2020年7月25日土曜日

コロナ禍が壊していくのは何か?

黒死病が壊したのは、農業後波の「時代識知」であったのでは・・・と述べてきました。 

となると、今回のコロナ禍が壊すのは工業現波の時代識知ということになります。 

黒死病コロナ禍の影響の比較については、人口波動上の位置を【2つのパンデミックを比較する・・・農業後波の黒死病、工業現波のコロナ禍:2020年5月13日】で下図のように対比しています。













続いて社会構造への巨視的な展望を【コロナ禍・・・人口急減の引き金を引いた!:2020年6月9日】で、下図のように試みています。 






























要点として、今後の予測事象では、①温暖化の進行、②国際紛争は継続から激化へ、③パックス・アメリカーナからポスト・アメリカーナへ、④スーパー耐性菌の大流行、の4つを推測しています。 

さらに予測事象を展望する前提として、【黒死病が壊した中世西欧社会とは・・・:2020年6月17日】以降で、農業後波における人口容量を生み出した社会構造や時代識知につき、下図のような考察を行ってきました。 














以上の検討結果を基盤にして、今度は工業現波の人口容量を生み出した社会構造時代識知を展望していくことになります。 

黒死病と農業後波の関係を整理した上の図を参考にしつつ、コロナ禍と工業現波の関係を改めて考察するということです。 

そこでまず生産構造社会構造時代識知の順番に、それぞれの枠内の紫色のラベルへどのような言葉を書き込めばいいのか、を順番に考察していきたいと思います。

2020年7月20日月曜日

黒死病が壊した中世西欧の時代識知とは・・・

コロナ禍のインパクトを探るため、黒死病の影響を最も強く受けた西ヨーロッパの先例を調べてきました。

最後に述べた「時代識知」が「生産構造」や「社会構造」に、どのような影響を与えたかを確認しておきましょう。




上の図の諸関係を説明します。

時代識知で述べた3つの事象のうち、「三位一体エネルギー観」は生産構造の「農業+牧畜」と「三圃制」へ、「神地二国論」は社会構造の「教会・王権並立制」と「封建制」へ、「教団組織化」は生産構造の「集団生産制」へ、それぞれ影響を与えたと思われます。 

生産構造であげた4つの事象では、「農耕・牧畜」が「三位一体エネルギー観」に支援されつつ、「三圃制」「鉄製農機具」「集団生産制」と合体して、中世欧州の人口容量を作り出したうえ、「集団生産制」が社会構造の「村落共同体」を生み出すなど、全体として社会構造を維持していきます。 

社会構造に含まれる3つの事象では、「教会・王権並立制」と「封建制」が「神地二国論」や生産構造全体に基盤をおきつつ、「純粋荘園制」が「集団生産制→村落共同体」を構成要素として、それぞれ成立しています。 

以上のように整理したうえで、黒死病(1347~1351)が時代識知にどのようにインパクトを与えたのか、を考えてみましょう。

❶三位一体エネルギー観・・・寒冷化と黒死病で限界化

神として存在する宇宙エネルギー(父)を明確に捉えたイエス(子)が、さまざまな分野に応用しようとする主体(精霊)である、という動力譜の観念に支持されて、農業後波の生産構造は作り上げられていました。

しかし、1300年代初頭から始まった小氷期による寒冷化の影響で、生産構造の中核である農耕牧畜には大きな被害が発生し、頻発する飢饉によってヨーロッパでは1307年ころから飢饉や伝染病が広がり始め、1315~17年には150万人もの餓死者が出ていました。

そこに黒死病が襲ってきたため、1340年前後に約7,400万人に達していた人口は、その後10年間で約5,100万人へと急減し、以後1500年ころの6,700万人まで低迷していきます。

この背景をマクロに見れば、11世紀以降の大開拓時代が終わり、中世の農業革命の成果も一応出尽くして、人口容量がそろそろ飽和に向かったという事情が考えられます。

1300年を過ぎるころには、農地は条件の悪い土地にまで広がって、食糧生産力が飽和状態に近づいていましたから、気候が少し悪化しただけで、直ちに凶作と飢饉が現れたのです。

黒死病の大流行は、以上のような農業環境の悪化とそれに伴う栄養・衛生状態の混乱につけいったものでした。

これに伴って、三位一体エネルギー観にも諦観が漂い始め、その限界を示すことになったといえるでしょう。 

❷神地二国論・・・調停役喪失と黒死病禍で権威失墜

黒死病の広がる前から、イギリスとフランス間で百年戦争(1339~1453)が始まっていました。

その背景には、それまで王侯間の調停役を務めていたローマ教皇が、1308年のフランスのアヴィニヨンに幽囚されていたため、クレメンス5世(在位:1305~1314)ももはや介入できなくなった、という事情がありました。

これに加えて、1348年1月頃からアヴィニョンにも黒死病が広がったため、3代後のクレメンス6世(在位:1342~ 1352)も瀕死の病人全てに赦免を与え、病気の原因を探るために死体解剖を医師に許可するなど、さまざまな努力をしましたが、ほとんど効果がなく、同年5月にはアヴィニョンを捨て北北東へと避難しました。

二つの事情が重なって、ローマ教皇の権威は次第に失墜し、3代後のグレゴリウス11世は1377年にローマへ戻りましたが、翌年没したため、1378~1417年の間、ローマ教会はアヴィニヨンとローマに大分裂となって、キリスト教の威光は大きく低下しました。 

❸教団組織化・・・村落共同体の解体化

キリスト教の組織的な宗教集団化は、生産構造の集団生産制や社会構造の純粋荘園制などを醸成する基盤となっていました。

「純粋荘園」では、土地を農民(農奴)に貸し与える「開放農地化」が進み、農民自身が余剰生産物を商品化して、そこで得た貨幣を地代として上納するという形態、つまり貨幣地代が一般化していました。さらに耕地や共同牧場の管理の必要性から、農村の「村落共同体」の形成が促されていました。

しかし、百年戦争による社会的混乱に加え、黒死病の流行によって、農民人口が激減すると、労働力不足に悩んだ領主層は農民の移動の自由を奪って、再び農奴制を強化しようとしました。

そこで、農民層は農奴解放による自由を求めて、1358年のフランスのジャックリーの乱、1381年のイギリスのワット=タイラーの乱など、農民反乱を引き起こしました。

二つの反乱は間もなく鎮圧されましたが、この動きが農民一揆として長期的に継続するにつれて、農奴から解放され、自由を獲得した自営農民層が次第に増えていきました。

それとともに、貨幣所得の上昇に促されて、農村から都市へと移動する農民層も増加し、中世的な村落共同体は次第に解体されていきました。 

以上のように、中世西欧の農業後波を担った、キリスト教を基盤とする時代識知は、黒死病による衝撃で急速に脆弱化し、人口容量の限界を露呈することになりました。

黒死病がもたらしたのは、単なる人口減少を越えて、社会構造そのものの溶解だったのです。


とすれば、今回のコロナ禍が壊すのは、一体どのような識知なのでしょう?

2020年7月14日火曜日

教団組織化が創り出したのは「万物統合観」だった!

コロナ禍のインパクトを探るため、黒死病の先例を調べていますが、その影響を最も強く受けた西ヨーロッパの「時代識知」、つまりキリスト教の精神構造について、前回の「神地二国論(聖俗並立観)」に続き、今回は「教団組織化(十二使徒体制)」を考えていきます。 

イエス・キリストは、彼が説いた「福音」を世の中に伝えるため、12人の弟子をじかに選び、これが後に「十二使徒」とよばれる集団となりました。

12という数字は、旧約聖書時代に「神の民」の象徴であった、イスラエルの12部族を継承し、新しい「神の民(教会)」の中核を担うという意味を持っていました。

イエスの昇天後、彼らは一旦各地に分散しましたが、やがて使徒ペテロを中心に原始キリスト教団を結成し、ユダヤ教などからのさまざまな迫害をはねのけつつ、地中海沿岸地域で次第に勢力を拡大しました。

以上のような宗教集団の成立によって、人類の集団的行動は、それ以前の自然発生的な地域集団に加え、新たに目標的、組織的、広域的な集団の成立可能性を高めることになりました。

こうした識知転換が、先に述べた生産構造の集団生産制社会構造の純粋荘園制などを形成する基盤を、速やかに醸成していったものと思われます。

また十二使徒体制は、三位一体説で述べた動力譜(energy flow)をさらに補強することにもなりました。

天地万物の創造者で宇宙を支配する唯一神「ヤハウェ(Jehovah)」(エホバと誤読される)の力(energy)を、救世主イエスが引き継ぎ、それをさらに十二使徒へと伝達することで社会全体へ広げていく、という構造を示しているからです。

この構造は、当ブログの仏教論で示した曼荼羅構造が示した動力譜(energy flow)と極めて類似しています。

宇宙エネルギーを直接的に応用するため、農業・牧畜業を担う人間集団(集落や村落など)では、太陽神を中心とするツリー状の社会構造を成立させ、個々人の役割、倫理、責任などを確定させることで、人間社会が遭遇する、さまざまな危機に対応していく、個人的、集団的な方策を用意した、ということです。

いいかえれば、農業前波の「万物関係観」を継承しつつ、さまざまな事象の間の関係性を改めて統合(integrate)しようとする、新たな視点「万物統合観」と名づけてもいいでしょう。

これこそ、宗教という時代識知に強く共通する特性であり、人口波動史から見れば、下図に示したような変化の推移が見えてきます。


人類の時代識知における動力譜は、石器前波の「ディナミズム(dynamism)=動体生命観」から、石器後波の「インモータリズム(immortalism:造語)=生死超越観、へと変わり、さらに農業前波の「リレーショナズム(relationalism)=万物関係観」に続いて、農業後波では「インテグレーショニズム(integrationism)=万物統合観」と変化してきた、ということです(この件については「人口波動形成の精神史」として改めて詳述する予定です)。

以上のような推移ゆえに、キリスト教の「教団組織化(十二使徒体制)」は、集約農業による人口容量の成立に大きな役割を果たしました。

2020年7月7日火曜日

神地二国論が象徴しているものは何か?

コロナ禍のインパクトを探るため、黒死病の先例を調べていますが、その影響を最も強く受けた西ヨーロッパの「時代識知」、つまりキリスト教の精神構造について、前回の「三位一体エネルギー観」に続き、今回は「神地二国論(聖俗並立観)」について考えていきます。 

前回も紹介したローマ帝国末期の神学者・哲学者アウグスティヌス(Aurelius Augustinus :354~ 430年)は、413~427年に著した『神の国』(Dē cīvitāte Deī ; 英訳 The City of God)の中で、現世では「神の国」と「地の国」が併存している、と述べています。



とは、ある社会的絆によって結合された多くの人々にほかならない。(XV. 8=章節:以下同) 

その一つは、肉にしたがって生きる人間から成る国(地の国:筆者注)であり、いま一つは、霊にしたがって生きる人間から成る国(神の国:筆者注)である。(XIV, 1) 

二種の愛が二つの国をつくったのであった。すなわち、この世の国(地の国:筆者注)をつくったのは神を侮るまでになった自己愛であり、天の国(神の国:筆者注)をつくったのは自己を侮るまでになった神の愛である。 

一言で言えば、前者は自己自身において誇り、後者は主において誇るのである。前者の諸民族においては、この君主たちや、君主たちが隷属させている人びとのうちに、支配しようという欲情が優勢であるが、後者においては、上に立つ者は思慮深い配慮のように、そして服従する者は従順に従うことにより、愛において互いに仕えるのである。(XIV, 28) 

わたしたちが論じている二つの国、すなわち、ひとつはこの世にあっては巡礼の旅を続けている天の国であり、他はこの世の喜びを渇望して、あたかもそれが唯一の喜びであるかのように、それに固執している地上の国を象徴的に示している。(XV, 15) 

二つの国、すなわち、地上の国と天の国との――両者は先に言ったとおり、この束の間の世では、いわば、からみ合い、たがいに混じり合っている。(XI, 1) 

わたしたちはこの世の国に二つの性格を見い出すのであって、その一つは、そのものの現実の存在を示すのであり、ほかの一つは、そのものが現実に存在することによって神の国が象徴的に暗示されるためである(XV, 2) 

(アウグスティヌス『神の国』服部英次郎・藤本雄三訳、岩波文庫:1982年〜1991年) 



こうした主張を先学諸賢の解釈を参考にしつつ、改めて整理してみると、以下のとおりです。



●「神の国」と「地上の国」は、互いに混ざり合いながら存在している。

●「神の国」が絶対的で永遠であり、歴史を超越しているのに対して、「地の国」やその政治秩序はあくまで一時的、かつ限定的なものである。

●神と地の二国論は、精神的なキリスト教共同体世俗的な権力国家を識別し、前者の後者に対する優位性や普遍性を示している。

世界の歴史は、神を愛し自己をさげすむ「神の国」と、自己を愛し神をさげすむ「地上の国」との争いである。

●キリスト教会は、「神の国」とは異質な「地の国」に混入している。

倫理目標の実現の担い手は、国家から教会へ、政治から宗教へと移行すべきである。 

以上のように、キリスト教の神地二国論が示していたのは、私たちの生きている世界には、理想としての神聖な世界と、現実としての世俗的な世界が並立しており、後者はできるだけ前者をめざすべきだ、という世界観だった、と思われます。

この発想こそ、前々回の中世ヨーロッパの社会構造において、「教会・王権並立制」を成立させた要因の一つだったといえるでしょう。

2020年7月2日木曜日

三位一体説を動力譜(energy flow)として考える!

コロナ禍のインパクトを探るため、黒死病の先例を調べていますが、その影響を最も強く受けた西ヨーロッパの農業後波について、前々回の「生産構造」、前回の「社会構造」に続き、今回はそれらを生み出した「時代識知」をとりあげます。 

中世西ヨーロッパの「生産・社会構造」の基盤にあると思われる「時代識知」が何であったのか、といえば、やはりキリスト教の精神構造があげられるでしょう。

その構成を整理してみると、下図のように、三位一体エネルギー観神地二国論教団組織化の3つが浮上してきますので、順番に考えていきます。



このテーマについては、当ブログで中断していた「時代識知としての宗教」論の延長上にも該当していていますので、前々から考察していた素材を含めて、やや詳しく考察していきます。

まずは三位一体エネルギー観

キリスト教の最も重要な教義である「三位一体」説とは、キリスト教の根幹である、イエスの本性について、「父(神)と子(イエス)と聖霊」という三つの面を持っているが、本質的には一体である、という説です。

4世紀、アレクサンドリアの神学者アタナシウス(298∼373年)に端を発する思想であり、ローマ帝国時代の数回にわたる公会議において正統して認められ、ローマ・カトリック教会やギリシア正教からプロテスタント諸派に至るまで、脈々と継承されています。



この教義について、ローマ帝国末期の神学者・哲学者のアウグスティヌス(354~ 430年)は、400年前後に完成させた『告白』の中で、「三位一体」を次のようなアナロジーによって説明しています。






私は人々が自分自身のなかにある三位を考えることを願う。自分自身のなかにある三位は、あの三位一体とははるかに異なっているが、しかし私は人々が奮い立って、両者がどんなにかけ離れているかを吟味して感得するために、この三位を知らせる。

さて、私の言う三位とは、存在と認識と意志である。私は存在するし、知っているし、欲するからである。私は知ることも欲することもしながら存在し、私が存在して欲することを知り、私が存在して知ることを欲する。 

それゆえ、この三位において、生命が、いや、一つの生命一つの精神一つの本質が、いかに不可分であるかを、最後に、区別がいかに不可分でありながらやはり区別であるかを、見ることができる人は見るがよい。たしかに、この三位は自己の前にある。自己に注意し、それを見て私に語るがよい。 

(アウグスティヌス『告白』渡辺義雄訳・世界古典文学全集26・筑摩書房・1966) 

この文章は、イエスが三位一体であることを論証しようとしたものではなく、三位一体説をアナロジーとして、私たちの精神構造を説明したものです。

しかし、よくよく考えてみると、私たちの精神そのものが三位一体であるとすれば、その精神に宿っているイエスという存在もまた三位一体であるというトートロジー(恒真命題)を主張しているようにも思われます。

とりわけ、私は「存在する」「知っている」「欲する」という3区分は、アウグスティヌス354~ 430年)とほぼ同時代に生きたインドの仏教学者アサンガ(無著:310~ 390年頃)ヴァスバンドゥ(世親:320~400年頃)らの説く唯識論の視点と共通するものがあります。



存在する」・・・眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の「前五識」が把握するもの。 

知っている」・・・前五識を自覚する「第六識」が把握するもの。 

欲する」・・・五識と六識の下に潜む「末那識」が自分に執着し続けるもの。

ほぼ同時代のインド仏教とローマンカトリックにおいて、極めて類似した発想が提起されているのは、農業後波という世界波動が洋の東西を超えて、新たな時代識知に支えられていたことの一例かもしれません。

そのうえで、三位一体論を、敢えて力の動き、動力譜(energy flow)として考えてみます。動力譜(energy flow)とは、【リレーショナズム(万物関係観)が農耕・牧畜を促した!:2020年1月10日】などで何度も述べているように、言語や観念などに潜むエネルギーの動きを明らかにすることです。

この視点で三位一体論を考えてみると、次のような動力構造が考えられます。




父(神)・・・世界の根源として「存在する」宇宙エネルギー

●子(イエス)・・・宇宙エネルギーの存在を正しく「知っている」認識者

●聖 霊・・・宇宙エネルギーを動かそうと「欲する」意志 

要するに、神として存在する宇宙エネルギー(父)を明確に捉えたイエス(子)は、さまざまな分野に応用しようとする主体(精霊)であるという構造です。

キリスト教に潜む、このような動力譜の観念によって、農業後波の生産構造が作り上げられ、さらには社会構造が形成されていった、といえるでしょう。