2020年9月21日月曜日

コロナ禍に現代科学は対応できるのか?

黒死病が壊した農業後波の「生産・社会・識知構造」を先例に、コロナ禍が今や脅かそうとしている工業現波の「生産・社会・識知構造」を推測しています。

「生産構造」「社会構造」と述べてきましたので、いよいよ「識知構造」です。

工業現波の「生産・社会構造」を創り上げてきた主因は、おそらく「科学」という時代識知であった、と思います。

「科学」という日本語は、明治時代に science という英語が入ってきた際、啓蒙思想家の西周が当てた訳語だ、といわれています。

元々のscienceは、ラテン語のスキエンティア(scientia:知識全般)から生まれた言葉で、まずはフランス語に取り入れられ、続いて英語に採用されました。

人類は太古の昔から、自分たちをとりまく自然現象や自らの身体構造などへ関心を抱き、古代オリエント、古代インド、古代中国などの文明圏では、これらを説明するための知識や経験を蓄積し、「学」として体系化してきました。

時代が下るにつれ、古代ギリシアと古代ローマでは自然哲学が深まり、中世になるとイスラム科学が勃興して、それぞれ後世に大きな影響力を残しています。

1617世紀のヨーロッパで、いわゆる「科学革命」(Scientific RevolutionH.バターフィールドの提唱)がおきると、Scienceの意味は大きく変わりました。

それまでは、体系化された知識や経験の総称、つまり「知識全般を意味する言葉として用いられてきました。

しかし、その後は、一定の目的や方法のもとにさまざまな事象を研究し、そこで得られた認識を体系的な知識とする「知的営為」を意味するようになりました。

この時期に起こった革命は、ポーランドのコペルニクス(M.Kopernik)による宇宙観の変革、つまり天動説から地動説への転換から始まり、ドイツのケプラーJ.Kepler)、フランスのデカルトR.Descartes)、イタリアのガリレイ(G.Galilei)、イングランドのニュートン(I.Newton)らにより達成されました。

コペルニクス1543年、「惑星は太陽を中心とする円軌道上を公転する」という地動説を唱え、それを継承したケプラー1609年、「天動説より地動説の方がより精密に惑星の運行を計算できる」ことを明示しました。

またガリレイ1604年に自由落下運動の法則などの力学的な発見を行い、それまでの目的論的自然観(物体がそれぞれの目的に向かって運動するというアリストテレス的な自然観)に変更を迫りました。

1633年、デカルトは、三試論(光学、気象学、幾何学)の序文として『方法序説』を提唱しました。

これらを継承したニュートン1687年に万有引力の法則を発見し、近代的な機械論的自然観への道を開きました。

以上のような知識革命で、それまで神(天)を二分してきたキリスト教的世界観が覆された結果、数多くの技術革新が推進され、産業革命へと繋がっていきました。

1730年代に紡績機から始まった産業革命は、1750年代以降に各国へ広がり、1850年代からは蒸気機関を軸とした鉄道の建設や鋼鉄の拡大、1890年代からは電気・化学・自動車の浸透、1970年代からはICT(情報通信技術)やバイオテクノロジーなどの進展と、次々に新技術を生み出してきました。

しかし、1990年代を超えるあたりから、地球環境問題の激化災害・事故への対応不能、軍事応用の拡大などが広がるにつれて、その限界が見えてきました。

なぜそうなったのか、さまざまな背景を考えてみると、「科学」という時代識知そのものの限界が浮かび上がってくるようです。

要素還元主義の限界・・・
近代哲学の祖デカルトと近代科学の父ニュートンが展開した「要素還元主義」は、全体は要素の集合から構成されているという前提に立って、さまざまな分析を行えば、究極的には全体の理解に及ぶという思考方法を生み出しました。

この発想によって、科学と応用技術が多彩な次元で結びつけられ、学問と産業の繁栄がもたらされましたが、それが行き過ぎて、あまりにも専門分化しすぎた結果、全体を見失うという弱点が露呈してきました。

記号・数字的思考の限界・・・
身分け」できる範囲内での自然現象しか分析できないという、人間の思考限界を突破するため、「数字」や「記号」を応用することで数学や物理学・化学などを発展させてきました。

しかし、あまりにもそれらの多用によって、量だけの科学に傾いた結果、形、質、全体などを把握することが困難になってきました。

科学万能主義の限界・・・
科学は自然の実態を探るという建前にもかかわらず、その実態は人間の利益に役立つか否かという視点から、自然の姿を追求しています。

それゆえ、科学やそれに基づく技術は、人類の生活や生産力を大きく向上させはしましたが、他方では、理解力を超える災害や予測不能な事故などに出会うと、より大きな災厄を生みだす、という二面性を内在させています。

あるいはあまりにも肥大化し、あらゆる分野の知識基礎となった結果、人間の思考能力さまざまな制約を与え始めています。

以上のような限界状況は薄々自覚され、批判的な論文や警告的な書籍なども幾つか出されていますが、未だ正論となるまでには至っていません。

しかし、今回のコロナ禍によって、感染予測の不可能性、対応施策の不十分性、関連科学の脆弱性などが露呈され、「科学」という時代識知そのものの限界が暗示されました。

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