石器前波を創り出した「ディナミズム(dynamism)=動体生命観」とは、【動体生命観が石器前波を創った!:2019年9月13日】で述べたように、
動いているものであれば、あらゆる物体に対して、「生き物」や「生命」を感じる、という時代識知でした。
いいかえれば、人類は「ディナミズム」によって、時間の推移とともに動いたり変化する、あらゆる物の中に「動力」や「活力」を認め、その延長上にそれらを生み出す「生命力」を想定していたのです。
これに対し、石器後波を創り出したと思われる「アニミズム(animism)」は、【アニマは人間を超える!:2019年10月23日】で述べたように、
動いている諸物の主体は、すべてが意思を持ち、生死を超えた、不可視の存在である、とみなしていました。
要するに、「アニミズム」とは、前時代の「ディナミズム」の上に、①生命力のあるものはすべて意志や感情という「意思」を持つ主体であり、②その主体は生死を超えて継続する、目には見えない存在である、という新たな観念を重ねたものでした。
こうした観念はいささか神秘的な特性とも思われるがゆえに、これまでは「アニマ(霊魂)」とか「アニミズム(汎霊説)」とよばれてきたのですが、客観的な識知論の次元に立てば、むしろ生死を超えた主体論、「インモータリズム(immortalism:造語=生死超越観)」とでも名づけた方がふさわしいと思います。
ともあれ、以上のような特性を持つインモータリズムこそ、「石器後波」時代(B.C.9000~B.C.3500年頃)の時代識知、略して「石後識知」であった、と筆者は推定しています。
その理由として推定できるのは、石前識知のディナミズムが自然界のエネルギーを“一方向的”な動きとしてとらえていたのに対し、石後識知のインモータリズムでは“循環的”な動きとして理解しようとしていたことです。
ディナミズムでは、動いている物体に対して感じた「生命」力を、やはり“一方向的”な道具である石矢や石槍などを利用して狩猟し、あるいは石核や石刃を用いて採集して、自らの生命の維持や拡大に応用するという、いわゆる旧石器文明を創り出しました。
これに対して、インモータリズムでは、動いている生命力には意志や感情を持つ主体があり、目には見えないものの、生死を超えて循環的に存続していると理解したうえで、そのエネルギーを鋤や鍬など(農耕)、あるいは囲いや篭など(牧畜)を用いて“反復的”に利用し、村落住民の生命の維持や拡大に応用するという、いわゆる新石器文明を創り出しました。
ディナミズムからインモータリズムへ、人類は新たな時代識知の出現によって、より大きな人口容量を作り上げていったのです。
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