2021年1月15日金曜日

ポストコロナ・・・揺れるデモクラシー

ポストコロナ=ラストモダンの時代も、社会的混乱と社会的革新が並行的に進行し、前者ではグロ―バル化、民主主義制、市場経済制の3つが浮上してきます。

グローバル化に続いて、2番めは民主主義制(デモクラシー:Democracy

コロナ禍が始まる前から、民主主義を採用する国家は減りつつあります。

スウェーデンの研究機関V-Dem Instituteによると、2019年において、世界の国々で民主主義国家は87、非民主主義国家は92となり、18年ぶりに前者が後者を下回ったようです。2000年の人口でいえば、民主国家の人々は46%、非民主国家の人々は54と、1991年の水準に戻っています。

そこにコロナ禍が襲いましたから、アメリカ合衆国の大混乱中華人民共和国の強権発動などで、民主主義制への信頼が大きく揺らぎ、全体主義の跳梁跋扈が目立っています。

とはいえ、一人一人の個人が集まって、互いに支え合いながら、それぞれの暮らしを保障するという民主主義(Democracy)は、国家制度としてはかなり優れた制度でしょう。

古代ギリシアのdemocratiaに始まり、17~18世紀の市民革命によって見直され、新たに近代的民主主義として作り上げられた、この制度は、国民主権、基本的人権の尊重、法の支配、間接的民主制、三権分立、成年男女の普通・平等選挙権などを構成要素として、参加する国民にとっては極めて納得性の高いものだと思います。

これまで人類が生み出してきた、他の制度、例えばMonarchy(君主政)、Aristocracy(貴族制)、Theocracy(神政政治)、Oligarchy(寡頭制)、Dictatorship(独裁制)、Totalitarianism(全体主義)などの長所・短所を大きく超えて、ようやく辿り着いた共同生活制度ともいえるものです。

それでもまだ完成にはほど遠く、成長途上にあることは間違いありません。【コロナ禍が民主主義を脅かす?】で述べたように、現在の間接民主制では、①制度固定化による無力感や不信感の増加、②政党選挙制による個別意見の排除、③代議制による政治的無関心の拡大、④投票者は政策内容・実施状況の検証・理解が困難、⑤選挙活動における利益誘導や投票誘導などの不正、といった問題点が指摘されており、その限界が露呈しているからです。

これらの問題点に通底する要因を敢えて指摘すれば、選挙制度、政党政権制、多数決論理など、それぞれの基本にある数の論理、つまり数字の支配ではないでしょうか。

数が多い方が当選する、多数派の政党が政権を握る、形式的な議論だけで多数票で政策を決定する、といった数値絶対制ともいえる制度です。

もともと直接民主制が目ざしていたはずの、全員参加徹底討議による合意生成という、本来の目標をどこかに置き忘れてきた結果ともいえるでしょう。

近代的民主主義を生み出した基礎理論の一つ、J.J.ルソーの『社会契約論』では、平等な個人間の契約によって社会は成立すると主張したうえで、全人民の意志を代表しない議会制度では運営は代行されえない、と間接民主制を否定していました。

その意味でいえば、現在の間接民主制は数字という観念言語によってバラバラにされ、本来の機能を見失っているともいえるでしょう。

コロナ禍が突いてきたのは、そうした間接民主制の弱点でした。つまり、選挙制度、議員代理制度、政党政治などが理想的・絶対的制度であるというドクサ(臆見)への糾弾だったのです。

とすれば、一気に直接民主制へ戻るのは無理だとしても、DX(デジタル・トランスフォーメーション)による直接的政策参加、議員就任期間の終身限定化、非選挙議員推薦制など、社会の変化に対応した制度改革を絶えず実施していくことが必要でしょう。

デモクラシーという社会制度は、決して固定化されたものではなく、社会変化に応じて、常に改良・改善されるべきものだと思います。

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