2019年8月4日日曜日

「識知」は根底的な認識行動!

「時代識知」という言葉に求められる、第5の要件は「学問、思想、科学などの次元を超えて、より根底的な認識次元を捉える言葉である」ことです。

「識知」という言葉を誰が使ったのか?2019年6月13日】で述べたように、M.フーコーは「savoir」(識知:中村雄二郎訳)という言葉を、「一つの時代、一つの文化の共通の基盤をなす認識系ともいうべきもので、個々人の知識や思想を超えて存在するもの」として使っているようです。

人間という動物は、【
「識知」と「認知」の差を考える!:2019年6月22日】で触れたように、「認知」+「識知」という、二重の知覚処理能力によって周りの環境世界を理解しています。

この二重構造によって、環境世界は最初に「認知」行動によって「モノ界:ピュシス:physis」として把握され、次に「識知」行動によって「コト界:コスモス:cosmos」として把握されます【
「識知」が作り出す、3つの世界とは・・・:2019年7月5日】。

だが、「識知」が把握できなかった領域は「コトソト界:カオス:chaos」として残ったままです。

それゆえ、私たちの対面している、現実の世界とは、コスモスとカオスのせめぎ合う「モノコト界:ゲゴノス:gegonós」ということになります。
 
コスモスの内側において、「識知」という行動は【システム(体系)でなくストラクチャー(構造)で捉える! 2019年7月17日】で示したように、全体を点と線で把握する「システム」としてではなく、全体を分割された面で把握する「ストラクチャー」として作動しています。

またストラクチャーを造り出す「識知」行動は、【
分節化から合節化へ!:2019年7月26日】で書いたように、一方では「分節化」として対象を分割しますが、他方では「合節化」として対象を合体させるという、両面性を持っています。

以上のように、「識知」という行動は、「言語」という、人類独自の知覚装置によって環境世界を認識する行動です。

それがゆえに、学問、思想、科学などの高度な認識次元はもとより、学習や訓練などの行動次元、さらには衣食住から遊びや休養までも含む日常次元までの、あらゆる次元も含む、より根底的な認識基盤である、といえるでしょう。

「識知」は人類の根底的な認識行動を意味していますが、その認識パターンは時代とともに少しずつ変化してきました。この変化を一定の時間で区切った時、時代毎の「識知」構造が見えてきます。

これこそ「時代識知」という言葉が究極的に意味するものです。

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