2017年12月29日金曜日

「米価安の諸色高」は「モノ安のコト高」か?

寛保~宝暦期(1741~64年)には、粗放農業生産が上限に達したという人口容量の壁の下で、いかにして安定した社会を作り出すか、ということが幕政の課題でした。

しかし、当時の幕府は吉宗政権の長期化に伴って、徐々に惰性化が進行し、さまざまな矛盾が噴出し始めていました。



①経済体制では石高経済が続いており、「米価安の諸色高」への対応、つまり米価の上昇と諸色高の抑制が幕政の大きな課題でした。米価は元文改鋳の後、徐々に上がり始め、1740年前後に60~70匁台を回復しましたが、その後再び低下傾向が現れていました。貨幣政策で持ち直したものの、実需不足がさらに進行したからです。

このため、延享元年(1744)9月、幕府は蔵米を担保とした御家人の借金帳消し令(棄捐令)を出す一方で、米価の引上げをめざして、江戸・大阪の町人に買米を命じ、さらに12月には米売買取締のため米吟味所を設置しています。

②幕府の意向とは逆に「米価安の諸色高」が進むと、かえって町人層にはゆとり生まれてきます。寛延年間(1748~50)になると、そのゆとりが新たな消費文化を生み出していきます。


例えば寛延元年の夏、大坂の竹本座で初演された人形浄瑠璃「仮名手本忠臣蔵」が、翌年には江戸の三座で歌舞伎として競演され、大勢の観客を集めました。

また町人の間では、歌舞伎役者・沢村宗十郎を真似た宗十郎頭巾が流行し、上野不忍池畔には出合茶屋、揚弓場、講釈場など、新たな遊興産業も出現しました。

③しかし、「米価安の諸色高」で進んだ「武家苦の町人楽」ともいうべき事態に対し、幕府は町人の奢侈行動の規制に出ました。


寛延元年(1748)3月、流行し始めていた女羽織の着用を禁止し、また寛延2年5月には、江戸町奉行が町方の婦女が菅笠の代わりに青紙張りの日傘をさすことも禁じています

さらに宝暦2年(1752)6月には、不忍池畔の出会茶屋59軒と抱え女を置く家などを廃業させ、翌3年8月には、町方での銀道具の流行をおさえるため、材料となる灰吹銀や潰銀などを、銀座以外で売買することを禁止する達しも出しました。

④幕府はもう一方で諸色高の抑制にも努めましたが、宝暦3年(1753)は豊作となり、秋口から米価がさらに下落しました。


そこで、幕府は再び倹約令を発して奢侈を禁じるとともに、1000石以下の旗本・御家人の苦境を救済すべく、翌々年からの十年年賦の返済を条件に、彼らに貸付金を与えました。

他方、宝暦4年(1754)11月には、さらに米価を上げるため、正徳5年(1715)に出されていた酒造制限令を撤廃して、酒の生産量を元禄10年(1697)の水準へ復活させることを決めました。


この政策転換によって、新酒・寒造とも醸造は自由化され、新規営業も管轄地の奉行や代官に届け出るだけで容易に許可されるようになりました。

⑤ところが、宝暦5年(1755)の夏、奥羽地方に雪が降るという大冷害(宝暦の飢饉)が発生し、米価は一変して高騰したため、同年12月には、幕府領および諸大名の備蓄米である囲籾(かこいもみ)うち、1年分を米問屋に払い下げるように命じました。


翌年6月になっても、なお米価の騰貴が続いていたため、米問屋による買占めや高値販売を厳しく禁止しました。だが、同年の秋は一転して豊作となり、再び米価が下がったため、必要な米の買い置きは認めるように変更しました。

このように当時の石高経済は、気候変動に伴う米価の乱高下と町人層からの需要増加による諸色高に翻弄されて、大きく揺れ動いています。

とすれば、「米価安の諸色高」とは「基本財安の選択材高」を意味しており、現代社会に置き換えれば「モノ安のコト高」現象ともいえるでしょう。

2017年12月18日月曜日

人口急減社会・寛保~宝暦期を振り返る!

2010~2060年の人口急減社会は、農業後波の寛保~宝暦期(1741~64年)にほぼ相当し、人口減少への対応について、さまざまな試行錯誤が続く時代となる、と述べてきました。

この時代の社会の特性については、電子本『
平成享保・その先をよむブログ「平成享保のゆくえで詳しく述べていますが、要点を再掲してみましょう。


当時の人口は延享元年(1744)の3138万人から、寛延3年(1750)の3101万人を経て、宝暦12年(1762)には3111万人と停滞しています。

② 政治状況を振り返ると、8代将軍徳川吉宗の将軍引退から、9代将軍家重の側用人・大岡忠光の活躍から死去までの時期に当たります。延享2年(1745)9月、吉宗は長男家重に将軍職を譲って引退しました。まだ62歳の頑健な身体であったにもかかわらず、あえて引退を表明したのは、人心を一新するためでした。

③ 歴史学者の奈良本辰也は「吉宗の30年に近い治世は、次第に一般から飽きられようとしていた。刑法の改正について、また倹約令の細かい施行について、あるいは検地・山林開発などのことについて、さまざまな批判が起こっていた」と述べています(『日本の歴史17・町人の実力』中公文庫・1974)。

④ 同じく歴史学者の大石慎三郎も、第1は「なんといっても30年もという長い治世であり、吉宗政権に対する飽もけっして無視できぬものであった。このあたりで人心を一新しておいてからその完成にとりかかる」ためであり、第2は「不肖の嗣子家重の地位を、自分が元気なうちに確立しておいてやりたい、という親心が強く働いていた」と指摘しています(『田沼意次の時代』岩波書店・1991)。

⑤ このことを傍証するのは、翌10月、経済政策の実質的主導者として、吉宗政権の後半を支えてきた勝手掛老中・松平乗邑を突然罷免したことです。急速に権力を伸ばしてきた乗邑を排除して、政治の一新を天下に示し、同時に将軍親政を取り戻して、家重への安定的な譲渡を狙ったのです。

⑥ 11月2日、家重は9代将軍に就任しました。しかし、彼は生来の病弱に加えて、言語が不明瞭であったため、吉宗はなお大御所として後見に努めざるをえませんでした。ところが、こうした権力の二重構造が、家重をして、ますます政治から遠ざけることになりました。

⑦ 延享3年(1746)10月、家重の意志を取り次ぐ者として、小姓組番頭格・大岡忠光が御側御用取次に任命されます。大岡は知行300石の旗本の長男で、南町奉行・大岡越前守忠相の遠縁に当りますが、享保9年(1724)8月、16歳で将軍家世子・家重の小姓に抜擢されて、西の丸へ入り、家重の言語を理解できる、唯一の側近として仕えました。この特異な能力が認められて、延享2年、家重が将軍に就任すると、小姓組番頭格式奥勤兼帯御側御用取次見習となり、さらに翌年、御側御用取次に昇格したのです。

⑧ 寛延3年(1750)2月、幕府は5回めの諸国人口調査を実施して、現将軍の威光を確かめましたが、翌宝暦元年(1751)6月、吉宗は68歳で没しました。吉宗の腹心であった大岡越前守忠相もまた、同じ年の12月に75歳で亡くなっています。

⑨ このため、政治の実権はようやく家重―忠光ラインに移りましたが、家重の言動が不明確であったため、政権の実勢は忠光に移りました。宝暦元年、大岡は上総国勝浦藩1万石の大名に取り立てられ、同4年、5千石加増されて若年寄に進み、宝暦6年(1756)5月には側用人に就任して、さらに5千石加増され、合計2万石となって、武蔵国岩槻藩主に任じられています。

⑩ こうして、宝暦10年(1760)4月に52歳で死去するまでの約10年間、実質的な執政となりました。忠光自身はかなり謙虚で慎重な人物であったようですが、側用人の役目は、常に将軍の傍らにあって上意を下達することでしたから、次第にその威権が老中をしのぐようになりました。このため、吉宗が一旦は廃止した側用人制度を復活させ、次の時代に田沼意次が登場する土壌を形成していきました。

以上のように、寛保~宝暦期(1841~64年)の政治状況は、人口の急減期にも関わらず、享保改革路線の終焉と傀儡政権の誕生という、まさに試行錯誤の時代でした。

経済や社会の動向をさらに詳しく眺めていきましょう。

2017年12月10日日曜日

人口減少→人減定着→人口回復

日本の人口減少は22世紀まで続くという予想が多いのですが、人口抑制装置という視点に立つと、これまで述べてきたように、2080年代に8000万人前後で底を打ち、そこから増加に転じることも予想できます【21世紀後半に逆転させるには・・・:2017年10月19日】。

そうなると、これからの日本社会は、人口急減→人減定着→人口回復という、3つのプロセスを辿っていくことになるでしょう。

人口急減社会・・・2010~2060年の約50年間で、人口は1億2800万人から8700万人へ4100万ほど急減していきます。

人減定着社会・・・2060~2090年の約30年間で、人口は8700万人から8200万人へ500万人ほど漸減していきます。

人口回復社会・・・2090~2140年ころまでの約50年間で、人口は8200万人から1億2800万人へ4600万人ほど回復していきます。

以上のプロセスは、農業後波の後半である江戸中期の社会と比較すると、おおむね次のように予想できます。





①2010~2060年の人口急減社会は、寛保~宝暦期(1741~64年)に相当し、人口減少への対応について、さまざまな試行錯誤が続く時代となるでしょう。

②2060~2090年の人減定着社会は、明和~天明期(1764~89年)に相当し、人口減少にようやく慣れなじんで、その利点を徹底的に活用していく時代となるでしょう。


(この時代の社会予測については、電子本『平成享保・その先を読む: 人減定着日本展望』やブログ「平成享保のゆくえ」などで詳細に述べています。)

③2090~2140年ころまでの人口回復社会は、寛政・文化・文政期(1789~1831年)に相当し、前期の蓄積をベースにして濃密な文化・文明を醸成し、とりあえず人口増加へと転換する時代となるでしょう。

このように考えると、人口減少を嘆いているだけではなく、それぞれの時期に見合った対応策を社会全体で考えていくことが求められます。 

2017年11月27日月曜日

Sustainable から Ripplable へ!

環境問題で目標となっている「Sustainable(持続可能な)や「Sustainability(持続可能性)というキーワードを、人口問題に持ち込んで、人口もまたSustainableやSustainabilityをめざすべきだ、という意見があちこちで囁かれています。

しかし、人口問題に長く関わってきた立場からいえば、かなり違和感があります。

人間を含む動物の人口では、さまざまな事例が示すように、ピークに達した後、そのままの数を持続するのではなく、一旦はダウンするケースが一般的であるからです。

キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity)とよばれる環境許容量の上限に達すると、自らその数を減らしていきます。

もっとも、ダウンした後、キャリング・キャパシティーに余裕が出てくると、もう一度アップし始め、再びその上限まで増加していきます。だが、そこでまた壁にぶつかると、またまたダウンし始めます。

その結果、動物の数はキャリング・キャパシティーの範囲内で、小刻みな波動を繰りかえすことになります。

その推移は、いわば「さざなみ=小波(Rippleです。


こうした現象は、人間の場合でも基本的には同じですから、人口容量が増えない限り、その人口もまた、容量の下で増減を繰り返していくことになるのです。




実際、農業後波の後半、江戸中期の人口推移を振り返ると、同じような傾向が読み取れます。



とすれば、人口波動後半の社会とは「Sustainable(持続可能な)」や「Sustainability(持続可能性)」をめざすものではなく、強引に形容詞化あるいは名詞化すれば、「Ripplable(小波的な)や「Ripplablity(小波的継続性)へ向かうものだ、ということになるでしょう。

2017年11月19日日曜日

人口減少で結婚観が変わってきた!

人口が減少し始めてからほぼ10年、人口容量に多少のゆとりが生まれるとともに、人口抑制装置もまた微かながら緩み始めています。

例えば結婚観の変化です。第15回出生動向基本調査(国立社会保障・人口問題研究所)によると、「結婚することに利点がある」と感じている未婚者は、2010~15年の間に男性で1.9%、女性で2.7%増えています。逆に「結婚することに利点がない」と感じている未婚者は、男性で1.0%、女性で1.3%減っています

僅かの差のようですが、長期的推移を下に掲げたグラフで確かめると、トレンドが変わってきたことが推測できると思います。

とりわけ、女性の結婚観が大きく変わり始めています。


女性が結婚相手の男性に求める条件を振り返ると、バブル経済時代の1990年頃には「3高」(高学歴・高収入・高身長)でした。

20年後、人口ピーク時直後の2010年頃には「3平」(平均的な年収・平凡な外見・平穏な性格)に変わった、といわれています。

7年後の現在では、これが「3NO」(暴力しない・借金しない・浮気しない)に変化しているようです(㈱パートナーエージェント、調査対象:25〜34歳の独身女性1897人)。

「3高→3平→3NO」という変化の背後には、経済環境の変化とともに、人口容量の変化が潜んでいるようです。

バブル経済が絶頂で人口容量にも440万人のゆとりがあった時代には、かなり背伸びした対象を求めていました。

だが、経済環境が悪化し人口容量もゼロとなった時代になると、背丈に見合った対象を探すようになりました。

しかし、経済環境がやや回復し、人口容量にも300万人ほどゆとりが生まれてきた現在では、もはや「3高」には戻らず、より慎重な条件に対象が変わってきています。

この理由は、人口減少社会への対応が始まっているからだと思います。人口のピークを挟んで、それ以前と以後では、国民の基本的な生活意識は大きく変わっているのです。

人口増加時代の価値観が「成長・拡大」志向であったのに対し、減少時代のそれは「飽和・濃密」志向に変わってきています。人口減少を前提にしつつ、その中でできるだけ濃密な生き方を求めていく、という方向です。

こうした変化が人口抑制装置の作動を緩め始めると、結婚する人口もまた徐々に増えていくことになるでしょう。

2017年11月9日木曜日

人口容量のゆとりが抑制装置を緩める!

人口減少の進行で人口容量にゆとりが生まれた時、人口が回復するか否かについて、さまざまな視点から眺めてきましたので、一度ポイントを整理しておきましょう。

人口容量と人口抑制装置の基本的関係は【
人口減少は極めて〈正常〉な現象!:2015年3月24日】で述べたよう、次の数式で説明できます。
 この式を変形すると、次のようになります。

 人口容量が一定という環境下で、人口減少でゆとりが出てくると、1人当たりの生活水準が上がり始め、人口抑制装置の緩和する可能性も生まれてきます。そのプロセスは大略、次のように説明できます。

①P(総生息容可能量)は一定だが、人口が減るとV(実際の人口規模)も減るから、L(一人当たりの生息水準)は上がっていく

②Lが上がれば、親世代は素直に子ども増やす選択を採る。また子ども世代は老年世代を扶養する選択を採る。

③その結果、親世代は結婚に踏み切り、避妊や中絶などを回避して、出生数を増やす。また子ども世代は老年世代の世話や年金負担を続けるから、老年世代の生息水準も維持されて、死亡数が減る

④Pが伸びない時代には、動物界のなわばりや順位制のように、Pの分配をめぐって競争が激化するが、Lが増えれば競争は弱まり、分配分の格差も縮小するから、結婚して子どもを増やしたり、老年世代の世話を継続するようになる。

⑤こうした環境下で個々の人間が選ぶ、結婚や同棲などの促進行動、避妊や中絶などの回避行動、老年者介護や年金負担などの扶養維持行動が、次第に集団に広がって、社会的なムーブメントとして定着する。その意味で、これらの行動は人為的・文化的な抑制装置を緩和させることになる。

以上のような視点に立つと、人口容量の範囲内で人口を回復させていくには、次のような対応が求められるでしょう。


人口容量を落とさないように努める。

②人口の回復を焦らないようにする

③的外れの対応で、1人当たりの生息水準を無理に上げないようにする

2017年10月29日日曜日

「子どもに…してあげる」は少産化の要因?

子どもの生まれる数が少なくなった「少産化」の背景には当然、子どもに対する親世代の意識変化があります。

それを端的に示すのは、親たちが子どもに対する時の言葉使いの変化です。

少産化が進み始めた1970~80年代を境に、子どもに対する親の言葉が変わってきました。

例えばおやつを与える場合、それ以前の社会では、自分の子どもに対しては「食べさせてやる」、他人の子どもに対しては「食べさせてあげる」という表現が一般的でした。

ところが、それ以降では、自分の子どもに対しても「食べさせてあげる」という表現が増えています。


日本の社会ではもともと、親が自分の子どもにコトやモノを与える場合は、「食べさせてやる」「着せやる」「大学へ行かせてやる」というように、「・・・してやる」「・・・てやる」という言い方が普通でした。これは、親の立場から子に対して「授ける」「与える」という意味であり、「保護する者から保護される者への恵与」を示していた、と思います。

ところが、最近しばしば聞く「食べさせてあげる」「着せてあげる」「大学へ行かせてあげる」など、「・・・してあげる」「・・・てあげる」などの言い方からは、子どもの立場が「保護される者」から「当然保護すべき者」へと変化していることがうかがえます。

これらの表現には、親の立場から子に対して「差し上げる」「進呈する」というニュアンスが含まれており、「他者に対する謙譲的な贈呈」を示しているからです。

「てやる」派から「てあげる」派へ、言葉使いの、この変化は、親子間の提供関係が「恵与」から「贈呈」に変わったことを意味しています。大げさに言えば、親子の関係が「身内」から「他人」へと変わった、ということにもなるでしょう。

そう考えると、子どもを作るという行為もまた、「自分の延長線上の子孫」というより「新たな他人」を作り出すという意味を持ち、「子どもを大切にしたい」「子どもを増やしたい」という、少産化社会にふさわしい表現に変わってきているともいえます。

だが、その一方で、子どもの立場が次第に大きくなってきますから、親としてはさまざまな義務を負わなければならない、という事情が増えてきます。「食べさせてあげたい」「着せてあげたい」「大学へ行かせてあげたい」というハードルが次第に高くなってきているのです。

そうなると、そこまでは無理だ、と感じる親も増えてきますから、むしろ子どもの数は減っていくことにもなります

どちらの傾向が増えるのか、すぐに答えは出ませんが、てやる×てあげる」の変化には、単なる表現の変化を超えて、少産化社会の価値観が濃厚に現れている思います。

2017年10月19日木曜日

21世紀後半に逆転させるには・・・

前回述べた「新予測②は、出生率と死亡率が2100年ころに1960年の水準に戻ると仮定した場合の総人口の予測値です。

これによると、総人口は2090年代に6640万人台で底を打ち、22世紀初頭から増加していくものと予想されています。

基本的な前提条件は、人口政策の大規模な変更や移民政策の拡大といった、外部条件の変更がないうえ、人口容量が12800万人で変わらず、人口の増加圧力が自然に機能できる場合です。

この条件の下では、おそらく最も早く人口が回復できるケースと考えられますが、それでもなお幾つかの条件が加わります。



①2100年に1960年の水準に戻るという仮定は、先の「新予測①」に比べて、目標時点を10年ほど早めています。先に述べたように、過去からの推移でいえば、総期待肥大値が1億2800万人の人口容量を超えたのは1960年ころであり、下回るのは75年後の2035年ころと予想されています。そこで、元の水準に回復する時点もまた75年後の2010年ころになると推定したのです。

②目標時点を10年ほど早めたということは、75年という間隔を70年に縮めたことを意味していますから、総期待肥大値が1億2800万人の人口容量を下回るのもまた、1960年より70年後の2030年ころ予想されます。

③2030年ころに総期待肥大値が1億2800万人の人口容量を下回るには、当初予想されていた2030年の総期待肥大値13,260万人を12,800万人にまで4~5%ほど下げることが必要になります。

以上のように考えると、総人口を21世紀中に反転させるためには、今後13~15年、2030年に向けて国民の総期待肥大値を4~5%ほど抑制する方向へ、多面的に誘導することが求められるでしょう。

2017年10月8日日曜日

人口容量に本格的な余裕が生まれると・・・

総期待肥大値が2030年代人口容量1億2800万人を下回った後、総人口はどのように回復していくのでしょうか。

総期待肥大値が1億2800万人の人口容量を超えたのは1960年代でしたので、普通出生率普通死亡率が、おそらく当時の水準にまで戻る動きが出てくる、と思われます。

しかし、ほぼ50年にわたる出生率低下と死亡率上昇が、一気に回復するのは不可能ですから、1960年の水準に戻るには、なお70~80年間の年月が必要だと思います。

そこで、出生率と死亡率が2030年から80年後の2110年に1960年の水準に回復すると仮定して、1960年から2015年までのデータと2110年を結ぶ多項式を求めてみると、下図のようになります。


この式でシミュレートしてみると、2050~60年代に両率はともに変曲点を迎え、それ以後、出生率は上昇へ、死亡率は下降へと進みますから、2100年ころに自然動態もまた減少から増加に転じることになります。

いうまでもなく、総人口は自然動態だけで増減するわけではありませんが、日本の場合は社会増減が少ないため、総人口の大勢は自然増減によってほぼ決まる思います。

この多項式に実際の年数の経過を代入してみると、今後ほぼ100年間の出生数と死亡数が推定されて、それより毎年の人口増減率が計算できますから、総人口の今後の動きを下図のように描くことができます。


①一番上の曲線は、国立社会保障・人口問題研究所が2017年4月に発表した予測値(中位推計)です。前回(2012年3月)の中位推計よりやや上目に推計されていますが、2015年まで一貫して減少していく、とされています。

②一番下の曲線(新予測①)は、上記で説明したとおり、出生率と死亡率が2110年ころに1960年の水準まで回復すると仮定した場合の総人口の予測値です。①よりやや下目に推移していますが、2105年ころから上昇に転じ、2110年ころに①を追い抜いていきます

③真ん中の曲線(新予測②)は、出生率と死亡率が、新予測①の前提より10年早い2100年ころに1960年の水準に回復すると仮定した場合の総人口の予測値です。これもまた①よりやや下目に推移していますが、2090年ころに追い抜いて、2105年ころからは上昇に転じていきます。

今回は、とりあえず回復目標時点と総人口の関係をざっと眺めてきました。

目標時点を決めるのは、人口容量と総期待肥大値の時間的関係ですから、その前後によって、21世紀後半~22世紀初頭の日本の総人口は、大きく影響を受けるものと思われます。 

2017年9月26日火曜日

減少圧力を抑えられるか?

増加圧力を活用するには、減少圧力、つまり人口抑制装置の作動を緩和させることが必要です。

装置を緩和できるのか否か、それを決めるのは、作動のきっかけとなった、国民の価値観=総期待肥大値の動きです

先に【
人口は再び増加する!:2015年7月5日】で触れましたが、総期待肥大量は現在、1億6000万人の規模にまで膨れ上がっており、人口容量に多少の余裕が生まれた程度では、抑制装置を緩和するまでには至りません。

振り返ってみると、抑制装置が作動し始めたのは、総期待肥大値が1億2800万人の人口容量を超え始めた1960年代でした。・・・【
人口抑制装置を緩められるか?:2017年8月8日

この頃から抑制装置が徐々に強まるにつれて、人口の伸び率も次第に低下し、2008年に至って実数もまた増加から減少に転じたのです。装置の作動から人口の減少まで、実に半世紀の時間がかかっている、ということになります。

とすれば、今後、人口を減少から増加に転じさせるためにも、ほぼ同様の月日が必要になる、と考えるべきでしょう。

先に述べたような単純な予測によれば、総期待肥大値が今後、1億2800万人の人口容量を切るのは2030年代と思われます。

その頃から、抑制装置が緩み始めるとすれば、実際に人口が減少から増加に転じるのは,
半世紀後の2070~80年代から、ということになります。

もしも私たちがそれよりも早い回復を望む、というのであれば、総期待肥大値そのものを抑制して、一刻も早く1億2800万人の人口容量以下に抑え込む、という方向へ向かわなければなりません。


果たして、そんなことができるのでしょうか?

2017年9月17日日曜日

増加圧力とは何か?

生物的な人口増減原理については、何度も述べていますが、増加圧力の視点からもう一度確認しておきましょう。

生物学や生態学では「一定の空間において一種類の動物の数(個体数)は決して増えすぎることはなく、ある数で抑えられる」という現象が知られています。

その上限を「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity)」と名づけていますが、日本語には「環境収容力」とか「環境許容量」と訳されています。・・・【
人口減少の本当の理由:人口容量の限界化:2015年1月27日

動物の個体数は、このラインに近づくにつれて、自ら増加率を落とし始め、ピークを過ぎると、減少していくことがわかっています。

しかし、ある程度減少してキャパシティーにゆとりが出てくると、今度は下図のように再び増加に転じ、もう一度キャパシティーの上限まで増えていきます。そうして再度上限に達すると、またまた減少に転じ、さらにまたゆとりが出てくると増加となって、以後はキャパシティーの内側で増減を繰り返します。・・・
2015年1月27日2015年1月28日

図  魚の個体数変化




こうした現象は、人間の場合でも基本的には同じですから、人口容量が増えない限り、その人口もまた、容量の下で増減を繰り返していくことになるのです。・・・【
人口は回復しないのか?:2017年4月25日
現在、日本の人口は12,800万人という人口容量のもとで、130万人ほどゆとりが生まれています。このゆとりは、先に述べたように、2030年には613~1,149万人、2050年には1,246~2,332万人、2080年には3,481~5,516万人まで増えていきます。

膨大なゆとりの発生・・・これこそ生物的な人口増減原理に従えば、人口増加の圧力となるものです。

もし日本人口を少しでも回復させようと思うのなら、この圧力を巧みに利用しなければなりません

2017年9月9日土曜日

増加圧力はここまで強まる!

増加圧力とは、人口容量と実人口の間に生まれるゆとりです。

国立社会保障・人口問題研究所の2017年の予測をベースにすると、2015年に91万人ほどであったゆとりは、下図にしたように広がっていきます。

 
2030年には中位値で888万人(低位値で1,149万人~高位値で613万人)になります。

2050年には中位値で1,808万人(低位値で2,332万人~高位値で1,246万人)になります。

2080年には中位値で5,370人(低位値で5,516万人~高位値で3,481万人)になります。 
経済的な次元でみると、現在のGDP(実質)約500兆円を今後も維持できたとすれば、1人当たりGDPは、2015年の393万円から、次のように上がっていきます。

2030年には中位値で420万円(低位値で429万円~高位値で410万円)になります。
2050年には中位値で491万円(低位値で517万円~高位値で465万円)になります。

2080年には中位値で673万円(低位値で771万円~高位値で587万円)になります。

1人当たりの経済水準は、2015年を1とすると、ゼロ成長であっても、次のように上がっていくのです。

2030年には中位値で1.07倍(低位値で1.09倍~高位値で1.04倍)になります。

2050年には中位値で1.25倍(低位値で1.31倍~高位値で1.18倍)になります。
2080年には中位値で1.71倍(低位値で1.96倍~高位値で1.49倍)になります。

これをみると、人口減少が進めば進むほど、人口容量にはゆとりが大きくなります。

そうなると、一人当たり生活水準も上昇してきますから、人口抑制装置の作動も抑えられるようになります

抑制装置の作動が緩めば、日本の人口もまた、生物的な人口増減原理に基づいて、再び増加し始めることになるでしょう
 

2017年8月29日火曜日

人口には増加圧力と減少圧力がかかっている・・・

21世紀の日本人口は、増加圧力減少圧力のせめぎ合いの中で、人口回復の糸口を探っています。

増加圧力とは、人口容量と実人口の間に生まれるゆとりです。

日本人口は2008年に史上5番目の人口容量の上限=12,800万人にぶつかって以降、徐々に減少しているため、容量との間には少しずつゆとりが生まれています。

現に2017年8月1日現在、総人口は約12,677万人で、123万人ほどのゆとりが生じています。

このゆとりは、今後数10年間、人口の減少に伴って次第に広がっていきますから、
人口抑制装置の作動を緩め、今後は上図に示したように、増加の圧力を高めていくものと思われます。

一方、減少圧力とは人口抑制装置の継続です。

抑制装置は、人口が人口容量の上限に近づいた、20世紀の後半から徐々に作動し、今もなおも継続しています。

人口抑制装置は一度作動すると、ゆとりが生まれた後も簡単には緩まず、先に【
人口は再び増加する!】で述べたとおり、早くとも2030年代まで続いていくからです。

このように、21世紀の日本人口には、増加圧力と減少圧力の両方が潜んでいます。

今のところ、後者の方が強いため、数十年間は減少していくと思われています。

しかし、抑制装置の継続を少しでも抑えることができれば、その分、減少を抑えたり、うまくいけば回復させることもまた不可能ではありません。

それにはどのような対策があるのか、改めて考えていきましょう。

2017年8月18日金曜日

牛乳石鹸CMの炎上で人口抑制が進む!

人口抑制装置の作動している社会を象徴するような事象が、WEB上で起こっています。


6月にYouTube上で公開された、牛乳石鹸のWEBムービーCM「与えるもの」篇です。

2か月ほど経って、SNSなどで批判や罵倒が広がっていますが、一方では援護や容認も現れて、この数日間はまさに“炎上“状態です。

批判派の主張では「意味不明」「大変不快!」「もう買わない」などと、否定的な文言が並んでいますが、一方では「すごく共感」「一応わかるよ」「お父さんの応援ムービー」などと評価する意見も散見されます。

CMのデキはともかく、これだけ騒がれたのですから、提供者や製作者としては十分満足されていることでしょう。

ともあれ、賛否激論の中身を探っていくと、人口減少の進む社会の構造がまざまざと浮上してくるような気分になります。

整理してみると、次の3つがポイントです。

増子化、あるいはコダルト化の進行・・・平均寿命の延長に伴って、子供時代の上限が30~40代にまで上がっている。

世代間のギャップの拡大・・・55歳前後の谷間世代を境界として、生活価値観(=期待肥大値)が大きく変化している。

期待肥大値の拡大で抑制装置が作動・・・子供に対する親の責任水準が高まるにつれて、出産を抑えようとする傾向が高まっている。

人口抑制装置が作動するのは、人口容量が伸びなくなった時代に、増加時代の生活価値観(期待肥大値)をなおも続けようとする人々が引き起こす、さまざまな軋轢のためです。

それは決して悪いことではなく、人口容量に適切に対応していこうとする生物の知恵を示しています。

こうした意味で、批判派の不快感は勿論、肯定派の共感もまた、人口を抑制する装置を動かしているといえるでしょう。

牛乳石鹸CMの炎上事件は、現代日本の気分、あるいは感情状況をまさしく象徴しています。 

2017年8月8日火曜日

人口抑制装置を緩められるか?

人口容量のゆとりが拡大するにつれて、人口回復の可能性が高まってくると述べてきました。

この実現性を当ブログの基本的な論理である「
人口抑制装置」の視点から、改めて検討してみましょう。

結論を先に述べますと、「ゆとりで装置が緩むのは2030年代から」ということになります。

人口の実数ではゆとりが生まれますが、国民の価値観=総期待肥大値でゆとりが生まれてくるのは2030年代になるからです。

先に【
人口は再び増加する!】で触れましたが、総期待肥大量は現在、1億6000万人の規模にまで膨れ上がっており、人口容量に多少の余裕が生まれた程度では、人口抑制装置を緩和するまでには至りません。

緩和できるのはいつ頃になるのか。下図に示したように、人口減少と年齢構成の変化に伴って、2030年代になると、ようやくこの値は1億2800万人を切ることになります


そうなると、本質的なゆとりが生まれてきます。

2030年以降、人口容量に本格的な余裕が出てくると、徐々に影響が出てきます。


それによって、一方では一貫して落ちていた出生率が上がり始め、他方では上昇傾向だった死亡率が少しずつ緩み始めて、2050年頃にようやく下がっていく可能性が生まれてきます。

果たしてこれが実現できるものなのか、人口抑制装置の作動を緩和する条件を、もう一度考えていきましょう。

2017年7月28日金曜日

格差是正が人口を回復させる!

生産年齢人口の見直し、AI やロボットの活用、外国人の適切な導入などで、減少する労働力を補って、GDPの規模が維持できるとすれば、人口減少によって生まれるゆとりを活用する、2つめの条件はその公平な分配です。

人口減少でGDP /人は2倍へ」(2017年5月18日)で述べましたが、現在のGDP水準が維持できれば、1人当たりGDPは伸びていきます。

実際、現在のGDP =500兆円が続けば、国民一人当たりの所得は2015年の393万円から2050年には491万円(1.23倍)、2100年には837万円(2.13倍)へと増えていきます(いずれも実質)。

人口が減る社会では、経済規模が伸びなくても、個々人は豊かになっていくのです。

これを実現していくには、GDPの維持、分配の公平化、移民影響の最小化など、幾つかの条件があります。

「GDPの維持」については、すでに述べてきましたので、2番目は「分配の公平化」です。

いわゆる「経済格差」「所得格差」の問題ですが、これを表す指標として、一般的に使われているのが「ジニ係数」です。

ジニ係数とは、所得がどれくらい均等に分配されているかを、0から1の数字で表す指標であり、0に近いほど格差が少なく、1に近いほど格差が大きいことを示します。

厚生労働省の「所得再分配調査」に基づいて、その推移をグラフ化してみると、下図のようになります。


上の線が雇用者所得や事業所得などを示す「当初所得」、下の線が当初所得から税金と社会保険料を控除し、社会保障給付を加えた「再分配所得」です。

一見してわかるのは、当初所得のジニ係数が1970年代までの縮小傾向を捨てて、1980年代以降は徐々に拡大していることです。とりわけ2000年代に入ると急拡大しています。

これこそ、最近とみに喧伝される「格差拡大」の実態ですが、この傾向が今後も続けば、仮に1人当たりのGDPが増えたとしても、経済的なゆとりを国民全体に浸透させていくことはまず不可能でしょう。

とはいえ、下線の再分配所得のジニ係数は、1980年ころから拡大はしているものの、その伸び方はかなり緩やかで、2005年以降は縮小傾向さえ見せています。これは税と社会保障による格差是正がそれなりに効果をあげていることを示しています。

となると、人口容量のゆとりを国民全体へ配分していくためには、2030~60年代に向けて、次の両面からの対応が求められます。

①雇用者所得の適正化や事業所得への適正課税などにより、所得実態の公正化を進める。

②社会保障などの適正化によって、格差拡大の抑制を進める。

こうした対応によって所得分配が平準化していえば、その分だけ人口回復の可能性が高まってくるものと思われます。 

2017年7月17日月曜日

外国人の労働力を受け入れる!

人口減少時代にGDPを維持していくには、「人口減少でGDP /人は2倍へ!」(2017年5月18日)で述べたように、まずは労働力の確保が必要です。

それには、①労働力対象の見直し、②AIやロボットなど新技術による生産性の向上③外国人労働力の受け入れ、の3つが求められます。

①②についてはすでに述べてきましたので、③について付記しておきますと、すでに「
外国人を増やせるのか?」(2015年1月20日)と「プラス、マイナスの分岐点は?」(2015年1月21日)で触れたように、今後は外国人常住者の受け入れを毎年平均3.7%の割合で増やしていかなければなりません。

だが、それに伴って、総人口に占める比重が次第に高まり、2030年には3%台、2040年には4%台、そして2050年には7%台へ急上昇します。

この比率が5%を超えるあたりから、ヨーロッパ諸国では社会・経済のさまざまな側面で、プラス面よりマイナス面が顕在化しているようです



となると、わが国においても、2040~50年代に5%を超えるまでは、プラス面の効果の方が期待できるものと思われます。

いずれにしろ、人口が減少する時代にGDPを維持していくには、マイナス現象、あるいはデメリット現象への対応を的確に行ったうえで、外国人の受け入れを徐々に行うことが求められます。


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この件に関しては、同趣旨の論文を16年前、『中央公論』(2001年10月号)に寄稿しています。→現代社会研究所サイト
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2017年7月4日火曜日

人工知能やロボットを激活する!

生産年齢人口や労働力人口の減少をカバーするには、人工知能やロボットなどの最先端技術を最大限に活用しなければなりません。

㈱野村総合研究所の推計(2015年12月)によると、10~20年後には国内労働人口の49%に当たる職業が、人工知能やロボットで代替される可能性が高い、とされています。



どのような職業が代替されるのか、次のように指摘しています。

代替可能性の高い職業は、製造や販売などの現場作業であり、可能性の低い職業はクリエイターや研究者、医者や保育士などである。

代替可能性が高のは、必ずしも特別な知識・スキルが求められない職業や、データの分析や秩序的・体系的操作が求められる職業であり、逆に代替が難しいのは、抽象的な概念の知識や他者の理解、交渉などが必要な職業である。

要するに、日本の生産を支えている、さまざまな職種のうち、単純労働や定例的労働などについては、ほぼ半分ほどが人工知能やロボットに置き換えられる、ということです。

このためか、人工知能やロボット技術の進歩によってさまざまな職業が不要になり、失業者が急増するのではないか、という懸念や不安も囁かれ始めています。

しかし、人口減少時代に日本の生産力を全体として維持していくには、一人一人の生産性を上げていくことが必要です。

人工知能やロボットに置き換えられる職種は積極的に代替を進め、その余力を代替不可能職種に振り向け、既存業務全体の生産性を上げていく。そのうえで、生産性の高い新商品や新サービスを創り出す分野へと移行させていく。

人工知能やロボットの導入で失業者が増えるとしても、彼らを非代替分野へ積極的に振り向けることで、全体として不足する労働力をカバーしていかなければなりません。

人口減少時代には、職業能力対策もまた、人口増加・成長・拡大型社会とは異なる、人口減少・飽和・濃密型社会に即した方向へと、大胆に対応していくことが求められるのです。

2017年6月28日水曜日

生産性の上昇で労働力の減少をカバーする

新しい年齢区分の適用で生産年齢人口を56%台で維持し、さまざまな労働参加策の向上によって労働力率を60%台に引き上げることができれば、GDPの維持はさほど困難なことではありません。

しかし、労働力人口が減っていくことは避けられませんので、もう一方では、労働者1人当たりの生産性を上げていくことが必要になってきます。私たち日本人の労働生産性は現在、どの程度なのでしょうか。

(公財)日本生産性本部の「
労働生産性の国際比較」(2016年度版)によると、次のように位置づけられています。



①日本の労働生産性(2015年)は74,315ドル(783万円)で、OECD加盟35カ国中22位、カナダ (88,518ドル/932万円)や英国(86,490ドル/911万円)をやや下回り、米国(121,187ドル/1,276万円)の概ね6割程度である。

②日米間の生産性格差は、両国企業の価格戦略の違影響されている。

日本企業では小売や飲食、製造業などを中心に、1990年代からのデフレに対応して業務効率化を進め、利益を削ってでも低価格化を実現するという戦略で競争力を強化してきた。
一方、米国企業では生産性の向上によって付加価値を拡大させ、高価格を実現してきた。
こうした両国間の戦略差が生産性の格差を生みだしている(米・コロンビア大学:H.パトリック教授)。

③日本の生産性を向上させるためには、米国で急成長している配車サービス「ウーバー」のような、IT技術をミックスしたサービスの開発が求められる。

米国ではIT技術によるイノベーションがさまざまな産業分野で、新たな付加価値を創出する原動力となって、生産性の向上にもつながっている(米・ハーバード大学:D.ジョルゲンソン教授)。

④日本が米国など主要国との格差を縮めるには、業務の効率化を進めるだけでなく、新しいサービスや製品を生み出して、付加価値を上げることが必要である。


以上のように、日本の労働生産性は今後、大きく改善される可能性があります。

とりわけ、IT技術、AIやロボットなどの導入によって、生産年齢人口や労働力人口の減少をカバーできる可能性はますます広がっていくでしょう。

2017年6月20日火曜日

労働力人口を維持するには・・・

生産年齢人口の減少が避けられないとすれば、労働力人口を可能な限り増やしていくことが必要です。

労働力人口とは、15歳以上の人口から非労働力人口(主婦や学生など労働能力はあっても働く意思をもたない者、あるいは病弱者や老齢者など労働能力をもたない者)を差し引いた人数です。

この労働力人口が15歳以上人口に占める比率が労働力率です。

労働力人口と労働力率の推移を振り返ってみると、下図のようになります。

人口増加に伴って、労働力人口は2010年ころまで順調に伸びてきましたが、1990年代以降は労働参加率の低下によって、2000年ころから減少してきました。

しかし、2010年以降、女性や高齢者の労働参加が進み始めたため、2015年には幾分回復していきました。

前回見たように、生産年齢人口(15~64歳)は今後、年齢区分を見直したとしても、なお急減していきます。

とすれば、生産力を維持するには、労働力率をさらに上げていくことが求められます。

労働政策研究・研修機構の「労働力需給の推計・2016年版」によれば、下図のように労働力率を現在の59%台から2020年には60.2%へ、2030年には60.8%へと上げていきことができれば、労働力人口は現在の6580万人台から、2020年には6589万人2030年には6362万人まで維持していけるものと推測しています。
要するに、15歳以上の国民にできるだけ働いてもらえるよう、さまざまな対策を展開する必要がある、ということです。

具体的に言えば、女性や高齢者・障碍者などがいっそう労働に参加できるように、働き方の改革や雇用制度の改革などを積極的に進めていくことでしょう。

女性の参加率拡大については、ダイバーシティ経営の実践や促進、待機児童解消対策の強化、産休・育休制度の拡張など、女性が働きやすい体制造りが求められます。

高齢者の参加率改善については、65歳以上まで働ける雇用体制の拡大、ハローワークなどでの生涯現役支援体制の拡大、体力に見合った雇用体制の拡大などが求められます。

人口減少に伴う生産力の減少に対応していくには、まずは以上のような労働力率の上昇が求められます。

2017年6月7日水曜日

生産年齢人口を維持するには・・・

労働力人口の基礎となる生産年齢は、これまで15~64歳とされてきました。

平均寿命の延長に伴って、この区分を見直すとすれば、前回述べたように、下限を25歳へ、上限を74歳へと上げていくことが必要です。

しかし、一度に上げるとなると、さまざまな支障が予想されますから、2015年から2055年の40年の間に徐々に上げていく、という手法が考えられます。

下限も上限も毎年0.25歳ずつ上げていくということです。

国立社会保障・人口問題研究所の2017年推計に、この変更を適用してみると、実数では下図のようになります。


従来の定義による生産年齢人口(15~64歳)は、2015年の7728万人から、2035年には6494万人、2055年には5028万人へと落ち、以後も徐々に減って、2100年には3073万人、2115年には2592万人まで落ちていきます。

新たな定義(40年間漸上)では、2015年の7728万人から、2035年には6758万人、2055年には5491万人へと落ち、2100年には3379万人、2115年には2859万人まで減っていきます。

両者を比較してみると、新定義では2035年で264万人、2055年で463万人、2100年で306万人、2115年で267万人ほど増えることになります。

このように新定義にすれば、生産年人口の減少傾向を幾分か緩和することができます。しかし、総人口の減少による生産年齢人口の急減までを止めることはできません。

総人口がここまで減るとは思いませんが、それでも減ることは間違いありませんから、やむをえないことだと思います。



とはいえ、減っていく人口に見合った生産年齢人口の比率を考えると、新定義はそれなりに意味があります。

上記の実数を年齢別構成比で示すと、下図のように変化していくからです。



従来の定義による生産年齢人口(15~64歳)は、2015年の60.8%から、2035年には56.4%、2055年には51.6%へと落ち、以後は横ばいとなって、2100年には51.5%、2115年には51.3%になります。

新たな定義(40年間漸上)では、2015年の60.8%から、2035年には58.7%、2055年には56.4%へと落ちますが、以後は横ばいとなって、2100年には56.7%、2115年には56.5%になります。

新定義を採用すれば、2035年で2.3%、2055年で7.1%、2100年で5.2%、2115年で5.2%と、それぞれ生産年齢人口の比率を上げることができる、ということです。

要するに、総人口が減っていく以上、労働力人口の減少もやむをえませんが、生産年齢の定義を徐々に上げていけば、生産年齢人口の比率を2050年代までに4%落とすだけで押しとどめ、以後は22世紀の初めまで56%台で安定化させることができるのです。 

2017年5月25日木曜日

生産年齢人口を見直す!

人口減少社会では、GDP がゼロ成長であっても、国民一人当たりの所得は伸びていきます。

そのためには、GDP を維持することが必要であり、方策の第一は労働力人口の定義を見直ことです。

現在、15~64歳とされている生産年齢人口の定義を、現実に即した方向へと移行していくのです。

この件については【
「75歳高齢者制」がようやく認知されてきた!】(2017年1月7日)ですでに述べたように、筆者は20年ほど前から、高齢者の定義を平均寿命の上昇に見合ったものに変えて、生産従事者を増やしていくことを提案してきました。

具体的には、新年齢基準に前提にして「年金制度の改革」「自己責任による積み立て方式」「65歳以上の就労枠拡大へ」「自ら新しい職場を創る」「生涯現役の多毛作人生へ」などを提案しています。

現時点で、この提案を見直してみると、平均寿命の急激な上昇に伴って、高齢者の定義だけでなく、若年者の定義もまた見直しが必要となっています。

従来の定義では、寿命が70歳前後であった1960年ころの人生観に基づいて、0~6歳を「幼年」、7~14歳を「少年」、15~29歳を「青年」、30~64歳を「中年」、65歳以上を「老年」とよんできました。

ところが、2015年の平均寿命は、女性86.99歳、男性80.75歳となりました。平均寿命は0歳児の平均余命ですから、65歳に達した人であれば、女性は89歳、男性は84歳まで生き延びます。人生はすでに「85〜90歳」の時代に入っているのです。

こうなると、過去の年齢区分はもはや通用しません。寿命が1.2~1.3倍に延びた以上、年齢区分もまたシフトさせ、0~9歳「幼年」、10~24歳「少年」、25~44歳「青年」、45~74歳「中年」、75歳以上「老年」とよぶほうが適切になるでしょう。


エッと思われるかもしれませんが、世の中を見渡せば、この区分はすでに通用しています。

過去10数年、新成人(満20歳)
となった若者に聞くと、約7割が「自分は大人ではない」と答えています。

40歳で青年会議所を卒業した男女も、44歳くらいまでは会合に出席しています。

近ごろの70歳は、体力、気力、知力とも旺盛で、老人とか高年者とよばれると、顔をしかめます

このように、現実はすでに新しい区分へ近づいているのです。

とすれば、生産年齢人口もまた、新たな青年と中年、つまり25~74歳と考えるべきではないでしょうか。

定義を変えると、生産年齢人口の実数や構成比率は、どのように変わっていくのでしょうか。

2017年5月18日木曜日

人口減少でGDP /人は2倍へ!

人口減少によって、人口容量には間違いなくゆとりが生まれてきます。

加工貿易文明が作り出してきた、現代日本の人口容量=1億2800万人を維持できれば、人口が減る分だけ、私たちの暮らしにはゆとりが出てきます

経済的に見ると、現在のGDP水準を維持できれば、1人当たりGDPは伸びていきます。ゼロ成長であっても、私たちの所得は伸びていく、ということです。

実際、現在のGDP =500兆円が落ちなければ、下図のように、国民一人当たりの所得は2015年の393万円から2050年には491万円(1.23倍)2100年には837万円(2.13倍)へと増えてきます(いずれも実質)。


人口が減る社会では、経済規模が伸びなくても、個々人は豊かになっていくのです。

いうまでもなく、これを実現していくためには、GDPの維持、分配の公平化、移民影響の最小化など、幾つかの条件があります。

最初の条件は「GDPの維持」です。

人口減少によって、すでに問題化しているように労働力も減少していきますから、生産力もまた落ちていきます

これを覆すには、次のような方策が考えられます。

労働力の見直し・・現在の労働力の前提になっている生産年齢や生産対象層を見直す。

新技術による生産性の向上・・・AIやロボットの応用範囲を拡大し、生産性の向上を図る。

外国人の受け入れによる増加・・・移民の悪影響を最小化する範囲内で、外国人の受け入れを図る。

以上の3つをうまく組み合わせできれば、GDPの維持はさほど難しいことではありません

2017年5月4日木曜日

人口減少でゆとりが生まれる!

12,800万人という人口容量の下で、少しでも人口を回復させるには、どうすればいいのでしょうか。

人口を回復させるためには、人口減少の真因である「人口抑制装置」の作動を弱めることが必要です。

すでに述べたように、1960年代以降、現代日本の人口集団は人口容量が満杯に近づくにつれて、人口抑制装置が徐々に作動させてきました。

その結果、一方では出生数が抑制され、他方では死亡数が増加するという、いわゆる「少産・多死化」が進み、人口は停滞から減少へと移行しました。

この抑制装置は一度作動すると、人口構造の中に組み込まれてしばらくは持続し、容量が満杯となった後もなお続いていきます。

このため、現代日本の人口は、国立社会保障・人口問題研究所の推計のように、21世紀中は回復しない、と予測されることになります。

しかし、今後は人口の減少に伴って、人口容量に少しずつゆとりが生まれてきます。

もしこれを活用できれば、もう少し早く人口を回復させることも可能になるのかもしれません。

ゆとりを利用して、人口抑制装置の作動を少しでも弱めることができれば、その分、人口には回復する可能性が高まってくるということです。

どの程度ゆとりが生まれてくるのか、おおまかに計算してみましょう。

①人口容量は1億2000万人です。
②人口予測値は国立社会保障・人口問題研究所・2017年推計・中位値とします。
③人口容量(1億2000万人)を各年の人口で割ったものが余裕値となります。

とすると、余裕値は、下図に示したように、現在(1.0)に比べて、2067年には1.5倍2094年には2.0倍になります。

これに伴って、人口抑制装置も作動を緩め、人口にも回復の可能性が生まれてくるはずです

21世紀の前半にはまず無理でしょうが、後半になればある程度の回復が予想できます。

それには何が必要なのか、幾つかの条件を考えていきましょう。

2017年4月25日火曜日

人口は回復しないのか?

新しい人口推計でも、日本の総人口は21世紀末まで減少を続けていきます。

出生数の回復や外国人の受け入れなど、さまざまな対応策が議論されていますが、果たして回復の可能性はあるのでしょうか

よりマクロな視点から考えてみると、すでに述べたように、2080年代からは回復の可能性が予想できます。

その基本的な論拠は次のようなものです。



①人口容量の壁に突き当った総人口は、修正ロジスティック線に沿って一旦は減少していく。

②それとともに、人口容量と人口の間には、次第に余裕が生まれくる

③この余裕が、総人口を支える個々の国民のゆとりにまで浸透していくと、出生率は上昇し死亡率は低下するから、総人口は再び増加してくる(詳細なプロセスについては、【
総期待値を2110年まで展望する !】:2015年6月30日を参照)。

④再増加し始めた総人口は、人口容量の上限まで再び伸びていく。

⑤人口容量の壁に突き当たると、またまた総人口は減少し始める。

⑥人口容量が拡大しない限り、総人口は容量の下で増減を繰り返す

⑦新しい文明によって人口容量が拡大されると、ようやく総人口は本格的に増加し始め、新容量の壁に突き当たるまで増加を続けていく。

このような視点に立てば、現在の人口容量(加工貿易文明×日本列島)の下でも、ある程度の回復が考えられ、容量の下で増減を繰り返ことが予想できます。

しかし、さらに継続的な増加を可能にするためには、新たな文明の創造によって、人口容量そのものを拡大しなければなりません。

2017年4月14日金曜日

新推計値を考える!

新しい人口予測(将来推計人口)が、4月10日、国立社会保障・人口問題研究所から公表されました。

最も可能性の高いと推計される「中位値」では、2053年に1億人を割り、2100年に6000万人まで減っていきます。

一番高く推測された「高位値」では、2061年に1億人を割り、2100年に7400万人にまで減っていきます。

最も低く推測された「低位値」では、2047年に1億人を割り、2100年に4800万人にまで減っていきます。

いずれも減少傾向が続くことには変わりはありませんが、前回2012年の予測値より、かなり上向きとなっています


上記の3ケースとも、2100年時点で前回より1000万人ほど増加しています。

この理由として、同推計では、①30~40 歳代の出生率実績上昇を受けて、推計の前提となる合計特殊出生率を上昇させた、②平均寿命の伸び率が上昇した、という、2つをあげています。

これまで公表されてきた将来人口推計では、そのほとんどが前回分より下向きの数字となっていました。

今回の推計で前回より上向きとなった背景には、人口減少が始まって約10年、国民の選択が減少社会に適応した方向へと動き出した、という事実があるのかもしれません。

2017年4月2日日曜日

人口減少とどうつきあうか?

5度目の人口減少が始まって約10年、急激に変化する社会に、私たちはどのようにつきあっていけばいいのでしょうか。

人口回復の可能性については、少子化対策の強化や移民拡大政策の導入など、さまざまな対応案が提唱されていますが、それらの実現性や効果がどれほどのものなのか、明確な展望は未だ出されていません。

このブログでも、人口容量と人口抑制装置という視点から、こうした課題について幾度か触れてきましたので、これから改めて整理していきたいと思います。

基本的な展望として、このブログでは、人口回復の可能性を次の図のように想定しています。



 グラフの中の高・中・低位とは国立社会保障・人口問題研究所の予測値であり、新予測値とは、既存の予測値を基礎にしつつ、「国民の生活意識が人口減少に次第に対応してくる」という、筆者独自の予想を前提に、新たに予測したものです。
(詳細は「
人口減少社会の背景と展望 : 生活心理と消費行動のゆくえ」㈶統計研究会・内外経済情勢懇談会編「Ecoレポート」79号)

予測のプロセスは「
人口は再び増加する!」でも触れていますが、その大略は次のとおりです。

①2010年以降の人口予測値については、国立社会保障・人口問題研究所2012年推計の中から低位を基本にしています。

②2035~2100年については、人口容量に対する国民の「
総期待値」が2035年ころに1970年の水準に戻る想定し、その後の出生率と死亡率が2100年までに2035年の水準にまで回復するという仮説にたっています。

③以上の条件によると、今後の人口は2070年代に6660万人で底を打ち、2100年には7000万人台まで回復してきます。

この新予測値は、もし回復可能性があるとすれば、どのあたりにあるのかという、淡い期待に基づいています。

果たしてこれが実現できるのか、さまざまな側面から考察していきます。

2017年3月19日日曜日

フランスの出産支援策は日本では効果がない!

これまで見てきたように、ヨーロッパ主要国の人口動向は、合計特殊出生率の高低によって、2つのグループに明確に分かれています。

その背景を推定してみますと、次のような事情が浮かんできます。

①2つのグループが生まれるのは、人口容量のピークを経験しているか否かの違いです。容量のピークを超えたドイツ、スペイン、イタリアは低出生率国となり、ピークをまだ超えていないスウェーデン、フランス、イギリスは高出生率国となっています。

②いいかえれば、低グループでは出生率が低いがゆえに、人口ピークの到来、つまり、人口容量の上限が早く現れ、逆に高グループでは、未だ口容量の上限が見えていないから出生率が高い、ともいえるでしょう。

③人口容量の高低が生まれるのは、【国土×加工貿易文明】で生み出される上限が、低出生率国ではグローバル化の限界化で早く現れ、高出生率国では未だ現れていないためです。

④迫り来る人口容量の上限に対して、低出生率国がいち早く対応したのは、過去の歴史上、人口波動(修正ロジスティック曲線)の中間あたりの変曲点に対して、ナショナリズムや覇権主義で対応したことへのトラウマの故、と推定されます。この対応が引き起こした悲惨な結末が、各国民の潜在的な無意識となって、人口抑制装置を速やかに作動させたものと思われます。

⑤高出生率国においても、まもなく人口容量の上限に達することが予想されますが、対応未経験の国では、やはりナショナリズムや覇権主義などに陥る危険性が高い、と予想されます。昨今のアメリカやヨーロッパ諸国における「右傾化」の動向は、もしかしたら、その前兆とも考えられます。

⑥このように考えると、高出生率国であるスウェーデンやフランスなどの出産支援策を、ドイツやイタリアなどの低出生率国へ、単純に導入したとしても、さほどの効果は期待できないでしょう。まして自然環境も国際環境も異なる、アジア地域の日本へ導入するのはほとんど無意味といえるでしょう。

下図を見れば一目でわかりますが、日本という国は、国土面積の比較からみても、人口増減の推移からみても、まったく特異なトレンドを辿っている国家です。




肯定的に言えば、近代工業文明を受容し、急速に工業化と人口増加を達成したものの、その限界を真っ先に味わって、人口減少・飽和濃密型の社会へ向かおうとしている先例、ともいえるでしょう。

以上に述べたことは、いうまでもなく、一つの仮説にすぎません。今後、より詳細に検証していくことが必要だと思います。

しかし、「あらゆる理論は仮説にすぎません。絶対の真理など存在しないのです。もし一つの仮説で行き詰まったとしたら、別の仮説を求めればいい。仮説と仮説の論争の中から、より望ましい方向を求めていけばいい。仮説は仮説を産み、その連鎖がパラダイムを変えていくことになるでしょう」(拙著『日本人はどこまで減るか』P.248)。 

2017年3月10日金曜日

変曲点への対応が違った!

日本は、食糧の国内自給の上限7200~7500万人が次第に迫ってきた1910~40年代にはナショナリズム覇権主義を強めました。

同じ時期に、ドイツ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ主要国の人口も、図に示したように停滞を経験しています。


この40年間は、第1次世界大戦から第2次世界大戦に至る時期であり、その影響がさまざまな形で各国の人口に及びました。

一定の人口容量のもとで増加していく人口は、
修正ロジスティック曲線を辿りますが、その真ん中あたりで急増から漸増へと移行する変曲点を通過します。

科学技術と国際化を基盤とする「加工貿易文明」によって、それぞれの人口を増やしてきた、ヨーロッパの先進諸国もまた、この時期に変曲点に差し掛かりました。

その時、イギリスやフランスなどはいち早く植民地の拡大に邁進し、加工貿易体制による人口容量拡大路線を維持しました。
だが、体制作りにやや遅れたドイツ、イタリア、スペインなどは、領土や植民地などの再分割を求めざるをえませんでした。その衝突が2つの大戦を引き起こしたのです。

日本もまた、この変曲点を海外進出によって曲がりきろうとしました。

ただスウェーデンだけは、未だ変曲点に到らず、両大戦を中立国として躱しました。

このように考えると、2つの戦争とは、産業革命による工業化によって人口容量を増やしてきたうえ、素材や食糧を海外で調達できる体制をいち早く作り上げた国家群と、それに乗り遅れた国家群の間で起こった軋轢や摩擦が、やむなくも行き着いた結果だったのです。

いいかえれば、第1~2次大戦とは、それぞれの人口容量に対応する、各国の戦略の差異が衝突した、不幸な結果だった、といえるでしょう。

2017年3月3日金曜日

容量オーバー時の対応経験で分かれる!

ヨーロッパ諸国では、人口容量のピークを経験しているか否かによって、合計特殊出生率の高い国と低い国の2グループが生まれているようです。

容量のピークを超えたドイツ、スペイン、イタリアは低出生率国となり、ピークをまだ超えていないスウェーデン、フランス、イギリスは高出生率国だ、ということです。

下に掲げた2つのグラフを改めて比較してみると、このことが容易にわかります。

 


人口容量のピークの前後が、なぜ出生率に影響するのでしょうか。

低出生率国に入った国々を見て、すぐに気がつくのは、ドイツ、イタリアおよび、同じような推移を辿っている日本が、いずれも第2次世界大戦の開始国であり敗戦国であることです。スペインもまた、同じ時期にフランコ政権によるファシスト体制を経験しています。

こうした経験がなぜ出生率に影響しているのか、さまざまな推測できますが、「人口波動説」から考えると、人口容量オーバーへの対応経験の差ではないか、と思います。

さまざまな動物の世界では、それぞれの個体数が
キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity;個体数容量)を超えてしまうと、大量死や集団離脱など、かなりラディカルな対応によって容量の内側へ戻る、という事例が数多く報告されています。

人間の場合も、形は変わりますが、同じような現象が現れる可能性が十分にあります。

低出生率国である日本の推移を振り返ってみると、食糧の国内自給の上限であった7200万人に達した1930年代、海外移民から海外派兵まで、軍事力による対応を強め、その結果として敗戦と大量死という悲惨な結果を味わっています。

その後は加工貿易体制に切り替えることで、ほぼ倍近い容量を作り出すことにとりあえず成功しましたが、それでも容量への対応を誤ると、再び大量死に至るという体験は、国民の潜在的無意識の次元にまで染み透り、幾重にも蓄積されています。

このトラウマが、再び容量のピークに差し掛かった時、個人から社会までさまざまな局面に出現して、人口増加を抑え込むのではないでしょうか。

ヨーロッパの国々でも、同じような経験が出生率を抑え込んでいるのでは、と推測できます。