2016年9月29日木曜日

人口抑制装置が的確に作動した!

業現波の人口容量1億2800万人が上限に近づくにつれて、さまざまな人口抑制装置が作動しました。

このことについては、このブログの「
人口減少は極めて〈正常〉な現象!」(2015年3月24日)から「現代日本でも人口抑制装置がすでに作動している!」(2015年5月19日)まで、9回にわたって書き込んでいます。

要点は次のようなものです。

人口減少は極めて〈正常〉な現象2015年3月24日・・・人口容量の制約が近づくと、人間はさまざまな人為的抑制装置を作動させて人口を抑えます。現在の日本で進み始めている人口減少の、本当の理由もここにあります。

生物的抑制が始まっている!2015年3月31日・・・幾つかの調査によると、若い世代のセックス離れ、不妊の増加、流死産の増加など、日本人の生物的な生殖能力も低下し始めています。

生存能力も低下し始めた!2015年4月4日・・・人口統計によると、死亡数・死亡率が上昇している一方、平均寿命の伸びも縮小し始めています。

直接的抑制装置も作動している:2015年4月10日・・・人工妊娠中絶件数や自殺数などの人為的抑制装置は1980~90年代から強まっていましたが、2005~08年に人口増加がピークを過ぎて容量に幾分ゆとりが見えると、今度はやや弱まるという動きを見せています。しかし、今後の楽観は許されない状況です。

間接的抑制ではまず増加抑制装置が動いた!2015年4月17日・・・結婚の抑制、子どもの価値の低下、家族の縮小など増加抑制装置も進んでいます。

もう一つの間接的抑制:減少促進装置も作動!2015年4月24日・・・自然環境の悪化により、悪性新生物、心疾患、肺炎など健康水準の低下が進むなど、減少促進装置も作動しています。

出産奨励策は期待できるのか?2015年5月9日・・・直接的、間接的抑制が既に作動していますから、政策的な次元で強力な出産奨励策を実施したとしても、さほどの効果は期待できないでしょう。

減少促進策はすでに実施されている! :2015年5月14日・・・後期高齢者医療制度の負担増、介護保険料の負担増、介護保険・特別養護老人ホーム等費用の負担増など、長寿者の生活を圧迫することで、結果的には死亡者を増やし、人口減少につながっていきます。

現代日本でも人口抑制装置がすでに作動している! :2015年5月19日・・・現代の日本では、生物的抑制(生殖能力低下、若い世代のセックス離れ、流死産の増加、死亡数・死亡率の上昇、平均寿命の伸び率の縮小など)に加えて、人為的=文化的抑制(人工妊娠中絶件数の増減や自殺数の増減、結婚の抑制、子どもの価値の低下、家族の縮小、緩慢な出産奨励策、自殺数の増減、自然環境の悪化や健康水準の低下、長寿者向け社会保障制度の縮減など)もすでに始まっています。

以上のように、人口容量が飽和した現代日本では、すでに人口抑制装置が動き出しています

人口維持対策や人口増加対策を打ち出す前に、こうした事実を冷静に理解することが必要ではないでしょうか?

2016年9月22日木曜日

5番めの壁:加工貿易文明の限界化

工業現波は加工貿易文明によって、人口容量を1億2800万人にまで伸ばしてきました。

ところが、2000年前後にこの人口容量は満杯になりました。その理由はどこにあるのでしょうか。

直接的には、加工貿易文明の前提にある、国際的な産業環境の変化です。つまり、20世紀の国際環境では、工業国が少なく資源・農業生産国が多いという状況の中で、工業製品は高く売れ、資源や農業産品など一時産品は比較的安く買えました。

しかし、21世紀に入ると、工業国が増加し、資源・農業生産国が減少する傾向が強まっており、それにつれて、工業製品の価格は次第に下がり、一次産品の価格は上昇するという「農高工安」の傾向が進み
始めています。

こうした環境変化が進むにつれて、工業製品を高く売って一次産品を安く買うという方法では、1億2800万人以上の人口を養うことが次第に困難になってきました。

これが直接的な理由です。だが、それだけではありません。深層を探っていくと、もっと根本的な理由に行きつきます。


それは現代日本の加工貿易体制を支えている、3つの柱、つまりハイテク化、日本型市場主義、グローバル化のそれぞれに、今や大きな壁にぶつかり始めたという事実が浮かんできます。


詳しくは後述しますが、基本的な状況は次の3つです。

ハイテク化の限界・・・最大の機軸である西欧型科学技術は、地球単位という次元で、資源・環境の壁に突きあたっています。一方では、化石燃料の限界化が迫り、他方では地球温暖化問題や水資源の汚染や枯渇化が拡大しています。

日本型市場主義の限界・・・欧米の市場主義を自国なりに変換して構築した日本型市場主義もまた、基本モデルである市場原理主義の破綻という事態に直面し、進むべき方向を失いつつあります。

グローバル化の限界・・・当然の前提になっている国際化でさえも、世界の利害と直結したことで、プラス面とともにマイナス面の影響を拡大させています。食糧・資源・エネルギーの高騰はもとより、廉価な工業製品の大量輸入、あるいは国際紛争や経済不況の波及など、単純なグローバル化信仰では解決できない課題が徐々に広がりつつあります。

以上のように、現代日本の人口容量は、もはやこれ以上の拡大を望めなところにきています。


これこそ加工貿易文明の限界、つまりそれが作り出した人口容量の壁です。こうした壁に突き当たったため、日本の人口もまた減り始めているのです。

人口減少とは、現代の日本社会そのものが大きな転換点にさしかかっているという、まさしく歴史的、文明的な現象といえるでしょう
















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2016年9月8日木曜日

1億2800万人=自給7600万人+輸入5200万人

日本列島の人口容量は、加工貿易文明によって1億2800万人に達しました。

しかし、この波動も今や限界に達したようで、2004~08年に約1億2800万人でピークに達した後、今後は徐々に減少して、2050年には9000万人、2100年には3800万人に落ちると予測されています(国立社会保障・人口問題研究所2012年予測値)。

なぜそうなるのか、マスメディアなどでは「少子・高齢化のため」などと主張していますが、本当なのでしょうか。

確かに表面的には妥当な説明です。しかし、もっと深く考えると少子・高齢化」の背後には、工業現波の人口容量が限界に達した、という事実が潜んでいます。いいかえれば、1億2800万人の人口容量を作りだしてきた加工貿易文明にも、今や翳り見えてきた。これこそ、2009年ころから人口が減り始めたことの、本当の理由だと思います。

もっとも、このように書くと、縄文時代や江戸時代ならともかく、国際化の進んだ現代日本がなぜ人口容量の壁にぶつかるのか、といぶかる人も多いでしょう。

とりわけ、経済学者やエコノミストの中には「世界中から輸入できるのだから、日本に食糧の壁はない」とか、「科学技術をもっと応用すれば、日本列島の自然環境はまだまだ利用できる」と主張する人が多いのですが、実はそうした考え方自体が20世紀的なのです。21世紀前半の国際構造はそんな考え方をふっ飛ばしていきます。

これまで述べてきたように、人口容量とは私たちの生活を支えるのに必要な、全てのモノやサービスの供給量、さらには時間や空間の自由度をいいますが、一番基本になるのはやはり食糧です。

20年ほど前、農林水産省が食糧封鎖にあった場合の自給可能量を推計しています(食料・農業・農村問題調査会資料・1998年6月)。

それによると、穀物や魚類などの輸入がゼロとなった場合、国内農地の生産だけでは国民1人当たり1760キロカロリーに落ちていきます。現在の消費水準で人口に換算すると、約8400万人分に相当します。

農地の減少が進んで現在の8割になった場合には1440キロカロリーまで落ち、人口換算で約6800万人分です。両者を平均すると約7600万人ですが、これは終戦直後の1946年の水準より少し多い程度です。

とすれば、現在の1億2800万人の人口容量とは、食糧だけでいえば、自給が可能な約7600万人を基礎に、その上に約5200万人を乗せしている、ということになります。


19~20世紀前半に日本の人口が増え続けたのは、近代工業文明の導入で国内の人口容量が飛躍的に高まったためでした。

戦前の日本では、近代的な農業技術や土木技術の導入で国内の農業生産が拡大し、人口容量を約7200~7300万人にまで高めました。


だが、食糧自給はそのあたりが限界だったので、やむなく国外への進出に向かっていきました。それが太平洋戦争の遠因でもあったのです。

しかし、戦後になると、日本は国内自給という足かせを大胆に乗り越え、工業製品を輸出して食糧を輸入するという加工貿易国家を作りあげました。

極言すると、それは生産性の上昇が限界に達し始めた農地を、積極的に工業用地へと切り替えることで、国土全体の食糧調達力をより高めることだった、ともいえるでしょう。


農地に工場を建て、電気製品や自動車を生産して輸出し、その対価で食糧を買うと、元の農地で生産するよりも、もっと多くの食糧が手に入る、という構造です。

それができたのはいうまでもなく、日本の技術力や商品開発力が飛躍的に高まったからです。だが、それだけではありません。もっと大きな理由としては、一部の工業先進国だけが高価な工業製品を生産し、大半の発展途上国が廉価な農業生産を担当する、というアンバランスな国際構造が進んでいたからです。

こうした環境の下では、工業製品の価格が農産品より必然的に高くなりますから高い工業製品を売って安い農産品を買うのは極めて懸命な方法でした。

戦後の日本はこうした方策を積極的に推進することで、本来なら7600万人程度の人口容量を一気に1億2800万人へ伸ばしてきたのだ、ともいえるでしょう。