2015年3月21日土曜日

人口抑制装置が作動する時

人口抑制装置は、実際にはどのように作動しているのでしょうか。

おおまかに表現すれば、抑制装置が作動するのは、人口が人口容量(ポピュレーション・キャパシティー)の上限に近づいた時です。

より厳密にいえば、修正ロジスティック曲線の上で、キャパシティーの半分を過ぎたころから、抑制装置は作動し始めます。人口がキャパシティーの半分を超えると、1人当たりの容量、つまり「生息水準」が落ち始め、それに伴って人口も徐々に伸び率を落としていくからです。このことは、すでに抑制装置が作動していることを示しています。

今「生息水準」と書きましたが、動物ならいざしらず人間に、この言葉を使うのはいささか不適当で、やはり「生活水準」というべきかもしれません。

しかし、生活水準という言葉は、専ら所得水準をベースにした、経済学的な意味で広く使われており、ここで議論しているような、人間のより広い自由度を表わす言葉としては適当ではありません。経済的な生活水準が上がっても、逆に時間的な自由度や空間的なゆとりが減ることは先進各国の生活態様をみれば、容易に想像できます。

そこで、他の動物と同様に、生息水準を使ってみました。もっと積極的にいえば、さまざまな動物たちがそれぞれの種にふさわしい生存水準を持っているように、人間という種もまた文化や精神的な自由度までを含めた、人間独自の生存水準を持っている、ということです。さらにいえば、古代人、中世人、近世人はそれぞれが生きていた時代によって、生息水準の量や質を変えてきたのだ、といいたいのです。

こうした意味での生息水準と人口抑制装置との間には、図のような関係が働いています。




 
 
①一定の文明が作りだす人口容量は、その文明が実際に自然環境を開拓するに伴って、徐々に拡大していく。

②容量の拡大に伴って人口もまた増加するが、容量の伸び率が人口の伸び率を超えている時には、一人当たりの生息水準も上昇する。この時、一人の成人は自らの生息水準を落とさないで、子どもを増やすことができる。

③しかし、容量の伸び率が衰えて、人口の伸び率を下回り始めると、一人当たりの生息水準は低下し始める。これに伴い生物的(生理的)抑制装置が徐々に作動し始める。

④さらに生息水準の伸び率が落ちてくると、一人の成人が子どもを増やすためには、自らの生息水準を落とさざるをえなくなる。そこで、成人はこれまでの生息水準を維持・拡大していくか、それとも子どもを増やすか、二者択一を迫られる
 
⑤文化が安定していると、多くの成人は生息水準を落とすことを嫌って、子どもを増やすことを諦める。このことは、すでに生きている世代が、自分の生息水準と次世代の存続を比べて、自分の方を優先していくことを意味している。

⑥多くの成人がこのような選択を取りはじめると、それが社会全体に広がって、人為的(文化的)抑制装置を作動させることになる。
 
⑦文化が混乱していると、こうした選択をする余裕がなく、生息水準を低下させたまま子どもを増やしていくから、やがて飢餓や病気など生物的(生理的)抑制装置だけで対応せざるをえなくなる。

⑧文化の混乱が長期的に続いている人為的抑制装置が作動できず、人口は人口容量を超えて爆発的に増加していくため、戦争や集団自殺など破滅的な行動へつき進む


以上が人口抑制装置の作動する、大まかなプロセスです。装置の側からいえば、生息水準の低下にともなって、まず生物的抑制装置が作動しはじめ、さらに水準が低下していくと、文化が安定している限り人為的抑制装置が作動する、ということです。こうした二重の装置が作動し始めることで、人間はその人口を自ら抑制し減少させているのです。

 (詳しくは古田隆彦『日本人はどこまで減るか』)

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