2016年8月19日金曜日

富国強兵体制で7300~7500万人へ

工業現波を作りだしたのは、工業技術、日本型資本主義、国際交流を基本とする「加工貿易文明」でした。

この波の前半では、3要素の前段階として、文明開化殖産興業脱亜入欧を支柱とする、いわゆる「富国強兵」国家がとりあえずは人口容量を増やしました。

第1の文明開化とは、欧米の先端的な生活様式や科学技術を可能な限り導入しようとするもので、基礎科学、基盤技術、産業技術の3面でめざましい成果をあげました。

同時にこれらの技術を応用して農業生産も大きく変貌し、土地改良、肥料の増投と施用法、品種改良、農具の改良・普及などで、国内の食糧生産量を著しく拡大させました。

第2の殖産興業政策とは、西欧の市場経済システムを導入して、近代国家にふさわしい新たな産業を興そうとするもので、これまた短期間に産業革命なしとげました。

1870年代に欧米の制度を導入して生み出された〝会社”という組織は、90年代の日清戦争前後に繊維・紡績工業を中心とする軽工業部門と、政府主導による鉄鋼業などの重工業部門に分かれて、それぞれ産業革命をなしとげます。

1900年代初頭の日露戦争の後、造船、金属、機械工業などへも波及し、10年前後に全産業での革命を達成しました。

第3の脱亜入欧とは、当時、後進地域であったアジアを脱し、先進地域であるヨーロッパの国々と肩を並べよとするもので、鎖国体制が終わった後の国際感覚を明確に示しています。

この3つに支えられた「富国強兵」国家は、明治、大正、昭和前期と順調に人口容量を伸ばし、7300~7500
万人に達しましたが、1940年代に至って太平洋戦争の敗戦により一旦は停止に追い込まれました。






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