③企業・工場制
工業技術を活用した工業製品は、さまざまな企業主体とそれらが経営する工場によって生産されてきました。
14~15世紀のヨーロッパでは、農民一揆が広がるにつれ、農奴から解放されて、自由を獲得した自営農民層が次第に増え、工業の原始的な形態である「家内制手工業」を発展させました。農村に住む生産者が、原材料や道具など生産に必要なものを自ら調達し、家庭内において手作業で製品を生産する、という工業形態でした。
都市化が進むにつれ、問屋が発注した製品を、各家庭が生産する「問屋制家内工業」が急増します。商人が営む問屋が、原料や道具を手工業生産者へ貸与して製品を加工させ、それらを独占的に買い取って販売市場へと廻す、という工業形態でした。
16世紀に入り、イギリスで都市住民が増えてくると、家庭から独立した、個々の労働者が分業して働く「工場制手工業(manufacture)」が始まりました。商人から成長した資本家が工場を設けて賃金労働者を集め、分業と協業による手工業で製品を生産する方式です。
18世紀後半、イギリスの工場では、機械で製品を生産する「工場制機械工業」が開始されました。J.ワットが改良に成功した蒸気機関を使って、一度に大量の製品を効率的に生産できるようになったからです。
19世紀になって、「工場制機械工業」に成功したイギリスが「世界の工場」と称されるようになると、アメリカやドイツなどが続々と追従しました。この工業方式は、大企業による生産の集中によって、従来の人力や自然力などの制約を大きく超え、大量生産の道を切り拓いていきます。
20世紀に入るや、アメリカにおいて大企業が出現し、「大量生産」の時代を迎えます。それを可能にしたのは、標準化され互換可能な部品の量産化、作業の標準化と作業管理の体系化、移動式組立生産システムの3つでした。これらが組み合わされた大量生産システムは、家電や自動車などの量産化・低価格化によって、大規模な消費市場が形成されました。
しかし、分業化と専門化を基本原理とする大量生産システムは、作業内容の細分化・単純化、管理労働と肉体労働の分離などを引き起こし、労働意欲の低下や組織の硬直化といった、さまざまな問題を拡大しています。
さらには消費需要の多様化・個性化で、多品種少量生産へ期待が強まるにつれ、大量生産そのもの限界も現れ始めています。
14~15世紀のヨーロッパでは、農民一揆が広がるにつれ、農奴から解放されて、自由を獲得した自営農民層が次第に増え、工業の原始的な形態である「家内制手工業」を発展させました。農村に住む生産者が、原材料や道具など生産に必要なものを自ら調達し、家庭内において手作業で製品を生産する、という工業形態でした。
都市化が進むにつれ、問屋が発注した製品を、各家庭が生産する「問屋制家内工業」が急増します。商人が営む問屋が、原料や道具を手工業生産者へ貸与して製品を加工させ、それらを独占的に買い取って販売市場へと廻す、という工業形態でした。
16世紀に入り、イギリスで都市住民が増えてくると、家庭から独立した、個々の労働者が分業して働く「工場制手工業(manufacture)」が始まりました。商人から成長した資本家が工場を設けて賃金労働者を集め、分業と協業による手工業で製品を生産する方式です。
18世紀後半、イギリスの工場では、機械で製品を生産する「工場制機械工業」が開始されました。J.ワットが改良に成功した蒸気機関を使って、一度に大量の製品を効率的に生産できるようになったからです。
19世紀になって、「工場制機械工業」に成功したイギリスが「世界の工場」と称されるようになると、アメリカやドイツなどが続々と追従しました。この工業方式は、大企業による生産の集中によって、従来の人力や自然力などの制約を大きく超え、大量生産の道を切り拓いていきます。
20世紀に入るや、アメリカにおいて大企業が出現し、「大量生産」の時代を迎えます。それを可能にしたのは、標準化され互換可能な部品の量産化、作業の標準化と作業管理の体系化、移動式組立生産システムの3つでした。これらが組み合わされた大量生産システムは、家電や自動車などの量産化・低価格化によって、大規模な消費市場が形成されました。
しかし、分業化と専門化を基本原理とする大量生産システムは、作業内容の細分化・単純化、管理労働と肉体労働の分離などを引き起こし、労働意欲の低下や組織の硬直化といった、さまざまな問題を拡大しています。
さらには消費需要の多様化・個性化で、多品種少量生産へ期待が強まるにつれ、大量生産そのもの限界も現れ始めています。
④資本・労働・消費制
企業・工場制の進展は、資本・労働・消費という、3つの仕組みで支えられてきました。
一つは“資本”家の登場でした。工場を造って作動させている主体は、そのための資本を投下する資本家層でした。
お金=資本を持った資本家は、それを投下して生産手段を所有し、雇用した労働者をそこへ投入して、さまざまな製品を生産し、それらを商品という形で販売して、そこから得た利潤を再び投下して、新たな製品を作りだすという、サイクルを展開していきます。
二つめは“労働”者の登場でした。工場で実際に働いているのは、資本家に雇用された労働者たちでした。
労働者が登場する前の生産現場では、主に家族の構成員が各々分担して農業や手工業を展開し、そこで得たお金によって暮らしを立てていたのですが、工場制機械工業以降になると、家族構成員の個々人が工場や事業所などに雇われて働き、そこから得た賃金によって生活を営むように変化したのです。
三つめは“消費”者の登場でした。大量生産で造られた商品を次々に購入して、企業・工場制を維持、拡大させたのは、新たに生まれた消費者という階層でした。
労働者層は工場労働で得た賃金によってさまざまな商品を購入しますが、その代金を集約した売上高が工場に再投資されて、工業生産高をかさ上げしていきます。
大量生産時代の初期には「隣人と同じような家電や自動車を購入して満足する」という、画一的な製品を画一的な消費者が受動的に受け取るような消費行動が広がりました。しかし、生産—消費量が拡大するにつれて、消費者は画一的な消費行動を脱し、自らの嗜好性を重視した製品を求めるようになってきました。
以上のような対応によって、資本・労働・消費の3つの仕組みは、多面的に企業・工場制を支えてきました。
しかし、近年では、資本の巨大化による寡占化や横暴化、資本家・労働者間所得格差の慢性的拡大、大量生産—大量消費時代の終焉など、体制の基礎を揺るがすような、さまざまな限界が浮上し始めています。
工業現波の生産構造をさらに眺めてみると、コロナ禍で明らかになるのは、おそらく大量生産体制や資本巨大化の弊害といった、厳しい限界ではないのでしょうか。
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