2020年10月10日土曜日

コロナ禍で露呈した専門家の限界

コロナ禍が今や脅かそうとしている、工業現波の「時代識知」を推測しています。

現代の「科学」を構成している、3つの主要要素のうち、2番めに「要素還元主義」について考えてみましょう。

工業現波を主導している近代科学は「要素還元主義」を基盤にしています。

この主義は、近代科学の祖といわれるルネ・デカルトRené Descartes)の思想をベースにして、近代科学の父ともよばれるアイザック・ニュートンIsaac Newton)が展開した識知観です。



基本となる観点は、全体は要素の集合から構成されているという前提に立って、さまざまな方法で対象を細かく「分析」してゆけば、最終的には全体が明らかになる、というものです。

この主義によって、私たちを取り巻く環境頭脳内の観念で把握できる、という革命的な方法論が生み出され、さまざまな分野で科学と応用技術が結びついて、学問や産業の繁栄をもたらしました。

確かに物理学統計学などで進められた、自然現象の理念化は、生物学、医学、農学、工学などにも応用され、驚異的な発展を導きました。

この分野の成功が著しかったため、要素還元主義という観点は自然科学から他の分野へも広がり、瞬く間に工業現波の基盤的識知観となりました。

いかなるものもまずは細分化するという「分析」思考法によって、私たちの思考方法もまた細かく「分断」され、「科学」という名称のもとに、自然科学、社会科学、人文科学に大別されたうえ、さらに幾つかに分けられました。

自然科学は物理学、化学、生物学、天文学、地球科学などの「理学」系や医学、農学、工学などの「応用科学」系に、社会科学は政治学、法学、経済学、経営学、社会学、社会福祉学などに、人文科学は哲学、言語学、倫理学、歴史学、地理学、心理学、教育学、文化人類学などに、それぞれ分割されています。

その結果、さまざまな学問分野では専門化深耕化が著しく進行し、高度な成果を生み出すようになったのは確かなことです。

しかし、その一方では、さまざまな自然現象や社会現象に対して、極めて狭い視野でしか対応できない、という傾向も生み出しました。

例えば、望ましい未来社会を考えようとする時、経済学、社会学、法学、行政学など個々の視点から考えざるをえなくなっています。学際的とかシステマテイックとかいう場合も、統計学や数学的視点に利き足をずらしているにすぎません。

要するに、「分析」主義から「分断」主義への移行なのです。工業現波を生きる、私たちの知性とは、細かく分断された観点の中で、それぞれの理想を考えつつも、それらを全体的に統合できない、という隘路に陥っているのです。

もっとも、要素還元主義の原点には、細かく「分析」してゆけば、最終的には全体が明らかになるという「統合」視点が含まれていたはずです。

ところが、「分析」視点だけが図らずも膨張した結果、「統合」視点はいつしか忘れられ、跛行的な結果を招いている、ともいえます。

このため、「分断」主義を超えようと、これまでにも、言語主義的統一や還元主義的統一をめざす「統一科学」論システム的な統合論といった反省も繰り返し提案されてきましたが、いずれも挫折しています。詳細は別の機会に譲りますが、物理学的言語観自体の狭隘さ「システム」観の誤解などによるものです。

以上のように、近代科学を支える基本要素、「要素還元主義」は、私たちの暮らしや社会を支えてはいるものの、全体がどうなっているのか、どこに向かっているのか、などを明確に提示できないという限界に突き当たっているのです。

今回のコロナ禍対応で散見された専門家といわれる人々の偏狭さ、幼稚さ、説明力・言語力不足などは、まさしく専門化・分断化しすぎた学問の欠陥を露呈したものといえるでしょう。

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