2016年12月30日金曜日

少子・無子夫婦はなぜ増えるのか?

「少産化」の背景として、一般的にあげられている要因のうち、出産適齢(15~49歳)女性人口の減少、結婚忌避者の増加に続いて、3番めは少子夫婦の増加、つまり「子どもを作らない夫婦が増えてきた」ことです。

「第15回出生動向基本調査(国立社会保障・人口問題研究所、2015)によれば、下図に示したように、夫婦の完結出生児数(最終的な出生子ども数の平均値)は1.94人で、2010年の1.96人に続いて2人を下回っています。

夫婦の半数以上(54.1%)が2人の子どもを持っていますが、子ども1人の夫婦の比率(18.6%)もまた上昇しているからです。

人口抑制装置という視点から見れば、これは人為的な抑制装置の作動であり、直接的抑制と間接的抑制の両面が考えられます。

直接的抑制とは、妊娠抑制(避妊、性交禁止)、出産抑制(堕胎、嬰児殺し)などをさしますが、これについては、すでに【
直接的抑制装置も作動している!】(2015年4月10日)の中で述べています。

間接的抑制とは、家族や子どもの価値の低下、家族の縮小、都市化の進行、社会的頽廃化などを意味しており、これまた大略については【
間接的抑制ではまず増加抑制装置が動いた!】(2015年4月17日)の中でデータなどを紹介しています。

両方を鑑みると、抑制装置は個々の夫婦の人生観や生活意識などのネウチ観と、子どもの費用・効果というネウチ観の比較の上で作動しているものと考えられます。

人口波動の進行によって、両者のバランスが微妙に変動し、それが有子・少子・無子という結果をもたらしているのです。

2016年12月18日日曜日

自我肥大度こそ結婚忌避の真因!

前回、「肥大化した自意識」と書きましたところ、さまざまなご批判やご意見をいただきましたので、もう少し説明を加えておきます。

人口波動と個々人の生活意識の関係については、図に示したように、「期待肥大値」と「自我肥大度」の2つが考えられます。

このうち、「期待肥大値」については、【現代日本の総期待肥大値を計る!】(2015年6月17日)の中で、すでに紹介しています。

「期待肥大値」とは、1人当たりの生きられる期待値(人口容量の上限/出生年の総人口)であり、生まれた時点で、自分の一生が何万人生きられる社会なるのか、どのくらいまで拡大していけるものなのか、などを“期待”する意識のことです。

具体的にいえば、戦前生まれの老人は人口容量7500万人を、また戦後生まれ中年は1億2800万人を、それぞれ前提にした生涯意識を持っている、ということです。

これを総計した値が、人口容量を越えるか否かで、その後の人口推移が決まってくると【
総期待肥大値を2110年まで展望する !】(2015年6月30日)の中で述べておきました。

一方、「自我肥大度」とは、各人が生まれた年の人口波動上の位置をさしており、その時点で、どれほどの豊かさ、どれほどの生活水準にあったか、を意味しています。これによって、各人の生活水準への意識レベルを測ることができます。

人口9000万人の1957年ころに生まれた人の意識より、人口1億2000万人の1984年ころに生まれた人の意識の方が、より肥大化しているということです。


個々人の意識が肥大化しているというよりも、生育した社会環境によって、自らそうした変化が生まれてくといえるでしょう。

このように考えると、「自由度の維持」や「結婚の不必要性」が増加する、結婚忌避志向の背景には、結婚適齢期に入った人々の「自我肥大度」が深く関わっているといわざるをえません。豊かな社会環境の中で、一度高度な生活水準を体験した人々ほど、そこから外れることを恐れるのです。

人口容量の上限が迫ってくる社会では、一方では一人当たりの生活容量が次第に少なくなりますが、他方では自我肥大度を膨らませた結婚適齢者が増えてきます。


そうなると、結婚適齢者は「自我肥大度を抑えて結婚し、生活容量を分け合う」か、「自我肥大度を守るため、結婚しないで生活容量を確保する」かの選択を迫られたうえ、後者を選ぶ人が増えてくるのです。

要約すれば、人口が増え、人口容量の上限に近づくにつれて、自我肥大度」は高まりますが、逆に「期待肥大値」は減少してきますから、前者が後者を圧倒するのです。

このように、結婚忌避志向の根源には、一人ひとりの個人を越えた、社会的な構造があります。これこそ、人間社会にも「人口抑制装置」が存在することの、紛れもなき証拠といえるでしょう。 

2016年12月6日火曜日

自己防衛意識が抑制装置を作動させる!

晩婚化・非婚化が拡大する背景には、「遭遇機会の減少」や「結婚資金の不足」などの社会・経済的条件の変化と、「自由度の維持」や「結婚の不必要性」などの個人的願望の変貌が、双方から絡まっている、と述べてきました。

前者のうち、「遭遇機会の減少」という社会的環境は、村落社会や企業社会といった、濃厚なコミュニティーが縮小し、地方出身都会人や非正規社員など、自由度は増したものの、孤立して生活する青・成年層が増加した結果と考えられます。

また「結婚資金の不足」という経済的環境は、長引くデフレ経済のもとで、青・成年層の所得停滞が長引いているためでしょう。

一方、後者のうち、「自由度の維持」という個人的条件の変化は、比較的豊かな生育環境の下で成長してきた対象層の、生活欲望が拡大した結果といえます。上の年齢層の意識に比べて、個人的自由度への願望は限りなく肥大化しているのです。

また「結婚の不必要性」という個人的願望の変化もまた、従来の固定した家庭観へ見切りをつけ自律あるいは孤立した人生を望む人たちの増加を示しています。

このように考えると、結婚の外部的環境では、大都市という居住環境や人口容量の伸び悩みという抑制装置が暗黙のうちに作動しています。また個人的条件の変化では、肥大化した自意識が人口容量の壁にぶつかることで、人口を抑えるという抑制装置を自ら作動させています。

要するに、人口容量に余裕がなくなった社会では、一人一人の個人が己を守ることに懸命となるという鍵が働くことで、さまざまな人口抑制装置が作動し始めているのです。