2019年10月23日水曜日

アニマは人間を超える!

「アニミズム」の7つの特徴を、「識知」論の視点から再検討しています。

今回は「霊魂」の超人間性、⑥超自然性、⑦霊的人格性の3つです。

この3つは、人間の特性として想定された「霊魂」を、人間以外の諸物へと大胆に展開してゆく論理を示しています。


 ⑤アニミズムは、人間の霊魂に類似する観念を、類推的に動植物や自然物など人間以外の諸存在にも押し広げ、広く認めるものである。

前回、提唱した【霊魂=主体(動体+意思)×(生前+死後)】のうち、主体を人間のみならず動植物や自然物などにまで拡大しています。

つまり、上記の数式の「主体」を次のように変えたのです。

霊魂=(人間+諸存在)×(動体+意思)×(生前+死後)

「識知」論的にいえば、人間とそれ以外の諸物をひとまず「分節化」し、そのうえで、改めて両者を「合節化」した視点、ともいえるでしょう。 

 
⑥霊魂はさまざまな物に宿っている限り、それらを生かしているが、物が死滅した後も、それらを超えて独自に存在し続けるから「超自然的存在(super-natural beings)とみなされる。
 
この特性は、上記の【霊魂=(人間+諸存在)×(動体+意思)×(生前+死後)】のうち、人間以外の諸物についても、(生前+死後)の項目を改めて確認するものです。

消滅してしまった物体は、人間の感覚による「認知」では捉えられませんが、言語能力による「識知」次元ではそのまま存続しています。

つまり、動物次元の「自然的存在」を超えて、人間特有の「超自然的存在」に昇華していく、ということです。

 
⑦さまざまな霊魂は通常、不可視的存在であるから「霊的(spiritual)とされ、人間と同じように喜怒哀楽の心意を持っているから「人格的(personal」ともみなされる。

霊魂は人間の感覚能力の「視覚」では捉えることはできませんが、言語能力が創り出した「幻想力」では「不可視」物として確かに捉えられていますから、そのこと自体が「霊的」とみなされるのです。

また霊魂は不可視であるにもかかわらず、「意思」を持った存在と理解されており、そのこと自体もまた「識知」次元の存在であることを意味しています。

とすれば、上記の数式は、次のように展開されるでしょう。

【霊魂=(人間+諸存在)×(動体+意思)×(生前+死後)=不可視+人格】

 


このようなアニミズムが、石器後波の人口容量をいかにして作り上げたのか、さらに考察を進めていきましょう。

2019年10月12日土曜日

アニマは人格を持って、生死を超える!

前々回のブログで抽出しておいた、「アニミズム」の7つの特徴を、「識知」観の視点から再検討してみましょう。

今回は「霊魂」の③精神性・人格性④個人・生死性です。


③「霊魂」とは、人間の物質的・身体的特質や機能に対し、精神的・人格的特質や機能を独立の存在としてとらえたものである。

この文章は「霊魂とは、人間の感覚器の捉えた“認知”的世界に対し、人間独自の言語的能力が捉えた“識知”的世界を独立の存在として“分節化”したものである」と言い換えることができます。

周りの環境世界を理解する時、人間は他の動物と同様に“種”に付属した感覚器により、それなりの世界を“認知”していますが、それに加えて人間独自の言語能力により、もう一つ別の世界を“識知”しています。

霊魂とは、こうした二重構造の存在を前提にして、初めて“識知”的世界が出現し、それが精神性や人格性を人類の「集団幻想」として、幅広く定着させたことを意味しているのです。

④「霊魂」とは、人間の身体に宿って彼を生かしているものであるが、その宿り場(身体)を離れても独自に存在しうるものである。

この文章は「霊魂とは、個人の感覚器の捉えた“認知”的世界が消えた後も、個人の言語的能力が捉えた“識知”的世界を引き続き存続させるものである」と言い換えることができます。

「霊魂」の存在によって、次の2つの事象が現れるということです。

一つは、集団と個人という主体の“分節化”です。霊魂の存在によって、人間や人類という集団的主体を分散させ、個人や私人という個々の主体を浮上させます。

もう一つは、生と死という区分の“分節化”です。霊魂の宿る主体の行動について、生存し目覚めている「生体(organism)」の“認知”に加え、死後や夢想の中にも継続する“識知”の「主体(subject)」を、改めて抽出しています。

この2つを数式で表わせば、

霊魂=主体(動体+意思)×(生前+死後)
ともいえるでしょう。


以上のように、③と④の特徴が示しているのは、「霊魂」という観念の発明によって、初めて“識知”的世界が独立し、その世界において個人という主体生死という観念が浮上したことです。


さらにいえば、そうした観念が当時の人々の間で共通認識となって、いわば霊魂」という「集団幻想」を定着させた、といえるのではないでしょうか。

2019年10月1日火曜日

時代識知としてのアニミズム

アニミズムを、石器後波を創り出した「時代識知」と考える時、「宗教」や「信仰」という先入観はひとまず棚に上げ、その性格や内容をあらためて確認することが必要です。

前回のブログで抽出しておいた、この観念の7つの特徴を、「識知」観の視点から再検討してみましょう。


①アニミズムとは、ラテン語の「気息」とか「霊魂」を意味するアニマ(anima)に由来する造語で、神霊、精霊、霊魂、生霊、死霊、祖霊、妖精、妖怪などさまざまな「霊的存在(spiritual beings)への信仰」を示す観念であり、宗教的な営為の最も原始的な形である。

先に述べた石器前波時代の時代識知と比べてみると、【ディナミズム(dynamism):動体生命観】が、動いている物体の全てに対して「生き物」や「生命」を認めるという、即物的な“識知”であったのに対し、アニミズムはそれらに加えて、さらに「気息」とか「霊魂」を認めるという、より観念的な“識知”です。

 「生き物」や「生命」という概念のうえに、「気息」や「霊魂」という、「意志」や「感情」を付加している、といってもいいでしょう。

その意味では、アニミズムとは「生命」+「意思」を意味することで、物質次元に“人格”的な精神次元を重ねた時代識知なのです。

②当時の人々は、死、病気、恍惚、幻想、とりわけ夢などにおける浮遊体験を省みて、身体から自由に離脱しうる非物質的な実態=「霊魂(soul)」の存在を確信していた。

この文章は「霊魂とは認知”的世界と“識知”的世界の隙間から生まれるものだ」と言い換えることができます。

人間は言語能力を持ったがゆえに、感覚の把握した“認知”的世界と、言語に置き換えられた“識知”的世界の、両世界の間に、微妙に両方の入り混じった、曖昧な世界を生みだしました。

感覚では確かに捉えているものの、言葉では表現できない、未言語的、無意識的な表象次元です。

そこで、人間は言葉に代えて、イメージ、カラー、サウンドなど、非言語的な表象によって、それらを表わそうとします。

それらが表わすのものが、言葉に代わるシンボル(象徴)や、シンボルが絡み合ったミソロジー(神話)ということになります。

これこそ「霊魂」の発生源です。つまり、頭脳の中で言葉にならないまま、自由奔放に浮遊する認識行動を、あえて「霊魂」と名づけたということです。

とすれば、「霊魂」という概念もまた、“識知”的世界の生み出した、一つの結果ともいえるでしょう。




こうした発想の背後には、言語による世界識知が人間集団に共通の認識能力として定着したことによって、「霊魂」的発想が、当時の人々の間に集団幻想仮想現実として広く認められたという事情が読み取れます。