2019年7月17日水曜日

システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える!

「時代識知」という言葉に求められる要件について、第1は「認知」次元でなく「識知」次元で捉える、第2は言語表現と未言語表現の両面を捉える、などと述べてきましたので、第3に移ります。

第3の要件は、網状(networking)の「システム(system)」ではなく、分節的(articulating)な「ストラクチャー(structure)」で捉える、ということです。

システム」と「ストラクチャー」はどのように違うのでしょうか。

「システム」という言葉は、ギリシャ語syn(共に)とhistanai(置く)の合成語systēmaに由来し、一つの対象を部分部分(要素)が結合して構成される全体として認識する状態を意味しているようです(平凡社/世界大百科事典・第2版)。



一方、「ストラクチャー」は、ラテン語のstruo(組み立てる)と-tura(もの)の連結が語源ですが、struoは印欧語根 sterh-(広げる)が語源のようです(語源英和辞典)。


システムとストラクチャーの比較については、現代言語学の父、F・ド・ソシュールの立場、いわゆる「構造主義」に立つと、図に示したような差異が見つけられます。



つまり、システム(体系)とは全体を点と線で把握する観念であるのに対し、ストラクチャー(構造)とは分割された面で把握する観念ということです。

このような視点に立つ時、「システム」と「ストラクチャー」の間には、次のような違いが表れてきます。
 
①「システム」では、個々の要素を想定したうえで、それらが繋がった網として全体を把握しますが、「ストラクチャー」では全体をまず一つの要素で分割(分節)し、さらに次の要素でも分割するなど、次々に分割を続けることで全体を把握していきます。

②巨大な対象をとりあえず全体的に把握するには「システム」が適していますが、すべての対象とりこぼさず把握するには「ストラクチャー」の方が適しています。

特定の目的を達成するには、体系的な「システム」が適していますが、全体的・本質的な中身をつかむには構造的な「ストラクチャー」の方が適しています。

以上のように、「システム」が全体から漏らした分野を、そっくりつかみ取ることができる概念こそ「ストラクチャー」ということになります。

この発想こそ、「言葉が識知の仕組みを決める」という「構造主義」の原点になっているものです。

それゆえ、「識知」という行動もまた「ストラクチャー」の視点に立つことが求められるでしょう。

2019年7月5日金曜日

「識知」が作り出す、3つの世界とは・・・

識知」とは、動物類に共通する「身(み)分け」能力=「認知」で理解した「モノ」的世界を、人間が彼ら特有の「言(こと)分け」能力で捉え直し、「コト」的世界として理解することだ、と述べてきました。

このように書くと、「識知」が把握する対象とは「コト」的世界の内側だけだ、と思われるかもしれませんが、そうではありません。
 
「言分け」とは、「言葉」という認識装置によって、周りに広がる環境世界を理解することですが、その名称どおり「言葉」によって捉えられる領域捉えられない領域を「仕分ける」ことを意味しているからです。

つまり、言葉という認識装置の内側に入り「コト」となった対象と、内側に入らないで「モノ」的世界に残ったままの対象の、2つに仕分けられる、ということです。

このように「言分け」を理解すると、その具体的な行動である「識知」もまた、言葉で把握される対象と把握されない対象を生み出すことになります。

つまり、「識知」とは、言語で表現できる言語世界と、言語では表現できない、未言語世界の、両方の世界を生み出す行動ということです。

別の表現をすれば、筆者の別のブログ
【生活学マーケティング】で詳しく述べているように、人間という種はそれが持つ本能の「身分け」能力によって、「物界=フィジクス:physics」から「モノ界=ピュシス:physis」を捉えます。そのうえで、さらに独自の「言分け」能力によって、改めて言葉によって理解される限りでの「コト界=コスモス:cosmos」を作り上げています。

この時、「言分け」の網の目によって、モノ界からコト界へくみ上げられなかったものが「コトソト界=カオス:chaos」になります。

 
このような仕分け行動こそ「識知」の本質だと理解すれば、それが把握する世界は次のように分かれてきます。
 
 ①「識知」によって「モノ界=ピュシス」の中から「コト界=コスモス」が識別され、それとともに、私たち人間の内部には意識自我もまた生まれてきます。

②「識知」できなかった「モノ界=ピュシス」の部分は、そのまま「コトソト界=カオス」として浮遊していますが、この部分がエス(心の無組織状態)無意識という形で心の底に沈潜していきます。

③「識知」という認識行動によって、私たちの生きている、現実の世界は、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う世界、つまり「モノコト界=ゲゴノス(gegonós)」となります。

以上のように、「識知」を「認知」から分けることによって、私たちは周りの環境世界より正確により柔軟に仕分けることができるようになるのです。

2019年6月22日土曜日

「識知」と「認知」の差を考える!

識知」という言葉は、1970年代から日本の思想界で使われてきました。

最近では類似の言葉として、「認知」が多用されています。

両者はどのように違うのでしょうか?

人間が周りの環境世界を理解する場合、すでに【
人類は世界をどのように理解してきたのか?:2019年3月24日】で述べていますが、「身(み)分け」という網と「言(こと)分け」という網の、2つの網の目を通して対応しています。

身分け」の網とは、人間が自らの本能という「網」の目によって、周りの外界を理解した世界像、つまりヒトという「種」に特有のゲシュタルト(Gestalt:部分の集まりを越えた、全体的な構造)を意味しています。

言分け」の網とは、人間が「身分け」の網の上に、もう一つ「シンボル化能力とその活動」、つまり広い意味でのコトバ(言語)を操る能力によって生みだされる、もう一つ別の外界像「コスモス:cosmos」を示しています。

このように、人間はまずは本能・感覚の網で世界をつかみ取り、さらにもう一度、コトバやシンボル(絵や形)の網によって世界を捉え直しています。

いいかえれば、私たちは生物次元の「身分け」構造と、人類次元の「言分け」構造の“二重のゲシュタルト”によって、周りの外界を把握しているのです。

この二重構造から「知」と「知」の差異が生まれます。






図に示したように、まず周りの物質的世界の「物」は、人間自身の「身分け」能力の作動によって、本能や感覚が捉えた限りでの「モノ」として理解されます。

この理解こそ「」です。

他の動物でも、それに特有の「認知」能力によって、それぞれの「モノ」的世界を理解しています。

一匹の狐は視覚や聴覚などの捉えた情報をもとに、餌や天敵や逃げ道などを理解していますが、まさしく動物次元の「認知」能力です。

ところが、人間はこのように理解した「モノ」的世界を、彼ら特有の「言分け」能力によってさらに捉え直し、コト」として理解しています。

この理解こそ「知」です。

一人の人間は食用植物や大風や蝉の声を「貢物」や「神風」や「初夏」として理解していますが、これこそ人間次元の「識知」能力です。

他の動物でも、それぞれの「身分け」能力に加え、種特有の方法でさらに環境世界を嗅ぎ分ける能力を持っている可能性も考えられますので、人間に特有のそれが「言分け」能力である、ともいえるでしょう。

このように人間という動物が、「知」+「知」という、二重の知覚処理能力によって周りの環境世界を理解している以上、両者を分けて考えることが必要となります。

今回はとりあえず、「認知」と「識知」の基本的な違について考えてきましたが、この視点をベースとすると、「識知」という概念にはさらに幾つかの特性が考えられます。

2019年6月13日木曜日

「識知」という言葉を誰が使ったのか?

5つの人口波動を創り出した、時期別の環境観や世界観を一言で表現する言葉として「時代識知」を提唱したいと思いますが、「識知」とは何を意味するのでしょうか?

最初に検討すべきは「認知」と「識知」の違いです。

人間が周りの環境世界を理解する言葉として、通常使われているのは「認識」や「認知」でしょう。

辞書(大辞林 第三版:三省堂)によると、哲学や心理学では、次のように説明されているようです。

認識】・・・〘哲〙〔cognition; ドイツ erkenntnis〕 人間(主観)が事物(客観・対象)を認め、それとして知るはたらき。また、知りえた成果。感覚・知覚・直観・思考などの様式がある。

認知】・・・〘心〙〔cognition〕 生活体が対象についての知識を得ること。また、その過程。知覚だけでなく、推理・判断・記憶などの機能を含み、外界の情報を能動的に収集し処理する過程

これらの言葉は、欧米語の翻訳語として、近代日本に定着したものです。

一方、「識知」という言葉については、他の辞書(精選版 日本国語大辞典:小学館)で次のように解説されています。

識知】・・・〘名〙知ること。認めること。

識知のおよばざるより同生して、識知のおよばざるを住持し、識知のおよばざるに実帰す。(正法眼蔵:1231~53年、巻:神通)

これを見ると、「識知」という言葉は一般的ではなく、仏典のような、ごく特殊な分野で使われているようです。


しかし、日本の思想界では、1970年代からしばしば「識知」が使われています。


これらのことをいいつのるに必要なヨーロッパの文化にたいする輪廓ある識知をわたしはまったくもっていない。吉本隆明『悲劇の解読』1979)。

野獣は、なわばりといった領域を、いわば〈身分け〉として識知しているが、これは、空間的表象をそれが持っていることを意味する。(竹田青嗣『意味とエロス―欲望論の現象学』1986)

こうした使用法が始まったのは、おそらく中村雄二郎の翻訳による、ミシェル・フーコー『知の考古学』(1970)主要用語解説によるところが大きいのでは、と筆者は推察しています。中村は次のように述べています。

識知 savoir はふつうは、広く「知」とか、「知識」という意味だが、フーコーはとりわけ『言葉と事物』以来(すでに『狂気の歴史』中にも見えているが)、サヴォワールにエピステーメー:épistémè に対してと同様、それも非常によく似た、特殊で重要な意味を与えている。
すなわち、それは、一つの時代、一つの文化の共通の基盤をなす認識系ともいうべきもので、個々人の知識や思想を超えて存在するものである。

このようなフーコーの意図を考える時、中村は「savoir」の訳語として、汎用されている【認知:cognition】よりも、仏教の唯識論や東洋哲学などで使用されてきた「識知」を当てる方がよりふさわしいと考えたのではないでしょうか。

識知」の意味を論じる前に、この言葉が思想界で普及し始めた背景をひとまず考えてみました。

2019年6月3日月曜日

「時代識知」の要件を考える!

このブログで提唱しようとしている「時代識知」とは、人類史上に5つの人口波動を創り出した、5つの時期別の環境観や世界観を一言で表現する言葉です。

あるいは、超長期的な世界観の変化の中で、それぞれの時代別の環境・世界観を端的に表す用語ともいえるでしょう。

このような言葉や概念を、西欧の思想や哲学の中に探してきましたが、ニュアンスや範疇などではかなり近似はしているものの、ぴったり的中する言葉となると、浅学のゆえか見つけることは甚だ困難でした。


①比較的新しい「パラダイム(Paradigm)という言葉は、アリストテレスからアインシュタインまでの観念転換を捉えてはいますが、科学という「機械論的自然観」の中での世界観の変容を示しているにすぎません。

②「エピステーメー(epistēmē) 」という言葉も、主として17~18世紀以降の学問や文化の推移を対象にした考察や分析から生まれた用語や概念であり、また言葉とは別次元に現れる表現行動や精神活動などには及んでいません。

③「ツァイトガイスト(Zeitgeist)という用語も、狭いものは観念的・学問的な次元の言葉として、広いものは「時代の心」を捉える用語として、それぞれ使われるなど、提唱者によって定義が異なっており、その概念が曖昧なままです。

以上のように、西欧の思想・哲学史の中には、「時代識知」にぴったり当てはまる言葉は見当たりませんでした。

とすれば、「時代識知」という言葉を新たに提唱し、その意味するところを明らかにしなければなりません。

それには、この言葉に求められる、幾つかの要件があると思いますので、主なものを列記してみました。










①「認知」次元ではなく「識知」次元を捉える言葉である。

②「言(こと)分け」による言語表現と未言語表現の両面を捉える言葉である。

③網状(networking)の「システム(system)」ではなく、分節的(articulating)な「構造(structure)」を捉える言葉である。

④世界を理解する受動的な次元に加え、世界に働きかける能動的な次元もまた意味する言葉である。

⑤学問、思想、科学などの次元を超えて、より根底的な認識次元を捉える言葉である。

とりあえず、この5つを提起したうえで、順番に考えていきたいと思います。

2019年5月21日火曜日

「ツァイトガイスト」で時代識知を捉えられるか?

3番めはドイツ語のツァイトガイスト(Zeitgeist)

ツァイトガイストという言葉は、ドイツ哲学界を代表する学者たちが提唱した概念で、主に一時代に支配的な知的・政治的・社会的動向を表す全体的な精神傾向を意味しており、日本語には「時代精神」と訳されています。

最初にこの言葉を提唱したのは哲学者・文学者のJ.G.ヘルダー(Johann Gottfried von Herder)です。

『フマニテート促進のための書簡(Briefe zu Beförderung der Humanität)』(1793-1797)において、「時代精神」とは、時代の根底にあって、すべての人間とその営為を包容し,時代を動かすとともに時代の志向を集約する、いわば「時代の心」とも称すべき実体と述べています。

この概念は、過去から現在を経て未来に向かう歴史の潮流の基底に潜在して、持続と秩序を本質としつつ、混乱と分裂を統一するような、時代の共通項ともいえるものです。

続いてドイツ観念論を代表する哲学者のG.W.F.ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel)が、1822~1831年の講義録『歴史哲学講義(Vorlesungen über die Philosophie der Geschichte)』において、「時代精神」を歴史の過程と結び付けて論述しています。

「時代精神」とは、個々の人間精神を超えた普遍的世界精神が、歴史の中でおのれを展開していく各過程において現れる、精神の形態である、というものです。

この定義が広まったことから、普遍的な人間精神が特殊的、歴史的現実に展開・具現するところに、ある時代の精神文化を表す時代精神の存在をみる、という見方が確立されることになりました。

ところが、20世紀初頭になると、「生の哲学」の創始者W.C.L.ディルタイ(Wilhelm Christian Ludwig Dilthey)が、『精神諸科学における歴史的世界の構成』(Der Aufbau der geschichtlichen Welt in den Geisteswissenschaften,1910)において、ヘーゲルの概念中心主義を批判し、よりも具体的に生活体験という視点から出発して、その中に時代精神を了解するのが精神科学(Geisteswissenschaft)の使命である、との見解を表明しました。

人間の精神活動を知・情・意の「作用連関」としてとらえ、価値体系を中核にした作用連関の表出のうちに「時代精神」を了解(Verstehen)するのが精神科学である、と提唱したのです。

以上のように、「ツァイトガイスト(Zeitgeist)」という言葉も、提唱者によって、かなり異なる意味を与えられているようです。

果たしてこの言葉で、超長期にわたる「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を捉えることができるでしょうか。次のような課題が浮かび上がってきます。

 定義がさまざまで、定まっていません

時代の変化、提唱者の立場によって、言葉の意味や定義がかなり変化しています。

観念的・学問的次元に留まっています。


最も影響力のあるヘーゲルの定義においても、精神史や精神文化などの言葉が示す通り、「ツァイトガイスト」は観念的・学問的な次元の言葉として扱われており、より根底的な「識知」を捉えるには適切ではありません。

より広い概念もやや曖昧です。


ヘルダーのいう「時代の心」やディルタイのいう「生活体験という視点」であれば、超長期的な「識知」を捉えることも可能かもしれませんが、実際に適用しようとすると、やや曖昧な定義だといえるでしょう。

以上のように、「ツァイトガイスト」という概念もまた、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」とは微妙に異なっている、と考えるべきでしょう。

2019年5月14日火曜日

「エピステーメー」で時代識知を捉えられるか?

超長期にわたる「時代識知(savoir de l'époque)の変容を的確に現す言葉として、思想史学の中からツァイトガイスト(Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語を見つけましたが、これらで果たして捉えられるものでしょうか。

2番めはギリシャ語のエピステーメー(epistēmē)

もともとはプラトンやアリストテレスが、単なる感覚的知覚や日常的意見である「ドクサ(doxa:憶見)に対立させ、確かな理性的認識を意味する言葉として使用したものでした。

この言葉を1960年代に、フランスの哲学者ミシェル・フーコー(Michel Foucault)がさまざまな時代に固有のものの考え方の枠組み、思考の台座、つまり時代を支配するメタ知構造として使用したことから、構造主義思想の基本用語となりました。



フーコーは『言葉と物』(Les mots et les choses,1966)の中で、エピステーメーとは「ある時代におけるさまざまな学問の成立を可能にならしめる、その時代固有の知の深層構造」(渡辺一民・佐々木昭訳書の解説)を意味する言葉として使っています。

この定義に基づいて、本書では、「表象」の自律性のもとに博物学、一般文法、富の分析などを可能にしていた17~18世紀(古典時代)のエピステーメーから、生命、言語、労働に関する諸科学、人間に関する経験的探求の出現を可能にした19世紀以降(近代)のエピステーメーへの変化が分析されています。

3年後に出版された『知の考古学』(L'archéologie du savoir,1969)になると、上記の定義をベースにしつつ、さらに方法論的・認識論的(哲学的)考察を展開し、その概念を発展させています。

「〈エピステーメー〉なる用語によってわれわれの解するのは、或る与えられた時代において、認識論的諸形像、諸科学、そしてときには形式化された諸システムを生ぜしめるさまざまな言説的実践を統一しうる諸連関の総体」(中村雄二郎訳)とされています。訳者によると、「一時代の文化全体の基底にある『認識の糸』あるいは『根底知』と解されています。

エピステーメーがもしこのような意味だとすれば、当ブログの求めている「時代識知(savoir de l'époque)」にごく近い概念のようにも思えます。

だが、細かく読み返してみると、必ずしもそうとはいえないようです。

40年前の1970年代、筆者もまた『言葉と物』の翻訳書を初めて読んだ時には、「エピステーメー」という、斬新な発想に大変共感を覚えたものでした。

それゆえ、続いて出た『知の考古学』には、エピステーメーの具体的な変遷を期待したのですが、それは見事に裏切られました。


この本の内容は概念的な論説に始終しており、実際にそれが通時的にどのように変わってきたかという、考古学的な考察はほとんどなされていなかったからです。

これでは『知の考古学』というタイトル自体が無理なのではないか、とも思ったものでした。

そんなわけで、エピステーメーによって「時代識知」を捉えようとすると、次のような限界が浮かび上がってきます。

 超長期の変化を捉えられるのか
エピステーメーは、主として17~18世紀以降の学問や文化の推移を対象にした考察や分析から生まれた用語や概念です。中世や古代、さらには原始社会までを連続的に把握するには、かなり不安が残ります。

言葉以前の表象活動をどこまで捉えられるのか。

「さまざまな言説的実践を統一しうる諸連関の総体」である以上、言説とは別の次元に現れる表現行動や精神活動などは把握できないのではないでしょうか。

パラダイムに比べ長所・短所が残る。
トーマス・クーンの「パラダイム」と比べると、エピステーメーの対象は科学一般から博物学、哲学、経済学など諸学問に広げられていますが、時間的な視点になると逆に狭まり、主に17~18世紀以降におかれています。

となると、「エピステーメー」という用語にも、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を意味させるのは、やはり荷が重いのではないか、と思います。

2019年5月10日金曜日

「パラダイム」で時代識知を捉えられるか?

超長期にわたる「言分け」構造の変化、つまり「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を的確に現す言葉はないのでしょうか。

さまざまな文献を探索してみると、ツァイトガイスト(Zeitgeist)、エピステーメー(epistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語が上がってきます。これらの言葉で果たして捉えられるものでしょうか。

最初は英語のパラダイム(paradigm)です。

改めて述べるまでもなく、アメリカの科学史家・科学哲学者トーマス・クーン(Thomas Samuel Kuhn)が『科学革命の構造(The structure of scientific revolutions)』1962年刊)で提唱した、科学史や科学哲学上の概念です。





一般には「模範」や「範例」を意味していますが、クーンの定義では「一般に認められた科学的業績で、一時期の間、専門家に対して問い方や答え方のモデルを与えるもの」(中山茂訳)とされています。

あるいは「広く人々に受け入れられている業績で、一定の期間、科学者に、自然に対する問い方と答え方のモデルを与えるもの」とも説明されており、具体的な事例として、アリストテレスの『自然学』、プトレマイオスの『アルマゲスト』、ニュートンの『プリンキピア』、コペルニクスの『天球の回転について』などがあげられています。

このような意味でのパラダイムをベースにして、一般の科学者たちが行っている研究を「通常科学(normal science)と位置づけると、それらの発展が行き詰まった時にはさまざまな変則性が現れ、危機感が増大してきます。すると、彼らは他のパラダイムに乗り換えられないかといろいろ模索し始めますが、クーンはこれを「パラダイム変換」、つまり「科学革命(scientific revolutions)と述べています。例えばニュートン力学からアインシュタイン相対論への転換がその典型です。

この定義が新鮮だったため、科学理論分野で広く用いられ、さらには社会科学分野にも転用されるようになりました。

資本主義パラダイム,社会主義パラダイムなど社会・経済体制はもとより、経営革新や市場転換などビジネス思想の変換にまで及んで、次第に「時代の思考を決める大きな枠組み」と解されるようになりました。

それゆえ、筆者もまた1970年代に本書の翻訳に接してから、ほぼ半世紀の間、この広義の意味で使用してきました。拙著『
日本人はどこまで減るか・・・人口減少社会のパラダイムシフト』(幻冬舎新書)のタイトルに、副題としても使っています(副題そのものは編集長の提案でしたが・・・)。

しかし、これらはあまりにも拡大解釈だったようです。クーン自身がパラダイムとは自然科学にのみ適応する概念であり、社会科学には適応できない発言しています(前掲書)。 

さらに、さまざまに誤解釈されたり、曖昧さも非難されるようになったため、彼もまた8年後の1970年に公刊された改訂版で撤回し、「専門図式(disciplinary matrix)という、やや陳腐な概念を導入して再定式化を図っています。

言葉の意味は使用法の拡大とともに変わっていくものですから、クーンの修正にこだわる必要はないと思いますが、広義のパラダイムが社会・人文科学的には以上のような概念だと理解すると、「時代識知(savoir de l'époque)」を捉えようとする場合には、次のような限界が浮かび上がってきます。


①科学という機械論的自然観の中での世界観の変容を示しているにすぎません。

アリストテレスからアインシュタインまでの観念転換とはいえ、ギリシア哲学以来の西欧的な自然観・世界観の、内側における変化だけを対象にしているように思えます。

②機械論的自然観を基礎次元として、その中での観念的次元の変化を捉えています。


「身分け」構造を「言分け」構造に変換する時の、最も基礎的な次元を捉えているわけではなく、機械論的自然観の中での段階的、観念的な変化を捉えようとする立場です。

宗教的世界観やアニミズムなどの次元に届くわけではありません。


パラダイムが変わっても、機械論的自然観の中での変化だけであり、それらを超えた「言分け」構造の変容を捉えることはできません。

こうしてみると、「パラダイム」という用語に、超長期的な「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を意味させるのは、いささか無理といえるでしょう。

2019年4月23日火曜日

「時代識知」という新概念が必要だ!

新元号「令和」の制定に伴い、このブログの永年の主張であった「昭和元禄→平成享保→令和明天」について改めて説明してきましたが、ひとまず区切りがつきましたので、もう一度本論の「人口波動に伴う深層心理」に戻ります。

論述の視点は「人口波動を構成する、5つの個別波動の、それぞれの時代に生きた人間は、独自の識知で周りの世界を理解してきた」ということです。

この前提には、私たち人間は周りの環境世界を、「身(み)分け」という網と「言(こと)分け」という網の、2つの網の目を通して見ている、という視点があります。(詳しくは【
生活構造の縦と横:2015年2月25日】、【身分け・言分けが6つの世界を作る!:2015年3月3日】などをご参照ください。)

身分け」というのは、人間が自らの本能という「網」の目によって、周りの外界を理解した世界像、つまりヒトという「種」に特有のゲシュタルト((独: Gestalt:部分の集まりを越えた、全体的な構造)のことです。

また「言分け」というのは、人間が「身分け」の網の上に、もう一つ重ねている網、つまり広い意味でのコトバ(言語)やシンボル(絵や形)によって捉え直している世界像をいいます。

要するに、私たち人間は「身分け」構造という生物次元に加えて、「言分け」構造という人類次元の“二重のゲシュタルト”によって、周りの外界を把握しているのです。

このうち、視・聴・嗅・味・触の五覚による、人間の「身分け」能力については、それなりの変化はあったとしても、原始人も現代人もさほどの差はないと思われます。

とすれば、5つの人口波動を作り出してきたのは、主として「言分け」能力ということができます。つまり、「言分け」能力の変化こそ、新たな人口波動を生み出す源泉だったといえるでしょう。

例えば旧石器人石器を作りだし、獲物を獲得するようになったのは、周りの世界を他の動物とは違った見方で理解するしくみを生み出した結果だった、と思われます。

あるいは古代の農耕民鋤や鍬を作って、農耕を営むようになったのは、旧石器人とは異なる識知によって環境世界を捉えていたからだ、と考えられます。

このように、人類史が始まって以来、人類は「言分け」能力の変化によって、人口容量を拡大させ、人口を増やしてきました。

とすれば、各時代の「言分け」能力の変化、つまり「時代識知(savoir de l'époque)」の変容を一つ一つ時系列的に把握することが必要ではないでしょうか。

そこで、既存の諸学問、つまり歴史学考古学、あるいは哲学史思想史などの業績を探索してみたのですが、まことに浅学菲才のゆえか、あるいは検索方法が未熟なせいか、適切な知見や文献をみつけることはできませんでした

時代精神(ツァイトガイスト:Zeitgeist)、エピステーメー(e
pistēmē)、パラダイム(Paradigm)などの用語が、類似の現象を説明しているようですが、いずれも超長期の識知的変化を表現するには不満が残るように感じました。

何が不満だったのか、節を改めて考えていきます。

2019年4月13日土曜日

「令和明天」時代の基本トレンドを読む!

令和明天」はどのような時代になっていくのでしょうか。
令和・明天シンボル
詳細な展望については、すでに拙著『
平成享保・その先をよむ:人減定着日本展望』で述べていますが、このブログでも度々触れてきましたので、一通り整理しておきましょう。





 ポイントは5つです。

人減定着化
超長期的な人口推移で見る限り、少なくとも今後50~60年間は人口減少が継続し、それとともに社会や経済もまたそれに対応した構造に変わっていきます。・・・【人口減少→人減定着→人口回復:2017年12月10日】

脱拡大・入濃密(コンデンス)化

人減定着に対応した社会構造とは、人口増加に支えられた成長・拡大型ではなく、人口減少に見合った飽和・濃密型を意味しています。・・・【飽和・濃縮の時代へ!:2016年6月21日】

産業構造のコト主導化

人口容量を支える文明が物的な拡大に限界を見せ始めると、過去の人口減少期と同様、産業の中核は電機や自動車などモノ=ハード産業からAIやIoTなどコト=ソフト産業へ移行していきます。・・・【トイレットペーパーはなぜ記号化するのか?:2018年6月29日】

税収財源の見直し化

従来の工業産業中心の徴税構造を見直し、AI財閥や新富裕層などに適切な税負担をさせる、人口減少時代にふさわしい税制度を作り上げていきます。・・・【ポスト平成が見習うべきは・・・:2018年3月8日】

地域人口の平準化

人口容量が限界に達し、地方から人口減少が進んでいますが、東京圏の限界もまた明らかになるにつれて、全国の人口分布は平準化していきます。・・・【人口の地方分散が始まる!:2018年3月30日】

以上のような展望にはいうまでもなく、その前提として、日本を取り巻く国際情勢の変化が影響しています。

この件についても、世界の人口波動から予測した「ラストモダン社会化」を、【
人口波動で世界の未来を読む!:2018年4月19日】や【21世紀の国際情勢は・・・:2018年4月27日】などですでに述べていますが、要約すれば次の通りです。

 21世紀中葉の世界は「ポスト・パックス・アメリカーナ」です。

アメリカ合衆国が弱体化し、EU(ヨーロッパ共同体)もまた解体の危機に陥るため、世界各国で右派政権が次々に登場してくるとともに、中近東での地域紛争や、アメリカとアジア諸国間の紛争拡大も予想されます。

アメリカ主導で進展したグローバル化経済もまた、2050年を過ぎると、世界的な労働年齢人口の停滞に伴って、次第に減速していきます。

一方、インターネット文化が引き起こしたポピュリズムやオクロクラシー(衆愚政治)も、人口の飽和化が進むにつれて反省が巻き起こり、世界各地でネオ・コミュニティズム(新地縁主義)脱市場主義など、「ポストモダン」ならぬ「ラストモダン」の思想を育んでいきます。

こうしてみると、「令和明天」時代とは、世界波動においても日本波動においても、現在の「工業前波(工業現波の別名)」が終焉し、次の「工業後波」が始まる前の、一大過渡期として位置づけられるでしょう。

2019年4月5日金曜日

なぜ「令和明天」なのか?

「平成享保」から「令和明天」へ、これからの時代は変わっていきます。

前回、このように書いたところ、「なぜなのか?」とか「どういうことなのか?」というご意見やご質問を、フォロアーの皆様からいただきました。

そこで、もう少し説明を加えさせていただきます。

もっとも、この件については、このブログで何度も触れていますので、リンク先を明示しつつ、その要点のみを示すことにします。

最初は、この展望が筆者の提唱する社会予測手法
人口波動法」に基づいている、ということです。

長期的な人口推移には5つの波が推定でき、それぞれの波には【始動―離陸―上昇―高揚―飽和―下降】の6つの時期が設定できます。この6つの時期には「人口が波を打つ」という構造のゆえに、それぞれ
独自の構造が推定できます。

それゆえ、「今後の人口がどのような推移を辿るか」がおおまかに予想できれば、過去の時期を参考にして、今後の社会もまた推測できる、ということです。

このような視点に立って、今後40~50年間の社会を推定してみると、ほぼ間違いなく人口の【下降】期になっていきます。

とすれば、一つ前の人口波動である「農業後波」の【下降】期の社会を参考にして、その行方を推定することができます。

実際に比較したものが、【
「平成享保」から「××明天」へ!:2018年4月10日】です。なおこの比較で、今後の人口予測は筆者が独自に推計したもので、その手順は【人口容量に本格的な余裕が生まれると・・・:2017年10月8日】で述べています。
 
この図の「××明天」を「令和明天」に置き換えてみると、下図になります。



この図を素直に見れば、「平成享保」の後にくる、約40年間は「令和寛宝」(寛保~延享~寛延~宝暦期:1741~1764年を略す)とよぶべき時代となります。一世一元制が続くとすれば、「令和寛宝」とよぶのがふさわしいのかもしれません。

しかし、江戸時代の寛保~宝暦期は未だ人口減少対応への混乱期であり、新たな社会がめざすべき時代とは思われません。

そこで、その次に来る約40年間、つまり明和~安永~天明期にまで視線を広げてみると、この時代は当ブログでも何度も述べてきたとおり、適切な順応期に当たります。何が適切であったのかは【
人減定着の時代・明和~天明期を振り返る:2018年1月8日】や【田沼政権の10大政策:2018年1月17日】以下で詳しく述べています。

また、長寿化の進む、令和の時代は今後45~46年間続く可能性もあります。

これらの点を考え合わすと、「令和」時代の別称は、さらなる期待を込めて、「令和明天」(明和~安永~天明期:1764-1789年を略す)とよぶべきだ、と思います。

いやいや、今後約70年間の人減定着時代がめざすべき社会は、かつての「明和~天明」期なのです。

これこそ、当ブログが、「平成享保」から「令和明天」へ、と提唱した理由です。

2019年4月2日火曜日

「平成享保」から「令和明天」へ!

 新元号が決まりましたので、「人口波動説:10のオリジナリティー」を一休みし、人口波動法を応用して、令和」時代について一言述べておきます。

令和・明天シンボルこの件については、すでに【「平成享保」から「××明天」へ!2018年4月10日】やブログ【平成享保のゆくえ】などで何度も触れてきました。

だが、新元号が未定でしたので、「〇〇明天」「××明天」「新元明天」などと表現してきましたが、これらは今や「令和明天」と明言できるようになりました。

つまり、「昭和元禄」から「平成享保」へと進んできた時代は、新たに「令和明天」という時代を迎える、ということです。


なぜ「令和明天」なのか、その根拠は一体何なのか。これについても、上記の記事やサイトで詳しく触れていますので、ご関心があればご笑覧ください。

また「令和明天」がどのような時代になってゆくのか、とりあえず要点をあげれば、次のとおりです。 


人口減少定着

②脱拡大・入濃密(デンス)

③産業構造のコト主導

税収財源の見直し化

⑤地域構造のリゾーム

これらの詳細については、また改めて論述したいと思っております。

2019年3月24日日曜日

人類は世界をどのように理解してきたのか?

人口波動を構成する、5つの個別波動の、それぞれの時代に生きた人間は、独自の観念で周りの世界を理解してきました。

こうした人間の能力については、古今東西を問わず、宗教や哲学の基本的なテーマでした。例えば古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩、古代インドのヴェーダパーリ仏典などから、現代の現象学深層心理学、さらには構造主義ポスト構造主義などの哲学に至るまで、それぞれがこの課題に取り組んできました。

これらに共通している、最も基本的な視点は「身分け・言分け構造」という考え方です。

どういうものかといえば、私たち人間は周りの環境世界を、「身(み)分け」という網と「言(こと)分け」という網の、2つの網の目を通して見ている、というものです。
(この件については、筆者のもう一つのブログ「生活学マーケティング」で詳しく述べていますので、ご参照ください。・・・【生活構造の縦と横:2015年2月25日】、【身分け・言分けが6つの世界を作る:2015年3月3日】など)

要点を述べれば、以下のとおりです。

身分け」の網というのは、人間が自らの本能という「網」の目によって、周りの外界を理解した世界像、つまりヒトという「種」に特有のゲシュタルト(部分の集まりを越えた、全体的な構造)を意味しています。

周りの物質的世界について、ハエはその感覚器でハエなりに把握して理解し、イヌはその目や鼻でイヌなりにとらえています。ヒトもまた、五感の精度内で人間なりに把握して、ヒトに特有の外界像を描いている、ということです。

このように、あらゆる動物はそれぞれの身に備わった生命の機能(本能)によって、「種」独自の方法で外界を分類し、地(身の外の外界=フィジクス=physics)図(身の内のゲシュタルト=ピュシス=physis)に分けています。

とは生の物質的世界そのものであり、「」とは生物の感覚がとらえ頭脳が理解した限りでの世界です。ヒトはヒト独自の方法によって、を分けています。

人間もまた動物である限り、環境世界の中の一存在として、このような「身分け構造」の中で生きているのです。

次に「言分け」の網というのは、人間が「身分け」の網の上に、もう一つ重ねている、別の網のことです。「言分け構造」とよばれるもので、「シンボル化能力とその活動」、つまり広い意味でのコトバ(言語)を操る能力が生み出す網の目です。

人間は本能でつかんだ対象を、もう一度コトバやシンボル(絵や形)の網によって捉えなおしている、ともいえるでしょう。

この網の目を通すことで、外部世界は本能という図式に加えて、コトバやシンボルによって把握した、もう一つ別の外界像「コスモス:cosmos」を結ぶことになります。

要するに、私たち人間は「身分け」構造という生物次元に加えて、「言分け」構造という人類的な次元の“二重のゲシュタルト”によって、周りの外界を把握しています。

逆にいえば、こうした能力を他の動物より“過剰”に持ってしまったがゆえに、ヒトという動物は「人間」に変わった、ともいえるのです

以上のような視点に立つと、5つの個別波動とは、単なる文明という次元を超え、その深部では以上のような「身分け・言分け」構造の変化によって生み出された、ともいえるでしょう。

2019年3月15日金曜日

人口波動は5重の精神史を示す!

人口波動説のオリジナリティー、第10人類の精神史に潜む、5つの重層的な構造を指摘したことです。

人口波動を構成する、5つの個別波動は[環境×文明]によって作り出されたものですが、それがゆえに、それぞれの時期における人類の自然観や世界観には、独自の特徴が潜んでいます。

例えば世界波動を見ると、過去5万年の間に人類がどのように生存環境を理解し、どのように利用しようとしてきたか、という観念や世界観の推移が推測できます。

詳細な説明は後回しにして、まず大まかな見取り図を描いてみましょう。



 
概略は以下のようなものです。
 
①「石器前波」は「旧石器文明」によってB.C. 4万年ころに始まる約600万人の波ですが、この時代の人類は、さまざまな人物や事物・現象に情意的に反応し、「生きていること」を「力」としてとらえるという「アニマティズム(animatism、プレアニミズム」(R.R.マレットの説)によって、環境世界に対応しています。

②「石器後波」は「新石器文明」によってB.C.9000年ころに始まる約5000万人の波ですが、この時代の人類はあらゆる事物や現象に霊魂の存在を認める「アニミズム(animism)」(E.B.タイラーの説)によって、世界に向き合ってきました。

③「農業前波」は「粗放農業文明」によってB.C.3500年ころに始まる約2億6000万人の波ですが、この時代の人類はシュメール、インダス、ミノア文明などに見られるような、「神話的な世界観(ミソロジー:mythology)によって、人口容量を増やしてきました。


④「農業後波」は「集約農業文明」によってA.D.400年ころに始まる約4億5000万人の波であり、この時代の人類はヒンズー教、仏教、キリスト教、イスラム教など、いわゆる「宗教(リリジョン:religion)によって世界を見つめなおしてきました。


⑤ 「工業現波」は「近代工業文明」によってA.D.1400年ころに始まる約100億人の波ですが、この時代の人類は神話や宗教から科学を切り離すことによって生み出された「機械論的自然観(mechanistic view of nature)によって環境世界と対峙し、人口容量の大幅な拡大を達成させました。
 
以上のように、人口波動が示すものは、人口動向や社会動向はもとより、より高次元の自然観、宇宙観、環境観などにも及んでいます。

これまで20回ほど人口波動説・10のオリジナリティー」について述べてきましたが、10番目の精神史構造については、さらに詳しい論述が必要と思われますので、ここで一区切りし、次回から新たなタイトルのもとに議論を展開していきます。

2019年3月4日月曜日

人口波動法の解説に「日本波動における5つの個別波動」を追加します!

先に【人口波動法という循環法を提唱する!2019年2月15日】で「世界波動における5つの個別波動」を図示しましたところ、フォロアー某氏から「日本波動についても、同じように個別波動を図示したらどうか」とのアドヴァイスをいただきました。

そこで、日本波動の5つの個別波動を、以下のように図化してみました。


5つの個別波動の概要を改めて整理しておきます。






 上表で各個別波動の期間については、2つの時期をあげています。

 ①各波動の開始時期を、波動間の最低値とする。

②各波動の開始時期を、波動の間の中間点にする。

これまで当ブログでは、【
日本波動も文明転換が作った!2018年12月25日】で述べたように、②で説明してきました。

しかし、始動~離陸期の変化を細かくつかむため、今回のグラフでは①によっています。

このような視点で、グラフを一見すると、石器前波から農業後波までは、時代が下がるにつれて、前半(始動期~上昇期)よりも後半(高揚期~下降期)の方が短くなる傾向が見られます。


しかし、工業現波になると一転して、前半と後半の長さがほぼ均等化しています。

このため、今後の社会、つまり工業現波における下降期の社会を予想するには、【
人口波動法による未来の読み方:2019年2月24日】で述べたように、波動全体や時間的長さなどの比較ではなく、時期別の社会的特性が共通する、という視点に基づくことがいっそう必要になってきます。

2019年2月24日日曜日

人口波動法による未来の読み方

人口波動を前提にすると、拙著『人口波動で未來を読む』(日本経済新聞社、1996年)で提唱した通り、波動循環に基づいて未来を予想する、という予測方法論が考えられます。

基本的には、一つの時代が人口波動の6つの時期のどこへ向かいつつあるか、によって、過去の同じような時期と類似した社会的構造が予想できる、というものです。

もう少し詳しい手順を述べてみますと、次のようになります。
 

①予測しようとする時代が、人口波動の6時期のどこに相当しているかを見定める。

②6時期別に現れる、社会の基本的な特性に基づいて、目標とする社会の構造を推測する【
6時期別の社会的特性を読む!:2019年1月15日】。

③それゆえ、個々の波動の全体的な推移を比較するのではなく、各波動における6時期別の対応を参考にする。

④とりわけ、前回の波動における相当時期の社会を参考にしつつ、目標時期の社会を予想する。

⑤かくして、予測される社会は、6時期別の社会的特性を前提としつつ、前波動における相当時期の社会構造から類推されたものとなる。

要するに、この予測法のポイントは、波動全体や時間的長さなどの比較ではなく、時期別の社会的特性が共通する、という視点に基づいていることです(下図)。



こうした方法に基づいて、当ブログではすでに、21世紀後半の世界と日本を予測しています。

◆世界予測については、次の通りです。
人口波動で世界の未来を読む!2018年4月19日】
21世紀の国際情勢は・・・:2018年4月27日】

◆日本予測は次の通りです。
人口減少→人減定着→人口回復:2017年12月10日】
「平成享保」から「××明天」へ:2018年4月10日】

また、世界と日本の予測をさらに詳しく述べたものをKindle版『
平成享保・その先を読む』として上梓しています。

以上が、人口波動説の9番目のオリジナリティーとして、新たに提唱する未来予測手法「人口波動法」の概要です。

2019年2月15日金曜日

人口波動法という循環法を提唱する!

循環法という予測法には、前回、コンドラチェフ長波への疑問で指摘したように、さまざまな限界があります。

しかし、長期的な社会予測を行おうとすれば、新たな方法論として、単純な時間サイクルに頼らない、別種の循環法が求められます。

そこで、新たな循環法の可能性として、筆者はあえて人口波動法(Population Cyclics)という予測法を提唱しました。

人口波動法は、時間サイクルの代わりに、長期的な人口推移に見られる波動サイクルを説明変数にするものです。

すでに【
経済学の循環論とは大きく異なる!:2018年11月6日】で述べていますが、この循環法には次のような特徴があります。世界波動を示しつつ、具体的に説明してみましょう。




  ◆循環法としての人口波動法の特徴

①個別波動の始動―終了の期間はさまざまであり、一定していない。

②個別波動の進行過程もさまざまなをとり、一定していない。

③それにもかかわらず、個別波動の進行過程には、始動―離陸―上昇―高揚―飽和―下降の6つの時期が見られる。

④6時期のそれぞれには、人口容量(環境×文明)と人口推移との関係において、共通の社会構造が見られる。

⑤それゆえ、現在の人口が6時期のどの位置にあり、どこへ向かおうとしているかを確認することにより、過去の個別波動とのアナロジーを用いて、基本的な社会構造を予測することができる。

要約すれば、環境・文明・人口が一体化して作り出す人口波動には、社会の全体的な動きが最も適確に現れていますから、一つの波動の幾つかのプロセスにも、各時期特有の社会的特徴を見つけることができます。

そこで、現在の人口動向が波動のどの位置にあるかによって、その時期の社会的な特徴が推定でき、さらに今後の人口動向がわかれば、未来の社会を予測することもできます。

予め人口を予測しておく必要がありますから、単純な時間による循環法よりも、かなり手間がかかりますが、物理的な時間サイクルに頼らないという点で、コンドラチェフ長波の欠陥を大きく乗り超えていけそうです。

それゆえ、人口波動法を的確に応用すれば、従来とはまったく新たな視点から未来社会の展望が可能になってくるでしょう。