2019年7月5日金曜日

「識知」が作り出す、3つの世界とは・・・

識知」とは、動物類に共通する「身(み)分け」能力=「認知」で理解した「モノ」的世界を、人間が彼ら特有の「言(こと)分け」能力で捉え直し、「コト」的世界として理解することだ、と述べてきました。

このように書くと、「識知」が把握する対象とは「コト」的世界の内側だけだ、と思われるかもしれませんが、そうではありません。
 
「言分け」とは、「言葉」という認識装置によって、周りに広がる環境世界を理解することですが、その名称どおり「言葉」によって捉えられる領域捉えられない領域を「仕分ける」ことを意味しているからです。

つまり、言葉という認識装置の内側に入り「コト」となった対象と、内側に入らないで「モノ」的世界に残ったままの対象の、2つに仕分けられる、ということです。

このように「言分け」を理解すると、その具体的な行動である「識知」もまた、言葉で把握される対象と把握されない対象を生み出すことになります。

つまり、「識知」とは、言語で表現できる言語世界と、言語では表現できない、未言語世界の、両方の世界を生み出す行動ということです。

別の表現をすれば、筆者の別のブログ
【生活学マーケティング】で詳しく述べているように、人間という種はそれが持つ本能の「身分け」能力によって、「物界=フィジクス:physics」から「モノ界=ピュシス:physis」を捉えます。そのうえで、さらに独自の「言分け」能力によって、改めて言葉によって理解される限りでの「コト界=コスモス:cosmos」を作り上げています。

この時、「言分け」の網の目によって、モノ界からコト界へくみ上げられなかったものが「コトソト界=カオス:chaos」になります。

 
このような仕分け行動こそ「識知」の本質だと理解すれば、それが把握する世界は次のように分かれてきます。
 
 ①「識知」によって「モノ界=ピュシス」の中から「コト界=コスモス」が識別され、それとともに、私たち人間の内部には意識自我もまた生まれてきます。

②「識知」できなかった「モノ界=ピュシス」の部分は、そのまま「コトソト界=カオス」として浮遊していますが、この部分がエス(心の無組織状態)無意識という形で心の底に沈潜していきます。

③「識知」という認識行動によって、私たちの生きている、現実の世界は、コスモスとカオスのせめぎ合う世界、あるいはモノとコトの行き交う世界、つまり「モノコト界=ゲゴノス(gegonós)」となります。

以上のように、「識知」を「認知」から分けることによって、私たちは周りの環境世界より正確により柔軟に仕分けることができるようになるのです。

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