2019年3月24日日曜日

人類は世界をどのように理解してきたのか?

人口波動を構成する、5つの個別波動の、それぞれの時代に生きた人間は、独自の観念で周りの世界を理解してきました。

こうした人間の能力については、古今東西を問わず、宗教や哲学の基本的なテーマでした。例えば古代メソポタミアのギルガメシュ叙事詩、古代インドのヴェーダパーリ仏典などから、現代の現象学深層心理学、さらには構造主義ポスト構造主義などの哲学に至るまで、それぞれがこの課題に取り組んできました。

これらに共通している、最も基本的な視点は「身分け・言分け構造」という考え方です。

どういうものかといえば、私たち人間は周りの環境世界を、「身(み)分け」という網と「言(こと)分け」という網の、2つの網の目を通して見ている、というものです。
(この件については、筆者のもう一つのブログ「生活学マーケティング」で詳しく述べていますので、ご参照ください。・・・【生活構造の縦と横:2015年2月25日】、【身分け・言分けが6つの世界を作る:2015年3月3日】など)

要点を述べれば、以下のとおりです。

身分け」の網というのは、人間が自らの本能という「網」の目によって、周りの外界を理解した世界像、つまりヒトという「種」に特有のゲシュタルト(部分の集まりを越えた、全体的な構造)を意味しています。

周りの物質的世界について、ハエはその感覚器でハエなりに把握して理解し、イヌはその目や鼻でイヌなりにとらえています。ヒトもまた、五感の精度内で人間なりに把握して、ヒトに特有の外界像を描いている、ということです。

このように、あらゆる動物はそれぞれの身に備わった生命の機能(本能)によって、「種」独自の方法で外界を分類し、地(身の外の外界=フィジクス=physics)図(身の内のゲシュタルト=ピュシス=physis)に分けています。

とは生の物質的世界そのものであり、「」とは生物の感覚がとらえ頭脳が理解した限りでの世界です。ヒトはヒト独自の方法によって、を分けています。

人間もまた動物である限り、環境世界の中の一存在として、このような「身分け構造」の中で生きているのです。

次に「言分け」の網というのは、人間が「身分け」の網の上に、もう一つ重ねている、別の網のことです。「言分け構造」とよばれるもので、「シンボル化能力とその活動」、つまり広い意味でのコトバ(言語)を操る能力が生み出す網の目です。

人間は本能でつかんだ対象を、もう一度コトバやシンボル(絵や形)の網によって捉えなおしている、ともいえるでしょう。

この網の目を通すことで、外部世界は本能という図式に加えて、コトバやシンボルによって把握した、もう一つ別の外界像「コスモス:cosmos」を結ぶことになります。

要するに、私たち人間は「身分け」構造という生物次元に加えて、「言分け」構造という人類的な次元の“二重のゲシュタルト”によって、周りの外界を把握しています。

逆にいえば、こうした能力を他の動物より“過剰”に持ってしまったがゆえに、ヒトという動物は「人間」に変わった、ともいえるのです

以上のような視点に立つと、5つの個別波動とは、単なる文明という次元を超え、その深部では以上のような「身分け・言分け」構造の変化によって生み出された、ともいえるでしょう。

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