クロポトキンは『相互扶助論』の「結論」において、
「同業組合やギリシャ民族など、個人と団体とが互に相互扶助を行うとともに、聯合主義によって多大の敬意を許された時、人類史上の二大時代、即ち古代ギリシャ都市時代と中世都市時代とが現出した。しかし、それに続く國家時代になると、相互扶助的諸制度が破滅されたため、急速な衰微の時代となった」と述べています。
筆者流に解釈すれば、「相互扶助によって、古代ギリシャ都市と中世西欧都市という、理想的な社会が生み出されたものの、それに続いて現れた国家という制度によって、相互扶助制度が破滅され、社会全体が衰微の時代に陥った」ということだと思います。
「国家」という制度を厳しく批判する、まさにアナキズム(無政府主義)思想の原点だと思いますが、その論理はいかなるものなのでしょうか。
『相互扶助論』の第6章(P304~305)で、詳細を確かめてみましょう。
●(ヨーロッパ社会では)自信と聯合主義、各団体の主権、および単純から複雑に進む政治組織、これらが11世紀の主流的思想であった。 ●然るにこの時代以降、これらの思想が全く一変してしまった。ローマ教皇イノセント三世時代(1198~1216年)になると、ローマ法の学者等とローマ教会の高僧等が密接に協力して、都市の建設を支配した思想、即ち古ギリシャ思想を麻痺させることに成功した。 ●彼等は200~300年の間、説教壇や大学の講壇、あるいは裁刊所の法官席の上から、次ぎの如く説き、かつ教えた、 ●(個々人の)救いは、半神的権威の下にある、強固な中央集権的国家に求めなければならない。ただ一人の、一切の権利を待った独裁官が、社会の救主たり得るし、また救主たるべきものである。 ●この独裁官は、救主の名の下に、あらゆる種類の暴行を犯す事ができる。男や女を棒杭の上で火炙りにする事もできる。言うに忍びない拷問の下に殺してしまう事もできる。一州二州の土地の全部をどんなに甚だしい惨況にでも陥入れる事ができる。 ●これらの學者と高僧は、王の剣と教会の火の及ぶ限り、あるいはこの2つを合わせて、いたるところに未聞の残忍さを以て、この理論を大仕掛けに実行した。 ●絶えず繰返される、この教訓と実例に、遂には市民の心までもが慣らされて、新しい型の中に鋳こまれてしまった。そして、市民等は、どんな暴力でも、又どんな嬲り殺しでも、それが『公安』のためとあれば、無茶だとか残酷だとか思わないようになった。 ●人心がかくの如き新しい傾向に走り、人間の権力に就いての斯くの如き新しい信仰を得てからは、古い聯合主義的思想は消え失せ、民衆の創造的天稟までも死んでしまった。要するにローマ思想が勝利を占めたのだ。そして、かくの如き事情の下に、都市は中央主権的国家の思うままの餌食になってしまったのだ。 (『相互扶助論』を筆者が要約) |
ここでいうローマ思想とはいかなるものでしょうか。筆者の推定では、神聖ローマ帝国の摂理(神の導き)的使命として、皇帝は地上における神の似像であるとする、キリスト教的な帝国理念を表わす考え方、と思われます。
とすれば、「相互扶助を破滅させた」主体として、クロポトキンが弾劾しているのは、「神聖ローマ帝国とローマン・カトリック教会に代表される国家」という制度ということになるでしょう。
なるほど歴史的にみれば、中世ヨーロッパの相互扶助を破壊したのは、ローマ的国家制度かもしれません。
しかし、視点を少し広げれば、国家という制度は、この時代のずっと前から、世界の各地で発生し、かつ成長していました。だとすれば、ローマ的国家制度だけに責任を負わせるのはいかがなものでしょうか。
当ブログの「地球的互酬制度(Global Reciprocity)」という視点に立てば、人類全体の互酬制は国家制度を否定するのではなく、その存続を前提にしつつも、より多角的な制度として設計していくべきだと思います。