2019年4月5日金曜日

なぜ「令和明天」なのか?

「平成享保」から「令和明天」へ、これからの時代は変わっていきます。

前回、このように書いたところ、「なぜなのか?」とか「どういうことなのか?」というご意見やご質問を、フォロアーの皆様からいただきました。

そこで、もう少し説明を加えさせていただきます。

もっとも、この件については、このブログで何度も触れていますので、リンク先を明示しつつ、その要点のみを示すことにします。

最初は、この展望が筆者の提唱する社会予測手法
人口波動法」に基づいている、ということです。

長期的な人口推移には5つの波が推定でき、それぞれの波には【始動―離陸―上昇―高揚―飽和―下降】の6つの時期が設定できます。この6つの時期には「人口が波を打つ」という構造のゆえに、それぞれ
独自の構造が推定できます。

それゆえ、「今後の人口がどのような推移を辿るか」がおおまかに予想できれば、過去の時期を参考にして、今後の社会もまた推測できる、ということです。

このような視点に立って、今後40~50年間の社会を推定してみると、ほぼ間違いなく人口の【下降】期になっていきます。

とすれば、一つ前の人口波動である「農業後波」の【下降】期の社会を参考にして、その行方を推定することができます。

実際に比較したものが、【
「平成享保」から「××明天」へ!:2018年4月10日】です。なおこの比較で、今後の人口予測は筆者が独自に推計したもので、その手順は【人口容量に本格的な余裕が生まれると・・・:2017年10月8日】で述べています。
 
この図の「××明天」を「令和明天」に置き換えてみると、下図になります。



この図を素直に見れば、「平成享保」の後にくる、約40年間は「令和寛宝」(寛保~延享~寛延~宝暦期:1741~1764年を略す)とよぶべき時代となります。一世一元制が続くとすれば、「令和寛宝」とよぶのがふさわしいのかもしれません。

しかし、江戸時代の寛保~宝暦期は未だ人口減少対応への混乱期であり、新たな社会がめざすべき時代とは思われません。

そこで、その次に来る約40年間、つまり明和~安永~天明期にまで視線を広げてみると、この時代は当ブログでも何度も述べてきたとおり、適切な順応期に当たります。何が適切であったのかは【
人減定着の時代・明和~天明期を振り返る:2018年1月8日】や【田沼政権の10大政策:2018年1月17日】以下で詳しく述べています。

また、長寿化の進む、令和の時代は今後45~46年間続く可能性もあります。

これらの点を考え合わすと、「令和」時代の別称は、さらなる期待を込めて、「令和明天」(明和~安永~天明期:1764-1789年を略す)とよぶべきだ、と思います。

いやいや、今後約70年間の人減定着時代がめざすべき社会は、かつての「明和~天明」期なのです。

これこそ、当ブログが、「平成享保」から「令和明天」へ、と提唱した理由です。

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