2019年2月24日日曜日

人口波動法による未来の読み方

人口波動を前提にすると、拙著『人口波動で未來を読む』(日本経済新聞社、1996年)で提唱した通り、波動循環に基づいて未来を予想する、という予測方法論が考えられます。

基本的には、一つの時代が人口波動の6つの時期のどこへ向かいつつあるか、によって、過去の同じような時期と類似した社会的構造が予想できる、というものです。

もう少し詳しい手順を述べてみますと、次のようになります。
 

①予測しようとする時代が、人口波動の6時期のどこに相当しているかを見定める。

②6時期別に現れる、社会の基本的な特性に基づいて、目標とする社会の構造を推測する【
6時期別の社会的特性を読む!:2019年1月15日】。

③それゆえ、個々の波動の全体的な推移を比較するのではなく、各波動における6時期別の対応を参考にする。

④とりわけ、前回の波動における相当時期の社会を参考にしつつ、目標時期の社会を予想する。

⑤かくして、予測される社会は、6時期別の社会的特性を前提としつつ、前波動における相当時期の社会構造から類推されたものとなる。

要するに、この予測法のポイントは、波動全体や時間的長さなどの比較ではなく、時期別の社会的特性が共通する、という視点に基づいていることです(下図)。



こうした方法に基づいて、当ブログではすでに、21世紀後半の世界と日本を予測しています。

◆世界予測については、次の通りです。
人口波動で世界の未来を読む!2018年4月19日】
21世紀の国際情勢は・・・:2018年4月27日】

◆日本予測は次の通りです。
人口減少→人減定着→人口回復:2017年12月10日】
「平成享保」から「××明天」へ:2018年4月10日】

また、世界と日本の予測をさらに詳しく述べたものをKindle版『
平成享保・その先を読む』として上梓しています。

以上が、人口波動説の9番目のオリジナリティーとして、新たに提唱する未来予測手法「人口波動法」の概要です。

2019年2月15日金曜日

人口波動法という循環法を提唱する!

循環法という予測法には、前回、コンドラチェフ長波への疑問で指摘したように、さまざまな限界があります。

しかし、長期的な社会予測を行おうとすれば、新たな方法論として、単純な時間サイクルに頼らない、別種の循環法が求められます。

そこで、新たな循環法の可能性として、筆者はあえて人口波動法(Population Cyclics)という予測法を提唱しました。

人口波動法は、時間サイクルの代わりに、長期的な人口推移に見られる波動サイクルを説明変数にするものです。

すでに【
経済学の循環論とは大きく異なる!:2018年11月6日】で述べていますが、この循環法には次のような特徴があります。世界波動を示しつつ、具体的に説明してみましょう。




  ◆循環法としての人口波動法の特徴

①個別波動の始動―終了の期間はさまざまであり、一定していない。

②個別波動の進行過程もさまざまなをとり、一定していない。

③それにもかかわらず、個別波動の進行過程には、始動―離陸―上昇―高揚―飽和―下降の6つの時期が見られる。

④6時期のそれぞれには、人口容量(環境×文明)と人口推移との関係において、共通の社会構造が見られる。

⑤それゆえ、現在の人口が6時期のどの位置にあり、どこへ向かおうとしているかを確認することにより、過去の個別波動とのアナロジーを用いて、基本的な社会構造を予測することができる。

要約すれば、環境・文明・人口が一体化して作り出す人口波動には、社会の全体的な動きが最も適確に現れていますから、一つの波動の幾つかのプロセスにも、各時期特有の社会的特徴を見つけることができます。

そこで、現在の人口動向が波動のどの位置にあるかによって、その時期の社会的な特徴が推定でき、さらに今後の人口動向がわかれば、未来の社会を予測することもできます。

予め人口を予測しておく必要がありますから、単純な時間による循環法よりも、かなり手間がかかりますが、物理的な時間サイクルに頼らないという点で、コンドラチェフ長波の欠陥を大きく乗り超えていけそうです。

それゆえ、人口波動法を的確に応用すれば、従来とはまったく新たな視点から未来社会の展望が可能になってくるでしょう。

2019年2月4日月曜日

コンドラチェフ長波のリアリティーを考える!

未来予測手法としての「人口波動法」は、従来の循環論とは根本的に異なるものだ、と述べてきました【経済学の循環論とは大きく異なる!:2018年11月6日】。

この指摘に対して、コンドラチェフ長波などの実在を主張されるフォロアーから、厳しい異論が指摘されましたので、筆者の視点をもう一度確認しておきます。


実を言えば、筆者がコンドラチェフ長波予測理論へ違和感を指摘したのは20数年前からで、2003年に上梓した拙著『
人口減少・日本はこう変わる』においても、次のように述べています。

循環法は、経済学の景気循環の研究の中から生まれてきました。それによると、景気の循環には、3.3年周期のキチン・サイクル、7~10年周期のジュグラー・サイクル、20年前後のクズネッツ・サイクル、50年前後のコンドラチェフ長波などがあるとされています。

これらの中で、社会科学全般にとりわけ幅広い影響を及ぼしているのが、コンドラチェフ長波です。J.A.シュムペーターW.W.ロストウR.A.マンデルといった経済学者はもとより、システム工学者のJ.W.フォレスターや社会学者のI.ウォーラスティンまで、数多くの追随者を生み出しています。わが国でも経済学会の長老から新進のエコノミスト、さらには新進の社会学者までが、この説の信奉者となっています。

コンドラチェフ長波は、なぜこれほどの影響を与えるのでしょうか。一つの理由は、私たちが過去の歴史を振り返ってみる時、幾つかの事件や経緯の中には、50~60年の周期が潜んでいるように思われることがしばしばあるからです。

あるいはその背景の中に技術革新、戦争、革命、資源.エネルギー、文明の転換といった、ダイナミックな視点が潜んでいることも、従来のせせこましい社会科学や人文科学に飽きた人々をひきつける、もう一つの理由になっています。

さらには、コンドラチェフその人につきまとう、ロシア革命前後のロマン主義や神秘思想の影が魅力となっている可能性もあります。

しかし、コンドラチェフの説は、本当それほど正しいものなのでしょうか。最近では経済学者の中からも強い批判が出ていますが、最大の問題点は、コンドラチェフに代表される景気循環論が、いずれも一定の時間を説明変数にしていることです

説明変数というのは、さまざまな事象の発生が時間の変化で生ずるという意味です。3~4年、10年前後、20年前後、50~60年といった時間の周期で経済や景気が動いていくという視点は、確かにわかりやすいものです。

しかし、そんなことが過去の事例で起こったからといって、今後も同じように起こるとは限りません。ちょっと考えても、すぐに3つの疑問がわいてきます。

1つは時間の等価性という問題です。

循環論者の中には、約10年周期で発生する太陽黒点の増減が太陽活動の盛衰を示すため、農業などへの影響を重視して、10年単位の経済循環が起きるという意見があります。また戦争などで破壊された住宅が、戦後一斉に建築されると、その後20年前後で建て替え需要が発生することから、20周期の建築循環を主張する学者も多いのです。

確かに農業や建築といった分野では、一定の時間が社会現象を動かしているように見えます。しかし、人間の社会の方も人口増加とともに、次第に複雑になってきています。太陽黒点の数が減って農業に影響が出たとしても、弥生時代と現代ではその大きさは雲泥の差でしょう。建て替え需要が20年周期といっても、資材の品質が変わればもっと長くなりますし、社会的なニーズが変化すれば、逆にもっと早まります。

そうなると、単純な循環論には疑問がわいてきます。物理的な時間はいつも同じ速度で流れているのですが、人間にとっての意味となると、時代とともに変化しています。昨今の技術革新のスピードはいうまでもなく、過去の歴史を振り返ってみても、さまざまな技術の開発スピードは加速的に早まっています。とすれば、物理的には同じ速度で流れていても、一定時間の間に起こる人間の行為や出来事などの密度は次第に濃くなってきているといえるでしょう。そうした密度上昇を無視して、物理的時間の周期だけを単純に説明変数にしても、未来が予測できるはずはないのです

2つめは空間的な等価性の問題です。

歴史の経過とともに、私たち人間の空間的な行動範囲も加速的に広がっています。例えば1の人間の行動範囲を1日、1月、1年、10年、生涯と比べてみれば、江戸人に比べて現代人は圧倒的に広い地域を動き回っています。そこには、移動速度の急上昇に伴って、物理的距離が短縮化され、移動範囲の急拡大という現象が生じているのです。これは当然、社会全体の変化を加速していきます。

3つめは時間、空間を生きる人間の急増です。

歴史を作りだす人間そのものの数は、加速的に増加しています。時間の短縮と空間の拡大で一人の人間の行動は飛躍的に拡大していますが、さらに人口そのものも急増していますから、全体の行動範囲はいっそう加速的に膨張しています。人間全体の行動がこのように拡大している以上、時間のサイクルという物理的尺度だけで、人間社会の動きを説明しようとするのは、明らかに不当でしょう

以上のように時間に関する諸条件が大きく変動している現代社会では、物理的な「時間尺度」だけを唯一の説明変数にして社会.経済事象を説明するという手法には、どうしても無理があります。


その妥当性を維持できるのは、社会状勢があまり変化しない、せいぜい10~20年に限っての期間だけでしょう。そして、その期間もまた、毎日毎月次第に短くなっています。もはや50~60年という単位そのものが意味をなさなくなっているのです

このように考えると、単純な循環法もまた、外挿法や規範法と同様、これからの時代を考える方法としては欠点を持っています。これらの欠点に気づかず、あるいは欠点を無視して未だに循環法に頼っている経済学者や社会学者が多いのは、実に嘆かわしいことです。


                以上は『人口減少・日本はこう変わる』2003による。

いかがでしょうか? 以上の考え方については、基本的には今でも変わっておりません。

確かに50~60年以内の短期的な景気変動であれば、技術革新などによって一定の循環構造があるように感じられることもあると思います。

しかしながら、技術革新そのものが50~60年周期で発生するという、理論的根拠が必ずしも明確にされているわけではありません。

経済・景気予測ならともかく、総合的な社会構造についての単純な循環予測論については、何度も眉に唾をつけて見直していくことが必要だと思います。