すでに【日本列島の人口は波を打ってきた!】(2015年7月21日)で触れたとおり、この件については、拙著『日本人はどこまで減るか』や『人口波動で未来を読む』などで詳しく述べています。その要旨は次のようなものです。
日本の人口をできるだけ古くまで遡って調べてみると、古代の聖徳太子や行基から中世の日蓮、近世の新井白石や勝海舟らを経て、現代の文化人類学者や歴史人口学者に至るまで、多くの先人たちのさまざまな推計があります。
しかし、石器時代の人口についてはほとんど推定されていません。そこで、【人口減少社会・日本の先例・・・石器前波の減少期】(2015年12月21日)で述べたように、次のように推定してみました。要点は次の2つです。
①世界人口の石器前波(約600万人)と石器後波(約5000万人)の比率(前者/後者=0.12)を適用して、日本列島の石器後波(約26万人)から類推すると約3万人になる。当時の日本列島は、文明水準ではユーラシア大陸の後進地であったから、この数値はおそらく上限を示している。
②新人段階の世界の平均人口密度(0.04人/k㎡)に日本列島の面積(37.8万k㎡)をかけ合わせると約1万5000人になる。日本列島の自然条件は世界の平均を上回っているから、この数値は下限とみなすことができる。
②新人段階の世界の平均人口密度(0.04人/k㎡)に日本列島の面積(37.8万k㎡)をかけ合わせると約1万5000人になる。日本列島の自然条件は世界の平均を上回っているから、この数値は下限とみなすことができる。
以上のような推定を前提にすると、当時の人口容量は1万5000~3万人であったと思われます。そこで、3万人を上限として、人口の推移を考えてみますと、時間の経過とともに、世界波動と同じような増加・停滞・減少のプロセスを辿った可能性があります。
また、縄文~江戸時代の推計の中には、現代統計学の水準からみて必ずしも正確な数字とはいえないものも含まれていますが、前後の整合性から取捨選択してみると、大局的な流れをつかむことができます。
こうして得られた人口推計を基に、約3万年前に始まり21世紀末に到る、おおまかな数値をそのままグラフにしてみると、下図のような極端な急カーブになります。いわゆる指数曲線です。
そこで、世界波動と同様に、Y軸を正対数、X軸を逆対数にして作図しなおすと、下図に描いたような波が浮かんできます。
これこそ、日本列島の人口波動です。この背景についても、世界波動と同様の理由が考えられます。
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