新元号「令和」の制定に伴い、このブログの永年の主張であった「昭和元禄→平成享保→令和明天」について改めて説明してきましたが、ひとまず区切りがつきましたので、もう一度本論の「人口波動に伴う深層心理」に戻ります。
論述の視点は「人口波動を構成する、5つの個別波動の、それぞれの時代に生きた人間は、独自の識知で周りの世界を理解してきた」ということです。
この前提には、私たち人間は周りの環境世界を、「身(み)分け」という網と「言(こと)分け」という網の、2つの網の目を通して見ている、という視点があります。(詳しくは【生活構造の縦と横:2015年2月25日】、【身分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】などをご参照ください。)
「身分け」というのは、人間が自らの本能という「網」の目によって、周りの外界を理解した世界像、つまりヒトという「種」に特有のゲシュタルト((独: Gestalt:部分の集まりを越えた、全体的な構造)のことです。
また「言分け」というのは、人間が「身分け」の網の上に、もう一つ重ねている網、つまり広い意味でのコトバ(言語)やシンボル(絵や形)によって捉え直している世界像をいいます。
要するに、私たち人間は「身分け」構造という生物次元に加えて、「言分け」構造という人類次元の“二重のゲシュタルト”によって、周りの外界を把握しているのです。
このうち、視・聴・嗅・味・触の五覚による、人間の「身分け」能力については、それなりの変化はあったとしても、原始人も現代人もさほどの差はないと思われます。
とすれば、5つの人口波動を作り出してきたのは、主として「言分け」能力ということができます。つまり、「言分け」能力の変化こそ、新たな人口波動を生み出す源泉だったといえるでしょう。
例えば旧石器人が石器を作りだし、獲物を獲得するようになったのは、周りの世界を他の動物とは違った見方で理解するしくみを生み出した結果だった、と思われます。
あるいは古代の農耕民が鋤や鍬を作って、農耕を営むようになったのは、旧石器人とは異なる識知によって環境世界を捉えていたからだ、と考えられます。
このように、人類史が始まって以来、人類は「言分け」能力の変化によって、人口容量を拡大させ、人口を増やしてきました。
とすれば、各時代の「言分け」能力の変化、つまり「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を一つ一つ時系列的に把握することが必要ではないでしょうか。
そこで、既存の諸学問、つまり歴史学や考古学、あるいは哲学史や思想史などの業績を探索してみたのですが、まことに浅学菲才のゆえか、あるいは検索方法が未熟なせいか、適切な知見や文献をみつけることはできませんでした。
時代精神(ツァイトガイスト:Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語が、類似の現象を説明しているようですが、いずれも超長期の識知的変化を表現するには不満が残るように感じました。
何が不満だったのか、節を改めて考えていきます。
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