2020年5月27日水曜日

黒死病・・・人口急減の引き金を引いた!

黒死病農業後波の関係を整理してみましょう。

黒死病の背景とインパクトについては、このブログでも何回か触れています。


また、ポスト黒死病については・・・



これらを受けて、黒死病の要因や背景を人口波動で世界の未来を読む!:2018年4月19日】で取りまとめています。

今回はこれをベースとしつつ、新たな視点を加えて、黒死病と農業後波の関係を整理しておきましょう。



上の図を解説していきます。

寒冷化の進行

14世紀初頭から地球の平均気温低下、つまり小氷期が始まり、19世紀半ばまで続いていきます。

寒冷化の影響で、農業後波を支える農耕牧畜には大きな被害が出ました。ヨーロッパでは飢饉が頻繁し、1315~17年に150万人もの餓死者が出ました。

アジアでも中国で1333~37年に飢饉、インドで1344~45年に大飢饉、1396~1407年のドゥルガーデヴィー飢饉など、各国の人口が大きく減少しました。

100年戦争の継続


飢饉が進む中で、ヨーロッパでは領土問題や国王継承権などを巡って、イギリスとフランスの間で百年戦争(1339~1453)が勃発し、戦死者の増加や戦地の荒廃などで両国の人口が減少しました。
背景の一つは、それまで王侯間の調停役を務めていたローマ教皇が、1309年からフランスのアヴィニヨンに幽囚されて、介入できなったためです。

教皇は1377年にローマへ戻りましたが、翌年没したため、1378~1417年の間、ローマ教会はアヴィニヨンとローマに大分裂となり、その権威は次第に失墜していきました。

③パクス・モンゴリカからポスト・モンゴリカへ 


13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国の支配(パクス・モンゴリカ)が弱体化したため、アジア各地では西アジアのオスマン帝国(1299)、中国の明王朝(1368)、中央アジアのティムール朝(1369)など、新しい国家が次々に誕生しました。

これらの帝国では、モンゴル帝国の統治下で普及した黒色火薬砲(大砲や小銃)を軍制の中核に据えて、戦術や軍隊の大規模化を競ようになっていきます。


黒死病(ペスト)の大流行 


中国大陸で発生し黒死病(ペスト)は、1320年代に中国の人口を半分に減少させた後、モンゴル帝国が建設した、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易ルートに乗って、中央アジアを横断し、1346~47年にイタリアのシチリア島に上陸しました。


翌48年にはアルプスを越えてヨーロッパ全土に広がり、14世紀末までに3回の大流行と多くの小流行を繰り返しました。

このため、1347~51年にヨーロッパ・アジア・中東で7,500~8,500万人、間接的影響を加えれば約1億人が死亡したと推定されています。その影響で、ヨーロッパでは、農奴不足が続いていた荘園制の維持がさらに困難となりました。

以上のように見てくると、黒死病というパンデミックは、農業後波の人口容量が飽和化していた、中世社会の限界を洋の東西を問わず顕在化させ、人口崩壊の引き金を引いた思われます。

2020年5月19日火曜日

黒死病の背景と影響を考える!

黒死病というパンデミックが、農業後波の飽和化を促す要因の一つだったとすれば、今回のコロナ禍もまた工業現波の限界を暗示するのではないか、と述べてきました。

そこで、黒死病と農業後波の関係をより詳しく眺めて見ましょう。



この件については、筆者は『人口波動で未来を読む』(1996)以来、『人口減少・日本はこう変わる』(2003)や『日本人はどこまで減るか』(2008)、最近では『平成享保 ・ その先を読む』(2016)などで繰り返し述べてきました。

この中から『日本人はどこまで減るか』の中の記述を紹介しておきましょう。

中世農業革命の限界
1300年代の後半から一転して人口は急減していきます。ヨーロッパでいえば、1340年頃に約7,400万人に達した人口は、その後10年間で約5,100万人に急減し、以後1500年ころの6,700万人まで低迷しました。

直接の理由は、ヨーロッパを襲ったペスト(黒死病)でした。ペストは保菌鼠(クマネズミ)から伝染する病ですが、13世紀に十字軍が東方へ、蒙古が西方へと進んでいたため、東西を結ぶシルクロードに乗って、次第に西へと伝播しました。

1347~48年、イタリア、フランスに上陸し、3年余の間に全ヨーロッパを席巻しました。その後も1350年代、65年前後、80年代前半、95年前後と、ほぼ10年間隔で流行を繰り返した結果、ヨーロッパ全体で100年間に約2,000万人が死亡し、14世紀末まで死亡数が出生数を上回った状態が続きました。

このように書くと、ヨーロッパの人口は、ペストだけで急減したようにみえますが、そうではありません。根本的な要因はあくまでも人口容量の飽和化でした。


フランスの歴史人類学者L.R.ラデュリは「西ヨーロッパの農村社会、要するに社会全体は、紀元7世紀以来、人口増大の過程にあり、ことに10~11世紀以降は確実にそうであった。ところが、1300年代、より一般的には14世紀前半になると、危機の様相の下に、この人口増大を妨害しようとする対抗的な諸要素が現れる」(『新しい歴史』)と指摘しています。

つまり、11世紀以降の大開拓時代が終わり、中世の農業革命の成果も一応出尽くして、人口容量がそろそろ飽和に向かったということです。

このため、1300年ころのヨーロッパでは、食糧生産力が飽和状態に近づき、農地は条件の悪い土地にまで広がっていましたから、気候が少し悪化しただけで、直ちに凶作と飢饉が現れました。

また耕地面積の無理な拡大で森林、牧草地、採草地が縮小し、家畜の飼育や堆肥(たいひ)量も減少したため、地力が低下してかえって穀物生産が減少しました。こうした農業環境のもとで人々の栄養状態が悪化し、1307年ころからヨーロッパ各地ではすでに飢饉や伝染病が広がっていたのです

ペストの大流行は、以上のような農業環境の悪化とそれに伴う栄養状態や衛生状態の混乱につけいったものでした。

また貨幣経済の浸透で商業や貿易が拡大し、商業都市が発達していましたから、これがさらにペストの流行を拡大させました。ペストは国際貿易網を辿って広まったうえ、人口密度の高い商業都市に伝染すると、爆発的な流行を引き起こしています。


そうした意味で、ペストの流行は農業後波の農業技術や経済システムが辿りついた、いわば必然的な結果だったともいえるでしょう。

一方、中国では、1230年代以降、元の攻撃で約30年間戦乱が続き、国土は荒廃し人口は激減しました。1279年、ついに宋が滅亡すると、以後1367年まで中国本土は元の支配となりました。元朝の100年間は、表面的には華やかに国際化が進みましたが、政権の内部では族長たちの暗闘が続き、また中国人は下級官僚に進出できるだけでしたから、政治や経済は混乱に陥っていきました。その結果、社会は停滞し続け、人口も1200年の1億2,300万人から、13世紀末には5,400万人へと半減しました。

以上のように、商業経済や商業都市によって拡大した農業後波の人口容量、それらの限界を迎えるとともに、疾病の猛威と異国民の侵入という、東西双方で起こった自然・社会環境の変化によって限界を迎えたのです。
古田隆彦『日本人はどこまで減るか』 (幻冬舎新書,2008) 五章 人類の五つの波

いかがでしょうか。この文章では、12世紀末からの気候変動、いわゆる小氷期を過少視しているきらいがありますので、その影響を加味したうえで、農業後波の限界要因を再整理し、黒死病の占める位置を明らかにしていきましょう。

2020年5月13日水曜日

2つのパンデミックを比較する・・・農業後波の黒死病、工業現波のコロナ禍

人口動態で見る限り、スペイン風邪(1918~1919年)の動静は、今回のコロナ禍の影響予測にとってほとんど参考にならない、と述べてきました。

では、過去のパンデミックの中で、参考になるような先例はあるのでしょうか。

歴史上の大きなパンデミックを振り返ると、下図のようになります。




この中でとりわけ多数の死亡者を出したのは、次の3つのペストです。


●ペスト:B.C.431~404年:アテネで7~10万人死亡
●ペスト:542~543年:東ローマ帝国で5,000万人死亡

●ペスト(黒死病):1347~51年:世界で1億人死亡

このうち、比較的近代に近く、かつ
人口波動の飽和期に近いのは14世紀のペスト、いわゆる「黒死病」です。

ペストは保菌鼠(クマネズミ)から伝染する病ですが、13世紀に十字軍が東方へ、蒙古が西方へと進んだため、東西を結ぶシルクロードに乗って、東洋から西欧へと伝播しました。

とりわけ1347~48年、イタリアへ上陸したペストは「黒死病」と名づけられ、3年余の間に全ヨーロッパを席巻して、死亡者数は1億人間接的を含めると2億人にのぼった、とも推計されています。

黒死病の発生した、この時期を、当時の農業後波のプロセスに書き込んでみると、下図のように飽和期の真っただ中に当たります。


これを見ると、黒死病によって、農業後波の人口容量が限界に達し、以後は下降に転じたようにも見えてきます。 

人口容量の限界化によって、世界各国の社会・経済・政治体制、つまりは中世的な社会構造は最終的な段階を迎え、近代的な社会構造への転換を迫られた、ともいえるのかもしれません。

一方、今回のコロナ禍を工業現波に位置付けてみると、飽和期の開始した時期に当たります(今後の推移によっては、真っただ中になる可能性も考えられます)。

コロナ禍という、自然環境の微かな変化が、個々人の生命や日常の暮らしはもとより、近代以降の社会・経済・政治構造もまた大きく動揺させているのは、工業現波の限界を示唆しているのだ、ともいえるでしょう。

いいかえれば、工業現波の人口容量(=自然環境×科学技術文明)の上限が間近に迫ってきていることを暗示しているのです。

黒死病とコロナ禍という、2つのパンデミック。・・・それらは、人類史の大きな転換点を示している点で、共通の構造を孕んでいるのではないでしょうか。

2020年5月8日金曜日

スペイン風邪と比べられるのか?

今回のコロナ禍(COVID-19)を100年前のスペイン風邪と比較して、影響の規模や対策のあり方などをさまざまに議論する風潮が、マスメディアやネットワーク上で拡大しています。

スペイン風邪(スペインインフルエンザ)は1918~1919年に流行したパンデミックで、全世界の患者数は約5億人、死亡者は4,000~5,000万人と推計されていますが、一説には1億人に達したともいわれています(
国立感染症研究所)。

この時の第1波は1918年の春、アメリカとヨーロッパで始まり、同年の晩秋から冬に第2波として世界中へ広がり、さらに1919年の春から秋の第3波へと続いていきました。

以上のような汚染規模や流行時期から見ると、確かに今回のコロナ禍の先例として、影響や対応などを参考にすることも必要かとも思われます。

しかし、より長期的
人口波動の視点から見ると、この現象は必ずしも参考にはならないのではないでしょうか。

というのは、下図で見るように、スペイン風邪が工業現波(1400~2100年)の離陸期に起こった現象であるのに対し、今回のコロナ禍は高揚~飽和期に襲ってきた厄難であるからです。  
 

各時期については【個別波動は6過程を進む!:2019年1月6日】で、次のように述べています。
 
離陸期・・・新しい文明が自然環境の利用を開始するにつれて、出生数が上昇し始め、死亡数が低下し始める時期

高揚期・・・一つの文明が自然環境の利用を拡大する速度がやや落ちて、出生数が微減し、死亡数が微増し始める時期

飽和期・・・一つの文明による自然環境の利用が飽和するにつれて、出生数が停滞し、死亡数が増加し始める時期

つまり、スペイン風邪人口が急上昇し始めた時期の現象であったのに対し、コロナ禍の方は人口増加の最後、あるいは停滞の開始する時期に起こった事変だ、ということです。

スペイン風邪の影響をより詳しく眺めて見ると、下図に示したように、人口動態には僅かな停滞を与えただけで、ほとんど影響していない模様です。





これに対し、コロナ禍は世界人口の飽和化を示唆する時点です。
(上の方の図の人口波動曲線は国連の人口予測=2019年の低位値をベースにしており、飽和期がずれる可能性もありますが、人口動態が横ばいへ向かいつつあることは否定できません。)

このように考えると、コロナ禍は今後、世界各国の社会・経済・政治などに大きな影響を及ぼし、それぞれの人口を大きく停滞させるばかりか、減少させる可能性もまたはらんでいます。

要するに、スペイン風邪が人口動態にほとんど影響しなかったのに対し、今回のコロナ禍は世界の人口動向にもかなりの影響を与えることが予想されるのです。

2020年5月1日金曜日

人口波動で読むコロナ禍!

時代識知としての仏教論にひとまず区切りができましたので、続いてキリスト教、イスラム教、ヒンズー教へと向かう予定です。しかし、コロナ禍がなかなか終息せず、もはや座視できない状況です。

そこで、ここしばらくは、人口波動説の視点から、コロナ禍の意味するものポスト・コロナ社会について、超マクロ的に考えてきたいと思います。

今回のパンデミックについては、筆者はすでに4年前、次のような記述をしています。


スーパー耐性菌の大流行・・・

科学文明が拡大したがゆえに、自然界の細菌類が耐性を持ってしまったため、抗生物質が全く効かないスーパー耐性菌が、世界中ですでに猛威を振い始めています。

2013年には全世界で約70万人が死亡した、と米疾病対策センター(CDC)が推計していますが、日本でも2014秋以降、約2000人が感染し、60人ほどが死亡したとの推計もあります。

今後、この種の細菌による感染症の拡大で、2050年には世界中で年間およそ1000万人が死亡する、とCDCは予測しています。

                 (『平成享保・その先を読む: 人減定着日本展望』Kindle版:2016)

なぜこのような予測をしたのでしょうか。

改めて述べるまでもなく、人口波動を応用した未来予測手法、つまり「人口波動法」を試してみたからです。


私たちの生きている世界人口の現況は、過去の人口波動のある時期と極めて類似した構造に近づいており、それがゆえに危機的な状況に遭遇するのではないか、と予感したのです。

このブログでは何度も述べてきましたが、人類が経験してきた人口の推移には、5つの波があります。世界人口でも日本人口でも、年代にやや差がありますが、同じように5つの波を見つけることができます【世界波動と日本波動の関係は・・・:2015年8月3日】。

そして個々の波動には、始動―離陸―上昇―高揚―飽和―下降の6つの段階【
個別波動は6過程を進む!:2019年1月6日】があり、それぞれの時期別の特性6時期別の社会的特性を読む!:2019年1月15日】を持っています。

こうした類似性を考慮すれば、私たちが今、どのような段階にあり、これからいかなる方向へ向かっているのか、をおおまかに予測することができます。

以上のような視点からみると、今回のコロナ禍は単なる病的パンデミックの次元で終わるものではありえません

そうした次元を大きく超えて、現代社会を大きく変える、人類史の一大転換期を示唆している、と思われるのです。