「平成享保」という言葉は、筆者が平成元年(1989年)に、某新聞のエッセイで初めて使った造語です。
昭和39年(1964年)に、福田赳夫氏(後の首相)が当時の世相を「昭和元禄」と表現されたことを継承し、次の「平成」は「享保」に近づくと予想したのです。
根拠となったのは、人口の動向です。「昭和」と「元禄」はともに人口増加が続いていた時代でしたが、「平成」は「享保」と同じく、人口がピークから減少へ向かう転換期と予測されていたからです。
人口の動きが世相を決めるという発想は、筆者の提唱する「人口波動法」という未来予測法に基づいています。
詳細は拙著『人口波動で未来を読む』や『日本人はどこまで減るか』などで述べていますが、WEB上では筆者の主宰するサイト「現代社会研究所」の人口波動研究室においても、一通り説明しています。
要約すれば、いつの時代においても、人口の動きによって同じような世相が現れる、というものです。
この視点に立つと、「平成享保」の後の時代は、次のように名づけるべきだと思います。
次の元号はおそらく30~40年間使われ、その後、再び新たな元号に改元されると予想されます。
つまり、2019年から2060年ころまでは「新元号」、次の2060年から2100年ころまでは「新々元号」になるものと思われます。
そうなると、図に示したように、人口波動の農業後波と工業現波のアナロジーによって、次のような対応が予想できます。
つまり、「平成享保」の後にくる、約40年は「××寛宝」(寛保-延享-寛延-宝暦期:1741-1764を略す)となります。
その次に来る約40年は、「××明天」(明和-安永-天明期:1764-1789を略す)となります。
もっとも、寛保~宝暦期は未だ人口減少対応への混乱期であるのに対し、明和~天明期はこのブログで何度も述べてきたとおり、適切な順応期に当たります。
その意味では、来年から始まる新元号の時代は、さらなる期待を込めて、「××明天」とよぶことが望ましいのではないでしょうか。
(この予測については、下記で詳細に展開しています!)
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