism」ともよばれています。


アニマティズムとは、動植物のみならず無生物や自然現象など、すべてのものに生命があり,生きている、とする考え方です。

アニマ(anima)とは 霊魂を意味するラテン語ですが、アニマティズムでは、霊魂の存在は否定したうえで、生命は認めると考え方が、人類の初期段階に存在した、と主張しています。


「人間、事物、動植物、諸現象の作用や活動とは、活力、威力、生命力、呪力、超自然力である、と感じる心理や態度である」と考えて、「活力や生命力という観念が、歴史的にも心理的にも霊魂や精霊という観念に先行している」と述べられています(Pre-animistic Religion:1900) 。

マレットによると、メラネシアやポリネシアの先住民が抱いているマナ(mana)という観念は、超自然力や呪力であり、神や人間はもとより自然現象全てに含まれており、物から物へと転移していきます。例えば戦士が敵を倒せるのは、槍に強力なマナが付加されているからです。

南アフリカのコーサ人(Xhosa)は、暴風が吹きよせる時には、丘に登って風の進路を変えるように呼びかけます。暴風に霊魂を認めているのではなく、暴風そのものを生き物とみなして反応しているからだ、と説明しています


要するに、未開時代の人間は、動物や事物そのものを非人格的な威力や活力を認めたうえで、それらに情動的に反応し、驚異や恐怖、さらには尊敬や畏敬の念を抱いていた、と考えているのです。

マレットの「アニマティズム」は、彼の師であるE.B.タイラー(Edward Burnett Tylor: 1832~1917)の提唱した「アニミズム(animism)」を補完するものとして提起されました。

タイラーのアニミズムは、人物や事物その他に宿り、その宿り場を離脱できる霊魂や精霊を意味しており、これこそ宗教の起源とみなすものです。

これに対してアニマティズムは、霊魂や精霊のような観念的な実態が識知される以前に、人間が事物や現象に情動的に反応して、「生きている=力」ととらえた段階があったと主張しているのです。

アニミズムが事物や現象に内在する霊魂や精霊などの霊的存在を強調しているのに対し、アニマティズムは万物に潜んでいる活力や作用の面に注目した、ともいえるでしょう。

両説の違いについては従来、宗教や信仰の比重という視点から議論されてきました。

マレット自身の提起もまた、宗教の動的な面と呪術的要素を重視して、霊的存在への信念にまで抽象化されていない状態を、狭義のアニミズムとは区別するため、新たにアニマティズムという類型を設定したもの、とも解釈されています。

しかし、当ブログが議論している「時代識知」という視点から見る時には、アニマティズムについても、宗教や呪術などの既成の観念範疇を一旦離れて、純粋に環境把握の差異分節化と合節化の違いとして考えていくことが必要ではないか、と考えています。

その意味では、「アニマティズム(animatism)」というより、「ディナミズム(dynamism)という名称の方がふさわしいのかもしれません。

2019年8月19日月曜日

ホモ・サピエンスは何時から言語能力を持ったのか?

人類はどのように環境世界を理解してきたのでしょうか。

およそ240万年前に生まれた原人、約35万年に生まれた旧人に続き、25万年前に現れ現在に至っている新人は、それぞれに応じた捉え方で周りの世界を理解してきたものと推定されます。

このうち、私たち新人ホモ・サピエンス(homo sapiens)の世界理解は、時代の流れとともに少しずつ変わってきたようです。

ホモ・サピエンスという生物の特性である「認知」能力「識知」能力、この2つの能力の変化や向上によって、世界理解の対応はさまざまに変わってきたからです。

とりわけ後者の「識知」能力の変化は、自然環境として与えられている環境世界をどのように利用するかによって、人類が棲息できる上限値、つまり「人口容量」を変えてきました。

その軌跡をおおまかに振り返ってみると、【
人口波動は5重の精神史を示す!:2019年3月15日】に示したように、5回ほど大転換をなしとげてきました。

このうち、最初の波動である石器前波(BC40000~BC9000年)を生み出したのは、おそらく「アニマティズム(animatism)」や「プレアニミズム(pre-animism」といった「認知」革命であった、と思われます。

この識知革命はほぼ間違いなく、言語能力の発達によって生み出された、といえるでしょう。

自然言語の起源については、およそ5万年前に起こった頭脳の突然変異の結果である(不連続性理論:チョムスキー:Avram Noam Chomsky)とか、人類の超長期的な情報処理能力の蓄積の結果である(連続性理論)、などの諸説があります。

そこで、考古学、人類学、神経生理学など十数冊の文献を踏査してみましたが、その中でS.オッペンハイマーの著作(『人類の足跡10万年全史』( Stephen Oppenheimer:Out of Eden: The Peopling of the World:2003に、以下の表現を見つけました。




(本書について通俗本とのご批判もありますが、筆者は学術書にも通俗本にもこだわらない性分ですので、敢えて引用させていただきます。)

要するに、哲学者が現生人類とチンパンジーのあいだの質的なちがいとして出してきた精神的、実用的な技術のうち、残るのは人類が話すことだけなのだ。

知的能力に大きな量的ちがいはあるが、類の知力は3万5000年前のヨーロッパの上部旧石器時代にとつぜん開花したわけではなく、それ以前の400万年にわたって進化してきた。

過去300万年のあいだ、人類は脳を使い、歩く類人猿のモデルを改良してきたが、話すことにうながされた脳の大きさの共進化が、その助けになったのかもしれない。

象徴的な概念などを操作する人類の新しい脳の高い能力は、話すこと以外の複雑な仕事へもむけられた。

いずれにしろ5~3万年前ころに起こった言語能力の発達が、4万年前からの人口増加を引き起こしたものと思われます。

この言語能力によって外部環境の分節化が次々に行われるようになり、それにつれて石器前波を支える「時代識知」が組み立てられ始めました。

それが同時代の人類に定着するにつれ、アニマティズムプレアニミズムとよばれるような「時代識知」が初めて生み出されたものと推定されます。

2019年8月4日日曜日

「識知」は根底的な認識行動!

「時代識知」という言葉に求められる、第5の要件は「学問、思想、科学などの次元を超えて、より根底的な認識次元を捉える言葉である」ことです。

「識知」という言葉を誰が使ったのか?2019年6月13日】で述べたように、M.フーコーは「savoir」(識知:中村雄二郎訳)という言葉を、「一つの時代、一つの文化の共通の基盤をなす認識系ともいうべきもので、個々人の知識や思想を超えて存在するもの」として使っているようです。

人間という動物は、【
「識知」と「認知」の差を考える!:2019年6月22日】で触れたように、「認知」+「識知」という、二重の知覚処理能力によって周りの環境世界を理解しています。

この二重構造によって、環境世界は最初に「認知」行動によって「モノ界:ピュシス:physis」として把握され、次に「識知」行動によって「コト界:コスモス:cosmos」として把握されます【
「識知」が作り出す、3つの世界とは・・・:2019年7月5日】。

だが、「識知」が把握できなかった領域は「コトソト界:カオス:chaos」として残ったままです。

それゆえ、私たちの対面している、現実の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う「モノコト界:ゲゴノス:gegonós」ということになります。
 
コスモスの内側において、「識知」という行動は【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える! 2019年7月17日】で示したように、全体を点と線で把握する「システム」としてではなく、全体を分割された面で把握する「ストラクチャー」として作動しています。

またストラクチャーを造り出す「識知」行動は、【
分節化から合節化へ!:2019年7月26日】で書いたように、一方では「分節化」として対象を分割しますが、他方では「合節化」として対象を合体させるという、両面性を持っています。

以上のように、「識知」という行動は、「言語」という、人類独自の知覚装置によって環境世界を認識する行動です。

それがゆえに、学問、思想、科学などの高度な認識次元はもとより、学習や訓練などの行動次元、さらには衣食住から遊びや休養までも含む日常次元までの、あらゆる次元も含む、より根底的な認識基盤である、といえるでしょう。

「識知」は人類の根底的な認識行動を意味していますが、その認識パターンは時代とともに少しずつ変化してきました。この変化を一定の時間で区切った時、時代毎の「識知」構造が見えてきます。

これこそ「時代識知」という言葉が究極的に意味するものです。