2018年4月19日木曜日

人口波動で世界の未来を読む!

日本波動で日本の未来を展望してきましたので、視点を大きく広げて、世界波動で世界の未来を読んでみましょう。

21世紀前半の世界の様相を、人口波動の上でモデルを求めてみると、下に示したように、14世紀という時代が浮上してきます。



世界波動を振り返ると、農業後波は8~14世紀の、また工業現波は15~21世紀の、それぞれ700年間の波動ですが、2つを比べてみると、14世紀と21世紀はともに人口容量の飽和期にさしかかった時代を示しています。とりわけ、21世紀前半は人口が容量の上限に接近していくという点で、14世紀とかなり共通しています。

この14世紀、歴史学上では「中世後期」とよばれている世界は、一体どのようなものだったのでしょうか。年代順に大きくとりまとめてみると、次の6つが指摘できます。

寒冷化の進行・・・14世紀初頭から地球の平均気温低下、つまり小氷期が始まって、19世紀半ばまで続いていきます。


この寒冷化によって、農業後波を支える農耕牧畜には大きな被害が出ました。ヨーロッパでは飢饉が頻繁し、1315~17年に150万人もの餓死者が出ています。疾病による死者も増加し、アイスランドでは人口が半分に減り、グリーンランドのヴァイキング植民地は全滅に至るなど、各国の人口が大きく減少しています。

100年戦争の継続・・・ヨーロッパでは、領土問題や国王継承権などを巡って、イギリスとフランス間で百年戦争(1339~1453)が勃発し、戦死者の増加や戦地の荒廃などで両国の人口が減少しています。

ペストの大流行・・・中国大陸で発生しペストは、1320年代に中国の人口を半分に減少させた後、モンゴル帝国が建設した、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易ルートに乗って、中央アジアを横断し、1346~47年にイタリアのシチリア島に上陸しました。


翌48年にはアルプスを越えてヨーロッパ全土に広がり、14世紀末までに3回の大流行と多くの小流行を繰り返しました。このため、全世界でおよそ8,500万人ヨーロッパでは人口の3分の1から3分の2に当たる、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。その影響で、農奴不足が続いていた荘園制の維持がさらに困難となりました。

アジア新国家の誕生・・・13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国が弱体化したため、アジア各地では西アジアのオスマン帝国(1299)、中国の明王朝(1368)、中央アジアのティムール朝(1369)など、新しい国家が次々に誕生しました。


これらの帝国では、モンゴル帝国の統治下で普及した黒色火薬砲(大砲や小銃)を軍制の中核に据えて、戦術や軍隊の大規模化を競になっています。

経済活動の縮小・・・13世紀に成立したモンゴル帝国の支配、つまり「パックス・モンゴリカ」によって交易圏が広がり、貿易活動が過剰に活性化した結果、財貨の過剰流動性の制御が困難となってきました。


また通商に用いられた、主な決済手段は銀の価値に依存していましたが、それが当時のユーラシア大陸全体に保有されていた銀の総量を超えてしまいました。こうした要因が重なって、全世界的に経済活動が急激に縮小しました。

イタリア・ルネサンスの勃興・・・ペストによる人口大減少の後、14世紀の後半になると、詩人ダンテや人文主義者ペトラルカなどが始めていたイタリア・ルネサンスが、地中海貿易で繁栄した北イタリアのフィレンツェを中心とするトスカーナ地方で拡大し始め、次の時代を切り開く知性を醸成することになっていきます。

以上のように、14世紀の世界は、農業後波の成立条件の一つ、農業基盤を寒冷化の進行によって脅かされながら、戸惑いと混乱に陥りながらも、密やかに次の波動への準備を始めている読み取ることができます。

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