「ル・ルネサンス」のモデルとなる時代は、人類の過去の4つの人口波動において、いずれも次の波動を起動する準備段階の時代がふさわしいのでは、と述べてきました。
4つの時代のうち、ル・ルネサンスはどの時代をめざすべきなのでしょうか。
元々のルネサンスでは、1つ前の農業後波の限界を超えるため、2つ前の農業前波の時代識知を継承して、現代の工業現波の科学技術文明を創り出しています。
●気候・・・完新世温暖期(BC6500~4500年)が終わると、BC3500年にかけて寒冷化が進み、農産物の生産を著しく妨げました。 ●農耕・・・BC9000年頃、中近東に起こった農耕は、メソポタミア、南ロシア、ギリシアを経て、あるいはエジプトから北アフリカを経て、BC4500年頃にヨーロッパに広がり、またBC3500年頃には、メソポタミアからインダス流域へも伝播しています。 ●神話(Mythology)・・・農耕の伝播に対応するように、BC4000年頃のメソポタミアでは2100の神々が登場するメソポタミア神話が生まれ、BC3100年頃のエジプトでも、初期の神話体系が作り上げられました。 |
このようにLast stone ageは、農耕と神話という農業前波の基本構造を育んだ時代でした。
とすれば、工業現波の限界を越えようとする、今回のル・ルネサンスもまた、2つ前の下降期、つまり200~700年のLast ancient ageをモデルとして、粗放工業文明から集約工業文明への橋渡しを模索するのではないでしょうか。この時代の特性も、概ね次のとおりです。
●ポスト・パクス・ロマーナ・・・「パックス・ロマーナ」(BC27~AD200年頃)が終わり、動乱の時代に向かいました。 ●気候・・・300~600年は寒冷化が進んだため、農作物の生産量が減少し、各国で人口減少が起こりました。このため、375年にはゲルマン人が北欧から南下して東西へと大移動を開始し、その影響で395年にローマ帝国は東西の2つの国に分裂しています。 ●疫病・・・165~180年の「アントニヌス帝のペスト」に続き、542~543年には「ユスティニアヌス帝のペスト」が流行し、547年にブリテン島へ、567年にフランスへと広がり、ヨーロッパ、近東、アジアで約60年にわたり流行し続けました。 ●農業・・・5~10世紀にかけ、古代ローマ時代の地中海的な食習慣であるパンとワインが、ヨーロッパ各地に広まり、ゲルマン社会的な狩猟採集と牧畜が混じり合って、新たな農業方式と村落共同体の萌芽が生まれています。 ●宗教(Relision)・・・BC463年にインドに生まれた仏教は、200年頃までに大乗仏教として中国へ伝播し、BC4世紀頃にインダス川周辺で始まったヒンドゥー教も、100年代にグプタ朝において定着しました。BC4年に創始されたキリスト教は、200~400年代に新約聖書として文書化が進み、570年頃アラビア半島で生まれたイスラム教も、650年にコーランとして文書化されています。このように4大宗教は概ねBC5~AD6世紀に創始され、AD1~7世紀に経典化により普及しています。 |
以上のように、ルネサンスとル・ルネサンスのモデルは、それぞれ2つ前の下降期を想定することができます。
とはいえ、ルネサンスとル・ルネサンスのモデルには、根本的な違いがあります。
ルネサンスがモデルとしたLast stone ageが「石器文明から農耕文明への橋渡し」を模索した時代であったのに対し、ル・ルネサンスのモデルとなるLast ancient ageは「粗放農耕文明から集約農耕文明への橋渡し」を模索した時代であるからです。
前者が石器文明から農業文明への一大転換期であったのに対し、後者は同じ農業文明の中での転換期にすぎないということです。
このように考えると、ル・ルネサンスは今後、どのような方向へ進むことになるのでしょうか。
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