黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例に、コロナ禍が今や脅かそうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。
「生産構造」「社会構造」と述べてきましたので、いよいよ「識知構造」です。
工業現波の「生産・社会構造」を創り上げてきた主因は、おそらく「科学」という時代識知であった、と思います。
「科学」という日本語は、明治時代に science という英語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周が当てた訳語だ、といわれています。
元々のscienceは、ラテン語のスキエンティア(scientia:知識全般)から生まれた言葉で、まずはフランス語に取り入れられ、続いて英語に採用されました。
人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然現象や自らの身体構造などへ関心を抱き、古代オリエント、古代インド、古代中国などの文明圏では、これらを説明するための知識や経験を蓄積し、「学」として体系化してきました。
時代が下るにつれ、古代ギリシアと古代ローマでは自然哲学が深まり、中世になるとイスラム科学が勃興して、それぞれ後世に大きな影響力を残しています。
16~17世紀のヨーロッパで、いわゆる「科学革命」(Scientific Revolution:H.バターフィールドの提唱)がおきると、Scienceの意味は大きく変わりました。
それまでは、体系化された知識や経験の総称、つまり「知識全般」を意味する言葉として用いられてきました。
しかし、その後は、一定の目的や方法のもとにさまざまな事象を研究し、そこで得られた認識を体系的な知識とする「知的営為」を意味するようになりました。
この時期に起こった革命は、ポーランドのコペルニクス(M.Kopernik)による宇宙観の変革、つまり天動説から地動説への転換から始まり、ドイツのケプラー(J.Kepler)、フランスのデカルト(R.Descartes)、イタリアのガリレイ(G.Galilei)、イングランドのニュートン(I.Newton)らにより達成されました。
コペルニクスは1543年、「惑星は太陽を中心とする円軌道上を公転する」という地動説を唱え、それを継承したケプラーは1609年、「天動説より地動説の方がより精密に惑星の運行を計算できる」ことを明示しました。
1633年、デカルトは、三試論(光学、気象学、幾何学)の序文として『方法序説』を提唱しました。
これらを継承したニュートンは1687年に万有引力の法則を発見し、近代的な機械論的自然観への道を開きました。
以上のような知識革命で、それまで神(天)と地を二分してきたキリスト教的世界観が覆された結果、数多くの技術革新が推進され、産業革命へと繋がっていきました。
1730年代に紡績機から始まった産業革命は、1750年代以降に各国へ広がり、1850年代からは蒸気機関を軸とした鉄道の建設や鋼鉄の拡大、1890年代からは電気・化学・自動車の浸透、1970年代からはICT(情報通信技術)やバイオテクノロジーなどの進展と、次々に新技術を生み出してきました。
しかし、1990年代を超えるあたりから、地球環境問題の激化、災害・事故への対応不能、軍事応用の拡大などが広がるにつれて、その限界が見えてきました。
なぜそうなったのか、さまざまな背景を考えてみると、「科学」という時代識知そのものの限界が浮かび上がってくるようです。
●要素還元主義の限界・・・ 近代哲学の祖デカルトと近代科学の父ニュートンが展開した「要素還元主義」は、全体は要素の集合から構成されているという前提に立って、さまざまな分析を行えば、究極的には全体の理解に及ぶという思考方法を生み出しました。この発想によって、科学と応用技術が多彩な次元で結びつけられ、学問と産業の繁栄がもたらされましたが、それが行き過ぎて、あまりにも専門分化しすぎた結果、全体を見失うという弱点が露呈してきました。 ●記号・数字的思考の限界・・・ 「身分け」できる範囲内での自然現象しか分析できないという、人間の思考限界を突破するため、「数字」や「記号」を応用することで数学や物理学・化学などを発展させてきました。 しかし、あまりにもそれらの多用によって、量だけの科学に傾いた結果、形、質、全体などを把握することが困難になってきました。 ●科学万能主義の限界・・・ 科学は自然の実態を探るという建前にもかかわらず、その実態は人間の利益に役立つか否かという視点から、自然の姿を追求しています。 それゆえ、科学やそれに基づく技術は、人類の生活や生産力を大きく向上させはしましたが、他方では、理解力を超える災害や予測不能な事故などに出会うと、より大きな災厄を生みだす、という二面性を内在させています。 あるいはあまりにも肥大化し、あらゆる分野の知識基礎となった結果、人間の思考能力にさまざまな制約を与え始めています。 |
以上のような限界状況は薄々自覚され、批判的な論文や警告的な書籍なども幾つか出されていますが、未だ正論となるまでには至っていません。
しかし、今回のコロナ禍によって、感染予測の不可能性、対応施策の不十分性、関連科学の脆弱性などが露呈され、「科学」という時代識知そのものの限界が暗示されました。
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