2021年2月12日金曜日

ポストコロナ・・・ルネサンスは何をめざしたのか?

ラストミドルモデルになるルネサンス(再生)という時代は、一体何を再生させたというのでしょうか? 前回述べたように、人文主義の復権というより、神格尊重と人間自立のバランス化というのが正解だと思います。

さらに当ブログの視点でいえば、一つ前の人口波動、つまり農業前波(BC3500AD400年頃)時代識知を見直すことで、限界に至った農業後波(AD4001400年頃)の社会構造を突破する道を模索する運動、というべきかもしれません。

そこで、ヨーロッパ(ロシアを含む)の長期人口推移を振り返ってみると、3つの人口波動が鮮やかに浮上してきます。

上図に示した農業後波の下降期(ラストミドル)・・・この時期がいわゆるルネサンス時代に相当します。

そのルネサンスが改めて再生させようとしたのは、これより前の時代ですから、近い順にいえば、①農業後波の上昇期②農業前波の下降期③農業前波の上昇期、あたりということになります。3つのうち、どの時代が再生の対象となったのでしょうか。

①農業波の上昇期(6501300年)

欧州中世そのものであり、【黒死病が壊した中世西欧の時代識知とは・・・】で触れたとおり、キリスト教の「三位一体観」に基づく「農業・牧畜制」や「三圃制」、神学者・哲学者アウグスティヌス(Augustinus)の『神の国』に基づく「教会・王権並立制」や「封建制」、「教団組織制」による生産構造の「集団生産制」などが主導した、確固たるキリスト教中心時代でした。

これはルネサンス自身が超えようとした社会そのものですから、その目標にはならないと思います。

②農業波の下降期(200650年)

古代末期にあたるラストアンシェント(Last Ancient200650年頃)の時代であり、農業後波の準備期です。

BC4年にユダヤに生まれたイエスが創始したキリスト教は、すでに欧州各国に広がっており、AD200年代には、エジプトの哲学者プロティノス(Plotinus)によって、ギリシア古典哲学、新プラトン主義の「一なるもの、精神、霊魂」という三位一体論が、キリスト教の「父と子と精霊」の三位一体観へ転換させられています。

313年になると、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世(Constantinus I)がミラノ勅令でキリスト教を公認し、410426年にはアウグスティヌスが『三位一体論』や『神の国』を著し、590年にはグレゴリウス1世(Gregorius I)の即位で、ローマ教皇権が確立しています。

とすれば、この時期は、次の農業後波を創りだすための「一つ前のルネサンス(Former Renaissance」とでもよぶべき時代であり、その意味では、これもまた目標にはなりえないでしょう。

③農業波の上昇期(BC3500AD200年)

3000年ほど続いてきた農業前波の高揚・飽和期に当たる時代であり、【農業前波はミソロジーが作った?】以降で述べたように、当時の欧州では「神話的な世界観(ミソロジー:mythology」が主導していました。

BC2000年頃、バルカン半島南部に侵入したインド=ヨーロッパ系のギリシア人は,ゼウス神を中核に先住民族や近隣民族の神々などを合せて、いわゆるギリシア神話を創造しています。

これを継いで、BC700年代に詩人ホメロス(Homērosは叙事詩「イリアス」や「オデュッセイア」を、またヘシオドス(Hesiodosは神々の系譜を語る「神統記」をそれぞれ創っています。これらは、宇宙や自然の動向、神々の活躍、英雄譚など、自然環境と人間の関係を詳細に述べるものでした。

ここでいうミソロジーとは、【ミソロジーとは何だろうか?】で提起したように、❶環境世界を言語で理解する観念的装置、❷元型・象徴で構成する文章・物語、❸多様な現象を擬人化した主体群による複合的物語、❹自然と人為の相互関係を識知、❺自然現象を応用する人間活動の経緯などを特徴とする観念体系であり、一言でいえば、広義でのリレーショナリズム(Relationalism:万物関係観)といえるものです。

とすれば、この時代こそ、ルネサンスがその目標として目ざしたものだったのではないでしょうか。

以上のように振り返ると、農業前波の上昇期の精神構造、つまりミソロジーこそ、ルネサンスが再生の目標としたものだった、と考えるべきでしょう。

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