2015年11月26日木曜日

死の文化からルネサンス=再生へ

ペストへの恐怖と混乱が進むにつれて、ヨーロッパの人々の間には、「鞭打ち苦行者」や「死の舞踏(ダンス・マカブル」など、世の無常を嘆く終末思想が急速に広がる一方、現実生活を享楽する風潮も高まりました。

だが、そうした世相も百年戦争が終わる15世紀半ばころには、一応の落ちつきを取り戻し、政治的にも経済的にも新たな動きがはじまります。

農村では戦乱や疫病や飢饉で衰退していた農業生産が回復しはじめ、大都市では人口過剰が解消して生活水準が上昇してくると、享楽的な生活風潮ともあいまって、消費活動が活発になりました。

需要が拡大し生産も回復すると、商業活動が拡大し、その担い手として大商人が台頭してきます。彼らは経済力を武器にして発言力を強め、中世以来の貴族領主の権力を凌駕して、強力な君主による国家と経済の組織化をめざすようになります。

この動きが最も進んだのはイタリアでした。1434年にフィレンツェの権力を掌握した豪商、コジモ・デ・メディチは、積極的な外交手腕を発揮して、平和の維持に貢献するとともに、芸術や文化の支援者となって、15世紀中葉にルネサンス(再生、文芸復興)を開花させます。

ルネサンスは、文化の成熟によって、技術的にも次の時代を作りだす基盤、例えば活版印刷術、火薬、羅針盤などを生み出していきます。いずれも東洋に起源を持つものですが、この時代にヨーロッパに流入し、新たな技術として“再生”したのです。

こうして、14~15世紀に育まれたルネサンスの精神や新しい技術は、その後、ヨーロッパ中に広がり、政治的には17世紀のイギリス革命、18世紀のフランス革命を引き起こし、経済的には18世紀中葉からはじまる産業革命によって、農業後波の物量的制約を大きく突破し、次の工業現波を急上昇させていく原動力となっていきます。

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