2022年1月24日月曜日

科学という時代識知は・・・

人口波動を起こした最大の要因は、人類を取り巻く自然環境をいかに理解したか、という時代精神、つまり「時代識知」の変化であった、という仮説の元に、その推移を振り返っています。

前回まで農業後波を造り上げた時代識知として「宗教(Religion」の構造を考えてきましたので、今回からは工業現波を造り上げた時代識知として、「科学(Science)」を取り上げます。

しかし、このブログでは、すでに【コロナ禍に現代科学は対応できるのか?】において、「科学」という識知観について、かなり詳しく考察していますので、まずはその要約から始めましょう。

●「科学」という日本語の元である「Science」は、ラテン語のスキエンティア(scientia:知識全般)から生まれた言葉で、フランス語から英語へと採用されました。

●人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然現象や自らの身体構造などへ関心を抱き、これらを説明するための知識や経験を蓄積し、「知識(scientia」として体系化してきました。

●古代ギリシアと古代ローマでは自然哲学が深まり、中世になるとイスラム科学が勃興して、それぞれ後世に大きな影響力を残しました。

1617世紀のヨーロッパで、いわゆる「科学革命」(Scientific RevolutionH. Butterfieldの提唱)がおきると、Scienceの意味は大きく変わります。それまでは、体系化された知識や経験の総称、つまり「知識」全般を意味していましたが、それ以降は、一定の目的や方法のもとにさまざまな事象を研究し、そこで得られた認識を体系的な知識とする「知的営為」を意味するようになりました。

●科学革命は、コペルニクス(M.Kopernik)による「天動説から地動説への転換」から始まり、ドイツのケプラー(J.Kepler)の惑星論、デカルト(R.Descartes)の『方法序説』を経て、ガリレイ(G.Galilei)の「力学的発見」、ニュートン(I.Newton) の「万有引力の法則」らによって達成されました。

●こうして生まれた機械論的自然観によって、神と地を二分してきたキリスト教的世界観が覆されたことで、数多くの技術革新が推進されるようになり、産業革命への道が開かれました。

1730年代に紡績機から始まった産業革命は、1750年代以降に各国へ広がり、1850年代からは蒸気機関を軸とした鉄道の建設や鋼鉄の拡大、1890年代からは電気・化学・自動車の浸透、1970年代からはICT(情報通信技術)やバイオテクノロジーなどの進展へと、次々に新技術を生み出してきました。

以上のように進展してきた科学を、時代識知観から見ると、次のような特性を挙げることができます。

要素還元主義(機械論的自然観)

近代哲学の祖デカルトと近代科学の父ニュートンが展開した「要素還元主義」は、全体は要素の集合から構成されているという前提に立って、さまざまな分析を行えば、究極的には全体の理解に及ぶという思考方法を生み出しました。この発想によって、科学と応用技術が多彩な次元で結びつき、学問と産業の繁栄がもたらしました。

数字・記号的思考

16世紀以降、ヨーロッパにおいて進展した西洋数学という学問は、「身分け」できる範囲内での自然現象しか分析できないという、人間の思考限界を突破するため、「数字」や「記号」を応用することで数学や物理学・化学などを発展させました。この思考が、洋の東西を問わず、自然現象の解明はもとより、経済現象や社会現象一般にまで幅広く応用されようになり、時代識知の中核として位置づけられました。

科学万能主義

科学は自然の実態を探る、唯一の手法である視点を前提に、それに基づく、さまざまな技術を開発、発展させ、人類の生活や生産力を大きく向上させました。これにより、科学、とりわけ自然科学は、この世の一切の問題は解決するものだという意識が拡大し、工業現波を生きる現代人にとって、あらゆる思考行動の基礎となりました。



以上のような特性を持つ「科学」を、これまで述べてきた時代識知観の流れの中で再検討してみましょう。

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