まず死亡数の減少。この問題については、昨今、人口回復対策がしきりに喧伝されている割には、まったくといっていいほど話題にされていません。人口を維持しようとする時、素直に考えれば、すでに生きている人々をできるだけ失わないことが、真っ先に必要なはずです。ところが、昨今、政府やマスメディアのとりあげる人口回復対策といえば、ほとんどが出生数回復対策です。そればかりか「少子・高齢化」などと問題視して、老年者が増えることはマイナスだ、と端から思われています。
まことに奇妙なことです。日本人として生まれてきた人々ができるだけ長生きし、与えられた寿命を全うできるのは充分望ましい現象だ、と評価しなくてはなりません。にもかかわらず、それを忌避するのは、一方では彼らの生活や介護のためにサービス労働や社会保障費が増加すること、他方では彼らが生産力にならないこと、の2つが主な理由だと思われます。
なぜそうした問題意識が生まれるかといえば、1つは老年者を社会全体で面倒をみるという社会保障国家が大前提になっていること、もう1つは工業生産を中心とする産業国家の労働観や年齢観が常識化していること、の2つが背景になっています。
だが、こうした視点は「産業国家や福祉国家こそ現代社会の最高の目標だ」とする、極めて狭い発想にすぎません。そうではありません。人口減少が当たり前となった社会や人生が85~90歳となった時代には、70~75歳まで働くのは当然で、それを可能にするような産業や経済、あるいは社会や文化の構造を作りあげることこそ、新たな課題なのです。
とはいえ、現在、男性が80歳、女性が86歳に達した平均寿命を、今後もなお延ばしていくとなると、これはなかなか難しい。なぜなら、図に示したように、過去50年間、ほぼ3年に1歳ずつ伸びてきた平均寿命が限界に近づき、1歳延ばすのに今後は9年、10年、13年、と次第に伸びていく段階に入ったからです。つまり、現代の栄養水準や医療水準をもってしても、これ以上大幅な延命は無理なのです。そのうえ、若い世代が彼らのための経済的負担を嫌うようになれば、老年者の生息水準はますます低下していきます。
とすれば、21世紀の少なくとも前半の間は、技術的にも経済的にも、死亡数を減らすのは困難といわざるをえません。幾分緩やかになるとはいえ、死亡率が上がっていくのは避けようもないといえるでしょう。
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