2020年12月22日火曜日

ラストミドル・・・混乱と革新の時代!

ポストコロナラストモダンの時代を、ポスト黒死病ラストミドルをモデルに、多面的に展望しようとしています。







ラストミドルの約80年間は、すでに述べたように、黒死病をきっかけとして、社会的混乱社会的革新が並行的に進行した時代であり、後者によって生み出された時代識知によって、近代という社会構造が創り上げられました。

改めて整理しておきましょう。

社会的混乱

中世西欧の精神的基盤であったキリスト教、つまりローマ教会が分裂しており、黒死病に対してほとんど対応できなかったため、その権威は次第に失墜しました。

②小氷期に伴う寒冷化で飢饉が多発する中、イギリス王家とフランス王家が領土問題や国王継承権などを巡って抗争を始め、ローマ教皇の調停ができないまま、パンデミックを挟んで百年戦争を続けました。

③百年戦争や黒死病の流行による労働力不足で、農奴制を強化しようとした領主層に対抗して、フランスやイギリスでは農民反乱が多発し、農奴から解放された自営農民層が次第に増えていきました。

④黒死病の大流行で、すでに綻びの目立ち始めていた、中世の西欧社会はその限界を露呈させ、大混乱に陥ったことにより、新たな対応方法を模索していきます。

社会的革新

①中世西欧では、すでに14世紀の初頭から農耕牧畜文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していましたが、14世紀中葉にローマ教会大分裂、英仏百年戦争、黒死病の蔓延で、社会的矛盾が一気に噴出しました。これを克服しようとする知的運動としてルネサンスが興隆し、宗教的世界観や封建的社会構造を支える中世的時代識知を脱却して、新たな世界を生み出していく時代識知を育んでいきました。

②黒死病の蔓延で、15世紀中葉までの100年間に西欧諸国では労働力が減少し賃金が高騰したため、書物づくりにおいても、手書筆写や木版印刷から活版印刷への移行が進みました。その結果、書物の大量生産が可能になり、情報の大衆化が進んだ結果、技術革新や宗教改革の素地が育まれていきます。

③同じく黒死病による労働人口の減少で、燃料の主流であった木炭供給が減少したため、15世紀後半には代替燃料としての石炭利用が徐々に始まり、16世紀中葉のイギリスでは家庭燃料や工業燃料として急速に普及しました。その後、18世紀に製鉄業と蒸気機関の二大用途が加わると、石炭は次の工業現波を担う主要エネルギー源となっていきます。

④ラストミドルの西欧社会とは、黒死病蔓延を一つの契機として、工業現波を生み出すための揺籃期となり、幾つかの準備をしていた時代でした。黒死病はすでに限界に達していた中世社会に対して、変革のための引き金を引いたといえるでしょう。

以上のように、ラストミドルの西欧社会とは、社会的大混乱によって、旧来の時代識知を覆したうえで、まったく新たな方向を創造していった時代だったといえるでしょう。

こうした時代をモデルにすると、コロナ禍によって今や始まろうとしているラストモダン、その約100年間もまた、社会的混乱と社会的革新が並行的に進行し、新たな時代識知を模索する時代になるものと思われます。

2020年12月14日月曜日

ラストモダン(LastModern)・・・ポストモダン(PostModern)と何が違うのか?

このブログでは、ポストコロナラストモダンという言葉を頻繁に使っていますので、ポスト(Postラスト(Lastの使用法について、一通り説明しておきます。

改めていうまでもなく英語では、Postは〔時間的に~の後の、の次の〕を、またLastは〔順序が最後の、一番後の〕を意味しています。

それゆえ、ポストコレラは「黒死病の後の時代」、ポストコロナは「コロナ禍の後の時代」ということになります。

一方、ラストミドルは「中世の末期」を、ラストモダンは「近代の末期」をそれぞれ意味しています。

ラストモダンは、ポストモダンと似ているようですが、本質的に違います。

ポストモダン(PostModernという言葉は、1970年代後半、イギリスの建築評論家.ジェンクスCharles Alexander Jencks)が提唱し、80年代に入ると、フランスの哲学者、リオタールJean-François Lyotard)、デリダJacques Derrida),ドゥルーズGilles Deleuze)らによるポスト・モダニズム思想として、世界の哲学界を席巻しました。

近代の合理主義的、一元的な原理主義を批判し、消費社会や情報社会に対応した知や実践のあり方を模索する思想的・文化的な運動であり、「近代」を越えようとするものでした。

これに対し、ラストモダン(LastModernは、人口波動説の視点から、一つの波動の下降期を意味するものです。

この言葉は、筆者が今から30年前、日本経済新聞・夕刊(1990226)の連載コラム「生活ニューウエーブ」で提唱したもので、この時点で調査した限り、世界で初めての使用でした。

ラストモダン

ラスト・モダン

昨年暮れに厚生省が発表した、89年の出生率(千人当たり)10.1と史上最低を記録し、1980年以来連続して最低記録を更新している。

主な原因としては、出産年齢人口の減少、結婚形態の変化、既婚者出生率の低下の三つが考えられるが、その背後には、年齢構成の上昇、未婚率や離婚率の上昇、少産志向の拡大などが要因となっている。が、さらにその一つ一つをつきつめていくと、経済成長の鈍化や都市化社会の拡大、文化の爛熟(らんじゅく)化といった近代文明の成熟化に行き着くことになる。

出生率の低下は、やがて総人口の低下をもたらす。このため、1830年ころから緩やかに上昇し始め、明治維新後から急上昇して今や1億2,300万人に達した総人口も、今後は徐々に伸び率を低下させ、2010年ころにピークを超えた後は、一転して減少していくものと予測されている。

一般に、人口の成長は始動、上昇、飽和、停滞の4つの過程をたどるから、この人口曲線もわが国の近代化の過程とほぼ一致している。そこで、江戸後期から明治維新までを近代前期、維新から2000年ころまでを近代中期、その後を近代後期と呼ぶことができよう。

120年間続いた近代中期は、もっぱら成長一拡大型の社会であった。しかし、あと十年後に迫った近代後期は、かつてジャポニスムを生み出した、江戸中期百年間の停滞型社会と同じように、物質的には停滞するものの、精神的には爛熟化する文化の時代

となるのではないか。

とすれば、科学技術、市場経済、国際主義などが成熟化する中で、急拡大を続けた成長型社会の矛盾――環境破壊、地価高騰、資産格差の拡大などを一つずつ解決し、成熟した生活文化を尊ぶ安定型社会をめざすことが必要だろう。それは、近代の終わりではなく、近代の総仕上げを意味している。

そう考える時、私たちが今、向かっているのは、「ポスト・モダン」ではなく「ラスト・モダン」なのだ。        (古田隆彦) 


その後、幾つかの拙著で、この言葉を提唱してきましたが、その一つを揚げておきます。

ラストモダンとは、決してモダンの終りなどではなく、むしろモダンの完成期、つまり「ファイナル(仕上げ)モダン」なのである。・・・ラストモダンになると、成長・拡大が抑えられることで、・・・より成熟した生活文化を尊ぶ時代をめざせるようになる。

(古田隆彦『人口減少社会のマーケティング』生産性出版、2003、P279~282)

何度か提唱しているうち、この言葉はそれなりに受け入れられたようで、

公文俊平著『情報社会学序説―ラストモダンの時代を生きる』(NTT出版、2004

浦達也著『実感の同時代史: 戦争からラストモダンまで』(批評社、2006

岩本真一氏のウェブサイト:モードの世紀「ラストモダン1960年代」

などで採用していただきました。

以上のように、ラストモダンは、近代を否定する抽象的な「ポストモダン」とは異なり、近代の最終期を意味する、極めて具象的な言葉として提案したものです。

ポストコロナ・・・ポストコレラ(黒死病)で予測する!

ポストコロナの時代をポストコレラ(黒死病)の時代をモデルにして、大胆にも予測しようとしています。

5月以来ほぼ半年の間、中世社会の構造とその限界状況を眺めてきましたが、それはポストコレラの特性を抽出するためでした。永々とお待たせしましたが、いよいよポストコロナの展望に入ります。

今回から試みるのは、中世末期(ラストミドル)をモデルにして、ポストコロナ、つまり近代末期(ラストモダン)の社会構造を展望することです。

ポストラストの使い分けについては、次回のブログをご参照ください。)

世界の人口波動で比べると、下図に示すように、農業後波下降期がラストミドルであり、工業現波の下降期がラストモダンに相当します。



これは超長期の視点から、人類の辿ってきた5大波動のうち、一つ前の農業後波と現代の工業現波の、それぞれの最終段階を比べることを意味しています。

こうしたアナロジーによって、次のような展望が可能になります。

ラストミドルの約80年間は、すでに述べたように、社会的混乱社会的革新が並行的に進行した時代でした。

その結果、新たに生み出された時代識知によって、工業現波(工業前波)という、新規の人口波動が蠢き始め、やがて近代という社会構造が創り上げられました。

これをモデルとすると、

ラストモダンの約100年間もまた、社会的混乱と社会的革新が並行的に進行する時代になると思われます。

その結果、新たに生み出される時代識知(多分、統合的科学?)によって、工業後波という、次の人口波動が蠢き始め、22世紀型の社会構造が創り上げられていくでしょう。

以上の視点に基づき、ポストコロナがいかなる時代になるのか、多面的に展望していきましょう。

2020年12月6日日曜日

ポスト黒死病=ラストミドルは革新準備の時代!

ポスト黒死病の時代特性を、ラストミドルのヨーロッパをモデルとして、社会的混乱と革新的動向の、2つの面から眺めています。

前回の社会的混乱に続いて、今回は社会的革新



①イタリア・ルネサンスの加速

ルネサンス Renaissance という言葉は、フランス語のre(再)とnaissance(生きる)の合成語で「再生」を意味しており、具体的にはギリシャ、ローマ時代の精神を復活させることだといわれています。

イタリアでは14世紀初頭から、ダンテ(Dante Alighieri)、ペトラルカ(Francesco Petrarca)、ボッカチォ(Giovanni Boccaccio)らによって、まずは文芸においてルネサンスが始まっていました。人口波動説からいえば、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していた、といえるでしょう。

ところが、14世紀中葉になると、前回述べた社会的混乱、つまりローマ教会大分裂英仏百年戦争が起こりました。そこへ1347~51年の黒死病の蔓延で、中世西欧の社会的矛盾が一気に噴出しましたので、14世紀後半から15世紀にかけて、ルネサンスは美術や建築などにも広がり、さまざまな文化現象に及びました。

15世紀に最盛期を迎えると、その発想は生活分野にも広がって大航海時代を促し、16世紀に至っては宗教改革を引き起こすなど、近代社会への橋渡しを担っています。

先学諸賢の中には「ルネサンスはあくまでも文化、芸術、思想上の運動であって、キリスト教支配や封建社会への反逆をめざすものではない」という意見もありますが、その影響力から見渡せば、宗教的世界観や封建的社会構造を支える中世的時代識知から、一旦は人間性を解き放ち、新たな世界を生み出していく時代識知を育んだ運動であった、といえるでしょう。

②活版印刷術の実用化

ルネサンスが西欧全体に広がった1439年頃、ドイツのグーテンベルク(Johannes Gutenbergは、ヨーロッパで初めて金属活字による印刷を行い、1445年までに活版印刷技術の実用化に成功して、自ら印刷業や書物出版業を始めています。

それまでヨーロッパ社会で行われていた書物作りは、手書筆写木版印刷の二つでした。

だが、黒死病の蔓延で、15世紀中葉までの100年間に、欧州では少なくとも3040%の人口を失われ、労働力の減少が賃金の高騰を招いていました。それまでは1冊の本を数人がかりの筆写で作っていましたが、労働集約型のやり方では利益が出ない。そこで、効率的に本を作りたいというニーズに応えたのが、活字を使う印刷方法だったのです(ジョン・ケリー著『黒死病―ペストの中世史』野中邦子訳)。

こうした社会的ニーズに応えて、グーテンベルクは活字合金法、油性インク、木製印刷機などを組み合わせて、書物の大量生産を可能にし、出版印刷を定着させました。

これにより、ギリシャやローマの古典書が大量に出版され、とりわけギリシャ語、ラテン語の聖書が流布した結果、宗教改革の素地が育まれました。

かくして活版印刷術はヨーロッパ各地へ急速に普及し、羅針盤、火薬とともに「ルネサンス三大発明」の一つにあげられるようになりました。これもまた、農耕牧畜という文明が物量的拡大の限界に達したため、情報的深化へと移行していたからだ、といえるでしょう

③石炭利用の拡大

石炭は、古代から「燃える石」として知られていましたが、中世までの燃料の主流は木炭でした。

しかし、中世も後半になると、大規模開墾にともなう森林面積の減少や、手工業の活発化に伴って木炭の需要が増大し、木材や木炭の価格が徐々に上昇していました。

これに黒死病による労働人口の減少が加わって木材供給は減少し、価格もさらに高騰しました。そこで、15世紀後半には代替燃料としての石炭利用が徐々に始まりました。

16世紀中葉になると、燃料危機がもっとも深刻化したイギリスにおいて、家庭燃料や工業燃料として石炭の利用が急速に普及したため、石炭生産は飛躍的に増加しました。

その後、18世紀に製鉄業蒸気機関の二大用途が加わると、石炭生産は産業として確立し、世界各国に普及して、次の工業現波を担う主要エネルギー源となっていきます。

以上のように、ラストミドルのヨーロッパとは、黒死病蔓延を一つの契機として、工業現波を生み出すための揺籃期となり、幾つかの準備をしていた時代といえるでしょう。

黒死病がルネサンスを招いたのではなく、黒死病はすでに限界に達していた中世社会に向けて、変革のための引き金を引いたのです。