2015年1月28日水曜日

動物たちは増えすぎない!・・・キャリング・キャパシティー

生物学や生態学で使用している「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity)」という言葉は、一定の空間内で一種類の動物の生息できる数(個体数)を意味しています。つまり、さまざまな動物の個体数は、決して増えすぎることはなく、ある上限値で抑えられる、ということです。

一種の動物の個体数がキャリング・キャパシティーに近づいてくると、彼らはさまざまな方法で増加を抑える動きをはじめます。

実際、生物学や生態学の現場からは、この現象を裏付ける観察結果が数多く報告されています。





 

2015年1月27日火曜日

人口減少の本当の理由:人口容量の限界化

人口減少の主原因は「少産・多死化」である、と述べてきました。それでは「少産・多死化」はなぜ起こるのでしょうか。

歴史を振り返ってみると、「少産・多死化で人口が減る」という現象は、決して初めてではなく、何度も起こっています。日本の歴史でいえば、旧石器時代後期、縄文時代後期、平安~鎌倉時代、江戸時代中期などが、いずれも人口が停滞あるいは減少した時期であった、と推定できます。

どうしてそうなったのか、その理由はいずれも「人口容量の限界」に突き当たったからです。「人口容量」というのは、生物学や生態学で使われている「キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity)」という言葉を、人間に当てはめたものです。

生物学や生態学では「一定の空間において一種類の動物の数(個体数)は決して増えすぎることはなく、ある数で抑えられる」という現象が知られており、その上限を「Carrying Capacity」と名づけています。

日本の生物学や生態学では、一般に「Carrying Capacity」を「環境収容力」とか「環境許容量」と訳しており、「環境」という主体が受け入れてくれる能力というニュアンスで使っています。だが、人間の場合は他の動物と異なり、しばしば文明という方法によって自然環境に働きかけ、キャパシティーを拡大しています。


つまり、〔自然環境×文明〕によって容量を変えていますから、より能動的な意味を込めて、「人口容量(Population Capacity)」と訳したほうが適切だと思います。

実際にこれまでの日本列島に住んだ人々は、いくつかの文明を利用して、列島の人口容量を増やしてきました。さまざまな推計を整理してみると、旧石器文明で3万人、縄文文明で26万人、粗放農業文明で700万人、集約農業文明で3250万人程度であったと思われます。

それぞれ容量の上限までは、人口は増え続けましたが、上限に達すると、停滞あるいは減少しています。その結果が、旧石器時代後期、縄文時代後期、平安~鎌倉時代、江戸時代中期などで、人口が減少した背景だと思われます。


       図  キャリング・キャパシティーのイメージ

2015年1月21日水曜日

プラス、マイナスの分岐点は?

第3の検討課題は、以上の2つを重ねると、おぼろげながらも浮かんできます。総人口に占める外国人の比率が上昇するにつれて、プラスよりもマイナスの影響が次第に増えてくるという問題です。

すでに多数の外国人を受け入れているヨーロッパ諸国でも、総人口に占める比率が4~5%を超えたあたりから、さまざまなマイナス現象が見え始め、次第に抑制に転じています。その結果がドイツの9%程度、フランスの7%程度という現状になっています。

もし2050年の日本が1億人の人口を維持するとすれば、例えば国立社会保障・人口問題研究所の中位値9708万人の差、292万人を外国人で埋めなければなりません。

中位値の予測には、すでに435万人の外国人が含まれていますから、新たに受け入れる292万人を足すと、図に示すように、2050年の外国人数は727万人ということになります。

ここまで増やすには、2010年以降毎年平均3.7%の割合で増やしていかなければなりませんが、それに伴って、総人口に占める外国人の比重が次第に高まり、図に示したように2030年2.98%、2040年4.64%、2050年7.28%と上がっていきます。

とすれば、2040年を超えたあたりから、プラス面よりもマイナス面が顕在化する可能性が高まってきます。つまり、2050年1億人を達成するためには、その前にマイナス現象、あるいはデメリット現象への対応を的確に行う必要が出てくるでしょう。



2015年1月20日火曜日

外国人を増やせるのか?

人口を増加するのに、死亡数の低下や出生数の増加があまり期待できないとすれば、残る方策は外国人の受け入れ拡大ということになります。
 

現に日本政府は、2050年1億人の人口維持をめざしており、その政策の一つとして、外国人の受け入れについても、さまざまな検討をしているようです。果たしてこれが実現できるのでしょうか。この課題については、詳細な検討が必要だと思われますので、ひとまずは基本的な視点を整理しておきます。

 
第1の検討課題は、2050年1億人という目標を達成するには、どれだけの受け入れ数が必要なのか、さらにはその数字が達成できるのか、という問題です。
 
現在、政府の人口予測の基本となっている、国立社会保障・人口問題研究所の予測(2012年)によれば、2050年の人口は最も多い高位ケースで1億0423万人、中位ケースで9708万人、最も少ない低位ケースで9056万人と見込まれています。
 
とすれば、中位ケースで292万人、低位ケースで944万人が不足してきます。これを外国人で補うとすれば、 現在の約165万人から今後35年間で、中位ケースで127万人、低位ケースで779万人を、新たに受け入れなければなりません。これは実現可能なのでしょうか。
 
 
第2の検討課題は、外国人受け入れのインパクトを明らかにし、利点の実現や欠点の克服が可能かという問題です。
 
外国人を増やす利点としては、次の事項が主に指摘されています。
  1. 労働力の補充
  2. 消費力の補充
  3. 社会保障を支える年齢層の補充、
  4. グローバル化への対応 など
 他方、欠点としては、以下のような事項があげられているようです。
  
(雇用・労働問題)
  1. 低賃金の単純労働者の受け入れで、日本人の雇用不安や労働条件が悪化
  2. 好況時の大量の受け入れで。不況時の失業率が上昇 など
(社会・経済的問題)
  1. 教育負担や社会保障負担の拡大
  2. 第2世代という新国民の増加
  3. 特定地域に集中居住するゲットーの形成
  4. 犯罪の増加や風紀の乱れ
  5. 文化摩擦や国際問題の流入 など
もし外国人の受け入れを増やすとすれば、こうした利点と欠点を十分に理解したうえ、できるだけ混乱の少ない方法を検討する必要があるでしょう。


(この課題については、30数年前の1982年から、基礎的な調査・研究を行ってきました。)

  参照http://gsk.o.oo7.jp/report1982.htm
 

2015年1月15日木曜日

出生数の回復はまず無理だ!

「合計特殊出生率」よりも「有配偶出生率」の方が、直接的に出生数と結びついています。この指標は、結婚あるいは同棲している女性の出生率ですから、出産適齢期人口の増減を超えて、出生数を上げる可能性があります。

昨今、日本の政府が「少子化対策」と称して取り組んでいる、出産休暇や育児手当ての充実化、保育施設の増設などは、直接的にはこの数値に関わっています。さらに追加対策として実施されている、父親の産後休暇や育児休業取得の拡大、待機児童ゼロ化やパートのための特定保育事業創設、子育て支援委員会や子育てバリアフリーの設置など、より強力な支援策もまたこの出生率を上げることになります。

しかし、こうした政策でさほど成果が現れるとは限りません。確かにこれらの政策がうまくいけば、出生数はある程度回復するでしょう。だが、少しくらい増えたくらいでは、やはり出産適齢期女性人口の大幅減少を補うまでには到りません。

もし2005~08年の出生数109万人台を今後も維持しようとすれば、有配偶率が今後も変わらないと仮定して大まかに推計すると、2010年現在79‰(パーミル、千分率)の有配偶出生率を、2025年には96‰、2050年には156‰程度まで上げていかなくてはなりません。

156‰というのは、1人の女性が平均5人の子どもを産んでいた1950~60年代の水準ですから、そこまで上げるのはまず無理でしょう。現在考えられている程度の支援策では、1割程度上げるのがせいぜいです。

結局のところ、①再生産年齢人口の増加策、②有配偶率の向上策、③有配偶出生率の上昇策の、3つが3つともかなり困難なのです。とすれば、少しばかり出生数が回復することはあっても、それによって総人口が増加することなど、まずありえません。

にもかかわらず、少子化対策が成功すれば出生数が大幅に増えたり、人口が回復するかのように喧伝するのは、ミスリードそのものではないでしょうか。

2015年1月14日水曜日

出生数を増やせるか?

人口を増やす第2の方法は、出生数の増加対策です。出生数が減るのは、直接的には、晩婚や非婚を選ぶ人たちや、結婚しても子どもを作らない夫婦が増えているからです。出産適齢期にあたる世代では、結婚したり子どもを作ることより、自分の好みの生き方や暮らしを優先するという選択が増えているからだ、ともいえるでしょう。

そこで、出生数を上げるには、①出産適齢期(15~49歳)の女性人口(再生産年齢人口)を増やす、②結婚や同棲など彼女たちの有配偶率を上げる、③配偶者のいるカップルの出生率(有配偶出生率)を上げる、といった方策が必要になります。

このうち、① 出産適齢期の女性人口については、図に示したように、1970年の2980万人から90年の3140万人までは増えていましたが、そのあたりがピークで2000年には2930万人に減りました。今後は、2020年2436万人、2030年の2054万人、2040年1794万人、2050年1567万人と、急速に減っていきます。2010年を100として、2020年90%、2030年76%、2040年66%、2050年58%にまで落ちていきます。ベビーブーマー世代の女性たちが、すでに出産適齢期を卒業したのですから、もはやどうすることもできません。

そこで2番目に②有配偶率の向上をめざして、適齢者を「晩婚化・非婚化」から「早婚化・全婚化」へと促す対策が必要になります。だが、結婚や同棲はあくまでも個人の意思決定に関わることですから、強制的な介入はほとんど不可能でしょう。

となると、最も期待できるのは③出生率の改善、つまり結婚や同棲しているカップルにできるだけ多く子どもを生んでもらおう、ということになります。出生率と書くと、必ず誤解されますから一言お断りしておきますが、ここでいう出生率は「有配偶出生率」のことで、一般に多用されている「合計特殊出生率」ではありません。

マスメディアなどでは「出生数を増やすには、合計特殊出生率を上げればいい」などと安易に書いていますが、これは間違いです。合計特殊出生率とは「出産適齢期の女性の出生率を年齢毎に算出し、それぞれの出生率を足し合わせた数値」であり、「1人の女性が一生の間に産む子どもの数の平均数」を示しています。それゆえ、合計特殊出生率には、先にあげた②と③の両方が概ね反映されていますが、①はまったく考慮されていません。ということは、例え合計特殊出生率が上がっても、出産適齢期の女性人口が大幅に減れば、出生数が増えることはありえないのです。

では、有配偶出生率を上げることができるのでしょうか。(続く)



2015年1月12日月曜日

死亡数を減らせるか?

日本の人口を本当に増やすことができるのでしょうか。直接的な方法としては、先に述べたように、①死亡数を減らす、②出生数を増やす、③外国人を受け入れる、の3つの方策が基本になります。これらの方法で、どれほどの回復が可能なのでしょう。

まず死亡数の減少。この問題については、昨今、人口回復対策がしきりに喧伝されている割には、まったくといっていいほど話題にされていません。人口を維持しようとする時、素直に考えれば、すでに生きている人々をできるだけ失わないことが、真っ先に必要なはずです。ところが、昨今、政府やマスメディアのとりあげる人口回復対策といえば、ほとんどが出生数回復対策です。そればかりか「少子・高齢化」などと問題視して、老年者が増えることはマイナスだ、と端から思われています。

まことに奇妙なことです。日本人として生まれてきた人々ができるだけ長生きし、与えられた寿命を全うできるのは充分望ましい現象だ、と評価しなくてはなりません。にもかかわらず、それを忌避するのは、一方では彼らの生活や介護のためにサービス労働や社会保障費が増加すること、他方では彼らが生産力にならないこと、の2つが主な理由だと思われます。

なぜそうした問題意識が生まれるかといえば、1つは老年者を社会全体で面倒をみるという社会保障国家が大前提になっていること、もう1つは工業生産を中心とする産業国家の労働観や年齢観が常識化していること、の2つが背景になっています。

だが、こうした視点は「産業国家や福祉国家こそ現代社会の最高の目標だ」とする、極めて狭い発想にすぎません。そうではありません。人口減少が当たり前となった社会や人生が85~90歳となった時代には、70~75歳まで働くのは当然で、それを可能にするような産業や経済、あるいは社会や文化の構造を作りあげることこそ、新たな課題なのです。

とはいえ、現在、男性が80歳、女性が86歳に達した平均寿命を、今後もなお延ばしていくとなると、これはなかなか難しい。なぜなら、図に示したように、過去50年間、ほぼ3年に1歳ずつ伸びてきた平均寿命が限界に近づき、1歳延ばすのに今後は9年、10年、13年、と次第に伸びていく段階に入ったからです。つまり、現代の栄養水準や医療水準をもってしても、これ以上大幅な延命は無理なのです。そのうえ、若い世代が彼らのための経済的負担を嫌うようになれば、老年者の生息水準はますます低下していきます。

とすれば、21世紀の少なくとも前半の間は、技術的にも経済的にも、死亡数を減らすのは困難といわざるをえません。幾分緩やかになるとはいえ、死亡率が上がっていくのは避けようもないといえるでしょう。



 

2015年1月9日金曜日

「少子・高齢化」でなく「少産・多死化」

人口減少の原因が「少子化」でも、「少子・高齢化」でもないとしたら、どのように説明したらいいのでしょうか。2008年に上梓した本の中で、私は次のように書いています。

人口の増減は、海外からの転出入がない限り、出生数と死亡数で決まります。出生数が死亡数より多ければ増え、少なければ減ります。(中略)少子化でいくら出生数が減ってもベビーはゼロになりません。なにがしかが生まれる以上、人口は前年より増えます。他方、高齢化で寿命が延びれば、死亡者は確実に減っていきますから、前年より減少分は減るはずです。

少子化でも出生数が存続し、高齢化で死亡数が減っていくとすれば、出生数と死亡数の差はプラスになる可能性があります。つまり、少子・高齢化だけで人口が減るとは限りません。増えることさえあります。「詭弁(きべん)だ」といわれそうですが、物事を正確に表現すれば、「少子・高齢化で人口が減る」とはいえないのです。

  では、なぜ人口が減るのでしょう。それは(中略)死亡数が出生数を追い越したからです。生まれてくる人の数より死ぬ人の数が多くなる。そうなれば当然、人口は減っていきます。

出生数が減ることを、人口学の「人口転換」論では「少産」と表現しています。社会の進歩発展に伴って、人口動態は「多産多死」(高出生・高死亡)から「多産少死」(高出生・低死亡)へ、さらに「少産少死」(低出生・低死亡)に至るというものです。ここでいう「少産」という言葉には、出産数そのものの減少が意味されています。

この言葉に「化」をつけて「少産化」とすると、それが進む背景としては、①出産適齢期にあたる女性人口が減ってきた、②晩婚や非婚を選ぶ人たちが増えてきた、③結婚しても子どもを作らない夫婦が増えてきた、などが考えられます。さらにその背景として、結婚・出産適齢期の人たちの間では、結婚したり子どもを作ることより、自分の好みの生き方や暮らしを優先するという選択が増えていることがあげられます。(中略)

一方、死亡数が増えることも、人口転換論では「多死」と表現しています。この言葉を引き継いで「多死化」という言葉を使うと、その要因としては過去五〇年間、平均して三年に一歳ずつ伸びてきた平均寿命がそろそろ限界に近づいたという事情があります。マスメディアなどではまだまだ延びると書いていますが、実際のところ、一歳延びるのに今後一〇年間では五年、その後の一〇年間では九年もかかる、という段階に入っています。こうなると、すでに高年齢層の人口が増え始めていますから、死亡数も当然急増します。いわば、「高齢化がはじけて多死化」となるのです。

(中略)

このように少産化の背景には、年齢構成の変化や国民一人ひとりの生活意識の変化といった事情があり、また多死化の背景には、近代的な生活様式や現代医学の限界があります。要するに人口が減るのは、出生数が減って死亡数が増加する「少産・多死化」のためであり、「少子・高齢化」のためではありません。これが人口の減る直接的な理由です。

現実を直視すれば、こんなことはすぐわかることです。にもかかわらず、マスメディアの多くが「少子・高齢化が人口減少の原因」などといっているのはまったく不可解なことです。まして人口学者といわれる人たちが、同様の発言を繰り返すのは怠慢以外のなにものでもありません。

以上は、拙著『日本人はどこまで減るか』幻冬舎新書(P22~26)から引用しました。


くりかえしますが、人口減少の原因は「少産・多死化」です。なぜ「少産・多死化」が進むのか、直接的な理由は上に述べた通りですが、もっと本質的な理由を考えるためには、より広い視野に立たなければなりません。 

2015年1月7日水曜日

「少子・高齢化」で人口は減らない!

新聞やテレビでは「少子・高齢化で人口が減る」と、ごく当然のように述べています。だが、少子・高齢化で、本当に人口が減るのでしょうか?
「少子化」とは何を意味するのでしょう。さまざまな辞書では「出生率の低下に伴い、総人口に占める子供の数が少なくなること」(デジタル大辞泉)、「親世代よりも子世代が少なくなること」あるいは「総人口に占める子供の人口の割合が低下すること」(大辞林・第三版)などと定義されています。整理すると、概ね5つの意味があるようです。

   1. 出生数が減ること
   2. 出生率が低下すること
   3. 子どもの数が減ること
   4. 総人口に占める子どもの割合が下がること
   5. 親世代よりも子世代が少なくなること

このほか「出生率が人口置換水準以下にまで低下すること」という専門的な定義もあるようですが、これは人口維持という、別の概念が混入していますから、ここでは外します。

一方、「高齢化」については「高齢化社会」として解説されているのが一般的で、「総人口に占める老年人口の比率が高まること」(デジタル大辞泉)、「総人口に占める高齢者の比率が増大していくこと」(大辞林・第三版)、「総人口中に占める65歳以上の高齢者人口の比率がしだいに増えること」(百科事典マイペディア)などと説明されています。整理すると、2つに整理できます。

  1. 高齢者あるいは老年者の数が増えること
  2. 総人口に占める高齢者の割合が上ること

このような定義に従うと、「少子・高齢化」とは、概ね2つの定義に整理できます。

① 出生率の低下で出生数が減少して子どもの数が減る一方、高齢者あるいは老年者の数が増えること
② 総人口に占める子どもの比率が下がり、高齢者あるいが老年者の比率が上ること

①②で人口は減少するのでしょうか? 今年の人口より来年の人口が減る、基本的なケースとしては、「出生数より死亡数が多くなる自然減」と「入国者より出国者が多くなる社会減」の2つが考えられます。2010~2013年の減少数でみると、自然減と社会減の比重はほぼ8:2です。

しかし、社会減は年齢構成とは直接関わってきませんから、少子・高齢化の影響がそのまま出るのは自然減です。そこで、以下では自然減について考えていきます。

①の定義「出生率の低下で出生数が減少して子どもの数が減る一方、高齢者あるいは老年者の数が増える」だけでは、人口は減りません。どれだけ乳児が減っても、高齢者の数が増えている以上、人口は減らないからです。

②の定義「総人口に占める子どもの比率が下がり、高齢者あるいが老年者の比率が上」っても、それだけでは人口は減りません。「出産適齢人口」や「有配偶率」が下がらない限り、人口には影響してこないからです。

要するに、少子・高齢化では人口は減らないのです。人口が自然減となるのは、「出生数より死亡数が多くなる」ケースだけです。当り前のことですが、「少子・高齢化」の定義を「出産される乳児の数が減って、死亡する高齢者の数より少なくなる」と変えない限り、人口は減らないのです。しかし、従来の定義のままでは、減ることにはなりません。

そんなことはわかっている。「少子・高齢化という言葉には、そこまで含まれているのだ」という反論もあるでしょう。いうまでもありません。いささか不粋な論理を述べてきましたのは、「少子・高齢化」という言葉の曖昧さ、つまり「年齢構成の変化」と「少産・多死化」の2重性に危惧を覚えるからです。この不完全さが、ややもすると、目の前にある重大な現象を曲解させ、さらには今後の対策を誤らせる恐れがあると思うのです。 

2015年1月6日火曜日

人口減少の原因は「少子化」である?

人口減少の原因は「少子化」である。・・・多くの新聞や雑誌が、このような表現をしていますが、これは正しいのでしょうか? もし誤っているとすれば、人口減少の直接的な原因はどこにあるのでしょう。

日本の人口は2008年の12808万人をピークに、以後は減少しているといわれています(総務省統計局)。この数字は、5年ごとに実施されている国勢調査の人口を基礎に,人口関連の諸資料(人口動態統計:厚生労働省、出入国管理統計:法務省など)から得られたデータで加除し、毎月1日現在の人口を推計したものです。

しかし、2008年は国勢調査の中間時点にあたるため、2010年の調査結果までの人口動態は補間補正されており、変動要因となる数字の合計と人口増減総数は一致していません。

このため、国勢調査の行われた2010年(12806万人)を基準とし、2013年(12730万人)までの3年間の減少数76万人について、その減少要因を調べてみますと、次のようになります。

出生数と死亡数の差である自然減が62万人、入国者と出国者の差である社会減が14万人で、減少数に占める比重は、自然減が81%、社会減が19%となります。


自然減62万人の内訳は、出生数316万人のプラスに対し、死亡数378万人のマイナスとなっており、両者の比重は前者が46%、後者が54%となります。


こうしてみると、人口減少に占める要因の比重は、概ね死亡数増が44%、出生数減が37%、社会減が19%ということになります。

要するに、人口減少の原因は、死亡数増加、出生数減少、出国超過の順となり、「少子化」よりも「多死化(死亡数の増加)」の方が大きいのです。とすれば、人口を増やすには、少子化対策よりも多死化対策、つまり死亡数を減らす対策の方が有効だ、ということになります。日本政府がもし人口増加政策を展開するとすれば、第1に減死化対策、第2に増子化対策、第3に入国増対策の順に、3つの面から取り組まなければならないでしょう。

にもかかわらず、「人口減少の原因は少子化だ」と単純に書いてしまう背景には、これ以上、死亡数が減っては大変だ、という思い込みがあるのではないでしょうか。死亡数が減っていけば、高齢者の数がますます増えて、社会や経済の負担をいっそう高まる。それでは、現役世代はたまったものではない。こうした危機感によって、人口減少の要因から「多死化」をあえて無視し、「少子化」だけに追い込んでいく。意識的に無視するのではなく、無意識に見落としているのかもしれません。

いうまでもなく、その危惧を否定することはできません。しかし、人口減少という現象を、既成の価値観や従来の社会体制などによって論じることは、本質的な問題の所在を見失わせることになります。むしろ、その本質を素直に受け入れて、そのうえで適切な対応をとる。それこそが、人口減少に直面した、私たち日本人の採用すべき方向ではないでしょうか。

このブログでは、既成の価値観を超えた立場から、人口減少社会の虚実を直視していきたいと思います。

2015年1月5日月曜日

人口減少の虚実を読み解く!


人口減少が急速に進み始めたため、社会的にも経済的にも、大きな関心を集めるようになってきました。

マスメディアからソーシャルメディアまで、あるいは政界・財界から学界・言論界まで、さまざまな情報が飛び交っています。

ところが、その中には「人口減少の原因は少子化である」とか「人口減少が進むと、社会は停滞する」など、必ずしも正確とはいえない言説が、何の疑いもなく、まことしやかに主張されています。

こうした事態は、私たちの現在や未来を考えるうえで、ともすればマイナス気分や悲観論などを強めることになります。

どうすればいいのでしょうか。このブログでは、人口減少社会の虚実や表裏を、30数年の研究歴に基づいて、しなやかに読んでいきたいと思います。