人口容量の壁に突きあたれば、これまで述べてきた、人為的な人口抑制装置が作動します。
文化が安定している社会では、人間は自ら人口を抑制する動きを高めるからです。現代日本の文化的状況も比較的安定していますから、私たち日本人もまたパニックに陥る前に、人口を抑制しようと動きだしているのです。
とすれば、人口減少は決して〝異常〟な出来事ではなく、極めて〝正常〟な現象です。マスメディアの中には、昨今の人口減少を「人口病」とか「人口減少病」などと揶揄して、異常視するむきもありますが、それこそ視野狭窄にすぎません。現代の日本人は人口容量の限界に正しく反応しているのです。
このことを確かめるために、人口容量と人口抑制装置の関係を、数式で説明してみましょう。
この式の分子、N(自然環境)×C(文明)は、一つの文明が自然環境に働きかけて作りだした総生息容量を示していますから、これをPとすると、次のように表現できます。
つまり、ある時期の人口容量は、総生息容量を一人当たりの生息水準で割ったものだ、ということです。総生息容量が多くても生息水準が高ければ人口容量は低くなり、逆に総生息容量が少なくても生息水準が低ければ人口容量は多くなります。
経済環境に限っていえば、GDPが高くても、国民一人当たりの所得水準が高ければ人口容量は少なくなり、逆にGDPが低くても、所得水準が低ければ人口容量は多くなる、ということです。
この式を前提にすると、人口容量の飽和化と人口抑制装置の作動するプロセスは、次のように説明できます。
①P(総生息容量)が伸びている時には、L(一人当たりの生息水準)が伸びても、V(人口容量)にはなおゆとりがあるから、人口は増える余地がある。逆にいうと、Pの伸び率が人口の伸び率より大きい時には、Lも上昇する。このため、自らの生息水準を落とさないで、親世代は子どもを増やすことができるし、また子ども世代は高齢の親世代を扶養することができる。
②Pが伸びなくなった時、Lがなお伸び続けると、Vはますます落ちるから、人口容量は増えなくなる。逆にいうと、Pの伸び率が衰えて人口の伸び率を下回りはじめると、Lも低下せざるをえない。
③Pが伸びない以上、Vを増やすには、Lを下げるしかない。そこで、親世代は自らの生息水準を下げて子ども増やすか、生息水準を維持して子どもを諦めるか、の選択を迫られる。また子ども世代は自らの生息水準を下げて老年世代を扶養すべきか、生息水準を維持して老年世代の扶養を縮小するか、の選択を迫られる。
④すでに一定の豊かさを経験した世代の多くは、その生息水準を落とすことを嫌うから、親世代は事前に晩婚や非婚を選んだり、結婚しても避妊や中絶などを行なって、出生数を減らす。また子ども世代は老年世代の世話を拒否したり、年金負担を忌避するから、老年世代の生息水準は次第に低下し死亡数が増える。
⑤さらには、動物界のなわばりや順位制のように、Vの分配をめぐって競争が激化し、より多くを獲得した、一部の優者だけが優先的にLを維持して、生息水準を落とさないまま、結婚して子どもを増やしたり、老年世代の世話を継続するようになる。だが、競争に負けた劣者の多くは、その分Lの分け前が少なくなり、ますます結婚、子作り、老年者扶養を忌避するようになるから、全体としては人口が抑制される。
⑥こうした環境下で人間が選ぶ、晩婚や非婚という結婚抑制行動、避妊や中絶などの出産抑制行動、老年者介護の拒否や年金負担の忌避などの扶養敬遠行動は、いずれも個々の人間の意思的な選択であるが、それが集団に広がるにつれて、社会的に認知されたムーブメントとして定着していく。その意味で、これらの行動は人為的、文化的な抑制装置なのである。
以上のように、人間は人口容量の制約が近づくと、さまざまな人為的抑制装置を作動させて人口を抑えています。現在の日本で進み始めている人口減少の、本当の理由もまたここにあります。こうした理解をしない限り、人口減少社会の本質を把握し、そのゆくえを正しく見定めることはまず不可能でしょう。
(詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)
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