石器前波を生み出した「時代識知」に最も近い観念とは、人類学などで使われている「アニマティズム(animatism)」ではなかったか、と筆者は推定しています。
イギリスの人類学者、R.R.マレット(Robert Ranulph Marett:1866~1943)が提唱した観念形態で、「プレアニミズム(pre-animism)」、「マナイズム(manaism)」、「ディナミズム(dynamism)」ともよばれています。
アニマティズムとは、動植物のみならず無生物や自然現象など、すべてのものに生命があり,生きている、とする考え方です。
アニマ(anima)とは 魂、霊魂を意味するラテン語ですが、アニマティズムでは、霊魂の存在は否定したうえで、生命は認めると考え方が、人類の初期段階に存在した、と主張しています。
「人間、事物、動植物、諸現象の作用や活動とは、活力、威力、生命力、呪力、超自然力である、と感じる心理や態度である」と考えて、「活力や生命力という観念が、歴史的にも心理的にも霊魂や精霊という観念に先行している」と述べられています(Pre-animistic Religion:1900) 。
マレットによると、メラネシアやポリネシアの先住民が抱いているマナ(mana)という観念は、超自然力や呪力であり、神や人間はもとより自然現象全てに含まれており、物から物へと転移していきます。例えば戦士が敵を倒せるのは、槍に強力なマナが付加されているからです。
南アフリカのコーサ人(Xhosa)は、暴風が吹きよせる時には、丘に登って風の進路を変えるように呼びかけます。暴風に霊魂を認めているのではなく、暴風そのものを生き物とみなして反応しているからだ、と説明しています
要するに、未開時代の人間は、動物や事物そのものを非人格的な威力や活力を認めたうえで、それらに情動的に反応し、驚異や恐怖、さらには尊敬や畏敬の念を抱いていた、と考えているのです。
マレットの「アニマティズム」は、彼の師であるE.B.タイラー(Edward Burnett Tylor: 1832~1917)の提唱した「アニミズム(animism)」を補完するものとして提起されました。
タイラーのアニミズムは、人物や事物その他に宿り、その宿り場を離脱できる霊魂や精霊を意味しており、これこそ宗教の起源とみなすものです。
これに対してアニマティズムは、霊魂や精霊のような観念的な実態が識知される以前に、人間が事物や現象に情動的に反応して、「生きている=力」ととらえた段階があったと主張しているのです。
アニミズムが事物や現象に内在する霊魂や精霊などの霊的存在を強調しているのに対し、アニマティズムは万物に潜んでいる活力や作用の面に注目した、ともいえるでしょう。
両説の違いについては従来、宗教や信仰の比重という視点から議論されてきました。
マレット自身の提起もまた、宗教の動的な面と呪術的要素を重視して、霊的存在への信念にまで抽象化されていない状態を、狭義のアニミズムとは区別するため、新たにアニマティズムという類型を設定したもの、とも解釈されています。
しかし、当ブログが議論している「時代識知」という視点から見る時には、アニマティズムについても、宗教や呪術などの既成の観念範疇を一旦離れて、純粋に環境把握の差異、分節化と合節化の違いとして考えていくことが必要ではないか、と考えています。
その意味では、「アニマティズム(animatism)」というより、「ディナミズム(dynamism)」という名称の方がふさわしいのかもしれません。
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