2017年7月17日月曜日

外国人の労働力を受け入れる!

人口減少時代にGDPを維持していくには、「人口減少でGDP /人は2倍へ!」(2017年5月18日)で述べたように、まずは労働力の確保が必要です。

それには、①労働力対象の見直し、②AIやロボットなど新技術による生産性の向上③外国人労働力の受け入れ、の3つが求められます。

①②についてはすでに述べてきましたので、③について付記しておきますと、すでに「
外国人を増やせるのか?」(2015年1月20日)と「プラス、マイナスの分岐点は?」(2015年1月21日)で触れたように、今後は外国人常住者の受け入れを毎年平均3.7%の割合で増やしていかなければなりません。

だが、それに伴って、総人口に占める比重が次第に高まり、2030年には3%台、2040年には4%台、そして2050年には7%台へ急上昇します。

この比率が5%を超えるあたりから、ヨーロッパ諸国では社会・経済のさまざまな側面で、プラス面よりマイナス面が顕在化しているようです



となると、わが国においても、2040~50年代に5%を超えるまでは、プラス面の効果の方が期待できるものと思われます。

いずれにしろ、人口が減少する時代にGDPを維持していくには、マイナス現象、あるいはデメリット現象への対応を的確に行ったうえで、外国人の受け入れを徐々に行うことが求められます。


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この件に関しては、同趣旨の論文を16年前、『中央公論』(2001年10月号)に寄稿しています。→現代社会研究所サイト
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2017年7月4日火曜日

人工知能やロボットを激活する!

生産年齢人口や労働力人口の減少をカバーするには、人工知能やロボットなどの最先端技術を最大限に活用しなければなりません。

㈱野村総合研究所の推計(2015年12月)によると、10~20年後には国内労働人口の49%に当たる職業が、人工知能やロボットで代替される可能性が高い、とされています。



どのような職業が代替されるのか、次のように指摘しています。

代替可能性の高い職業は、製造や販売などの現場作業であり、可能性の低い職業はクリエイターや研究者、医者や保育士などである。

代替可能性が高のは、必ずしも特別な知識・スキルが求められない職業や、データの分析や秩序的・体系的操作が求められる職業であり、逆に代替が難しいのは、抽象的な概念の知識や他者の理解、交渉などが必要な職業である。

要するに、日本の生産を支えている、さまざまな職種のうち、単純労働や定例的労働などについては、ほぼ半分ほどが人工知能やロボットに置き換えられる、ということです。

このためか、人工知能やロボット技術の進歩によってさまざまな職業が不要になり、失業者が急増するのではないか、という懸念や不安も囁かれ始めています。

しかし、人口減少時代に日本の生産力を全体として維持していくには、一人一人の生産性を上げていくことが必要です。

人工知能やロボットに置き換えられる職種は積極的に代替を進め、その余力を代替不可能職種に振り向け、既存業務全体の生産性を上げていく。そのうえで、生産性の高い新商品や新サービスを創り出す分野へと移行させていく。

人工知能やロボットの導入で失業者が増えるとしても、彼らを非代替分野へ積極的に振り向けることで、全体として不足する労働力をカバーしていかなければなりません。

人口減少時代には、職業能力対策もまた、人口増加・成長・拡大型社会とは異なる、人口減少・飽和・濃密型社会に即した方向へと、大胆に対応していくことが求められるのです。

2017年6月28日水曜日

生産性の上昇で労働力の減少をカバーする

新しい年齢区分の適用で生産年齢人口を56%台で維持し、さまざまな労働参加策の向上によって労働力率を60%台に引き上げることができれば、GDPの維持はさほど困難なことではありません。

しかし、労働力人口が減っていくことは避けられませんので、もう一方では、労働者1人当たりの生産性を上げていくことが必要になってきます。私たち日本人の労働生産性は現在、どの程度なのでしょうか。

(公財)日本生産性本部の「
労働生産性の国際比較」(2016年度版)によると、次のように位置づけられています。



①日本の労働生産性(2015年)は74,315ドル(783万円)で、OECD加盟35カ国中22位、カナダ (88,518ドル/932万円)や英国(86,490ドル/911万円)をやや下回り、米国(121,187ドル/1,276万円)の概ね6割程度である。

②日米間の生産性格差は、両国企業の価格戦略の違影響されている。

日本企業では小売や飲食、製造業などを中心に、1990年代からのデフレに対応して業務効率化を進め、利益を削ってでも低価格化を実現するという戦略で競争力を強化してきた。
一方、米国企業では生産性の向上によって付加価値を拡大させ、高価格を実現してきた。
こうした両国間の戦略差が生産性の格差を生みだしている(米・コロンビア大学:H.パトリック教授)。

③日本の生産性を向上させるためには、米国で急成長している配車サービス「ウーバー」のような、IT技術をミックスしたサービスの開発が求められる。

米国ではIT技術によるイノベーションがさまざまな産業分野で、新たな付加価値を創出する原動力となって、生産性の向上にもつながっている(米・ハーバード大学:D.ジョルゲンソン教授)。

④日本が米国など主要国との格差を縮めるには、業務の効率化を進めるだけでなく、新しいサービスや製品を生み出して、付加価値を上げることが必要である。


以上のように、日本の労働生産性は今後、大きく改善される可能性があります。

とりわけ、IT技術、AIやロボットなどの導入によって、生産年齢人口や労働力人口の減少をカバーできる可能性はますます広がっていくでしょう。

2017年6月20日火曜日

労働力人口を維持するには・・・

生産年齢人口の減少が避けられないとすれば、労働力人口を可能な限り増やしていくことが必要です。

労働力人口とは、15歳以上の人口から非労働力人口(主婦や学生など労働能力はあっても働く意思をもたない者、あるいは病弱者や老齢者など労働能力をもたない者)を差し引いた人数です。

この労働力人口が15歳以上人口に占める比率が労働力率です。

労働力人口と労働力率の推移を振り返ってみると、下図のようになります。

人口増加に伴って、労働力人口は2010年ころまで順調に伸びてきましたが、1990年代以降は労働参加率の低下によって、2000年ころから減少してきました。

しかし、2010年以降、女性や高齢者の労働参加が進み始めたため、2015年には幾分回復していきました。

前回見たように、生産年齢人口(15~64歳)は今後、年齢区分を見直したとしても、なお急減していきます。

とすれば、生産力を維持するには、労働力率をさらに上げていくことが求められます。

労働政策研究・研修機構の「労働力需給の推計・2016年版」によれば、下図のように労働力率を現在の59%台から2020年には60.2%へ、2030年には60.8%へと上げていきことができれば、労働力人口は現在の6580万人台から、2020年には6589万人2030年には6362万人まで維持していけるものと推測しています。
要するに、15歳以上の国民にできるだけ働いてもらえるよう、さまざまな対策を展開する必要がある、ということです。

具体的に言えば、女性や高齢者・障碍者などがいっそう労働に参加できるように、働き方の改革や雇用制度の改革などを積極的に進めていくことでしょう。

女性の参加率拡大については、ダイバーシティ経営の実践や促進、待機児童解消対策の強化、産休・育休制度の拡張など、女性が働きやすい体制造りが求められます。

高齢者の参加率改善については、65歳以上まで働ける雇用体制の拡大、ハローワークなどでの生涯現役支援体制の拡大、体力に見合った雇用体制の拡大などが求められます。

人口減少に伴う生産力の減少に対応していくには、まずは以上のような労働力率の上昇が求められます。

2017年6月7日水曜日

生産年齢人口を維持するには・・・

労働力人口の基礎となる生産年齢は、これまで15~64歳とされてきました。

平均寿命の延長に伴って、この区分を見直すとすれば、前回述べたように、下限を25歳へ、上限を74歳へと上げていくことが必要です。

しかし、一度に上げるとなると、さまざまな支障が予想されますから、2015年から2055年の40年の間に徐々に上げていく、という手法が考えられます。

下限も上限も毎年0.25歳ずつ上げていくということです。

国立社会保障・人口問題研究所の2017年推計に、この変更を適用してみると、実数では下図のようになります。


従来の定義による生産年齢人口(15~64歳)は、2015年の7728万人から、2035年には6494万人、2055年には5028万人へと落ち、以後も徐々に減って、2100年には3073万人、2115年には2592万人まで落ちていきます。

新たな定義(40年間漸上)では、2015年の7728万人から、2035年には6758万人、2055年には5491万人へと落ち、2100年には3379万人、2115年には2859万人まで減っていきます。

両者を比較してみると、新定義では2035年で264万人、2055年で463万人、2100年で306万人、2115年で267万人ほど増えることになります。

このように新定義にすれば、生産年人口の減少傾向を幾分か緩和することができます。しかし、総人口の減少による生産年齢人口の急減までを止めることはできません。

総人口がここまで減るとは思いませんが、それでも減ることは間違いありませんから、やむをえないことだと思います。



とはいえ、減っていく人口に見合った生産年齢人口の比率を考えると、新定義はそれなりに意味があります。

上記の実数を年齢別構成比で示すと、下図のように変化していくからです。



従来の定義による生産年齢人口(15~64歳)は、2015年の60.8%から、2035年には56.4%、2055年には51.6%へと落ち、以後は横ばいとなって、2100年には51.5%、2115年には51.3%になります。

新たな定義(40年間漸上)では、2015年の60.8%から、2035年には58.7%、2055年には56.4%へと落ちますが、以後は横ばいとなって、2100年には56.7%、2115年には56.5%になります。

新定義を採用すれば、2035年で2.3%、2055年で7.1%、2100年で5.2%、2115年で5.2%と、それぞれ生産年齢人口の比率を上げることができる、ということです。

要するに、総人口が減っていく以上、労働力人口の減少もやむをえませんが、生産年齢の定義を徐々に上げていけば、生産年齢人口の比率を2050年代までに4%落とすだけで押しとどめ、以後は22世紀の初めまで56%台で安定化させることができるのです。 

2017年5月25日木曜日

生産年齢人口を見直す!

人口減少社会では、GDP がゼロ成長であっても、国民一人当たりの所得は伸びていきます。

そのためには、GDP を維持することが必要であり、方策の第一は労働力人口の定義を見直ことです。

現在、15~64歳とされている生産年齢人口の定義を、現実に即した方向へと移行していくのです。

この件については【
「75歳高齢者制」がようやく認知されてきた!】(2017年1月7日)ですでに述べたように、筆者は20年ほど前から、高齢者の定義を平均寿命の上昇に見合ったものに変えて、生産従事者を増やしていくことを提案してきました。

具体的には、新年齢基準に前提にして「年金制度の改革」「自己責任による積み立て方式」「65歳以上の就労枠拡大へ」「自ら新しい職場を創る」「生涯現役の多毛作人生へ」などを提案しています。

現時点で、この提案を見直してみると、平均寿命の急激な上昇に伴って、高齢者の定義だけでなく、若年者の定義もまた見直しが必要となっています。

従来の定義では、寿命が70歳前後であった1960年ころの人生観に基づいて、0~6歳を「幼年」、7~14歳を「少年」、15~29歳を「青年」、30~64歳を「中年」、65歳以上を「老年」とよんできました。

ところが、2015年の平均寿命は、女性86.99歳、男性80.75歳となりました。平均寿命は0歳児の平均余命ですから、65歳に達した人であれば、女性は89歳、男性は84歳まで生き延びます。人生はすでに「85〜90歳」の時代に入っているのです。

こうなると、過去の年齢区分はもはや通用しません。寿命が1.2~1.3倍に延びた以上、年齢区分もまたシフトさせ、0~9歳「幼年」、10~24歳「少年」、25~44歳「青年」、45~74歳「中年」、75歳以上「老年」とよぶほうが適切になるでしょう。


エッと思われるかもしれませんが、世の中を見渡せば、この区分はすでに通用しています。

過去10数年、新成人(満20歳)
となった若者に聞くと、約7割が「自分は大人ではない」と答えています。

40歳で青年会議所を卒業した男女も、44歳くらいまでは会合に出席しています。

近ごろの70歳は、体力、気力、知力とも旺盛で、老人とか高年者とよばれると、顔をしかめます

このように、現実はすでに新しい区分へ近づいているのです。

とすれば、生産年齢人口もまた、新たな青年と中年、つまり25~74歳と考えるべきではないでしょうか。

定義を変えると、生産年齢人口の実数や構成比率は、どのように変わっていくのでしょうか。

2017年5月18日木曜日

人口減少でGDP /人は2倍へ!

人口減少によって、人口容量には間違いなくゆとりが生まれてきます。

加工貿易文明が作り出してきた、現代日本の人口容量=1億2800万人を維持できれば、人口が減る分だけ、私たちの暮らしにはゆとりが出てきます

経済的に見ると、現在のGDP水準を維持できれば、1人当たりGDPは伸びていきます。ゼロ成長であっても、私たちの所得は伸びていく、ということです。

実際、現在のGDP =500兆円が落ちなければ、下図のように、国民一人当たりの所得は2015年の393万円から2050年には491万円(1.23倍)2100年には837万円(2.13倍)へと増えてきます(いずれも実質)。


人口が減る社会では、経済規模が伸びなくても、個々人は豊かになっていくのです。

いうまでもなく、これを実現していくためには、GDPの維持、分配の公平化、移民影響の最小化など、幾つかの条件があります。

最初の条件は「GDPの維持」です。

人口減少によって、すでに問題化しているように労働力も減少していきますから、生産力もまた落ちていきます

これを覆すには、次のような方策が考えられます。

労働力の見直し・・現在の労働力の前提になっている生産年齢や生産対象層を見直す。

新技術による生産性の向上・・・AIやロボットの応用範囲を拡大し、生産性の向上を図る。

外国人の受け入れによる増加・・・移民の悪影響を最小化する範囲内で、外国人の受け入れを図る。

以上の3つをうまく組み合わせできれば、GDPの維持はさほど難しいことではありません

2017年5月4日木曜日

人口減少でゆとりが生まれる!

12,800万人という人口容量の下で、少しでも人口を回復させるには、どうすればいいのでしょうか。

人口を回復させるためには、人口減少の真因である「人口抑制装置」の作動を弱めることが必要です。

すでに述べたように、1960年代以降、現代日本の人口集団は人口容量が満杯に近づくにつれて、人口抑制装置が徐々に作動させてきました。

その結果、一方では出生数が抑制され、他方では死亡数が増加するという、いわゆる「少産・多死化」が進み、人口は停滞から減少へと移行しました。

この抑制装置は一度作動すると、人口構造の中に組み込まれてしばらくは持続し、容量が満杯となった後もなお続いていきます。

このため、現代日本の人口は、国立社会保障・人口問題研究所の推計のように、21世紀中は回復しない、と予測されることになります。

しかし、今後は人口の減少に伴って、人口容量に少しずつゆとりが生まれてきます。

もしこれを活用できれば、もう少し早く人口を回復させることも可能になるのかもしれません。

ゆとりを利用して、人口抑制装置の作動を少しでも弱めることができれば、その分、人口には回復する可能性が高まってくるということです。

どの程度ゆとりが生まれてくるのか、おおまかに計算してみましょう。

①人口容量は1億2000万人です。
②人口予測値は国立社会保障・人口問題研究所・2017年推計・中位値とします。
③人口容量(1億2000万人)を各年の人口で割ったものが余裕値となります。

とすると、余裕値は、下図に示したように、現在(1.0)に比べて、2067年には1.5倍2094年には2.0倍になります。

これに伴って、人口抑制装置も作動を緩め、人口にも回復の可能性が生まれてくるはずです

21世紀の前半にはまず無理でしょうが、後半になればある程度の回復が予想できます。

それには何が必要なのか、幾つかの条件を考えていきましょう。

2017年4月25日火曜日

人口は回復しないのか?

新しい人口推計でも、日本の総人口は21世紀末まで減少を続けていきます。

出生数の回復や外国人の受け入れなど、さまざまな対応策が議論されていますが、果たして回復の可能性はあるのでしょうか

よりマクロな視点から考えてみると、すでに述べたように、2080年代からは回復の可能性が予想できます。

その基本的な論拠は次のようなものです。



①人口容量の壁に突き当った総人口は、修正ロジスティック線に沿って一旦は減少していく。

②それとともに、人口容量と人口の間には、次第に余裕が生まれくる

③この余裕が、総人口を支える個々の国民のゆとりにまで浸透していくと、出生率は上昇し死亡率は低下するから、総人口は再び増加してくる(詳細なプロセスについては、【
総期待値を2110年まで展望する !】:2015年6月30日を参照)。

④再増加し始めた総人口は、人口容量の上限まで再び伸びていく。

⑤人口容量の壁に突き当たると、またまた総人口は減少し始める。

⑥人口容量が拡大しない限り、総人口は容量の下で増減を繰り返す

⑦新しい文明によって人口容量が拡大されると、ようやく総人口は本格的に増加し始め、新容量の壁に突き当たるまで増加を続けていく。

このような視点に立てば、現在の人口容量(加工貿易文明×日本列島)の下でも、ある程度の回復が考えられ、容量の下で増減を繰り返ことが予想できます。

しかし、さらに継続的な増加を可能にするためには、新たな文明の創造によって、人口容量そのものを拡大しなければなりません。

2017年4月14日金曜日

新推計値を考える!

新しい人口予測(将来推計人口)が、4月10日、国立社会保障・人口問題研究所から公表されました。

最も可能性の高いと推計される「中位値」では、2053年に1億人を割り、2100年に6000万人まで減っていきます。

一番高く推測された「高位値」では、2061年に1億人を割り、2100年に7400万人にまで減っていきます。

最も低く推測された「低位値」では、2047年に1億人を割り、2100年に4800万人にまで減っていきます。

いずれも減少傾向が続くことには変わりはありませんが、前回2012年の予測値より、かなり上向きとなっています


上記の3ケースとも、2100年時点で前回より1000万人ほど増加しています。

この理由として、同推計では、①30~40 歳代の出生率実績上昇を受けて、推計の前提となる合計特殊出生率を上昇させた、②平均寿命の伸び率が上昇した、という、2つをあげています。

これまで公表されてきた将来人口推計では、そのほとんどが前回分より下向きの数字となっていました。

今回の推計で前回より上向きとなった背景には、人口減少が始まって約10年、国民の選択が減少社会に適応した方向へと動き出した、という事実があるのかもしれません。

2017年4月2日日曜日

人口減少とどうつきあうか?

5度目の人口減少が始まって約10年、急激に変化する社会に、私たちはどのようにつきあっていけばいいのでしょうか。

人口回復の可能性については、少子化対策の強化や移民拡大政策の導入など、さまざまな対応案が提唱されていますが、それらの実現性や効果がどれほどのものなのか、明確な展望は未だ出されていません。

このブログでも、人口容量と人口抑制装置という視点から、こうした課題について幾度か触れてきましたので、これから改めて整理していきたいと思います。

基本的な展望として、このブログでは、人口回復の可能性を次の図のように想定しています。



 グラフの中の高・中・低位とは国立社会保障・人口問題研究所の予測値であり、新予測値とは、既存の予測値を基礎にしつつ、「国民の生活意識が人口減少に次第に対応してくる」という、筆者独自の予想を前提に、新たに予測したものです。
(詳細は「
人口減少社会の背景と展望 : 生活心理と消費行動のゆくえ」㈶統計研究会・内外経済情勢懇談会編「Ecoレポート」79号)

予測のプロセスは「
人口は再び増加する!」でも触れていますが、その大略は次のとおりです。

①2010年以降の人口予測値については、国立社会保障・人口問題研究所2012年推計の中から低位を基本にしています。

②2035~2100年については、人口容量に対する国民の「
総期待値」が2035年ころに1970年の水準に戻る想定し、その後の出生率と死亡率が2100年までに2035年の水準にまで回復するという仮説にたっています。

③以上の条件によると、今後の人口は2070年代に6660万人で底を打ち、2100年には7000万人台まで回復してきます。

この新予測値は、もし回復可能性があるとすれば、どのあたりにあるのかという、淡い期待に基づいています。

果たしてこれが実現できるのか、さまざまな側面から考察していきます。

2017年3月19日日曜日

フランスの出産支援策は日本では効果がない!

これまで見てきたように、ヨーロッパ主要国の人口動向は、合計特殊出生率の高低によって、2つのグループに明確に分かれています。

その背景を推定してみますと、次のような事情が浮かんできます。

①2つのグループが生まれるのは、人口容量のピークを経験しているか否かの違いです。容量のピークを超えたドイツ、スペイン、イタリアは低出生率国となり、ピークをまだ超えていないスウェーデン、フランス、イギリスは高出生率国となっています。

②いいかえれば、低グループでは出生率が低いがゆえに、人口ピークの到来、つまり、人口容量の上限が早く現れ、逆に高グループでは、未だ口容量の上限が見えていないから出生率が高い、ともいえるでしょう。

③人口容量の高低が生まれるのは、【国土×加工貿易文明】で生み出される上限が、低出生率国ではグローバル化の限界化で早く現れ、高出生率国では未だ現れていないためです。

④迫り来る人口容量の上限に対して、低出生率国がいち早く対応したのは、過去の歴史上、人口波動(修正ロジスティック曲線)の中間あたりの変曲点に対して、ナショナリズムや覇権主義で対応したことへのトラウマの故、と推定されます。この対応が引き起こした悲惨な結末が、各国民の潜在的な無意識となって、人口抑制装置を速やかに作動させたものと思われます。

⑤高出生率国においても、まもなく人口容量の上限に達することが予想されますが、対応未経験の国では、やはりナショナリズムや覇権主義などに陥る危険性が高い、と予想されます。昨今のアメリカやヨーロッパ諸国における「右傾化」の動向は、もしかしたら、その前兆とも考えられます。

⑥このように考えると、高出生率国であるスウェーデンやフランスなどの出産支援策を、ドイツやイタリアなどの低出生率国へ、単純に導入したとしても、さほどの効果は期待できないでしょう。まして自然環境も国際環境も異なる、アジア地域の日本へ導入するのはほとんど無意味といえるでしょう。

下図を見れば一目でわかりますが、日本という国は、国土面積の比較からみても、人口増減の推移からみても、まったく特異なトレンドを辿っている国家です。




肯定的に言えば、近代工業文明を受容し、急速に工業化と人口増加を達成したものの、その限界を真っ先に味わって、人口減少・飽和濃密型の社会へ向かおうとしている先例、ともいえるでしょう。

以上に述べたことは、いうまでもなく、一つの仮説にすぎません。今後、より詳細に検証していくことが必要だと思います。

しかし、「あらゆる理論は仮説にすぎません。絶対の真理など存在しないのです。もし一つの仮説で行き詰まったとしたら、別の仮説を求めればいい。仮説と仮説の論争の中から、より望ましい方向を求めていけばいい。仮説は仮説を産み、その連鎖がパラダイムを変えていくことになるでしょう」(拙著『日本人はどこまで減るか』P.248)。 

2017年3月10日金曜日

変曲点への対応が違った!

日本は、食糧の国内自給の上限7200~7500万人が次第に迫ってきた1910~40年代にはナショナリズム覇権主義を強めました。

同じ時期に、ドイツ、イギリス、フランスなど、ヨーロッパ主要国の人口も、図に示したように停滞を経験しています。


この40年間は、第1次世界大戦から第2次世界大戦に至る時期であり、その影響がさまざまな形で各国の人口に及びました。

一定の人口容量のもとで増加していく人口は、
修正ロジスティック曲線を辿りますが、その真ん中あたりで急増から漸増へと移行する変曲点を通過します。

科学技術と国際化を基盤とする「加工貿易文明」によって、それぞれの人口を増やしてきた、ヨーロッパの先進諸国もまた、この時期に変曲点に差し掛かりました。

その時、イギリスやフランスなどはいち早く植民地の拡大に邁進し、加工貿易体制による人口容量拡大路線を維持しました。
だが、体制作りにやや遅れたドイツ、イタリア、スペインなどは、領土や植民地などの再分割を求めざるをえませんでした。その衝突が2つの大戦を引き起こしたのです。

日本もまた、この変曲点を海外進出によって曲がりきろうとしました。

ただスウェーデンだけは、未だ変曲点に到らず、両大戦を中立国として躱しました。

このように考えると、2つの戦争とは、産業革命による工業化によって人口容量を増やしてきたうえ、素材や食糧を海外で調達できる体制をいち早く作り上げた国家群と、それに乗り遅れた国家群の間で起こった軋轢や摩擦が、やむなくも行き着いた結果だったのです。

いいかえれば、第1~2次大戦とは、それぞれの人口容量に対応する、各国の戦略の差異が衝突した、不幸な結果だった、といえるでしょう。

2017年3月3日金曜日

容量オーバー時の対応経験で分かれる!

ヨーロッパ諸国では、人口容量のピークを経験しているか否かによって、合計特殊出生率の高い国と低い国の2グループが生まれているようです。

容量のピークを超えたドイツ、スペイン、イタリアは低出生率国となり、ピークをまだ超えていないスウェーデン、フランス、イギリスは高出生率国だ、ということです。

下に掲げた2つのグラフを改めて比較してみると、このことが容易にわかります。

 


人口容量のピークの前後が、なぜ出生率に影響するのでしょうか。

低出生率国に入った国々を見て、すぐに気がつくのは、ドイツ、イタリアおよび、同じような推移を辿っている日本が、いずれも第2次世界大戦の開始国であり敗戦国であることです。スペインもまた、同じ時期にフランコ政権によるファシスト体制を経験しています。

こうした経験がなぜ出生率に影響しているのか、さまざまな推測できますが、「人口波動説」から考えると、人口容量オーバーへの対応経験の差ではないか、と思います。

さまざまな動物の世界では、それぞれの個体数が
キャリング・キャパシティー(Carrying Capacity;個体数容量)を超えてしまうと、大量死や集団離脱など、かなりラディカルな対応によって容量の内側へ戻る、という事例が数多く報告されています。

人間の場合も、形は変わりますが、同じような現象が現れる可能性が十分にあります。

低出生率国である日本の推移を振り返ってみると、食糧の国内自給の上限であった7200万人に達した1930年代、海外移民から海外派兵まで、軍事力による対応を強め、その結果として敗戦と大量死という悲惨な結果を味わっています。

その後は加工貿易体制に切り替えることで、ほぼ倍近い容量を作り出すことにとりあえず成功しましたが、それでも容量への対応を誤ると、再び大量死に至るという体験は、国民の潜在的無意識の次元にまで染み透り、幾重にも蓄積されています。

このトラウマが、再び容量のピークに差し掛かった時、個人から社会までさまざまな局面に出現して、人口増加を抑え込むのではないでしょうか。

ヨーロッパの国々でも、同じような経験が出生率を抑え込んでいるのでは、と推測できます。

2017年2月22日水曜日

人口ピークも2極化していた・・・ヨーロッパ

ヨーロッパ諸国の合計特殊出生率は2極化しており、その背景については、出産支援策の得失から国民性による選択に到るまで、さまざまな見解が展開されています。

しかし、これらの見解から外れている事象も幾つか指摘されており、単純には説明できないようです。本当の要因は一体どこにあるのでしょうか?

そこで、筆者は「人口容量」という、まったく別の視点から説明してみたいと思います。

まずヨーロッパ主要国の人口の推移と予測を、1970年を基準にして、2100年まで展望してみると、下図のように描けます。




一目でわかるのは人口のピーク時点です。ドイツは2005年前後、スペインは2010年前後、イタリアは2015年前後、そして参考までに加えた日本も2010年前後であり、いずれも21世紀初頭にピークを迎えています。

一方、スウェーデン、フランス、イギリスはなお伸び続けており、ピークに到るのは22世紀以降となる模様です。

人口ピークとは、人口容量の上限を意味していますから、ドイツ、スペイン、イタリアはすでに容量の上限に達した国であり、スウェーデン、フランス、イギリスは未だ容量の上限に達していない国ということになります。

繰り返しますが、
人口容量とは【自然環境×文明】ですから、特定の時代の一国の人口容量は【国土の自然環境×現在の文明】で決まってきます。

自然条件や国土環境が類似したヨーロッパの国々であっても、それぞれの自然条件・国土面積・伝統的文化・国民感情など広義の自然条件と、物質的・経済的・社会制度的な広義の文明の組み合わせによって、それぞれの人口容量は自ら異なってきます。

その結果、人口容量の上限に早く達する国と、上限に遅れて達する国が生まれたようです。ドイツ、スペイン、イタリアはすでに容量の上限を経験した国、スウェーデン、フランス、イギリスは未経験の国ということです。

この2極化こそ、合計特殊出生率の2極化の真因ではないでしょうか。

先にあげた「
合計特殊出生率で2つに分かれる」のグラフと、上記のグラフを比べてみれば、人口ピークの2グループと合計特殊出生率の2グループがぴったり一致していることがわかります。

とすれば、「合計特殊出生率の2極化の要因は、人口ピーク前後の2極化にある」とも考えられます。人口ピークを経験した国では出生率が低く、未経験の国では出生率が高いのです。

では、なぜ人口ピークの経験の有無が合計特殊出生率の偏差を生み出すのでしょか。次回以降で考えてみましょう。

2017年2月18日土曜日

合計特殊出生率で2極化するヨーロッパ主要国

少子化対策の是非が議論される昨今、フランスやスウェーデンなど、ヨーロッパ先進国の成功事例を、わが国にも導入すべきだ、との意見が高っています。

本当にそうなのでしょうか。

ヨーロッパ主要国の合計特殊出生率の推移を眺めてみると、2つのグループに分かれています。


フランス、スウェーデン、イギリスの高グループと、ドイツ、イタリア、スペインの低グループです。日本の出生率も低グループと同じです。

なぜ2つに分かれるのでしょうか。

フランスやスウェーデンでは、現金給付と現物給付の両立支援」が成功し、ドイツでは現金給付が中心で成果が出なかったため、とか、イタリアやドイツでは伝統的家族観」が強く、良妻賢母が貴ばれているせいだ、などと説明されています。

しかし、現金給付が中心のイギリスも高グループに入っており、地縁共同体が
強いゆえにスペインは低グループに留まっている、との指摘もあります。

スウェーデンでは、1980年代に両立支援を強化して、90年前後に出生率を一気に高めはしましたが、その後の財政破綻で支援を弱めると、5年ほどで急低下させました。


この経緯については、筆者は17年前、「中央公論」(2000年12月号)に「スウェーデン・モデルの失敗」と題して寄稿しています。もっとも、2000年以降は順調に回復させ、今では高グループに入っています。

このように、高低両グループの要因は、支援策の有効性から伝統的な国民性に到るまで、極めて多岐にわたっており、単純には説明できないようです

本当の要因は一体どこにあるのでしょうか?

2017年2月10日金曜日

少子化対策の本質と限界

少子化対策といわれる結婚・出産促進策で、人口容量の限界で作動した人口抑制装置を覆すことができるのでしょうか

人口抑制装置とは、幾度も述べてきたように、あらゆる生物に生得的に組み込まれた個体数調整のしくみです。

キャリング・キャパシティー(生存容量)が満杯に近づくにつれて、その範囲内に収まるように、さまざまな種はそれぞれの数を抑え込んでいきます。

もし個体数が容量を超えてしまえば、やがて大量死をもたらすことになりますから、予めそれを抑えようとするのは、危機的状況を避けるための、生得的な“知恵”ともいえるでしょう。

つまり、個体数抑制装置とは、一定容量下に生息する生物集団にとって、破滅的打撃を避けるための遺伝的なしくみなのです。


人間の場合も、こうした装置は当然、生理的次元に組み込まれていますが、さらに文化的(人為的)次元でも作動しています。要するに、人間では生理的抑制と文化的抑制の二重の装置が働いているのです。

この人口抑制装置には、すでに【
人為的抑制装置には3つの次元がある!】で述べたように、出産や転入などを抑える増加抑制装置と、死亡や転出などを促す減少促進装置の両面があります。

一方、昨今喧伝されている少子化対策は、この増加抑制装置の作動を抑えようとするものです

人口減少は社会的混乱を招くおそれがあるから、これまで続いてきた社会構造をなんとか維持するために、人口を保持・増加しようとするものです。

極論すれば、現代の日本人が長期的・無意識的次元で選んでいる人口増加抑制行動を、短期的・意識的(意図的)な次元でひっくり返そうとする人口再増加行動ともいえるでしょう。

それゆえに、少子化対策はほとんど効果を上げられません。




図に示したように、そのほとんど全ては間接的抑制装置の作動に向けられており、それがもし成功したとしても、その効果が限られたものなのです。

というより、近視眼的・部分的視点で立案された対応策では、ほとんど効果は上げられないともいえるでしょう。

人口抑制装置の作動とは、それほど単純に抑えられるものではないのです




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2017年2月4日土曜日

少子化対策で出産は増えるのか?


昨今のわが国では、出生数が減り続けているため、さまざまな出産奨励策が展開されます。

その中核となる、政府の「少子化社会対策大綱(2015年3月20日閣議決定)では、次のような重点課題が立てられ、それぞれに対応する政策が計画されています。

子育て支援施策の一層の充実・・・子ども・子育て支援新制度の円滑な実施、待機児童の解消、「小1の壁」の打破 

若い年齢での結婚・出産の希望が実現できる環境の整備・・・経済的基盤の安定、結婚に対する取組支援 

多子世帯への一層の配慮で3人以上子供が持てる環境の整備・・・子育て・保育・教育・住居など様々な面での負担軽減、社会の全ての構成員による多子世帯への配慮の促進 

男女の働き方改革の推進・・・男性の意識・行動改革、「ワーク・ライフ・バランス」・「女性の活躍」の推進 

地域の実情に即した取り組みの強化・・・地域の強みを活かした取組支援、「 地方創生」と連携した取組の推進


これまで述べてきた人口抑制装置の視点で考えると、これらの対策は果たして効果があるのでしょうか。
 



① 「
出産適齢女性人口の減少」は、一定の人口容量の中で人口集団が増加・停滞・減少という過程を辿る場合、年齢構成が徐々に上昇していくという生理的装置の結果であり、大綱の諸対策では如何ともしがたい

② 晩婚化・非婚化が拡大する一因が、
「遭遇機会減少という社会的環境」や「結婚資金不足という経済的環境」などの社会的条件の変化であるとすれば、大綱の諸対策はそれなりの効果が期待できる

③ もう一つの要因が
「自由度の維持」や「不必要性」などの個人的願望の変貌である以上、大綱の諸対策の効果はほとんど期待できない

④ 結婚・出産の外部環境で
「大都市という居住環境」や「人口容量の伸び悩み」という抑制装置が暗黙のうちに作動している以上、大綱の諸対策の効果はほとんど期待できない

⑤ 結婚・出産の個人条件で、個々人の「自我肥大度」は高まるものの「期待肥大値」は減少するため、
自己保守意識が拡大している以上、大綱の諸対策では如何ともしがたい

⑥ 少子・無子化が拡大する一因が、
「夫婦の人生観・生活意識と子どもに対する費用対効果の比較」であるとすれば、大綱の諸対策それなりに効果が期待できる

⑦ もう一つの要因が
「夫婦の自我肥大度」と「子どもの期待肥大値」の比較である以上、大綱の諸対策の効果はほとんど期待できない

以上のように、少子化社会対策大綱の諸対策では、一部の効果は予想されるものの、人口抑制装置の本質的な作動に対抗することはほとんど不可能であり、結婚の促進も出産の増加もともに期待できないといえるでしょう。





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2017年1月20日金曜日

子どもを作るか・生活水準を守るか?

人口容量が限界に達した社会で生きる人々は、自らの生活水準をいかに維持するかということに、極めて敏感になってきます。

とりわけ出産適齢期の夫婦では、それが強く意識されます。つまり、子どもを作るか、自分たちの生活水準を維持するか、という厳しい選択を問われるからです

人口抑制装置という視点から見ると、この選択には2つの次元が含まれています。

一つはマクロな次元・・・

人口容量が増えない以上、夫婦は自らの生活水準を削って子どもを作るか、生活水準を優先して子どもを作らないかという選択を迫られます。

人口容量の上限に近づくにつれて、一人当たりの生活水準が抑えられてきますから、前者より後者を選ぶ夫婦が次第に増えてきます

もう一つはミクロな次元・・・

多くの夫婦は自らが享受している生活水準とほぼ同じ水準を子どもにも与えたい、と考えていますが、人口容量の分け前が急減している社会では、ほとんどそれが不可能になってきます。

前者は夫婦自身が生まれた時の「自我肥大度」(
自我肥大度こそ結婚忌避の真因!・参照)がほぼ達成された水準ですが、後者は子ども自身の「期待肥大値」(現代日本の総期待肥大値を計る!・参照)であり、前者に比べてはるかに低い水準となります。


マクロ、ミクロの両面から、多くの夫婦は自らの立場とともに、子ども自身の立場を考えても、常にこうした選択を迫られます

そのことが多くの夫婦に対して、出産へ踏み切ることを躊躇させるようになるのでしょう。 

2017年1月7日土曜日

「75歳高齢者制」がようやく認知されてきた!(番外)

新たな年が始まり、マスメディアには、今後の社会を展望する記事や番組が溢れています。
そこで、今回は人口抑制装置論の展開を一休みし、あちこちで大きく取り上げられた「75歳高齢者制」について、筆者の感想を述べておきます。

1月6日の新聞各紙は、次のような記事を一斉に掲載しています。
 【75歳で高齢者、65歳は「准高齢者」・学会提言】 
日本老年学会など5日、現在は65歳以上と定義されている「高齢者」を75歳以上に見直すよう求める提言を発表した。医療の進展や生活環境の改善により、10年前に比べ身体の働きや知的能力が5~10歳は若返っていると判断した。
前期高齢者とされている65~74歳は、活発な社会活動が可能な人が大多数だとして「准高齢者」に区分するよう提案。社会の支え手と捉え直すことが、明るく活力ある高齢化社会につながるとしている。
65歳以上を「支えられる側」として設計されている社会保障や雇用制度の在り方に関する議論にも大きな影響を与えそうだ。(中略)
内閣府の意識調査でも、65歳以上を高齢者とすることに否定的な意見が大半で、男性は70歳以上、女性は75歳以上を高齢者とする回答が最多だったことも考慮した。
(日本経済新聞・2017年1月6日より抜粋)

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「75歳高齢者制」については、筆者も19年前に『
凝縮社会をどう生きるか』(NHKブックス、1998年)という本の中で初めて提唱して以来、一貫して主張してきました。

当初は反論や批判が多かったと記憶していますが、その後少しづつ賛成意見も増えてきました。ここにきて、ようやく多くの賛同者を得られたという思いです。

同書から関連部分を抜き出してみましょう。

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75歳高齢者制へ
もっとはっきりいえば、65歳以上の人たちを一律に高齢者とよぶこと自体が間違っている。国連統計や日本の人口統計でもほとんどがそうなっているから、つい確定的だと思いがちだが、決してそうではない。発展途上国では60歳以上の場合もあるし、先進国では70歳以上の場合もある

実をいうと、この定義は今から30年前の1960年代に、世界保健機構(WHO)が定めたものだ。当時のわが国では、平均寿命が男68歳、女73歳、平均70歳だったから、65歳で高齢者となっても、余生は僅か5年だった。そのうえ、当時は工業社会で筋肉労働が中心であり、65歳くらいが生産年齢の上限というのも頷けた。

だが、90年代の平均寿命は、男76歳、女83歳、平均80歳で、65歳で老人扱いでは、余生は15年にもなる。また産業構造はソフト化・情報化しているから、筋力や敏捷性が多少衰えても、頭脳が大丈夫ならまだまだ働ける。現に老人医療の第一線から、65〜74歳の身体は「中年のそれと大して変わらない」という証言もある。

そのうえ、21世紀の初頭からは、先の答申が指摘しているとおり、労働力人口も減少し、慢性的な人手不足となるから、中高年はもとより、専業主婦やフリーターの若者たちも、積極的に労働市場へ参加してもらわねばならない。そうなると当然、65歳以上の高齢者も有効に活用する体制が求められる。

このように見てくると、高齢者の定義は、60年代なみに余生5年を基準にして、75歳にまで上げるべきだろう。そうなれば、96年の高齢者比率(65歳以上は15.1%)は、2025年(75歳以上は16.1%)でもほとんど変わらず、年金問題などは縮小してしまう。

さらに国立社会保障・人口問題研究所の想定では、2025年には平均寿命が男78.8歳、女85.8歳に達するというから、 この変更は充分可能だろう。もっとも、1度に上げるのが 大変だというなら、図9―3に示したように、生産年齢人口を全体の約70%に維持するように、高齢者の下限を徐々に引き上げていけばよい。


これに伴って、今後の高齢化対策では、年金改革や増税対策以上に、高齢者の能力開発雇用機会の拡大などが重要な課題になる。例えば、職場環境を高齢者向けに整備したり、就業条件にも時間短縮、ジョブシェアリング、フレックスタイムなどを導入することだろう。

あるいは、体力知力に応じて、国・公立学校の教師や公務の一部などには、高齢者の雇用枠を義務付けたり、高齢者を雇う企業には減税をおこなうなどの対策も有効であろう。減少していく労働供給の中で、良質の若年労働力を生産性の高い分野に集中的に投入するためにも、こうした対応は絶対に必要になってくる。

結局、今後の高齢化対応政策では、若年労働力尊重、終身雇用、60歳定年制といった人口増加社会の常識を捨てて、中高年活用、人生数回定年制、高齢者再雇用など、人口減少社会に見合った方向へ、大胆に移行していくことが必要なのである。


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本書では、こうした発想を前提に、「年金制度の改革」「自己責任による積み立て方式」「65歳以上の就労枠拡大へ」「自ら新しい職場を創る」「生涯現役の多毛作人生へ」など、具体的な提案もしていました。

あれからすでに19年が過ぎましたが、この提言は今もなお十分に通用する思います。

というより、19年前にもし日本の政府が、社会の目標や諸政策の方向をこうした方向へ転換していたとすれば、人口減少社会や少産・長寿社会への不安など、とっくに消え去っていたのではないでしょうか。

そうと思うと、もっと強く主張するべきだった、と大変残念な気もしています。