2015年3月5日木曜日

古代ローマの人口抑制装置

『人口論』の中でR.マルサスはさらに筆を進め、古代ローマについても、大昔から嬰児殺しの風習が広まっていた、と指摘しています。



ローマ市の伝説的な建国者ロムルスの定めた法律の中には、すでに3歳未満の子どもの遺棄を禁じたものがあり、このことから、生後間もない子どもを捨てる習慣が、それ以前にも広く行なわれていた、と推定しています。



 その後、帝国初代のアウグストゥス帝(BC27~AD14)や五賢帝の1人トラヤヌス帝(98~117)も、結婚と出産を奨励する法律を何度も出しましたが、その効果はほとんどなかったようです。




それを裏付ける証拠として、2~3世紀のキリスト教護教家ミヌキウスが「私はお前たち(ローマ市民)が、ある時は生まれた子どもを動物や鳥に委ねるのを、またある時は子どもを窒息させて死の世界に追いやるのを見ている。彼らの中には、自分の内臓の中に吸収される薬を用いて、生まれ来る人間の萌芽を消し去り、分娩の前に尊属殺人の罪を犯す(者もいる)」と書き残しています。

にもかかわらず、その後の皇帝は三児法を制定して、なおも出産を奨励します。三児法とはローマでは3人、イタリアの他の地方では4人、属州では5人の子どもを持った人は公課を免除するというものでしたが、その効果はやはり現れませんでした

これについて、マルサスは「慈善のほかには生計を得るあらゆる手段を完全に奪われて、自分の生活もままならならず、ましてや妻と2、3人の子どもを養うことなどほとんどできそうにない一群の人々にあっては、そのような法律がどれほど効果を持ちうるであろうか」と述べています。

確かに三児法と同趣旨の法律は、ローマ市民の上流階級には多少の効果を与えたかもしれません。だが、そのような法律以上に、人口を抑えようとする、さまざまな悪習の方がローマ社会に浸透していました。すでに女たちを不妊にし、母親の胎内で人を死にいたらしめるための、多くの技術や薬品が流行していたからです。

さらにマルサスは「ローマにおいては、道徳の腐敗が少なくとも上流階級では、結婚を妨げた直接の原因であった」と述べて、風俗的な退廃が非婚化を促したことを指摘しています。

以上で見てきたように、古代ローマにおいても、人口容量の飽和化の進んでくると、晩婚化や非婚化はもとより、子捨て、嬰児殺し、堕胎、不妊、性的退廃といった抑制装置がかなり広まっていたことがうかがえます。

 
  (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

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