では、過去のパンデミックの中で、参考になるような先例はあるのでしょうか。
歴史上の大きなパンデミックを振り返ると、下図のようになります。
この中でとりわけ多数の死亡者を出したのは、次の3つのペストです。
●ペスト:B.C.431~404年:アテネで7~10万人死亡
●ペスト:542~543年:東ローマ帝国で5,000万人死亡
●ペスト(黒死病):1347~51年:世界で1億人死亡
●ペスト:542~543年:東ローマ帝国で5,000万人死亡
●ペスト(黒死病):1347~51年:世界で1億人死亡
このうち、比較的近代に近く、かつ人口波動の飽和期に近いのは14世紀のペスト、いわゆる「黒死病」です。
ペストは保菌鼠(クマネズミ)から伝染する病ですが、13世紀に十字軍が東方へ、蒙古が西方へと進んだため、東西を結ぶシルクロードに乗って、東洋から西欧へと伝播しました。
とりわけ1347~48年、イタリアへ上陸したペストは「黒死病」と名づけられ、3年余の間に全ヨーロッパを席巻して、死亡者数は1億人、間接的を含めると2億人にのぼった、とも推計されています。
黒死病の発生した、この時期を、当時の農業後波のプロセスに書き込んでみると、下図のように飽和期の真っただ中に当たります。
人口容量の限界化によって、世界各国の社会・経済・政治体制、つまりは中世的な社会構造は最終的な段階を迎え、近代的な社会構造への転換を迫られた、ともいえるのかもしれません。
一方、今回のコロナ禍を工業現波に位置付けてみると、飽和期の開始した時期に当たります(今後の推移によっては、真っただ中になる可能性も考えられます)。
コロナ禍という、自然環境の微かな変化が、個々人の生命や日常の暮らしはもとより、近代以降の社会・経済・政治構造もまた大きく動揺させているのは、工業現波の限界を示唆しているのだ、ともいえるでしょう。
いいかえれば、工業現波の人口容量(=自然環境×科学技術文明)の上限が間近に迫ってきていることを暗示しているのです。
黒死病とコロナ禍という、2つのパンデミック。・・・それらは、人類史の大きな転換点を示している点で、共通の構造を孕んでいるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿