2020年7月2日木曜日

三位一体説を動力譜(energy flow)として考える!

コロナ禍のインパクトを探るため、黒死病の先例を調べていますが、その影響を最も強く受けた西ヨーロッパの農業後波について、前々回の「生産構造」、前回の「社会構造」に続き、今回はそれらを生み出した「時代識知」をとりあげます。 

中世西ヨーロッパの「生産・社会構造」の基盤にあると思われる「時代識知」が何であったのか、といえば、やはりキリスト教の精神構造があげられるでしょう。

その構成を整理してみると、下図のように、三位一体エネルギー観神地二国論教団組織化の3つが浮上してきますので、順番に考えていきます。



このテーマについては、当ブログで中断していた「時代識知としての宗教」論の延長上にも該当していていますので、前々から考察していた素材を含めて、やや詳しく考察していきます。

まずは三位一体エネルギー観

キリスト教の最も重要な教義である「三位一体」説とは、キリスト教の根幹である、イエスの本性について、「父(神)と子(イエス)と聖霊」という三つの面を持っているが、本質的には一体である、という説です。

4世紀、アレクサンドリアの神学者アタナシウス(298∼373年)に端を発する思想であり、ローマ帝国時代の数回にわたる公会議において正統して認められ、ローマ・カトリック教会やギリシア正教からプロテスタント諸派に至るまで、脈々と継承されています。



この教義について、ローマ帝国末期の神学者・哲学者のアウグスティヌス(354~ 430年)は、400年前後に完成させた『告白』の中で、「三位一体」を次のようなアナロジーによって説明しています。






私は人々が自分自身のなかにある三位を考えることを願う。自分自身のなかにある三位は、あの三位一体とははるかに異なっているが、しかし私は人々が奮い立って、両者がどんなにかけ離れているかを吟味して感得するために、この三位を知らせる。

さて、私の言う三位とは、存在と認識と意志である。私は存在するし、知っているし、欲するからである。私は知ることも欲することもしながら存在し、私が存在して欲することを知り、私が存在して知ることを欲する。 

それゆえ、この三位において、生命が、いや、一つの生命一つの精神一つの本質が、いかに不可分であるかを、最後に、区別がいかに不可分でありながらやはり区別であるかを、見ることができる人は見るがよい。たしかに、この三位は自己の前にある。自己に注意し、それを見て私に語るがよい。 

(アウグスティヌス『告白』渡辺義雄訳・世界古典文学全集26・筑摩書房・1966) 

この文章は、イエスが三位一体であることを論証しようとしたものではなく、三位一体説をアナロジーとして、私たちの精神構造を説明したものです。

しかし、よくよく考えてみると、私たちの精神そのものが三位一体であるとすれば、その精神に宿っているイエスという存在もまた三位一体であるというトートロジー(恒真命題)を主張しているようにも思われます。

とりわけ、私は「存在する」「知っている」「欲する」という3区分は、アウグスティヌス354~ 430年)とほぼ同時代に生きたインドの仏教学者アサンガ(無著:310~ 390年頃)ヴァスバンドゥ(世親:320~400年頃)らの説く唯識論の視点と共通するものがあります。



存在する」・・・眼識・耳識・鼻識・舌識・身識の「前五識」が把握するもの。 

知っている」・・・前五識を自覚する「第六識」が把握するもの。 

欲する」・・・五識と六識の下に潜む「末那識」が自分に執着し続けるもの。

ほぼ同時代のインド仏教とローマンカトリックにおいて、極めて類似した発想が提起されているのは、農業後波という世界波動が洋の東西を超えて、新たな時代識知に支えられていたことの一例かもしれません。

そのうえで、三位一体論を、敢えて力の動き、動力譜(energy flow)として考えてみます。動力譜(energy flow)とは、【リレーショナズム(万物関係観)が農耕・牧畜を促した!:2020年1月10日】などで何度も述べているように、言語や観念などに潜むエネルギーの動きを明らかにすることです。

この視点で三位一体論を考えてみると、次のような動力構造が考えられます。




父(神)・・・世界の根源として「存在する」宇宙エネルギー

●子(イエス)・・・宇宙エネルギーの存在を正しく「知っている」認識者

●聖 霊・・・宇宙エネルギーを動かそうと「欲する」意志 

要するに、神として存在する宇宙エネルギー(父)を明確に捉えたイエス(子)は、さまざまな分野に応用しようとする主体(精霊)であるという構造です。

キリスト教に潜む、このような動力譜の観念によって、農業後波の生産構造が作り上げられ、さらには社会構造が形成されていった、といえるでしょう。

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