2020年5月13日水曜日

2つのパンデミックを比較する・・・農業後波の黒死病、工業現波のコロナ禍

人口動態で見る限り、スペイン風邪(1918~1919年)の動静は、今回のコロナ禍の影響予測にとってほとんど参考にならない、と述べてきました。

では、過去のパンデミックの中で、参考になるような先例はあるのでしょうか。

歴史上の大きなパンデミックを振り返ると、下図のようになります。




この中でとりわけ多数の死亡者を出したのは、次の3つのペストです。


●ペスト:B.C.431~404年:アテネで7~10万人死亡
●ペスト:542~543年:東ローマ帝国で5,000万人死亡

●ペスト(黒死病):1347~51年:世界で1億人死亡

このうち、比較的近代に近く、かつ
人口波動の飽和期に近いのは14世紀のペスト、いわゆる「黒死病」です。

ペストは保菌鼠(クマネズミ)から伝染する病ですが、13世紀に十字軍が東方へ、蒙古が西方へと進んだため、東西を結ぶシルクロードに乗って、東洋から西欧へと伝播しました。

とりわけ1347~48年、イタリアへ上陸したペストは「黒死病」と名づけられ、3年余の間に全ヨーロッパを席巻して、死亡者数は1億人間接的を含めると2億人にのぼった、とも推計されています。

黒死病の発生した、この時期を、当時の農業後波のプロセスに書き込んでみると、下図のように飽和期の真っただ中に当たります。


これを見ると、黒死病によって、農業後波の人口容量が限界に達し、以後は下降に転じたようにも見えてきます。 

人口容量の限界化によって、世界各国の社会・経済・政治体制、つまりは中世的な社会構造は最終的な段階を迎え、近代的な社会構造への転換を迫られた、ともいえるのかもしれません。

一方、今回のコロナ禍を工業現波に位置付けてみると、飽和期の開始した時期に当たります(今後の推移によっては、真っただ中になる可能性も考えられます)。

コロナ禍という、自然環境の微かな変化が、個々人の生命や日常の暮らしはもとより、近代以降の社会・経済・政治構造もまた大きく動揺させているのは、工業現波の限界を示唆しているのだ、ともいえるでしょう。

いいかえれば、工業現波の人口容量(=自然環境×科学技術文明)の上限が間近に迫ってきていることを暗示しているのです。

黒死病とコロナ禍という、2つのパンデミック。・・・それらは、人類史の大きな転換点を示している点で、共通の構造を孕んでいるのではないでしょうか。

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