2015年3月13日金曜日

大都市は「蟻地獄」だった!

人口抑制の第一の方法は直接的なものでしたが、もう一つ、第二の方法として間接的なものがあります。その代表は大都市化による人口抑制です。



歴史人口学者の速水融は、「概説一七―一八世紀」(『日本経済史1・経済社会の成立』所収)の中で、江戸中期の日本においては、堕胎や間引きのような、直接的な抑制とともに、間接的な抑制も行われていた事実を指摘しています。

 

「都市では男子人口が女子人口より著しく多く、この性比のアンバランスのため有配偶率が低く、結婚年齢が高くなる結果、出生率が低くなること、人口密度が高いため、また衛生状態や居住条件が悪いため、災害や流行病で人命が失われる危険性がより高く、死亡率が高いことなどがあげられる。発展する都市は周辺農村からの人口を引きつけたが、流入した人々にとって都市は『蟻地獄』であったのである。また農村からの出稼ぎの若い男女が都市の『蟻地獄』から脱出し帰村しても、結婚は遅れ、それが農村の出生率に影響を与えることになった」

要するに、江戸中期に成熟した江戸や大坂など大都市は、晩婚化や単身化を拡大させ、また衛生環境の悪化で死亡率の上昇や出生率の低下を引き起こしたばかりか、全国の人口まで抑制していたのです。

この背景は、次のように整理できます。

①都市では男子人口が女子人口より著しく多いため、有配偶率が低く、結婚年齢が高くなって出生率を落とした

②農村からの出稼ぎに出た若い男女は、都市から帰村してもやはり結婚が遅れたから、農村の出生率を低下させた

③人口密度が高く、衛生状態や住居条件が悪いため、災害や流行病で人命が失われる危険性がより高く、死亡率を高めた

このうち、①と②は出生数抑制であり、③は死亡数促進といえますが、両方が絡み合って、当時の大都市は周辺農村からの人口を引きつけたうえで、次々に減らしていく「蟻地獄」であったのです。

日本の歴史を振り返ると、人口容量の飽和に伴って、生理的抑制装置のみならず、生活水準優先、個人主義志向、大都市志向、単身化・晩婚化志向などの人為的文化的)抑制装置もまた、的確に作動していたのがわかります。

  
(詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

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