2021年12月25日土曜日

ヒンドゥー教はミソロジーだった!

農業後波を作動させた時代識知として宗教(Religionを取り上げ、仏教、キリスト教に続いて、今回はヒンドゥー教を考えてみます。

ヒンドゥー教は、紀元前2~後3世紀ころ、500年ほど前から続いてきたバラモン教が土着の民間信仰・習俗などの諸要素を吸収して成立した宗教といわれています。

聖典としては、最古のベーダ(天啓聖典)に続いて、国民的二大叙事詩『マハーバーラタ』と『ラーマーヤナ』、さらに『プラーナ』、『マヌ法典』など多数の法典があります。

この宗教の特性を先学諸賢の膨大な論述に基づき、時代識知という視点から整理してみると、宇宙観、神々、教義3点が浮上してきます。


①宇宙観

宇宙とは創造神ブラフマン(梵天)が遊戯のために創ったもので、その上に現れる現象世界もまたブラフマンの幻力(マーヤー)によって現出されたもの、と考えています。

この宇宙は、ブラフマンにとっての1日、すなわち1カルパ(地上の432000万年)間持続して消滅しますが、その後も1カルパごとに創造と消滅を繰り返していきます。

それゆえ、宇宙とは創造→存続→破壊の過程が永遠に繰り返される輪廻(りんね)であり、それにつれて現象世界も実在するのではなく、あくまでも幻影として続いていきます。

②神々

ヒンドゥー教では、強大な勢力をもつ神々はもとより、山川草木に至る、さまざまな事物が崇拝の対象になっており、時代とともに変化しています。

その本質は多神教ですが、中核となる神は存在しており、宇宙を創造するブラフマン神、これを維持・存続するビシュヌ神、これを破壊するシバ神3神です。また彼らを一体とみなす「三神一体」説も説かれています。

このほか、パールバティー、サラスバティー(弁才天)などの女神、ヤクシャ、ガンダルバなどの半神半人、ウシ・サル・ヘビなどの動物神、アシュバッタ樹やトゥラシーなどの草木神、カイラーサ山やガンジス川などの地形神なども崇拝の対象となっています。

③教義

中核となる教義は、創造→存続→破壊の輪廻からの「解脱」を究極の理想とするものです。

輪廻・・・人間は死んでも、それぞれの業(ごう)のために、来世において再び新しい命を得て、生死を無限に繰り返す「輪廻」を宿命としています。業とは、サンスクリット語のカルマンkarman(行為)の訳語で、あらゆる行為が蓄積されるものを意味し、行為者がその果報を経験し尽くさない限り消失しないものと考えられています。

法(ダルマ)・・・サンスクリット語のダルマには、習慣、義務、教説など多くの意味がありますが、基本は行為の規範です。ヒンドゥー教にはダルマをまとめた法典群があり、その中には、ものごとの成否や利害にとらわれず、利己心を離れて実践することなどが勧められています。

ダルマの実践は、物質的・経済的利益を追求する実利(アルタ)、愛情・性愛を追求する愛欲(カーマ)、および解脱(げだつ)とともに、教徒の人生の四大目的とされています。

解脱・・・ダルマ・実利・愛欲は実現されたとしても、最高の成果は天界での再生までであり、それもまた輪廻のなかに留まっています。そこで、さらに進んで人生の最高の目的は業・輪廻からの解脱であるとし、それを実現する方法として、行為の道、知識の道、信愛(バクティ)の道という3つの道が説かれています。

以上のように見てくると、ヒンドゥー教の時代識知は、宗教というよりも、一つ前の神話( Mythology)の次元を濃厚に引きずっているように思えます。

そのせいか、インド亜大陸の農業後波は、他の地域からかなり遅れ、12世紀ころからようやく上昇を始めています。


4大宗教が世界の農業後波を作ったと述べてきましたが、ヒンドゥー教が参加したのは一番遅かったのかもしれません。

2021年12月14日火曜日

キリスト教が西欧の農業後波を創った!

キリスト教の識知構造を考えてみると、①三位一体説、②神地二国論、③十二使徒制の、3つの構造が浮上してきます。これらはどのような形で、人口波動の農業後波を創り上げていったのでしょうか。

1.三位一体説

この識知を、力の動き、動力譜(energy flowとして考えてみると、神として存在する宇宙エネルギー(父)を明確に捉えたイエス(子)は、さまざまな分野に応用しようとする主体(精霊)である、という構造が浮かんできます。

三位一体論に潜む、このようなエネルギー観によって、農業後波の生産構造が作り上げられ、さらには社会構造が形成されていったと思われます。

2.神地二国論

この識知は、私たちの生きている世界には、理想としての神聖な世界と、現実としての世俗的な世界が並立しており、後者はできるだけ前者をめざすべきだ、という世界観でした。

エネルギー観でいえば、神の国という宇宙エネルギーを、地の国という受容体がどのように受け入れていくべきか、という発想です。

この発想こそ、中世ヨーロッパの社会構造の基本である「教会・王権並立制」を成立させた要因だったともいえるでしょう。

3.十二使徒制

この制度は、人類の集団的行動を、それ以前の自然発生的な地域集団から、目標的、組織的、広域的な集団へと変え行く契機を作りました。

この新たな集団形成によって、生産構造の集団生産制会構造の純粋荘園制などを形成する基盤が、速やかに醸成されていきました。

さらに十二使徒体制は、三位一体説で述べた動力譜energy flow)をいっそう補強することにもなりました。宇宙を支配する唯一神「ヤハウェ(Jehovah)」のエネルギーを、救世主イエスが引き継ぎ、十二使徒へと伝達することで、社会全体へより広く伝えていったからです。

以上のような3つの識知観によって、キリスト教という宗教は、集約農業による人口容量の成立に大きな役割を果たした、といえるでしょう。

2021年12月1日水曜日

再び精神史へ! キリスト教の識知観を考える!

ポストコロナ論、ル・ルネサンス論、人口急減論が一段落しましたので、再び人類の精神史に戻って、時代識知の変化を考えていきます。

3つのテーマに入るまでは、農業後波の時代識知として宗教(Religionを取り上げ、最初に仏教の識知観を分析していました。

続いてキリスト教を考える予定でしたが、この課題については、ポストコロナ論やル・ルネサンス論ですでに取り上げていますので、今一度整理しておきます。

キリスト教の識知構造は、①三位一体説、②神地二国論、③十二使徒制の3つに集約されると思います。それぞれの要点をまとめておきましょう。


三位一体説・・・三位一体説を動力譜(energy flow)として考える!

最も重要な教義である「三位一体」説は、キリスト教の根幹、イエスの本性を「父(神)と子(イエス)と聖霊」という三つの面が一体化したものだ、と主張しています。

この教義について、ローマ帝国末期の神学者・哲学者のアウグスティヌスは、その著『告白』(400年前後)の中で、次のようなアナロジーで説明しています。

私の言う三位とは、存在と認識と意志である。私は存在するし、知っているし、欲するからである。私は知ることも欲することもしながら存在し、私が存在して欲することを知り、私が存在して知ることを欲する。(アウグスティヌス『告白』渡辺義雄訳・世界古典文学全集26・筑摩書房・1966

この文章は、イエスが三位一体であることを論証しようとしたものではなく、三位一体説をアナロジーとして、私たちの精神構造を説明したものです。

しかし、よく考えてみると、私たちの精神そのものが三位一体であるとすれば、その精神に宿っているイエスという存在もまた三位一体であるというトートロジー(恒真命題)を主張しているように思われます。

神地二国論(聖俗並立観)・・・神地二国論が象徴しているものは何か?

2つめの教義は「神地二国論」ですが、これについても、アウグスティヌスは『神の国』(413427年)の中で、現世では「神の国」と「地の国」が併存しているのだ、と解説しています。この主張を先学諸賢の解釈を参考に整理してみると、以下のとおりです。

●「神の国」と「地上の国」は、互いに混ざり合いながら存在している。

●「神の国」が絶対的で永遠で、歴史を超越しているのに対して、「地の国」やその政治秩序はあくまで一時的、かつ限定的なものである。

●神と地の二国論は、精神的なキリスト教共同体と世俗的な権力国家を識別し、前者の後者に対する優位性や普遍性を示している。

●世界の歴史は、神を愛し自己をさげすむ「神の国」と、自己を愛し神をさげすむ「地上の国」との争いである。

●倫理目標の実現の担い手は、国家から教会へ、政治から宗教へと移行すべきである。

以上のように、私たちの生きている世界には、理想としての神聖な世界と、現実としての世俗的な世界が並立しており、後者はできるだけ前者をめざすべきだ、という世界観が読み取れます。

③十二使徒制・・・教団組織化が創り出したのは「万物統合観」だった!

3つめは「十二使徒制」という体制です。イエス・キリストは、彼が説いた「福音」を世の中に伝えるため、12人の弟子を直に選びましたが、これが後に「十二使徒」とよばれる集団となりました。

イエスの昇天後、彼らは一旦各地に分散しましたが、やがて使徒ペテロを中心に原始キリスト教団を結成し、ユダヤ教などからのさまざまな迫害をはねのけて、地中海沿岸地域で勢力を拡大しました。

十二使徒制は、天地万物の創造者で宇宙を支配する唯一神「ヤハウェ(Jehovah)」(エホバと誤読される)の力(energy)を救世主イエスが引き継ぎ、それをさらに十二使徒伝達することで社会全体へ広げていく、という構造を示していました。

このような宗教集団の成立によって、人類の集団的行動は、それ以前の自然発生的な地域集団を超えて、目標的、組織的、広域的な集団の成立可能性を高めることになりました。

キリスト教の識知構造を考えてみると、以上のような3つの教義や体制が浮上してきます。

これらがどのような形で、人口波動の農業後波を創り上げていったのか、さらに整理してみましょう。