2018年5月20日日曜日

トイレットペーパーの機能が変わった!

人口減少=消費者減少にもかかわらず、トイレットペーパーの需要が伸びているのは、一体なぜなのでしょうか?

主な理由を考えてみると、必需的な変化(機能・品質など)と選択的な変化(記号・象徴性など)の両面が浮かんできます。

必需的変化としては、次のような事象が起こっています。

1人当たりの消費量の増加・・・
清潔志向の高まりや温水洗浄便座の普及などで、1回あたりの使用量は確実に増えています。

トイレットペーパーにはシングル巻きとダブル巻きがあり、シングルは一巻き60m、ダブルは30mが一般的な長さですが、1回当たりの使用量では前者の方がやや少ないようです。しかし、最近の傾向では、前者:後者=4:6となりつつあり、消費量が増加する傾向が見られます。

またシャワートイレ用に、吸水力5倍、紙の厚み2倍の、厚手で柔らかい心地を訴求する商品も伸びてきています。

新機能への需要増加・・・
消臭機能や香り付きなど、新たな機能を求める需要の拡大で、対応する高機能商品の販売量も伸びています。

これらの商品では、芯の部分に消臭剤と香料が入っており、ホルダーにセットするだけで尿臭や便臭などの臭いを和らげることができます。

価格の上昇・・・
上記のような理由により、下図に示したように、消費者1人当たりの消費量が伸びていますが、それとともに1g当たりの単価もまた上昇しています。



1人当たりの消費量は2013年の8.04gから2017年の8.30gへ伸びています。

1g当たりの単価は2013年の14.92円から2017年の16.42へ伸びています。

以上のように、人口が減っても、必需的需要の変化によって、トイレットペーパー市場は量的にも金額的にも拡大しているのです。

2018年5月9日水曜日

人口減少で消費が変わる!

先月までは些かマクロな話題へ飛躍していましたので、今月からはもう一度原点に立ち戻り、ミクロな話題を考えていきます。

まずは、当研究所が約40年にわたって研究してきた「人口減少と生活消費の関係」を眺めてみましょう。

これまでのところ、マスメディアの多くは「人口減少が進めば消費支出も減少する」と述べていますが、本当にそうなのでしょうか

この言説を覆す、最も明確なデータが、下表に示した、トイレットペーパーの出荷量と販売高の推移です。

この件については、繊研新聞(2015年7月21日)の「Study Room」(
http://gsk.o.oo7.jp/insist15.htm#tp)で詳しく述べていますが、新たなデータが発表されましたので、改めてグラフ化しました。

この図でわかるように、人口が減っているにもかかわらず、トイレットペーパーの販売量や販売額は伸びています

人口ピークの2008年に比べて、2017年の人口は1.1%減ったにもかかわらず、トイレットペーパーの総販売量は2.5%増の105.2万トン、総販売額は3.8%増の1727億円と増加しています。

トイレットペーパーの使用量は、口総量に極めて比例している、と考えられ、人口が減れば当然、その使用量や販売額も減るものと思われます。

さらに温水洗浄便座などの普及で、1回あたりの使用量も減っている可能性があります。

とすれば、その使用量や購入金額は当然減っていくものと予想されます。

にもかかわらず、トイレットペーパーの販売量や販売額は人口推移とは別の動き示しています。

そこにはどんな背景があるのでしょうか。

実をいえば、ここにこそ、人口減少時代の生活消費を考える時の、最も基本的な視点が潜んでいると思われます。

2018年4月27日金曜日

21世紀の国際情勢は・・・

前回のブログで示したような、14世紀の世界を、同じように人口停滞へ向かいつつある21世紀の国際情勢に当てはめてみると、図表に示したような展望ができるでしょう(拙著『平成享保・その先を読む』より)。


主な事象を一通り説明すると、次のようになるでしょう。

➀温暖化の進行
20世紀初頭からの100年間で0.74℃ほど上昇した地球の平均気温は、世紀を超えてさらに加速し、21世紀後半まで続く見込みです。

要因の9割は、人間の産業活動等で排出された温室効果ガス(主に二酸化炭素とメタンなど)と推定されており、これによって海水面の上昇や降水・降雪量の変化などが進み、洪水や旱魃、酷暑や暴風雨などの激しい異常気象が増加する一方、真水資源の枯渇、生物相の変化などで農業・漁業への影響が急増してきます。

②100年戦争の継続
中近東では前世紀半ばからのパレスチナ紛争や、ISLの勃興によるイラク紛争がなお続いていきます、2020~30年代には米中戦争米朝戦争の勃発可能性という、物騒な予想も取りざたされています(米中戦争については米・ランド研究所・報告書『中国との戦争---考えられないことを考え抜く』2016年7月)。

③スーパー耐性菌の大流行
科学文明の創造・拡大によって、自然界の細菌類が耐性を持ってしまったため、抗生物質が全く効かないスーパー耐性菌が、世界中ですでに猛威を振い始めています。

2013年には全世界で約70万人が死亡した、と米疾病対策センター(CDC)が推計していますが、日本でも2014秋以降、約2000人が感染し、60人ほどが死亡したとの推計もあります。

今後、この種の細菌による感染症の拡大で、2050年には世界中で年間およそ1000万人が死亡する、とCDCは予測しています。

④新政治リーダーの誕生
20世紀に世界の覇権を確立したアメリカ合衆国が弱体化し、ヨーロッパの統合を果たしたEU(ヨーロッパ共同体)もまた解体の危機に瀕しています。

このため、アジアではロドリゴ・ドゥテルテ大統領のフィリピン共和国、ヨーロッパでもヤロスワフ・カチンスキ「法と正義」党首主導のポーランドを筆頭に、フィンランド、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、ノルウェー、スイスなどで右派政党がすでに政権に着いています。

今後はさらに強力な右派政権が、世界各地で次々に登場してくるでしょう。

⑤経済活動は拡大から鈍化へ
「パックス・アメリカーナ」の影響による、20世紀後半のグローバル化の進展で、新興途上国の経済活動が活発化した結果、先進国の経済はやや減速するものの、世界全体では2020年から2050年まで年平均3%強のペースで成長し、2050年ころには3倍近くになるものと予想されています(PwC調査レポート:2015年2月)。

しかし、この期間の後半になるにつれて、主要新興国の多くで労働年齢人口の伸びが鈍化してくるため、中国やインドなどの成長率がやや鈍化し、世界経済の成長は減速していくでしょう。

⑥近未来ルネサンスの開始
20世紀末から急拡大したインターネット文化がナルシシズムの肥大化から、ポピュリズムオクロクラシー(衆愚政治)を引き起こします。

その後、人口飽和化の進展とともにこうした現象への反省が巻き起こり、世界各地でネオ・コミュニティズム(新地縁主義)脱市場主義など、「ポストモダン」ならぬ「ラストモダン」の思想を育むようになっていきます。

いかがでしょうか。かなり無理な部分もありますが、今後の世界と日本を考えていく前提条件としては、それなりに参考になるものと思います。

なぜかといえば、何度も繰り返しますが、人口波動の生起する経緯、つまり人口と人口容量と人口抑制装置の3つの関係そのものが、人間社会の最も基本的な成立構造である、といえるからです。

2018年4月19日木曜日

人口波動で世界の未来を読む!

日本波動で日本の未来を展望してきましたので、視点を大きく広げて、世界波動で世界の未来を読んでみましょう。

21世紀前半の世界の様相を、人口波動の上でモデルを求めてみると、下に示したように、14世紀という時代が浮上してきます。



世界波動を振り返ると、農業後波は8~14世紀の、また工業現波は15~21世紀の、それぞれ700年間の波動ですが、2つを比べてみると、14世紀と21世紀はともに人口容量の飽和期にさしかかった時代を示しています。とりわけ、21世紀前半は人口が容量の上限に接近していくという点で、14世紀とかなり共通しています。

この14世紀、歴史学上では「中世後期」とよばれている世界は、一体どのようなものだったのでしょうか。年代順に大きくとりまとめてみると、次の6つが指摘できます。

寒冷化の進行・・・14世紀初頭から地球の平均気温低下、つまり小氷期が始まって、19世紀半ばまで続いていきます。


この寒冷化によって、農業後波を支える農耕牧畜には大きな被害が出ました。ヨーロッパでは飢饉が頻繁し、1315~17年に150万人もの餓死者が出ています。疾病による死者も増加し、アイスランドでは人口が半分に減り、グリーンランドのヴァイキング植民地は全滅に至るなど、各国の人口が大きく減少しています。

100年戦争の継続・・・ヨーロッパでは、領土問題や国王継承権などを巡って、イギリスとフランス間で百年戦争(1339~1453)が勃発し、戦死者の増加や戦地の荒廃などで両国の人口が減少しています。

ペストの大流行・・・中国大陸で発生しペストは、1320年代に中国の人口を半分に減少させた後、モンゴル帝国が建設した、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易ルートに乗って、中央アジアを横断し、1346~47年にイタリアのシチリア島に上陸しました。


翌48年にはアルプスを越えてヨーロッパ全土に広がり、14世紀末までに3回の大流行と多くの小流行を繰り返しました。このため、全世界でおよそ8,500万人ヨーロッパでは人口の3分の1から3分の2に当たる、約2,000万から3,000万人が死亡したと推定されています。その影響で、農奴不足が続いていた荘園制の維持がさらに困難となりました。

アジア新国家の誕生・・・13世紀にユーラシア大陸を覆っていたモンゴル帝国が弱体化したため、アジア各地では西アジアのオスマン帝国(1299)、中国の明王朝(1368)、中央アジアのティムール朝(1369)など、新しい国家が次々に誕生しました。


これらの帝国では、モンゴル帝国の統治下で普及した黒色火薬砲(大砲や小銃)を軍制の中核に据えて、戦術や軍隊の大規模化を競になっています。

経済活動の縮小・・・13世紀に成立したモンゴル帝国の支配、つまり「パックス・モンゴリカ」によって交易圏が広がり、貿易活動が過剰に活性化した結果、財貨の過剰流動性の制御が困難となってきました。


また通商に用いられた、主な決済手段は銀の価値に依存していましたが、それが当時のユーラシア大陸全体に保有されていた銀の総量を超えてしまいました。こうした要因が重なって、全世界的に経済活動が急激に縮小しました。

イタリア・ルネサンスの勃興・・・ペストによる人口大減少の後、14世紀の後半になると、詩人ダンテや人文主義者ペトラルカなどが始めていたイタリア・ルネサンスが、地中海貿易で繁栄した北イタリアのフィレンツェを中心とするトスカーナ地方で拡大し始め、次の時代を切り開く知性を醸成することになっていきます。

以上のように、14世紀の世界は、農業後波の成立条件の一つ、農業基盤を寒冷化の進行によって脅かされながら、戸惑いと混乱に陥りながらも、密やかに次の波動への準備を始めている読み取ることができます。

2018年4月10日火曜日

「平成享保」から「××明天」へ!

新天皇即位と新元号制定が近づいてきたためか、「平成享保」の次はどうなるか、とのお問い合わせをいただくようになりました。

平成享保」という言葉は、筆者が平成元年(1989年)に、某新聞のエッセイで初めて使った造語です。

昭和39年(1964年)に、福田赳夫氏(後の首相)が当時の世相を「昭和元禄」と表現されたことを継承し、次の「平成」は「享保」に近づくと予想したのです。

根拠となったのは、人口の動向です。「昭和」と「元禄」はともに人口増加が続いていた時代でしたが、「平成」は「享保」と同じく、人口がピークから減少へ向かう転換期と予測されていたからです。

人口の動きが世相を決めるという発想は、筆者の提唱する「人口波動法」という未来予測法に基づいています。

詳細は拙著『
人口波動で未来を読む』や『日本人はどこまで減るか』などで述べていますが、WEB上では筆者の主宰するサイト「現代社会研究所」の人口波動研究室においても、一通り説明しています。

要約すれば、いつの時代においても、人口の動きによって同じような世相が現れる、というものです。

この視点に立つと「平成享保」の後の時代は、次のように名づけるべきだと思います。

次の元号はおそらく30~40年間使われ、その後、再び新たな元号に改元されると予想されます。

つまり、2019年から2060年ころまでは「新元号」、次の2060年から2100年ころまでは「新々元号」になるものと思われます。

そうなると、図に示したように、人口波動の農業後波と工業現波のアナロジーによって、次のような対応が予想できます。




つまり、「平成享保」の後にくる、約40年は××寛」(保-延享-寛延-暦期:1741-1764を略す)となります。

その次に来る約40年は××明天」(和-安永-明期:1764-1789を略す)となります。

もっとも、寛保~宝暦期は未だ人口減少対応への混乱期であるのに対し、明和~天明期はこのブログで何度も述べてきたとおり適切な順応期に当たります。

その意味では、来年から始まる新元号の時代は、さらなる期待を込めて××明天」とよぶことが望ましいのではないでしょうか。


(この予測については、下記で詳細に展開しています!)
https://www.amazon.co.jp/dp/B01N6LFJPO

2018年3月30日金曜日

人口の地方分散が始まる!

東京圏への一極集中で地方の人口減少が懸念されていますが、この傾向はいつまで続くのでしょうか。

人口波動の歴史を振り返ってみると、農業後波の人口減少期であった、享保~化政期の人口分布は、集中から分散へと移行しています。

この件については、すでに10年前、拙著『「増子・中年化」社会のマーケティング』(生産性出版、2008年、212~212P) の中で述べています。

もっと長期的に考えると、人口減少時代とは、従来の一極集中時代が終わり、多極分散への移行がはじまる時期である。先にあげた国立社会保障・人口問題研究所の都道府県別推計とは違って、2050年ころになると、東京、大阪、名古屋といった大都市が限界に達し、札幌、仙台、金沢、広島、福岡といった地方中枢都市の比重が次第に増してくることになろう。

同様の事例は、人口が増加から減少に移った江戸中期にも発生している。江戸、大坂、京都の人口は飽和化し、代わって仙台、金沢、博多など地方の有力都市が伸びてきた。(中略)江戸は120万人ほどで上限に達し、以後は伸び悩んでいる。その要因は上水道の限界で水質が悪化したり、人口密度の上昇で生活環境が劣化したためだ。

このことは、一つの人口波動を支える主導技術が限界に来ると、中心都市の人口密度を支える都市技術もまた限界化し、人口を抑制することを示している。だが、地方の有力都市の人口密度は、中心都市の水準までは上昇が可能であるから、さらに増加が続く。その結果、日本全体の人口が減り続ける中で、相対的に人口分布は集中から分散へ移行し、社会・経済・文化などで地方都市の力が強まってくる。

21世紀の東京圏の人口容量もやがて限界に達する。おそらく水不足、電力不足、廃棄物処理などの限界化で総合的な居住水準が低下し始め、それとともに人口の急減がはじまるだろう。

同様の事態が大阪圏や名古屋圏にも波及するから、やや遅れてこれら2大都市圏でも人口減少がはじまる。だが、札幌、仙台、金沢、広島、北九州などの限界化はもっと遅れるから、その間は相対的に人口分散が進ことになる

以上の文意をグラフ化したものが上の図表です。
 

上図を見ると、人口が停滞から減少に移行するにつれて、3大都市圏の比重もまた低下し、代わって地方圏の割合が拡大しているのが読み取れます。

もしこれと同じことが起きるとすれば、2040~80年の間には、なお続く人口減少のもとで地方へ人口分散が進むことが予想できます。

2018年3月19日月曜日

人口減少の底を打つ!・・・明和・天明から文化・文政へ

田沼政権による明和・天明期の幕政転換によって、江戸型の人減定着社会が見事に成立しましたが、その成果がさらに顕在化したのは、10数年に始まる文化・文政期でした。

天明6年(1786)前将軍・家治の急死で、翌天明7年(1787)に15歳で第11代将軍に就任した徳川家斉は、田沼意次を罷免し、代わって吉宗の孫で陸奥白河藩主の松平定信老中首座に任命しました。

定信は、翌年から「寛政の改革」(1788~93)を主導し、田沼の重商主義を真っ向から否定して、質素倹約を旨とする緊縮政策へ切り替えました。せっかく生まれた「商業経済社会」を再び「石高経済社会」へと後戻りさせる、まさに退嬰主義でした。

それゆえ、この改革は財政的に失敗し、田沼時代の資産を食いつぶして、江戸市中には「白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋ひしき」という狂歌が流行、田沼時代を懐かしむ声も広がりました。このため、寛政5年(1793)、定信は老中を解任されました。

幕政の実権を握った将軍・徳川家斉は、文化・文政期から天保初期までの約40年間(1804~41)、いわゆる「化政時代」を作り出します。

田沼政権の成果を基礎にした、華美・驕奢な大奥生活を展開したため、その気風が町民層にまで及んで高額消費も拡大し、ついに世相は爛熟・頽廃の極に達しました。

その一方で、側近政治の拡大や政治の私物化で腐敗が進行し、歳入は増えたにも関わらず財政は再び悪化、物価の高騰や銭相場の下落で庶民生活にも影響が及んできました。


しかし、家斉は特定されただけでも16人の妻妾を持ち、男子26人、女子27人の子女53人をもうけ、いわば多産」時代への旗振り役を務めました。

こうした家斉の象徴的な人口増加対応によって、農業後波の人口減少は底を打ち、増加への橋掛かりをつけていきます。