ヨーロッパの農業後波の下降期には、これまで述べてきたような社会が展開されました。
その特徴をまとめてみると、次のように整理できます。
①下降の初期には、社会的な混乱の拡大によって、経済的には封建領主による荘園経営が解体され、社会的には従来の宗教や学問の権威が失墜して、中世的な世界観や社会秩序が崩壊しました。その結果、当時の世相には「鞭打ち苦行者」や「死の舞踏」といった集団的な“狂信”現象が発生しています。
②しかし、下降期が進んで、世の中が落ち着きを取り戻してくると、それまでの混乱を逆手にとって、ルネサンスという、新たな精神運動が生まれてきます。ルネサンスは文学、美術、建築などではじまりましたが、やがて近代的な合理的精神を生み出し、社会や経済へも広がり、次の波動を生み出す世界観へと発展していきます。
③下降期の停滞した社会の中で、活版印刷術、火薬、羅針盤などさまざまな新技術が育まれ、次の波動を担う、最も基礎的な条件を蓄積させています。
こうしてみると、人口波動の下降期とは、混乱から成熟へ、成熟から革新へ、波動の終焉から波動の萌芽へ、と社会や文化が動いていく時代ということができます。
2015年11月30日月曜日
2015年11月26日木曜日
死の文化からルネサンス=再生へ
ペストへの恐怖と混乱が進むにつれて、ヨーロッパの人々の間には、「鞭打ち苦行者」や「死の舞踏(ダンス・マカブル)」など、世の無常を嘆く終末思想が急速に広がる一方、現実生活を享楽する風潮も高まりました。
だが、そうした世相も百年戦争が終わる15世紀半ばころには、一応の落ちつきを取り戻し、政治的にも経済的にも新たな動きがはじまります。
農村では戦乱や疫病や飢饉で衰退していた農業生産が回復しはじめ、大都市では人口過剰が解消して生活水準が上昇してくると、享楽的な生活風潮ともあいまって、消費活動が活発になりました。
需要が拡大し生産も回復すると、商業活動が拡大し、その担い手として大商人が台頭してきます。彼らは経済力を武器にして発言力を強め、中世以来の貴族領主の権力を凌駕して、強力な君主による国家と経済の組織化をめざすようになります。
この動きが最も進んだのはイタリアでした。1434年にフィレンツェの権力を掌握した豪商、コジモ・デ・メディチは、積極的な外交手腕を発揮して、平和の維持に貢献するとともに、芸術や文化の支援者となって、15世紀中葉にルネサンス(再生、文芸復興)を開花させます。
ルネサンスは、文化の成熟によって、技術的にも次の時代を作りだす基盤、例えば活版印刷術、火薬、羅針盤などを生み出していきます。いずれも東洋に起源を持つものですが、この時代にヨーロッパに流入し、新たな技術として“再生”したのです。
こうして、14~15世紀に育まれたルネサンスの精神や新しい技術は、その後、ヨーロッパ中に広がり、政治的には17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命を引き起こし、経済的には18世紀中葉からはじまる産業革命によって、農業後波の物量的制約を大きく突破し、次の工業現波を急上昇させていく原動力となっていきます。

だが、そうした世相も百年戦争が終わる15世紀半ばころには、一応の落ちつきを取り戻し、政治的にも経済的にも新たな動きがはじまります。
農村では戦乱や疫病や飢饉で衰退していた農業生産が回復しはじめ、大都市では人口過剰が解消して生活水準が上昇してくると、享楽的な生活風潮ともあいまって、消費活動が活発になりました。
需要が拡大し生産も回復すると、商業活動が拡大し、その担い手として大商人が台頭してきます。彼らは経済力を武器にして発言力を強め、中世以来の貴族領主の権力を凌駕して、強力な君主による国家と経済の組織化をめざすようになります。
この動きが最も進んだのはイタリアでした。1434年にフィレンツェの権力を掌握した豪商、コジモ・デ・メディチは、積極的な外交手腕を発揮して、平和の維持に貢献するとともに、芸術や文化の支援者となって、15世紀中葉にルネサンス(再生、文芸復興)を開花させます。
ルネサンスは、文化の成熟によって、技術的にも次の時代を作りだす基盤、例えば活版印刷術、火薬、羅針盤などを生み出していきます。いずれも東洋に起源を持つものですが、この時代にヨーロッパに流入し、新たな技術として“再生”したのです。
こうして、14~15世紀に育まれたルネサンスの精神や新しい技術は、その後、ヨーロッパ中に広がり、政治的には17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命を引き起こし、経済的には18世紀中葉からはじまる産業革命によって、農業後波の物量的制約を大きく突破し、次の工業現波を急上昇させていく原動力となっていきます。
2015年11月17日火曜日
中世の秋
当時のヨーロッパ社会は、オランダの文化史学者J.ホイジンガが「中世の秋」と名づけた時代です。
「あたかも夕暮れの空の深みに吸いこまれているかのようで(中略)、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(『中世の秋』)ようなムードが漂っていました。
この200年をざっと振り返ってみると、14世紀前半からすでに混乱がはじまっていました。
ヨーロッパ人口の約40%を占めていたイギリス・フランス間では、領土と商業権の争奪をめぐって、1338年から百年戦争がはじまっていたのです。
イギリスでは、14世紀初頭から飢饉や疫病などをきっかけに、人口減少、地代の低下、農民の逃散、賃金・加工賃の騰貴などで、封建領主の農業経営が次第に困難になり、農奴の賦役を金納化したり、直営農地を農民に貸与する動きが進んでいました。そこへ百年戦争とペストの影響が及んだため、人口は14世紀中に40%も減少しました。
その結果、穀物の価格は低落し、逆に雇用労働の賃金は高騰しましたので、15世紀には「農業労働者の黄金時代」を迎えます。だが、この繁栄する農民階級に対して、当時の政府は百年戦争の戦費を負担させようと人頭税を課しましたから、ワット・タイラーの乱を挑発することになりました。
フランスでも、百年戦争や王国内部の貴族の争いで、14世紀中葉から農村の荒廃が著しく、多くの村落が数世代にわたって放棄され、耕地や葡萄畑が森林化していました。これにペストの流行が加わったため、領主直営地の多くは経営困難に陥り、折半地代や定量地代によって小作地へと転換され、15世紀半ばには中小規模の農民経営へ移行していきます。
しかし、地代の貨幣化は、当時繰り返された貨幣の悪鋳によって、かえって領主の収入を減少させ、彼らの立場を弱めることになりました。
ヨーロッパ人口の約11%を占めるイタリアでは、キリスト教会の混乱で教皇権が衰退していました。1309年には南フランスのアビニョンに教皇庁が移され、フランス王権の強い影響下におかれたため、「アビニョン捕囚」とよばれました。77年に教皇座がローマに帰還した後も、ローマとフランスで別々の教皇が選ばれたため、1378年から40年間、「教会の大分裂」が続きました。
1417年にようやく教皇の統一がなると、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ナポリとともに5大勢力が分立しますが、一連の政治的な混乱によって、農業の衰退が目立ちはじめています。
同じくヨーロッパ人口の約11%を占めたイベリア半島でも、カタルーニァ、カスティーリア、ナヴィラなどの地方では、開墾の限界化と農業技術の停滞で、農業生産の衰退、農村人口の都市への移動、人口の減少が進み、14世紀末から15世紀後半にかけて、領主の収入が低下し、各地で農民が蜂起した結果、農奴制は廃止されています。
以上のように中世的な農業生産の限界化は、経済構造や政治構造を大きく変えました。経済構造では、農村を荒廃させ、農業の生産を低下させましたが、それ以上に需要を縮小させ、穀物価格を下落させていきます。
逆に都市では、手工業製品価格が穀物価格に対して相対的に上昇したため、商業が活況を呈します。資本を蓄積した商人の手で、鉱山の開発や金属・繊維工業などの技術革新を進め、都市経済を繁栄に向かわせていきます。
また政治構造では、権力の復権をめざす封建領主に対抗して、農民層の多くがフランスのジャックリーの乱、イギリスのワット・タイラーの乱、南ドイツのアペンツェル戦争などで、積極的に闘争を挑むようになります。こうした新秩序の再編は、15世紀後半に経済が回復してくるとともに、その姿をいっそう明確にしていきます。
「あたかも夕暮れの空の深みに吸いこまれているかのようで(中略)、その空は血の色に赤く、どんよりと鉛色の雲が重苦しく、光はまがいでぎらぎらする」(『中世の秋』)ようなムードが漂っていました。

この200年をざっと振り返ってみると、14世紀前半からすでに混乱がはじまっていました。
ヨーロッパ人口の約40%を占めていたイギリス・フランス間では、領土と商業権の争奪をめぐって、1338年から百年戦争がはじまっていたのです。
イギリスでは、14世紀初頭から飢饉や疫病などをきっかけに、人口減少、地代の低下、農民の逃散、賃金・加工賃の騰貴などで、封建領主の農業経営が次第に困難になり、農奴の賦役を金納化したり、直営農地を農民に貸与する動きが進んでいました。そこへ百年戦争とペストの影響が及んだため、人口は14世紀中に40%も減少しました。
その結果、穀物の価格は低落し、逆に雇用労働の賃金は高騰しましたので、15世紀には「農業労働者の黄金時代」を迎えます。だが、この繁栄する農民階級に対して、当時の政府は百年戦争の戦費を負担させようと人頭税を課しましたから、ワット・タイラーの乱を挑発することになりました。
フランスでも、百年戦争や王国内部の貴族の争いで、14世紀中葉から農村の荒廃が著しく、多くの村落が数世代にわたって放棄され、耕地や葡萄畑が森林化していました。これにペストの流行が加わったため、領主直営地の多くは経営困難に陥り、折半地代や定量地代によって小作地へと転換され、15世紀半ばには中小規模の農民経営へ移行していきます。
しかし、地代の貨幣化は、当時繰り返された貨幣の悪鋳によって、かえって領主の収入を減少させ、彼らの立場を弱めることになりました。
ヨーロッパ人口の約11%を占めるイタリアでは、キリスト教会の混乱で教皇権が衰退していました。1309年には南フランスのアビニョンに教皇庁が移され、フランス王権の強い影響下におかれたため、「アビニョン捕囚」とよばれました。77年に教皇座がローマに帰還した後も、ローマとフランスで別々の教皇が選ばれたため、1378年から40年間、「教会の大分裂」が続きました。
1417年にようやく教皇の統一がなると、ミラノ、ベネチア、フィレンツェ、ナポリとともに5大勢力が分立しますが、一連の政治的な混乱によって、農業の衰退が目立ちはじめています。
同じくヨーロッパ人口の約11%を占めたイベリア半島でも、カタルーニァ、カスティーリア、ナヴィラなどの地方では、開墾の限界化と農業技術の停滞で、農業生産の衰退、農村人口の都市への移動、人口の減少が進み、14世紀末から15世紀後半にかけて、領主の収入が低下し、各地で農民が蜂起した結果、農奴制は廃止されています。
以上のように中世的な農業生産の限界化は、経済構造や政治構造を大きく変えました。経済構造では、農村を荒廃させ、農業の生産を低下させましたが、それ以上に需要を縮小させ、穀物価格を下落させていきます。
逆に都市では、手工業製品価格が穀物価格に対して相対的に上昇したため、商業が活況を呈します。資本を蓄積した商人の手で、鉱山の開発や金属・繊維工業などの技術革新を進め、都市経済を繁栄に向かわせていきます。
また政治構造では、権力の復権をめざす封建領主に対抗して、農民層の多くがフランスのジャックリーの乱、イギリスのワット・タイラーの乱、南ドイツのアペンツェル戦争などで、積極的に闘争を挑むようになります。こうした新秩序の再編は、15世紀後半に経済が回復してくるとともに、その姿をいっそう明確にしていきます。
2015年11月9日月曜日
中世ヨーロッパ・・・人口減少の原因はペスト?
とりわけ13世紀には十字軍が東方へ、蒙古が西方へと進んでいたため、東西を結ぶシルクロードに乗って、次第に西へと伝播していきました。

1347年、コンスタンティノープルに侵入すると、翌48年、ジェノヴァの商船により地中海の貿易路をそのまま辿って、クリミア半島のカッファからイタリア、フランスに上陸し、瞬く間にヨーロッパ内陸へ波及しました。
以後3年余の間に全ヨーロッパを席巻し、当時の死者は3人に1人に達しました。
ペストはその後も、1350年代、65年前後、80年代前半、95年前後と、ほぼ10年間隔で流行を繰り返しました。そのため、ヨーロッパ全体では100年間に約2000万人が死亡し、14世紀末までに死亡率が出生率を上回った状態が続きました。
このように書くと、ヨーロッパの農業後波は、ペストによって下降期に向かったようにみえますが、それだけではありません。その要因はあくまでも人口容量の飽和化でした。
つまり、ペストが大流行した背景には、
①14世紀前半の農業環境の悪化とそれに伴う栄養状態や衛生状態の混乱がありました。ペストによる人口減少は、それ以前からの人口減少傾向を加速したものにすぎなかったのです。
②ペストの伝染ルートは商業による国際貿易の拡大によって生まれたもので、また爆発的な流行を生んだのも、商業都市の成立で人口密度の高い町が成立していたからです。その意味で農業後波の農業技術や経済システムが辿りついた、必然的な結果といえるものでした。
こうして、農業後波の人口は16世紀初頭まで停滞していきます。この200年間の社会とは一体どんなものだったのでしょう。
2015年10月31日土曜日
人口減少社会のモデルを求めて:ヨーロッパ中世後期
人口減少に適応する複合社会とは、どのようなものなのか、人類の歴史を振り返ってみると、幾つかの先例があります。拙著『人口減少・日本はこう変わる』などの中から、代表的な事例を紹介してみましょう。
その一つが、14~15世紀のヨーロッパです。歴史学では「中世後期」とよばれている時期ですが、さまざまな人口推計によると、600年頃から増加してきたヨーロッパの人口は、1340年頃に約7400万人に達した後、10年間で約5100万人にまで急減し、以後1500年頃の6700万まで低迷しています。
この背景について、フランスの歴史人類学者、L.R.ラデュリは「西ヨーロッパの農村社会、要するに社会全体は、紀元7世紀以来、人口増大の過程にあり、ことに10~11世紀以降は確実にそうであった。ところが、1300年代、より一般的には14世紀前半になると、危機の様相の下に、この人口増大を妨害しようとする対抗的な諸要素が現れる」(『新しい歴史』)と述べています。
つまり、11世紀以降の大開拓時代が終わり、中世の農業革命の成果も一応出尽くして、人口容量がそろそろ飽和に向かったということです。
1300年頃のヨーロッパの人口は、当時の食糧生産力に対し飽和状態に近づいていたため、農地は条件の悪い土地にまで広がっていました。そうなると、気候が少し悪化しただけで、直ちに凶作と飢饉が現れました。
また耕地面積の無理な拡大で森林、牧草地、採草地が縮小し、家畜の飼育や堆肥量も減少したため、地力が低下してかえって穀物生産が減少しました。このような農業環境のもとで人々の栄養状態が悪化し、1307年ころからヨーロッパ各地で飢饉や伝染病が広がりました。
さらに1314年の春、北西ヨーロッパは凶作に見舞われ、翌15年には地中海地域を除くヨーロッパのほぼ全域で雨が降り続き、小麦が不作でした。続く16年も不作だったため、15年の年頭から小麦価格が高騰して、前年の約8倍にまで上がり、あちこちで餓死者も出ました。
17年には小麦が豊作となったため、高騰した価格は逆に急落し、凶作以前の水準を割りました。だが、一度衝撃を受けた小麦価格はもはや安定せず、それ以降は暴落と暴騰を繰り返していきます。
1330年代に入ると、こうした食糧条件のうえに英仏間の百年戦争や農民一揆などが重なって、局地的な飢饉が頻発します。
このため、ヨーロッパのほとんどの農村では、人口の減少、耕地や屋敷の放棄、集団逃亡や廃村、穀物価格の長期的低落、領主の収入減少などが始まっていました。
他方、この時期には貨幣経済の浸透で、商業や貿易が拡大し、それに伴って商業都市が発達してきます。だが、この貿易と都市が当時の人口をさらに減少させることになりました。それがこの時期にヨーロッパを襲ったペスト(黒死病)だったのです。
中世農業技術の限界化と、都市化によるペストの蔓延、この2つが絡まって、急激な人口減少が始まったのです。
その一つが、14~15世紀のヨーロッパです。歴史学では「中世後期」とよばれている時期ですが、さまざまな人口推計によると、600年頃から増加してきたヨーロッパの人口は、1340年頃に約7400万人に達した後、10年間で約5100万人にまで急減し、以後1500年頃の6700万まで低迷しています。
この背景について、フランスの歴史人類学者、L.R.ラデュリは「西ヨーロッパの農村社会、要するに社会全体は、紀元7世紀以来、人口増大の過程にあり、ことに10~11世紀以降は確実にそうであった。ところが、1300年代、より一般的には14世紀前半になると、危機の様相の下に、この人口増大を妨害しようとする対抗的な諸要素が現れる」(『新しい歴史』)と述べています。
つまり、11世紀以降の大開拓時代が終わり、中世の農業革命の成果も一応出尽くして、人口容量がそろそろ飽和に向かったということです。
1300年頃のヨーロッパの人口は、当時の食糧生産力に対し飽和状態に近づいていたため、農地は条件の悪い土地にまで広がっていました。そうなると、気候が少し悪化しただけで、直ちに凶作と飢饉が現れました。
また耕地面積の無理な拡大で森林、牧草地、採草地が縮小し、家畜の飼育や堆肥量も減少したため、地力が低下してかえって穀物生産が減少しました。このような農業環境のもとで人々の栄養状態が悪化し、1307年ころからヨーロッパ各地で飢饉や伝染病が広がりました。
さらに1314年の春、北西ヨーロッパは凶作に見舞われ、翌15年には地中海地域を除くヨーロッパのほぼ全域で雨が降り続き、小麦が不作でした。続く16年も不作だったため、15年の年頭から小麦価格が高騰して、前年の約8倍にまで上がり、あちこちで餓死者も出ました。
17年には小麦が豊作となったため、高騰した価格は逆に急落し、凶作以前の水準を割りました。だが、一度衝撃を受けた小麦価格はもはや安定せず、それ以降は暴落と暴騰を繰り返していきます。
1330年代に入ると、こうした食糧条件のうえに英仏間の百年戦争や農民一揆などが重なって、局地的な飢饉が頻発します。
このため、ヨーロッパのほとんどの農村では、人口の減少、耕地や屋敷の放棄、集団逃亡や廃村、穀物価格の長期的低落、領主の収入減少などが始まっていました。
他方、この時期には貨幣経済の浸透で、商業や貿易が拡大し、それに伴って商業都市が発達してきます。だが、この貿易と都市が当時の人口をさらに減少させることになりました。それがこの時期にヨーロッパを襲ったペスト(黒死病)だったのです。
中世農業技術の限界化と、都市化によるペストの蔓延、この2つが絡まって、急激な人口減少が始まったのです。
2015年10月15日木曜日
複合社会へ向かって!
しかし、これまで述べてきた視点に立つと、次の人口波動を担う生産・分配制度は、単に互酬制へと回帰していくのではなく、肥大した市場交換を抑制しつつも、再配分、互酬、家政の諸制度をほどよくバランスさせた「複合社会(complex society)」へ向かって徐々に進んでいくことが期待されます。
企業や資本家だけが闊歩する市場交換制度、社会主義国家や福祉国家のような再配分至上制度、家族や集落の相互扶助だけに頼る互酬中心制度、個人や家族内だけで生産・使用する家政主導制度の、いずれの1つに偏るのではなく、4つの制度を4つとも存続させながら、それぞれのバランスをとっていくという方向です。
あるいは、移りゆく時代の変化に応じて、その組み合わせの比重を変えたり、あるいはそれぞれの内容を微妙に変換していくこと、といってもいいでしょう。
こうした方向を生活構成論(生活学)の立場から再確認しておきましょう。詳しい説明は、別のブログ(生活学マーケティング)で展開していますので、ここをご覧下さい。
生活構成論では、私たちの生活の基本的な構造を、縦軸(言分け⇔身分け)と横軸(ラング⇔パロール)のマトリックスとして把握しています。
このマトリックスに、K.ポランニーの主張する4制度を位置づけてみましょう。
◆家政:個人や家族がそれぞれの生活のために行なう、自給自足的な制度であり、横軸では個人生活から共生生活まで、縦軸では感覚・象徴的な願望から機能・性能的な願望や理性・記号的な願望までを対象にしています。
◆互酬:贈与、遺贈、寄贈などの互恵行為を、言語以前の欲動次元に基づく象徴交換制度から始まっています。
◆再配分:首長制度や王権国家などに始まる制度であり、一方では国家による租税や公的年金・保険などの公的負担、他方では生活保障や年金・保険などの給付を、それぞれ理性や理念という高度にコト化された言語次元で制度化したものです。
◆交換:個人や家族がそれぞれの生活を営むために行う、他者との交換行為であり、物々交換から始まって初期商業交換、そして市場交換に至るまで、共生生活から社会制度のクロスする分野で、モノ次元を中心にコト次元まで広がっています。
以上のような位置づけを、歴史的な変化として描き出してみると、次のような展開が見られます。
●石器前・後波~農業前波では、横軸の社会制度や共生生活の分野で、「再配分」が記号的・理知的な制度として、また「互酬」が感覚的・習俗的な制度として、それぞれが位置づけられます。さらに個人生活から共生生活にまたがる分野では、「家政」が個人や家族の自律的・自給的な制度として存在します。

●農業後波になると、「再配分」と「互酬」の間に「交換」が割って入ります。初期的な商業交換ですが、「交換」という行為は、モノの価値の上下を合理的に判断するものですから、機能や性能を重視する欲求次元を中心に上下に広がります。

●工業前波になると、「交換」が肥大して「市場交換」となり、「再配分」や「互酬」を、さらには「家政」までも押しのけるようになっています。
とすれば、次の工業後波では、市場交換、互酬、再配分、家政の諸制度がほどよくバランスした「複合社会」に向かって、3つの調整が必要になってきます。
つまり、第1は市場交換の縮小に比例した、適度な領域へ向かうこと、第2は再配分の適正化に応じて、税金や社会保障などとの関係を見直すこと、そして第3は互酬制の拡大に応じて、贈答、贈与、寄与などの生活行動と一体化をめざすこと、の3点です。
工業後波という新たな波動では、より複合化の進んだ生産・分配制度が期待されます。
企業や資本家だけが闊歩する市場交換制度、社会主義国家や福祉国家のような再配分至上制度、家族や集落の相互扶助だけに頼る互酬中心制度、個人や家族内だけで生産・使用する家政主導制度の、いずれの1つに偏るのではなく、4つの制度を4つとも存続させながら、それぞれのバランスをとっていくという方向です。
あるいは、移りゆく時代の変化に応じて、その組み合わせの比重を変えたり、あるいはそれぞれの内容を微妙に変換していくこと、といってもいいでしょう。
こうした方向を生活構成論(生活学)の立場から再確認しておきましょう。詳しい説明は、別のブログ(生活学マーケティング)で展開していますので、ここをご覧下さい。
生活構成論では、私たちの生活の基本的な構造を、縦軸(言分け⇔身分け)と横軸(ラング⇔パロール)のマトリックスとして把握しています。

このマトリックスに、K.ポランニーの主張する4制度を位置づけてみましょう。
◆家政:個人や家族がそれぞれの生活のために行なう、自給自足的な制度であり、横軸では個人生活から共生生活まで、縦軸では感覚・象徴的な願望から機能・性能的な願望や理性・記号的な願望までを対象にしています。
◆互酬:贈与、遺贈、寄贈などの互恵行為を、言語以前の欲動次元に基づく象徴交換制度から始まっています。
◆再配分:首長制度や王権国家などに始まる制度であり、一方では国家による租税や公的年金・保険などの公的負担、他方では生活保障や年金・保険などの給付を、それぞれ理性や理念という高度にコト化された言語次元で制度化したものです。
◆交換:個人や家族がそれぞれの生活を営むために行う、他者との交換行為であり、物々交換から始まって初期商業交換、そして市場交換に至るまで、共生生活から社会制度のクロスする分野で、モノ次元を中心にコト次元まで広がっています。
以上のような位置づけを、歴史的な変化として描き出してみると、次のような展開が見られます。
●石器前・後波~農業前波では、横軸の社会制度や共生生活の分野で、「再配分」が記号的・理知的な制度として、また「互酬」が感覚的・習俗的な制度として、それぞれが位置づけられます。さらに個人生活から共生生活にまたがる分野では、「家政」が個人や家族の自律的・自給的な制度として存在します。

●農業後波になると、「再配分」と「互酬」の間に「交換」が割って入ります。初期的な商業交換ですが、「交換」という行為は、モノの価値の上下を合理的に判断するものですから、機能や性能を重視する欲求次元を中心に上下に広がります。

●工業前波になると、「交換」が肥大して「市場交換」となり、「再配分」や「互酬」を、さらには「家政」までも押しのけるようになっています。
とすれば、次の工業後波では、市場交換、互酬、再配分、家政の諸制度がほどよくバランスした「複合社会」に向かって、3つの調整が必要になってきます。
つまり、第1は市場交換の縮小に比例した、適度な領域へ向かうこと、第2は再配分の適正化に応じて、税金や社会保障などとの関係を見直すこと、そして第3は互酬制の拡大に応じて、贈答、贈与、寄与などの生活行動と一体化をめざすこと、の3点です。

工業後波という新たな波動では、より複合化の進んだ生産・分配制度が期待されます。
2015年10月3日土曜日
互酬性を再建する!
生産・分配制度の変化を顧みると、今後の社会目標の方向が見えてきます。
人口波動における工業現波が、前半の工業前波と後半の工業後波に分かれ、前波から後波に移行していくとすれば、後波における生産・分配制度は、前波の福祉国家と市場経済制度の過度の比重を緩和して、4つの制度がバランスを回復する方向へ向かうことが期待されます。
その時、最も回復が期待されるのが互酬制の再建です。工業前波、つまり近代社会においては、福祉国家と市場経済制度が、私たちの生活のほとんどの部分をサポートする制度として定着化し、そえがゆえにさまざまな矛盾もまた増加させています。例えば福祉財政の破綻や国際資本市場の横暴な介入などです。
こうした矛盾を緩和する手段の1つとして、最近とみに期待が集まっているのが「互酬制」の再建です。近代社会ではいつの間にか片隅に追いやられた家族共同体や地域共同体など地縁・血縁に、もう一度本来の役割を果たしてもらおうというもので、社会学者はもとより経済学者や政治学者、さらには文芸評論家の間にまで広がっています。
いうまでもなく、それぞれの意見において互酬の内容や範囲には違いがありますが、家族、親族、地縁などの共同体に、構成員相互間の生活扶助や生活支援を、一定の規模で委ねようとする方向はほぼ一致しているようです。これらの意見の背景にある、主な論拠を探ってみると、次の3つに整理できます。
第1は国家制度の欠陥を補う視点。近代国家に特有の、社会保障制度の拡大やそれに伴う財政への過剰な負担を避けるため、さまざまな共同体による互酬性を再建し、負担の一部を分担してもらおうという意見です。生活に関わる諸費用や必要サービスのほとんどを国家に頼る、北欧型の福祉国家モデルを見直し、個人を包み込む共同体との連携強化をめざしています。
第2は市場経済システムの欠陥を補う視点。市場経済の拡大が引き起こす格差拡大や貧困層の増加を救済するため、セーフティーネット(安全網)として、共同体を再構築するという意見です。アメリカ型市場経済の利点は認めつつも、過剰な競争と加重する自己責任が、結果としてもたらすマイナス効果に対処していくには、互酬制による最終的保護が求められる、というものです。
第3は社会構造の欠陥を補う視点。現代社会の中に構造的に潜んでいる個人化・モナド(孤立)化に対処するため、さまざまな共同体による保護体制が必要とする主張です。具体的には、伝統的な共同体の復活や新たな共同体の構築によって、多様な互酬性を拡大し、老齢者や幼少年の保護、弱小家庭への支援などをめざしています。
以上のように、幾つかの分野から一斉に互酬制への期待が高まっているのは、人口減少や経済停滞などに伴って、現代社会が成熟した結果ともいえるでしょう。人口が増加し、経済も伸びていた時代には、成長・拡大型社会の背後に密かに隠れていた、さまざまな欠陥が、次第に露見してきたというわけです。

とすれば、工業後波へと向かう、これからの日本にとって、このような要請に応えうる互酬システムの構築が課題になりますが、その方向は大きく分けて、次の2つでしょう。
1つは破壊された共同体の再建。市場経済や福祉国家がなしくずしに壊してきた伝統的共同体、つまり家族や親族、村落や町内会などの共同体を改めて支援し、保護・育成する政策が求められます。
もう1つは新しい共同体の構築。都市化や産業化の進んだ現代社会に対応するには、伝統的な共同体の再興だけではもはや不可能です。そこで、ハウスシェアリングやルームシェアリングなどのシェアリング家族、老齢者や単身世帯などが相互支援を前提に一緒に居住するコレクティブ家族、緊急時の共同対応や生活財の共同購入などを行なうマンション共同体、共同で農業を営む新農業共同体など、すでに進みつつある、新たな共同体の萌芽を活かして、未来型の互酬制の主体に積極的に育成していく対応が必要です。
もしも新旧の共同体の増加によって、新たな互酬制を拡大することができれば、社会全体は徐々に安定感を増していくことになるでしょう。
人口波動における工業現波が、前半の工業前波と後半の工業後波に分かれ、前波から後波に移行していくとすれば、後波における生産・分配制度は、前波の福祉国家と市場経済制度の過度の比重を緩和して、4つの制度がバランスを回復する方向へ向かうことが期待されます。
その時、最も回復が期待されるのが互酬制の再建です。工業前波、つまり近代社会においては、福祉国家と市場経済制度が、私たちの生活のほとんどの部分をサポートする制度として定着化し、そえがゆえにさまざまな矛盾もまた増加させています。例えば福祉財政の破綻や国際資本市場の横暴な介入などです。
こうした矛盾を緩和する手段の1つとして、最近とみに期待が集まっているのが「互酬制」の再建です。近代社会ではいつの間にか片隅に追いやられた家族共同体や地域共同体など地縁・血縁に、もう一度本来の役割を果たしてもらおうというもので、社会学者はもとより経済学者や政治学者、さらには文芸評論家の間にまで広がっています。
いうまでもなく、それぞれの意見において互酬の内容や範囲には違いがありますが、家族、親族、地縁などの共同体に、構成員相互間の生活扶助や生活支援を、一定の規模で委ねようとする方向はほぼ一致しているようです。これらの意見の背景にある、主な論拠を探ってみると、次の3つに整理できます。
第1は国家制度の欠陥を補う視点。近代国家に特有の、社会保障制度の拡大やそれに伴う財政への過剰な負担を避けるため、さまざまな共同体による互酬性を再建し、負担の一部を分担してもらおうという意見です。生活に関わる諸費用や必要サービスのほとんどを国家に頼る、北欧型の福祉国家モデルを見直し、個人を包み込む共同体との連携強化をめざしています。
第2は市場経済システムの欠陥を補う視点。市場経済の拡大が引き起こす格差拡大や貧困層の増加を救済するため、セーフティーネット(安全網)として、共同体を再構築するという意見です。アメリカ型市場経済の利点は認めつつも、過剰な競争と加重する自己責任が、結果としてもたらすマイナス効果に対処していくには、互酬制による最終的保護が求められる、というものです。
第3は社会構造の欠陥を補う視点。現代社会の中に構造的に潜んでいる個人化・モナド(孤立)化に対処するため、さまざまな共同体による保護体制が必要とする主張です。具体的には、伝統的な共同体の復活や新たな共同体の構築によって、多様な互酬性を拡大し、老齢者や幼少年の保護、弱小家庭への支援などをめざしています。
以上のように、幾つかの分野から一斉に互酬制への期待が高まっているのは、人口減少や経済停滞などに伴って、現代社会が成熟した結果ともいえるでしょう。人口が増加し、経済も伸びていた時代には、成長・拡大型社会の背後に密かに隠れていた、さまざまな欠陥が、次第に露見してきたというわけです。

とすれば、工業後波へと向かう、これからの日本にとって、このような要請に応えうる互酬システムの構築が課題になりますが、その方向は大きく分けて、次の2つでしょう。
1つは破壊された共同体の再建。市場経済や福祉国家がなしくずしに壊してきた伝統的共同体、つまり家族や親族、村落や町内会などの共同体を改めて支援し、保護・育成する政策が求められます。
もう1つは新しい共同体の構築。都市化や産業化の進んだ現代社会に対応するには、伝統的な共同体の再興だけではもはや不可能です。そこで、ハウスシェアリングやルームシェアリングなどのシェアリング家族、老齢者や単身世帯などが相互支援を前提に一緒に居住するコレクティブ家族、緊急時の共同対応や生活財の共同購入などを行なうマンション共同体、共同で農業を営む新農業共同体など、すでに進みつつある、新たな共同体の萌芽を活かして、未来型の互酬制の主体に積極的に育成していく対応が必要です。
もしも新旧の共同体の増加によって、新たな互酬制を拡大することができれば、社会全体は徐々に安定感を増していくことになるでしょう。
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