2020年3月22日日曜日

密教の多仏構造

7~8世紀にインドで提唱された密教経典に基づいて、8世紀に中国で描かれた「両界曼荼羅」は、9世紀に空海によって日本へもたらされました。

このうち「胎蔵界曼荼羅」を対象にして、密教の多仏構造を考えてみましょう。




●胎蔵界曼荼羅には、中央に大日如来をおき、その周囲に仏、菩薩、明王、天部の諸尊の12院が配置され、全体で409もの諸尊が描かれている。

12院は、中央中台八葉院をおき、その周囲に10の院が同心円状に配置され、その外側に最外院(=外金剛部院:げこんごうぶいん)が描かれている。

中心部には、中台八葉院の上下に遍知院持明院、左右に蓮華部院金剛手院、その外側に蓮華部院(観音院)金剛手院(金剛部院、薩埵院)の7院が配置されている。

●さらにその外側には文殊院、蘇悉地(そしつじ)院、地蔵院、除蓋障(じょがいしょう)4院を配し、最外部最外院が描かれている。

●全体の構造では、内側から外側へ向かう動き暗示されており、大日如来の抽象的な智慧や力が現実世界に向けて実践されていく過程が表現されている。


この構造の中に配置された、主な諸尊を図示してみました。御尊称を再掲しておきます。

●中台八葉院・・・大日如来、宝幢(ほうどう)=宝生如来、開敷華王(かいふけおう)、無量寿(むりょうじゅ)=阿弥陀如来、天鼓雷音(てんくらいおん)、普賢菩薩文殊菩薩観自在菩薩弥勒菩薩
●遍知院・・・遍知印
●持明院・・・般若菩薩
●蓮華部院・・・観音菩薩、不空羂索観音
●金剛手院・・・金剛薩埵菩薩、金剛牙菩薩
●釈迦院・・・釈迦牟尼
●虚空蔵院・・・虚空蔵菩薩
●地蔵院・・・地蔵菩薩、除蓋障菩薩
●除蓋障院・・・賢護菩薩、日光菩薩
●最外院・・・毘沙門天、増長天、伊舎那天、風天、火天、涅哩帝王

以上のように、多様な諸仏構造へと進展した結果、仏教という時代識知は次のような特性を獲得することになりました。

 多様性の獲得・・・多数の神々が登場したことで、さまざまな関心や救済などを求める、多くの人々の間へ広がっていきました。

自己同一性の発見・・・さまざまな信者は、釈迦十大弟子から子どもや老人、月や風、牛や魚といった、数多くの諸仏の中に、自らと同調できる仏を見つけ出し、己と一体化できる関係を作り出しました。

関係性の強化・・・409の諸尊のそれぞれは独立しているように見えながらも、その深部ではすべてがなんらかの関係性を持っており、構造的にアプローチできる識知となりました。

3つのうち、③の関係性が、仏教に潜むエネルギー構造を現すようになっていきます。

2020年3月12日木曜日

仏教は多神教か?

後期仏教の大きな変化について、次の2つを述べてきました。

小乗仏教から大乗仏教へ・・・利己から利他への変化

個人的心理体系から集団的観念体系へ・・・信心論から言語哲学へ

続いて今回は、3番目の変化について考察していきます。


一神教から多神教へ・・・釈尊独仏から多仏連立へ 

原始仏教の時代、仏(覚者)菩薩(修行者)という言葉はシッダールタに対する尊称として使われていましたが、時代が下るにつれて、過去七仏や未来仏といった、様々な仏にも適用されるようになりました。

とりわけ大乗仏教の時代になると、仏や菩薩はいっそう方仏へ拡大していきます。

紀元前後ごろに起こった大乗仏教では、般若経、華厳経、維摩経、法華経、大無量寿経などの大乗経典が成立するとともに、これらの経典を根拠とする諸仏を数多く出現させています。

例えば、般若経では三世諸佛(過去・現在・未来にわたる一切の仏)、華厳経では毘盧遮那仏=大日如来、維摩経では弥勒菩薩文殊菩薩、法華経では普賢菩薩、大無量寿経では阿弥陀如来、観無量寿経では勢至菩薩、薬師経では薬師如来、地蔵菩薩本願経では地蔵菩薩などです。

さらに7~13世紀に入ると、ベンガル地方で興った密教において、真言乗 (Mantra-yāna)金剛乗(Vajrayāna)などの教義が広まっていきます。

密教においては、根本の仏陀を大日如来(大毘盧遮那仏:Mahā-vairocana)と定め,その所説こそ教理である、と主張しました。

その結果、従来の仏教が崇めた諸仏諸尊に加えて、多数の明王,民間信仰の諸神,諸聖者などもまた日如来の化身と解釈して、幅広く包含していきます。

こうした教理を7世紀後半に『大日経(大毘盧遮那成仏神変加持経)『金剛頂経(金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経)として集約し、視覚的な伝播のために、前者を「胎蔵界曼荼羅」、後者を「金剛界曼荼羅」と題する、2つの図版によって表現しました。




これらの曼荼羅によって、仏教の教義はまさしく「一神教から多神教へ」、いいかえれば「釈尊独仏から多仏連立へ」と変化していきます。

以上のように、原始仏教から後期仏教へと変化する過程で、仏教という宗教はより多くの信者を獲得することに成功し、新たな時代識知として定着していったものと思われます。

2020年3月3日火曜日

大乗仏教という観念体系

前回述べたような、「煩悩からの解脱」を基本教義とする仏教が、多様な教団に分かれて対立したり、多数の僧兵を組みして争ったり、時の政権と結びついて大仏像を作り上げていく。・・・いったいそのエネルギーどこから生まれてくるのでしょうか。

時代識知の視点から見ると、原始仏教とその後に進展した後期仏教の間には、かなりの変化が指摘できるようです。

筆者の理解する範囲でいえば、大きな変化は次の3つでしょう。

小乗仏教から大乗仏教へ・・・利己から利他への変化

シッダールタの死後、その教義を継ぐ教派教団は上座部大衆部など多くの派閥(部派教団)に分かれて論争を続けていましたが、紀元前後により実践的で民衆的な大乗仏教が興りました。

大乗仏教は、それまでの部派教団の利己的・独善的なあり方を厳しく批判し、利他のための修行を実践することによって、世の中全体を救という目標を掲げました。

いいかえれば、それまでの旧仏教が「限られた出家者だけの小さな乗物(小乗)であったのに対し、「あらゆる人々の救いをめざす大きな乗り物(大乗)をめざす、としたのです。


◆「利他・・・部派教団の閉鎖的・利己的・独善的なあり方を厳しく批判し、すべて生あるものが、ともどもに他者に深く関係し、布施を行うなど慈悲を旨とする。」(三枝充悳:仏教:日本大百科全書)

「大乗仏教の徒は、自分達の説くところは〈仏の真の教え〉(正法・妙法)であり、〈正しく仏になる道〉であると主張して、これを大乗(mahãyãna)すなわち、〈大きな乗物〉となづけ、仏乗(仏を目標とする道〉と称した。そして、その特徴は自利と共に、利他行を実践し、広く世の中を救うので〈大〉といい、在来の仏教は自己のさとりばかりを追求して、他を省りみない故に、小乗(hinãyãna)であるとけなした。」(高崎直道:仏教用語の手引き:仏典Ⅱ・世界古典文学全集・筑摩書房)


個人的心理体系から集団的観念体系へ・・・信心論から言語哲学

大乗仏教では、2世紀末にナーガールジュナ(Nāgārjuna:龍樹)が、また3~5世紀にアサンガ(Asaṅga:無著)、ヴァスバンドゥ(vasubandhu:世親)兄弟らがそれぞれ登場し、仏教の教義を観念的に体系化していきます。



ナーガールジュナは、その著『中論』において、「空」の理論を大成し、世俗における全てが実体として認識することはできないものであり、単に言葉によってのみ把握されたものにすぎない、と説いています。その要点は次のとおりです。


◆あらゆる現象は、存在という現象も含めて、それぞれの因果関係(シッダールタのいう縁起)の上に成り立っている。因果関係によって現象が現れている以上、それ自身で存在するという「独立した不変の実体」(自性)はありえない。つまり、すべての存在は無自性であり、「空」である(「無自性空」)。 

◆空である現象を人間はどのように認識し理解しているのか。直接的に知覚するだけではなく、概念や言葉を使用している。その「言葉」もまた仮に施設したものである。 

◆直接的に知覚する生の世界と、言語や概念によって認識される仮定の世界を、それぞれ第一義諦 (paramārtha satya) 世俗諦 (saṃvṛti satya) に分ける(二諦説)。


この説を継承したアサンガ摂大乗論』や『阿毘達磨集論』などで、ヴァスバンドゥは『唯識二十論』や『唯識三十頌』などで、それぞれ唯識説を唱え、一切の現象は私たちの経験上での体験と捉えたうえで、それらを純粋な精神作用すなわち」に還元します。

いいかえれば、識の分別の働きによって、すべての現象や存在が現れるということです。

眼・耳・鼻・舌・身・意六つの識が日常的な識であるが、その奥には「末那識(まなしき)があって諸識を統一し、自我の軸となっている。さらにその奥には「阿頼耶識(あらやしき)」が潜んでおり、ここに過去の体験の全てが集積されて、未来の可能性もまた収められている。

以上が①と②です。③は次回に譲ります。