2020年8月27日木曜日

コロナ禍が資本主義を改変する?

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例にして、コロナ禍が今や脅かそうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。

2番めは「社会構造」で、それを支える国家連合制、民主主義制、市場経済制の3つを順番に考えていきます。

最初に検討するのは市場経済制。この制度は主に①資本主義と②管理通貨で支えられています。


資本主義とは何でしょう。定義風にいえば、市場経済で行なわれる自由な競争を前提に、生産手段を所有する資本家が労働者を雇用して商品を生産・販売し、そこから利潤を獲得する経済体制です。

資本という経済手段は、近代以前よりさまざまな地域で小規模には存在していましたが、現代的な形での形態は、14~15世紀のルネッサンス期に生まれた「農業資本主義」と「商業資本主義」に始まるようです。

16~17世紀のヨーロッパで絶対王政が確立されると、生産体制において家内制手工業から工場制手工業(マニュファクチュア)への移行が進むとともに、工業構造の中に「資本」の生成と労働力の出現という初期的な産業形態が現れました。

18世紀後半~19世紀初頭、産業革命の進行によって、生産構造に中に資本家による「産業資本」が形成されたため、本格的な資本主義という形態が成立します。

こうした資本が経済構造を主導する資本主義諸国が増加するにつれて、絶対王政を倒して、産業資本家層による議会政治・政党政治などの統治構造が形成されるとともに、アジア・アフリカ地域などを植民地化する動きも広がりました。

19世紀の中頃までに、資本主義による商品経済はほぼ世界全域に行き渡り、工業化を果たした先進諸国群と、それらへ原料を供給し、かつ市場となる後進・植民地国家群という、跛行的な世界構造を成立させました。

このため、先進諸国内では「独占資本」の形成、資本家と労働者の階級的対立といった、新たな問題が拡大し始め、また植民地国家では独立運動が拡大しました。

19世紀末~20世紀の初め、銀行や財閥などの「金融資本」が産業資本を配下に収める「独占資本」が形成されると、それらは国家権力と結びついて領土や植民地を拡大し、市場と原料供給地を確保しようという帝国主義段階へと進んだため、ついには第一次世界大戦へと突入していきました。

一方、国内でも、資本家層による労働者への搾取が進みました。労働者は低賃金・長時間労働に曝され、女性や児童の雇用も日常的に行われたため、労働問題は次第に深刻化しました。

労働者側からは待遇改善や賃金上昇を求めて、労働組合の結成やストライキなどの労働運動が起こりました。こうした労使対立は帝国主義の進行とともにますます先鋭化しました。

そこで、資本主義に代わる、新たな社会体制をめざして、マルクス(Karl Marx)エンゲルス(Friedrich Engels)によって理論化されていた「社会主義」が急速に拡大しました。


第一次世界大戦(1914~1918年)中の1917年の第2次ロシア革命が成功すると、生産手段共有化や計画経済などを目標とする社会主義国家の建設が始まり、1929年からの世界恐慌へ巧みに対応しました。

第一次大戦の後、恐慌や失業者の増大という資本主義のリスクを回避するために、イギリスの経済学者ケインズ(John Maynard Keynes)は、国家の財政運用で経済への介入を強める「修正資本主義」を打ち出し、アメリカのニューディール政策に大きな影響を与えました。

第二次世界大戦(1939~1945年)では、資本主義陣営と社会主義陣営がファシズムに対して共同戦線を張って戦いましたが、戦後になるとイデオロギー的な対立が表面化し、東西冷戦の時代となりました。

1970年代には、資本主義陣営において、ケインズ的な財政出動や公共事業による経済運営が「大きな政府」として批判されるようになり、1980年代からはイギリスやアメリカでは規制緩和や「小さな政府」をめざす「新自由主義」が採用されました。

1990年代になると、社会主義国において、ソ連は崩壊中国では改革開放、ベトナムではドイモイ政策などが進められ、いわゆる「社会主義市場経済」が始まりました。

これとともに、一強と化したアメリカ合衆国流の「市場原理主義・新自由主義」が各国へと拡大し、世界市場の一極化と単一化をめざす「グローバル資本主義」が広がりました。

21世紀に入るや、2008年のリーマン・ショックによって、現代資本主義の病理が浮き彫りになりました。この危機はなんとか克服されましたが、所得格差の拡大南北の対立環境問題資源問題などが世界共通の課題が顕在化してきました。

それにも関わらず、アメリカでは保護貿易主義の強化、イギリスではEUからの離脱、中国では経済の不安定化など、国別の対応でも混迷が目立ち始めています。

資本主義の現況は以上のようなものですが、これに対して、コロナ禍はどのような影響を及ぼすのでしょうか。重要なものを列記しておきましょう。



①未曽有の危機にも関わらず、経済の実態と株価の推移が大きく乖離しており、資本の動向が経済動向を反映できなくなってきています。 

②ウイルス禍の悪影響は、感染拡大や経済的負担などで、社会的に最も脆弱な階層へ不均衡に及んでおり、所得格差や生活格差をさらに広げようとしています。 

③予防対策や景気回復策でさらに拡大する国家債務について、財政負担をどのように分担していくかが問われます。 

④ウイルス禍の影響が比較的少ない富裕層への富裕税や累進課税率の再考、あるいはデジタル企業への公正課税をめざす国際協定の採択など、税制構造の改革が緊急の要件となるでしょう。 

以上のように、コロナ禍は資本主義の今後にも、新たな課題を突き付けています。

2020年8月23日日曜日

コロナ禍でお金の価値が変わる?

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例にして、コロナ禍が今や脅かそうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。 

2番めは「社会構造」で、それを支える国家連合制、民主主義制、市場経済制の3つを順番に考えていきます。 

最初は市場経済制。この制度は主に①資本主義と②管理通貨で支えられていると思いますので、まずは管理通貨から入ります。



近代の市場社会では、分業と私有財産制を基礎としつつ、生産の主体消費の主体が相互に依存して経済活動を行っていますが、これらを繋いでいるのが通貨、つまり貨幣です。

その起源は古く、原始社会にまで遡れますが、分業の発達とともに商品交換が広がるにつれ、石、貝殻、布、家畜、穀物などの物品貨幣(実物貨幣)から、金銀銅などの金属貨幣へと移り、最終的には鋳造貨幣紙幣という現金通貨へ、さらには銀行等に預金されている当座性預金通貨などへ変化してきました。

貨幣とは一体何なのでしょうか。経済学などでは、主な機能としては、①価値尺度および価値基準、②交換手段あるいは流通手段、③価値貯蔵手段の3つを挙げています。

現代社会において、これらの機能を一片の紙無用の鉱物片に与えているのは、国家という保証機構が働いているためです。

近代国家の確立とともに、特定の形態を備えた物体を貨幣であると宣言する力(貨幣高権)を国家が持つことになりました。初めは金属製の鋳貨が主流でしたが、その素材価値が低下するにつれて補助貨となり、代わって紙幣が中心となりました。

1816年、イギリスが1ポンドの金貨鋳造を始めた時、中央銀行が発行紙幣と同額の金を常時保管して、金と紙幣との兌換を保証するという制度を開始しました。金を通貨価値の基準とする金本位制です。

その後、この制度が欧米諸国に広がって、国際決済市場では金本位が一般化しました。金貨や金地金を預託した、銀行の預かり券(紙幣)を用いて商取引を行い、最終的な決済は売り手・買い手の指定する銀行の間で金を現送して精算する、という制度です。

しかし、第一次世界大戦(1914~1918年)の前後から金本位制の矛盾が拡大し、1929年から世界恐慌が拡大したため、イギリスが1931年に金本位制を離脱すると、アメリカを除く各国も追随して、以後は金本位制に代わる管理通貨制度が拡大しました。


国内通貨の供給量を、金貨・銀貨などの備蓄量で保証することなく、政府や中央銀行が政策的に管理・調節する制度です。

この制度は広がったものの、第二次世界大戦(1939~1945年)後になると、国際通貨基金(IMF)体制のもとで、金と1オンス=35ドルで交換可能なアメリカ合衆国ドルを基軸通貨とし、各国通貨は米ドルとの固定相場制採用されました。「金ドル本位制」とか「金為替本位制」などといわれています。

ところが、1971年、アメリカでは財政赤字が増大してインフレが進行したため、ドルと金の兌換停止に踏み切りました(ニクソン・ショック)。これによって、金と通貨の関係は完全に切り離され、国際的にも本位制度(金・銀本位制)から管理通貨制度への移行が進みました。

現在の管理通貨制度では、各国の通貨当局は金や銀などの保有量とは無関係に通貨供給量を増減できますから、次のような利点と欠点が生まれてきました。



利点・・・通貨の発行量が金銀などの本位の備蓄量に拘束されないため、その量を自在に調節することで、物価の安定、経済成長、雇用の改善、国際収支の安定などを図ることが可能となりました。 

欠点・・・通貨当局が行政府の影響下にある場合には、景気対策のための恒常的な金融緩和が通貨の信用を低下させてインフレを招くことになり、逆に独立性が極端に保護される場合には、通貨当局の失策が国家に破滅的な混乱をもたらす、という懸念も考えられます。 

こうした管理通貨制度の長短に加え、21世紀に入るともう一つ、インターネットの拡大で普及し始めた仮想通貨が、さまざまな影響を引き起こしています。



代表的な仮想通貨である「ビットコイン」では、幾つかの取引情報をブロックごとにまとめて暗号化し、鎖のようにつなげていくブロックチェーン技術によって、情報の改竄を困難にし、通貨の信頼性を担保しています。 

今後、仮想通貨が拡大していけば、これまでの通貨の概念や価値が根本的に変わる可能性も生まれてきました。

以上のように、現代社会の貨幣制度は、政府または中央銀行の政策方向や仮想通貨の拡大などによって大きく変わり始めています

コロナ禍が引き起こす国家財政の悪化や、それが加速させるネット社会の拡大は、こうしたトレンドをいっそう進めていくのではないでしょうか。

2020年8月9日日曜日

コロナ禍が壊す資本・労働・消費制とは・・・

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例にして、コロナ禍が今や壊そうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。

最初は「生産構造」で、それを支える4つの要素のうち、前回の①化石・核燃料、②工業技術に続き、今回は③企業・工場制、④資本・労働・消費制の2つを考えていきます。 



企業・工場制

工業技術を活用した工業製品は、さまざまな企業主体とそれらが経営する工場によって生産されてきました。 

14~15世紀のヨーロッパでは、農民一揆が広がるにつれ、農奴から解放されて、自由を獲得した自営農民層が次第に増え、工業の原始的な形態である家内制手工業を発展させました。農村に住む生産者が、原材料や道具など生産に必要なものを自ら調達し、家庭内において手作業で製品を生産する、という工業形態でした。 

都市化が進むにつれ、問屋が発注した製品を、各家庭が生産する問屋制家内工業が急増します。商人が営む問屋が、原料や道具を手工業生産者へ貸与して製品を加工させ、それらを独占的に買い取って販売市場へと廻す、という工業形態でした。 

16世紀に入り、イギリスで都市住民が増えてくると、家庭から独立した、個々の労働者が分業して働く工場制手工業(manufacture)が始まりました。商人から成長した資本家が工場を設けて賃金労働者を集め、分業と協業による手工業で製品を生産する方式です。 

18世紀後半、イギリスの工場では、機械で製品を生産する工場制機械工業が開始されました。J.ワットが改良に成功した蒸気機関を使って、一度に大量の製品を効率的に生産できるようになったからです。 

19世紀になって、「工場制機械工業」に成功したイギリスが世界の工場と称されるようになると、アメリカやドイツなどが続々と追従しました。この工業方式は、大企業による生産の集中によって、従来の人力や自然力などの制約を大きく超え、大量生産の道を切り拓いていきます。 

20世紀に入るや、アメリカにおいて大企業が出現し、大量生産の時代を迎えます。それを可能にしたのは、標準化され互換可能な部品の量産化、作業の標準化と作業管理の体系化、移動式組立生産システムの3つでした。これらが組み合わされた大量生産システムは、家電や自動車などの量産化・低価格化によって、大規模な消費市場が形成されました。 

しかし、分業化と専門化を基本原理とする大量生産システムは、作業内容の細分化・単純化管理労働と肉体労働の分離などを引き起こし、労働意欲の低下組織の硬直化といった、さまざまな問題を拡大しています。 

さらには消費需要の多様化・個性化で、多品種少量生産へ期待が強まるにつれ、大量生産そのもの限界も現れ始めています。 

資本・労働・消費制


企業・工場制の進展は、資本・労働・消費という、3つの仕組みで支えられてきました。 

一つは“資本”家の登場でした。工場を造って作動させている主体は、そのための資本を投下する資本家層でした。

お金=資本を持った資本家は、それを投下して生産手段を所有し、雇用した労働者をそこへ投入して、さまざまな製品を生産し、それらを商品という形で販売して、そこから得た利潤を再び投下して、新たな製品を作りだすという、サイクルを展開していきます。

二つめは“労働”者の登場でした。工場で実際に働いているのは、資本家に雇用された労働者たちでした。

労働者が登場する前の生産現場では、主に家族の構成員が各々分担して農業や手工業を展開し、そこで得たお金によって暮らしを立てていたのですが、工場制機械工業以降になると、家族構成員の個々人が工場や事業所などに雇われて働き、そこから得た賃金によって生活を営むように変化したのです。

三つめは“消費”者の登場でした。大量生産で造られた商品を次々に購入して、企業・工場制を維持、拡大させたのは、新たに生まれた消費者という階層でした。

労働者層は工場労働で得た賃金によってさまざまな商品を購入しますが、その代金を集約した売上高が工場に再投資されて、工業生産高をかさ上げしていきます。

大量生産時代の初期には「隣人と同じような家電や自動車を購入して満足する」という、画一的な製品を画一的な消費者が受動的に受け取るような消費行動が広がりました。しかし、生産—消費量が拡大するにつれて、消費者は画一的な消費行動を脱し、自らの嗜好性を重視した製品を求めるようになってきました。

以上のような対応によって、資本・労働・消費の3つの仕組みは、多面的に企業・工場制を支えてきました。 

しかし、近年では、資本の巨大化による寡占化や横暴化資本家・労働者間所得格差の慢性的拡大大量生産—大量消費時代の終焉など、体制の基礎を揺るがすような、さまざまな限界が浮上し始めています。 

工業現波の生産構造をさらに眺めてみると、コロナ禍で明らかになるのは、おそらく大量生産体制資本巨大化の弊害といった、厳しい限界ではないのでしょうか。

2020年8月3日月曜日

コロナ禍が壊す生産構造とは・・・

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例にして、コロナ禍が今や壊そうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。

最初は「生産構造」です。



工業現波の生産構造は、工業生産を中核として、それを支える4つの要素、①化石・核燃料、②工業技術、③企業・工場制、④資本・労働・消費制で構成されている、と思われます。

化石・核燃料

工業現波の生産構造を支えるエネルギーの基盤は、農業・牧畜を支えてきた、太陽エネルギーの直接的享受から、宇宙・太陽エネルギーが蓄積された化石・核燃料の利用へと移行してきました。

1516世紀のイギリスでは、森林資源の枯渇・欠乏が顕在化したため、家庭用や工業用の燃料を木材から石炭へ、徐々に切り換える動きが進みました。

17世紀になると、こうした動きは家庭用の調理・暖房用に加え、工業用でも製塩業、精糖業、醸造業、ガラス工業、煉瓦製造業、造船業、針金製造業、硝石・火薬工業などへ広がり、産業革命の前段階を形成しました。

18世紀に蒸気機関が発明されて、本格的な産業革命(Industrial Revolutionが始まると、石炭は中核的なエネルギー源となりました。

19世紀の中頃に石炭の大量消費が強まると、1859年にアメリカのペンシルバニア州で機械掘りの石油採掘が開始され、石油産業が始まりました。

20世紀に入ると、電気の使用、ガソリンエンジンの利用などで、より使い勝手の良い石油エネルギーの需要が次第に広がりました。

しかし、1973年と1979には二度の石油危機が起こり、石油への過剰依存が明らかになったため、LNG(液化天然ガス)とLPG(液化石油ガス)への移行が急増しました。

一方、1950年代に始まった原子力発電は、その比重を1971年の2.1%から1990年の17.0%にまで増加しましたが、1980年代以降に発生した諸事故の影響で次第に停滞し、2017年には10.3にまで落ちています。

以上のように、工業現波のエネルギー基盤は、石炭・石油・天然ガス等の化石燃料と原子力の核燃料が支える多角化によって支えられてきました

しかし、化石燃料系は大気汚染を引き起こし、また核燃料系は高濃度放射能を拡散させるなど、地球環境や生活環境を破壊する恐れも高まって、これ以上の拡大には懸念が生じています。

また、石油や天然ガスは、21世紀中に枯渇に向かい始め、200300年程度は可能と言われてきた石炭もまた、22世紀には供給量がピークとなるなど、22世紀には化石燃料の資源枯渇が予想され始めています。

こうしてみると、工業現波を支えてきた化石・核燃料によるエネルギー供給にも、その限界が現れ始めています

工業技術

工業現波の人口容量は、【自然環境×科学技術文明(直接的には工業技術)】によって支えられています。

その工業技術は、①のエネルギーの進展と連動して、次のように発展してきました。

14世紀後半から15世紀にかけて、イタリアで興ったルネサンスにより、印刷機、航海術、大型建築術などの、新たな技術が生まれました。

16世紀になると、イギリスでは③で述べるように、労働者が分業で働く工場制手工業が始まり、鉱業・精錬・冶金技術・精密機械技術なども向上しました。

17世紀のイタリアでは、G.ガリレイが望遠鏡を使って天体を観察し、オランダのA.レーウェンフックが顕微鏡で微生物を発見します。イギリスのW.ギルバートは電気と磁気のさまざまな実験を行って近代的な科学の先駆けとなりました。

これらの技術開発を前段階として、いよいよ本格的な産業革命が始まります。

18世紀のイギリスでは、手工業が中心であった木綿工業へ、新たに発明された機械が導入されます。1733年、J.ケイが飛杼(とびひ)を、176467年にJ.ハーグリーブスがジェニー紡績機を、1769年にR.アークライトが水力紡績機を、1779年にS.クロンプトンがミュール紡績機を、1787年にE.カートライトが力織機を、1793年にアメリカでW.ホイットニーが綿繰り機を、それぞれ発明しています。

木綿工業が発達すると、輸送の効率化が求められるようになり、1769年にイギリスでJ.ワットが蒸気機関を、1814年にG.スティーブンソンが蒸気機関車を発明します。また1807年にはアメリカでR.フルトンが蒸気船を発明して、大西洋横断に成功します。

こうして技術革新は、機械工業、鉄工業、石炭業といった重工業へ波及し、さらに鉄道や蒸気船の実用化という交通革命をもたらしました。

産業革命は、1830年代にベルギーやフランスへ、1840年代にドイツへ、1860年代にアメリカへ、1890年代にロシアや日本へ、とそれぞれ波及していきました。

これに伴い、世紀末から20世紀初頭にかけ、産業革命の第2段階として、通信・家電、自動車、航空機の時代が始まります。

通信・家電では、1876年にはアメリカでG.ベルが電話を発明し、1879年にはT.エジソンが白熱電球を実用化させ、1882年に世界初の発電所をニューヨークで操業させます。1897年、イタリアのC.マルコニーが無線電信を、1904年にイギリスのJ.フレミングが二極管を、1906年にアメリカのL.デ・フォレストが三極管をそれぞれ発明し、通信やラジオ・テレビ開発の基礎となりました。

自動車では、1877年、ドイツのN.オットーが石油をエネルギー源とする内燃機関を発明すると、熱効率が高く小型化しやすいため、自動車や航空機の発明が可能となりました。1886年のドイツでは、G.ダイムラーが4ストロークエンジンの木製四輪車を開発し、K.ベンツがガソリンエンジンの三輪車を完成させています。

1903年のアメリカでは、H.フォードがフォード・モーターを設立、初年度の1万台から1913年には日産1000が生産されています。

航空機では、1903年、アメリカのライト兄弟が動力を備えた重航空機で、本格的な有人飛行に成功し、1906年にはフランスでもS.デュモンがヨーロッパで初めて動力機の飛行に成功しています。

こうして20世紀は工業生産の絶頂期となりましたが、その成果は基本的に次の3つにまとめられると思います。

生活用品の拡大・・・衣食住から通信・情報まで、私たちの生活規模を拡大しました。
移動・運送量の拡大・・・個人の移動範囲はもとより、生活資源の運送範囲を大幅に広げました。
生活容量の拡大・・・生活民一人当たりの生活規模を押し広げるとともに、全体量の補充を可能にしました。

しかし、物量的な拡大は1970年代までで、1980年代になると、産業革命の第3段階としもいわれる、コンピューター誘導時代が始まりました。

1946にアメリカで生まれた真空管式コンピューターが、196070年代にものづくりの現場にも普及し始め、運搬・溶接・検査といった人間の作業を代替するようになるとともに、1970年代マイコン・ワープロ時代、1980年代MS-DOS時代、1990年代Windows時代と、情報処理ソフトが生産活動を牽引するようになりました。

この延長線上で、2010年代には、産業革命の第4段階として、AIIoTなどを活用し、より高度な知的活動の自動化を実現する時代が到来しました。さらに2020年代以降には、産業革命の第5段階として、コンピューター技術とバイオテクノロジーの融合などにより、新素材、バイオ燃料、遺伝子治療など、地球環境や人間生活上の諸問題を解決することが期待されています。

このように工業技術はなおも発展途上にあると思われますが、人口波動という超長期的な視点から見ると、19802010年代に第3~第4段階に入ったこと自体が、その限界を示していると推測されます。

これらの時代を4次産業革命とか5次産業革命とか名づけて、新たな時代が始まったかのように喧伝する風潮がありますが、それ自体が視野狭窄的な言動ではないでしょうか。

人口波動史を振り返ると、人口容量が満杯に近づくにつれて、それを担ってきた文明や技術の方向は、物量的拡大を諦め、情報的深化へと変化しているからです。

いわゆる「モノからコトへ」の移行ですが、日本の例でいえば、【トイレットペーパーはなぜ記号化するのか?2018629日】を参照ください。

要するに、工業現波の人口容量を拡大し続けてきた工業技術もまた、すでに物量的拡大の頂点を過ぎて、いち早く情報的深化へと移行しているのです。

工業現波の生産構造を眺めてくると、コロナ禍で明らかになるのは、化石・核燃料や先端技術といった、既存の基盤要素の限界という事実でしょう。