2018年1月17日水曜日

田沼政権の10大政策・・・その1

田沼政権は人口減少社会に対応して、さまざまな政策を展開しています。

前政権・八代将軍・吉宗の厳しい倹約政策と年貢政策で、幕府財政は一時的に改善されていましたが、天領への搾取を強めたことで、延享~宝暦期に入ると、百姓一揆が増発し年貢は徐々に減少し始めます。

宝暦期が進むにつれ財政は急速に悪化したため、政権を握った田沼は石高経済を維持・再建しつつも、新たな財源の拡大に全力を注ぎます。

その努力が実って、13年間で年間収支を黒字に転換させ、以後10年間もプラス状態を保っていきます。

この成功を基礎に、田沼はさらに長期的な政策にも取り組み、新たな貨幣・金融・課税政策、斬新な産業育成政策、新田開発や蝦夷地開発政策を展開しました。

これらの点については、先達研究者のさまざまな研究がありますから、これらを基礎に独自の視点から整理してみますと、次の十大政策が浮かんできます(詳細は電子本『
平成享保・その先をよむ』参照)。

●第1政策=財政を再建する
石高経済から商品経済へ、経済構造が移行している以上、幕府財政の財源もそれに対応した多角化が必要でした。そこで、新たに強化したのが、冥加金や運上金という課税制度です。冥加金とは、山野河海などの利用権や営業権を幕府から許可された商工業者が、収益の一部を献金として上納するものです。また運上金とは、商業、工業、運送業、漁業、狩猟などに従事する者に課せられた、新たな租税でした。

●第2政策=米価を引き上げる
享保期以来の「米価安の諸色高」は、20年を経た宝暦期にもさらに強まっていましたので、田沼政権はまずは「米価高」をめざして①囲籾、②米切手統制、③買米など米価政策を実施しました。囲籾とは、籾米を各藩内に留め置き、流通量を減らして米価を上げるもの、米切手統制とは、年貢米を落札した米仲買人が発行する米切手を統制するもの、買米とは大坂の豪商に命じた御用金で市中から米を買い上げて米価を高くするものでした。

●第3政策=物価を引き下げる
幕府の支出を抑えるためには、物価の引下げや安定化も緊急の課題でした。そこで、田沼政権は、一方では株・座・会所などによる商工業団体への価格統制を強化し、他方では幕府の介入で諸色価格の安定を図っていきます。とりわけ、都市の拡大と人々の暮らしの変化によって需要が増えた燈油と、国民的な衣料となった木綿については、その価格を安定させるために、株仲間を通じた流通統制を実施しました。

●第4政策=3貨制度を見直す
当時の通貨制度は、江戸時代前期に作られた金・銀・銭の3貨制でしたが、元禄・享保を経たころから、石高経済から商品経済への移行が急進したため、全国的な統一貨幣への要求が高まっていました。そこで、田沼政権は「明和五匁銀」と「南鐐二朱銀」を発行して、統一貨幣をめざしました。

●第5政策=農地・国土を拡大する
戦国時代から一貫して拡大を続けてきた農地開発は、元禄期前後に開発適地の限界化で停滞するようになり、農業政策の中心も土地生産性の最大化をめざす精農主義へと移行していました。しかし、徳川吉宗は改めて新田開発に取り組んでいましたので、田沼政権もこれを継承し、江戸町人の希望者に下野・下総・常陸の荒地を下付して新田開発を奨励し、下総国印旛沼・手賀沼の開拓、さらには蝦夷地の開発事業にも取り組んでいきます。

まずは5つの政策を掲げます。残りの5つは次回で展開します。

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