田沼政権が行った諸政策は、人減定着時代に的確に対応したものでした。
よりマクロな視点に立てば、農業後波の最終期に対応した政治・経済の方向は、工業現波の最終期に向かいつつある現代日本に対しても、さまざまな示唆を与えてくれます。
とりわけ参考にすべきは、次の3つではないでしょうか。
① モノ主導構造からコト主導構造へ積極的に対応
人口波動の最終段階である下降期には、波動を作り出した物質的技術が停滞し、代わって情報的技術が拡大するという特性があります。
農業後波の下降期である明和・天明期には、「農業の停滞で商業・金融の拡大」により「米価安の諸物高」が起こり、「石高経済から商業経済へ」の転換が進みました。
工業現波の下降期である現代に当てはめれば、「工業の停滞で情報産業の拡大」によって、「モノ安のコト高」あるいは「ハード・デフレのソフト・インフレ」が起こり、「工業経済から情報経済へ」の転換が始まっています。
人減定着期の諸政策は、以上のような生産・経済構造の激変に、積極的に対応していくことが求められます。
② コト主導経済へ税収構造も転換
農業後波の下降期に進んだ「石高経済から商業経済へ」の転換に対応して、田沼政権は「農民への減税」と「商業・金融資本への増税」を同時に進めることで、悪化していた幕府財政を見事に立て直しました。
赤字財政の進む現代日本でいえば、「1次・2次産業へ減税」と「3次産業=情報生産・流通・金融産業への増税」といった、大胆な政策転換が求められます。
③ 情報産業界からの献策重視
田沼政権は幕政改善のためのアイデアを、幕府の内部にこだわらず、広く全国民に求めました。
とりわけ「商業・金融資本への増税」を進めるうえでは、その対象となる、豪農や豪商からの献策を積極的に取り上げています。
現代日本においても、政府部内での検討を大きく超えて、国民各層からの財政改善案を広く求めることが必要でしょう。
とりわけ情報化社会を主導して、莫大な利潤を上げている情報生産・流通・金融産業界の経営者や関係団体などから、社会貢献的な財政改善提案を引き出すことが求められます。
人減定着時代という、共通する社会環境を前提にすれば、明和・天明期に田沼政権の行った、卓越した諸政策は、ポスト平成の社会・経済・財政政策にもさまざまな示唆を与えてくれます。
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